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 結論から言うと、グリードが戻ってくるまでには太陽が昇っては沈むを三回ほど繰り返す必要があった。

 そして四日目の日の朝、私は思いもよらない形で彼が不在にしていた理由を知ることになるのだ。

 その日は朝から曇天で、いつ雨が降り出してもおかしくないような天気だった。

 私は既に日課になりつつある、グリードが無事に、そして早く戻ってきてくれるよう天に祈りをささげると、こちらもまた日課になりつつあるイルのお説教を聞いていた。

「エリアナ様。いい加減にご飯を召し上がってくださいませ。ドライアドの知識によれば、人間は栄養を経口摂取しなければ徐々に弱りやがては死に至ると」

 朝食になかなか手を付けようとしない私に、イルは呆れかえっている様子だった。

 それも仕方ないのだろう。グリードが城から姿を消した日以来、私の食欲不振はずっと続いている。

 食べる量が不足しているからか気力に乏しく、比例するように臥せっている時間が増えた。何もやる気が起きないし、そんな自分のふがいなさにより一層落ち込んで食べたくなくなるという悪循環だ。

 我ながら、厄介な性格だなと思う。常に自分と誰かを比較して、落ち込まずにはいられないのだ。

 グリードが私よりイルを頼るのは当たり前なのに、その当たり前をどうしてかすんなりと受け入れることができない。

 シェリーやイルは、そんな私を心配していつも近くで落ち着かなそうにしている。そんな二人の姿を見ていると申し訳なくて、ふがいなくて、本当に自分の面倒くささに嫌気がさした。

「グリード様はもうすぐお戻りになります。ですから元気を出してください」

 イルの励ましは、逆効果にしかならない。

 彼女にだけグリードの予定が知らされているのだと思うと、涙が出そうになった。

 一体、私はいつからこんなに欲張りになったのだろう。誰にも顧みられないことには慣れていたはずなのに、どうしてグリードに最も近い存在になりたいだなんて大それたことを願っているのだろう。

 ドライアドの長との会話が脳裏によみがえる。

 協力すると請け負ってくれた長には申し訳ないが、やっぱり私になんて無理なのだ。グリードの支えになるなんて。

 こんなちっぽけな人間が、なんて大それた夢を見たことか。

 そんな風に自分を嘲っていた時だった。旧アデルマイトの歴史ある城が、轟音と共に激しく揺れた。

「なに!?」

 私はその場に崩れ落ちた。

 思った以上に体が弱っているらしく、踏ん張ることができなかったのだ。

 イルがこちらに駆け寄ってくる。混乱して抱き着いてくるシェリーを、私も必死に抱きしめ返した。

 揺れと轟音はまだ続いている。

 するとシェリーはもう我慢できないとばかりに竜の姿になり、壁に体当たりして大穴を開けてしまった。土埃が部屋を舞う。イルにかばわれながら、私はゴホゴホと咳き込んだ。

 その時だ。轟音と揺れが止み、そして窓の外から聞き覚えのある声がした。

「やっと見つけましたわ。お姉様」

 まさかと思い、破られた穴から外に目を凝らす。穴からは強い風が容赦なく吹き込んだ。そしてその風が土埃を攫ってしまうと、目の前に現れたのは信じられないような光景だった。

「ルーナ!? それに……ステファン殿下までっ」

 なんと、見覚えのある二人組が空に浮かんでいたのだ。

 一方は実の妹であり、もう一方は元婚約者の弟で亡国の第二王子だった。

 私は目を疑う。人間が空を飛べるはずなどないからだ。そして土埃によって遮られていた視界がクリアになると、現れたのはステファンの背に生えた巨大な羽だった。鳥のそれではない。まるでグリードやシェリーが持つような、薄い皮膜によって形成される尖った翼だ。

 どうやら翼をもっているのはステファンだけのようで、ルーナは彼に腰を抱かれることで滞空しているらしかった。

 二人はやけに親密そうで、その顔に浮かぶ虚ろ笑みにぞっとする。

 ルーナに恐怖を抱いたことは何度もあるが、今感じているのはそんなものとは比べ物にならない本能的な恐怖だった。

「エリアナ様お下がりください! 危険です」

 イルが私をかばうように二人との間に立ちふさがった。

 白い竜は突如現れた人間に対し牙を剥き唸りをあげる。

 そしてシェリーが二人に襲い掛かろうとした刹那、信じられないことがおこった。

 ステファンは少しも焦らず彼女に向けて手をかざすと、子供とはいえ人間とは比べ物にならない質量をもつシェリーが、まるで何かに弾き飛ばされたように城壁に叩きつけられたのだ。

 城には先ほどまで起こっていたのと同じ、ひどい揺れと轟音が響き渡った。

「シェリー!」

 悲鳴にも似た声が聞こえる。咄嗟に、その声が自分のものだと分からなかった。

 私はイルの背中から飛び出て壁に大きくあけられた穴から外をのぞいた。その高さに眩暈がする。

 そして城の壁に叩きつけられたらしいシェリーは、庭園の木をなぎ倒すように地面に横たわっていた。石造りの壁に叩きつけられた体は、浮力を失いそのまま地面に叩きつけられたのだ。私は頭が真っ白になった。ショックのあまり声も出ない。

