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旧アデルマイト城に戻ると、なぜかグリードが城の外に出ていた。
シェリーを急かし、地上に降り立つとばたばたと慌ててその背中を降りる。
「どうかなさいましたか!? グリード様」
慌てて尋ねてから、はっと気づいて彼に対し膝を折った。
スカートは忠誠を表す挨拶に向かない。今はシェリーに乗るためクリノリンをつけていないので膝を折ることができたが。
普段はグリードに対し膝を折ることもできないので、最近はいっそのこと男装したいとまで思うようになっている。
見せかけとはいえ王妃が、そんな格好ではいけないことぐらい分かっているけれど。
「いや……問題はなかったか?」
頭上から、少し戸惑うような声が降ってくる。
手を差し伸べられたので、ゆるゆるとその場に立ち上がった。
グリードは複雑そうな顔をしている。何が彼の表情を曇らせているのか、それが分からない自分にいらだちを感じた。
「あらあら、わざわざお出迎えしてくださったんですか?」
遅れて降りてきたイルが、少しいたずらっぽく言う。
「イル。グリード様にそのような……」
すぐにたしなめようとしたが、グリードの手が伸びてきて私は言葉を止めた。
「イル。ドライアドの王はなんと?」
グリードは、ドライアドの長を王と呼んでいるらしい。長もグリードに対して気安いような雰囲気を感じたし、彼らには私の知らない歴史があるのかもしれない。
「ふふ。長はエリアナ様のことがお気に召したようです」
「だろうな。お前らが懐くぐらいだ」
「あら、そこまでお見通しならわざわざ城から出てお出迎えなどする必要はなかったのではありませんか?」
「イルったら……」
イルの言動は、なぜか随分とグリードに対して好戦的に感じられる。
だがグリードはたしなめるでもなく、小さなため息をついただけだった。
グリードが気分を害するのではないかと不安だったが、彼が私の両肩に手を置いたことでそんな不安は吹っ飛んだ。
そして、心配のあまり自分が随分と彼との距離を詰めていたことに狼狽する。
公爵令嬢をしていた時には、はしたないからと婚約者にすら許可なくこんなに近づいたことはなかった。
そしてグリードは相変わらず複雑そうな表情をしたまま、私の目を見下ろした。
「グ、グリード様……?」
「疲れただろう。お前は中に入って休んでいろ。俺はイルと話がある」
そう言われた次の瞬間、自分は蚊帳の外に置かれたのだと直感的に分かった。
イルには話せて、私には話せないことがあるのだ。
そのことが辛いという思いと、自分が頼りないせいなのだから仕方ないという思いがない交ぜになって、胸の辺りにずしんと重くのしかかった。
イルとグリードが言葉を交わしているのを横目に、私は重い足を引きずるように城へと向かった。
途中、人の姿になったシェリーが私の袖を引く。
彼女は甘えるように、私の二の腕にぐりぐりと頭を押しつけてきた。
「そういえば、お礼がまだだったわね。私たちを乗せて飛んでくれてありがとうシェリー。お礼におやつをあげるわね」
言葉を理解しているのか興奮したように飛び跳ねるシェリーのおかげで、少しだけ心が軽くなった。
そのまま城に入ってしまったから、結局私はどうしてグリードが城の外に出ていたのか、分からないままになってしまったのだった。
***
「イル。ドライアドの王が言っていたのは本当にそれだけか?」
「ええ。エリアナ様が竜について尋ねられましたので、竜の基本的な情報をお話になっていましたが」
エリアナが姿を消すとその途端に、グリードの顔はひどく険しいものになった。
これはどうやら何かがあったようだと、イルは少し緩んでいた気持ちを引き締める。
エリアナが心配で待ち構えていたのだろうと思っていたが、どうやらそれ以外にもグリードには何か懸念があるらしい。
イルがグリードの次の言葉を待ち構えていると、彼は鋭い眼光のままに驚くような言葉を口にした。