「あーらお姉さま。お久しぶり」

 久しぶりに聞くルーナの声が、やけに耳に障った。

 体が震えて、怒りで目の前が真っ赤になる。

「なんてひどいことを! シェリーはまだ子供なのにっ」

 こんなこと言っても無駄だと、頭のどこかでは分かっていた。それでも言わずにいられなかったのは、自らの心を保つためだ。

 何か言わないと、荒れ狂う感情の波が溢れてどうにかなってしまいそうだった。

 そして、考えてしまうのだ。本当は考えてはいけないのに。

 ―――こんなことなら、ルーナの助命など願い出なければよかったと。

 あの時ルーナが死んでいれば、きっとこんなことにはならなかった。けれど、もう一度あの時に戻れたとしても、私はやっぱりグリードに妹の命を救ってくれるよう言っただろう。

 いつも一つのことしか選べずに、私は後悔ばかりを繰り返している。

「ステファン殿下。一体どうしてこのようなことを……」

 私は、まだ話の通じそうな第二王子に話しかけることにした。背中から羽根が生えている彼がまともな状態じゃないことは確かだ。それでも話し相手として彼を選んだのは、ある確信があるからだった。

 ―――ルーナとは分かり合えない。それが十年以上もかけて、私が苦難の中に得た答えだ。

『そなたがグリードをその気にさせた娘か』

 それは低くしわがれた、聞いたこともない声だった。ぞっと背筋を冷たいものが走り抜ける。

 一度は王太子の婚約者として城に上がっていたのだ。当然彼と言葉を交わしたことぐらいある。けれどその声は、記憶の中にある彼の声とはまるきり違っていた。

 ステファン殿下は、不思議な王子だった。穏やかな性格でいつも笑みを絶やさなかったが、私は彼が恐かった。

 アルヴィンが必要以上に弟を警戒していたからもしれない。けれど、決してそれだけではなかった。

 いつもにこやかにしているように見えるその目は、なぜか私にはどんな時にも笑っていないように感じられたのだ。

 そんな、ある意味感情をほとんど外に出さない彼のことが、私は苦手だった。

 だが、それでも。彼は確かに人間で、こんな声でこんな話し方をする人物ではなかったはずだ。勿論、背中から羽根を生やして飛ぶだなんてとんでもない。

「あなたは一体、〝誰〟なのですか?」

 私の問いに、ステファンは綺麗に笑って言った。

『我が名はプライド。かつて人と交わった竜の末路よ』

 彼はそう言うと、驚いたことに巨大な尾を生やして見せた。グリードが持つのと同じ、鱗に覆われた鋭い尻尾だ。

 そしてその長い尾は風を切り、室内にいる私の体ににわかに絡みついた。

 全身がギュッと締め付けられ、息ができなくなる。必死にもがいたが、体力を失うばかりでしなる尾は緩みもしない。

「エリアナ様!」

 イルが駆け寄ってきて何とか尾を剥がそうとするが、なんと尻尾は私をとらえたまま、彼女を払い落とした。

「イル!!」

 私を助けようとしてくれた彼女が壁に叩きつけられたところを見て、涙が出そうになった。

 いいや、涙だけではない。

 あまりにも強い力に締め付けられているせいで体の中身が全部外に出てしまいそうだ。

 それに、シェリーやイルがひどい目に遭ったことで、私は後悔と悲しみでいっぱいになってしまった。

 だが、たとえ痛くても打ちひしがれていても、思考を止めるわけにはいかない。

 なぜなら、私はグリードの妃で、彼が留守の今この国を守る義務がある。

 これ以上抵抗すれば、間違いなくこの城にはもっと被害が出る。城下には内乱に疲れた人々が暮らしているのにだ。これ以上、彼らを怯えさせるわけにはいかない。

「あな……あなたの目的……は、なんですの?」

 ぎりぎりと締め上げられながら、私はステファンを睨みつけていった。

 自分が死ぬことは、それほど恐ろしくない。なによりも恐ろしいのは、グリードに失望されることだ。

『ほう。まだ喋る元気があるか』

 締め付ける力が、より一層強くなった気がした。

 食べ物を食べていなくてよかったなあと思う。食べていたらそれが全部外に出てしまっていただろうから。

「ステファン様。このまま絞め殺すだけでは、つまりませんわ」

 ルーナが拗ねるように言った。

 その声には甘えと嘲笑が含まれている。

「だから……ね?」

 そして妹が第二王子に何事か耳打ちすると、彼は少し考える仕草をした挙句、その大きな翼をはためかせた。

 それだけで強風がおこり、部屋にあった家具は壊れたり砕け散ったりしていた。

 そしてルーナを抱えたまま飛ぶ彼の尻尾によって、私は城から連れ去られてしまったのだった。



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