「スレンヴェールで、造反者が出た」
「ジルがいるあの国で? ありえません!」
そう叫びながらも、イルはすぐさま意識を同族であるジルへと飛ばした。目を閉じ、現実世界を超越した空間に見えない枝を伸ばす。
すると、ジルの意識がひどく慌てているのが分かった。
すぐさま情報を共有すると、自分がドライアドの里に行っている間に驚くべきことが起きていたことが分かった。
どうせ連絡役はできないのだからと、他の枝との接続を切っていたのが災いしたらしい。
「王族の一人とエリアナ様の妹御が逃げたと? そんな。彼らは特に厳しくジルが管理していたはずなのに……」
イルは戸惑った。
ドライアドたる自分たちが、人間に出し抜かれるはずがないという思いがあったからだ。特にジルは長から直接株分けされた力の強い枝で、その能力値の高さは直接株分けされたイル自身が一番よく知っているのだった。
「どう思う?」
グリードの押し殺した問いに、イルはゴクリと息をのんだ。
彼がエリアナを先に城に入らせた理由はおそらく、この話を彼女の耳に入れたくなかったからだろうと安易に想像がつく。
スレンヴェールは彼女の祖国だ。
そして、彼女が国を出てからまだそれほど時間は経過していない。
この事実をエリアナが知ったら動揺するのは想像に難くなく、なんでも自分のせいだと思い込んでしまう節のある彼女なら、余計な責任まで抱え込んでしまうかもしれない。
精神の安寧のためにスレンヴェールに預けていた彼女が断罪されかの国を併合する事態にまで発展したばかりだ。グリードの心配や気遣いはもっともだとイルは思った。
「ジルによれば、逃げ出したのは第二王子のステファン・グランスフィール・スレンヴェールとエリアナ様の妹のルーナ・リュミエールの二名だそうです。それぞれ別室に監禁されていた二人は、見張りがいたにもかかわらず忽然と消えてしまったそうです。それに、現場には強大な魔力の痕跡があったと……一体どういうことでしょうか? 二人もの人間をジルに察知されず城から連れ出すなど、よほど強力な魔物や精霊が協力したとしか――」
「イル」
名を呼ばれ、考えに耽ろうとしていたドライアドはその竜の顔を見上げた。
「二人が逃げ出したこと、エリアナには言うなよ」
「なぜです? 私の主人はあなた様ではなくエリアナ様です。長もエリアナ様に協力するようにとおっしゃいました。そのエリアナ様をないがしろにするなど……」
グリードの命令がエリアナをないがしろにするものだと受け取り、イルは不満だった。彼女は直接の元株であるジルからも、くれぐれもエリアナをよろしくと頼まれているのだ。
「そうではない。余計な心労を負わせたくないのだ」
ため息交じりの言葉に、イルは驚いた。
竜がほかの種族――それも人間を慮るなど、膨大なドライアドのデータベースをもってしても非常に珍しい現象に思えたのだ。
「確かに、エリアナ様は責任感の強いお方です。第二王子はともかく、助命を願い出た自らの妹御も姿を消したとなれば、気に病まれるのは確実でしょうね」
「ああ。俺は今からスレンヴェール城へ飛ぶ。お前はそれと悟られずエリアナの周辺に気を配るようにしてくれ。人間ごとき二人で何ができるとも思わんが、一応な」
相槌を打つグリードは、宝石のような翡翠の目を苛立たし気に眇める。
竜である自分にも分からない出来事が不気味なのだろう。
イルは了承を伝えるためこくりとうなずいた。
「かしこまりました。ですが、隠くすことでより一層相手が傷つくこともあるのだと、どうか心にとどめ置きくださいませ」
イルの意味深な言葉に、グリードはより一層表情を険しくさせる。
「おい、それはどういう意味だ?」
「深い意味はありません。それでは失礼します。エリアナ様がお待ちですので」
あっさりと言いおいて、イルはその場を去ってしまう。
取り残されたグリードは、意味が分からないという顔をしてドライアドの背中を見送ったのだった。




