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 ぽたぽたと、どこかから水滴が落ちる音がする。

 その音によって覚醒したアルヴィンは、初夏だというのに冷え冷えとした地下の空気にぶるりと体を震わせた。

 彼が今いるのは、アスタリテ城の敷地内にある地下牢だ。

 王太子という身分から一転して囚われの身となった彼は、肌触りの悪い粗末な服を着て、薄いペラペラの毛布に包まって眠っていた。

 生まれてこの方ふかふかのベット以外で眠ったことのない彼は、この生活を送るようになって初めて寝具の大切さを知った。

 なにせ凍えた体は毎日ぎしぎしと軋むし、特に何かしているわけでもないのに言いようのない疲労感が体にへばりついて離れない。

 どうしてこんなことに―――……。

 彼は、もうすり切れるほど思い返した記憶を振り返ると共に、重い重いため息をついたのだった。

 あの日―――、竜の花嫁として死んだはずの元婚約者が、突然城に現れたあの日。

 信じられないと彼は呻いた。

 しかし彼女は腹を槍で突かれても死なず、そしてその顔も一挙手一投足の全てが、宮廷から消えたはずのエリアナのままだった。

 公爵に押しつけられた、愚かなルーナのかわいそうな姉。

 失意の内に死んだ、自分を恨んでいるはずの娘。

 ルーナがどうしてもというから、渋々彼女に会いに行ったアルヴィンは驚かされた。

 いつも一歩下がって、おとなしく周囲を立てることに腐心していた彼女が、その時はこちらの目をまっすぐに見て、信じられないようなことを口にしたからだ。

 まさか伝説の竜が、アデルマイトを己の国にしたなどと。

 アルヴィンを含め、その言葉を信じる者は誰一人としていなかった。集まった貴族たちは彼女を冷笑したし、父である王は全て作り話だと断じた上でエリアナを危険分子として処分しようとした。

 そしてアルヴィンは、その時気がついたのだ。やけにあっさりと父である王がこの面会を受け入れた理由は、集まった貴族たちの前で彼女に恥をかかせ二度と貴族社会に復帰できないようにするためだと。

 ついでに言うなら、エリアナの実家であるリュミエール公爵家の勢力を削ぐ意味合いもあっただろう。

 身内から竜の花嫁を出し、なおかつ王太子である自分の後ろ盾となったかの家は、王国に次いで二番目に権勢のある家柄といって差し支えない。

 王家は長らく、グランスフィール公爵家とスレンヴェール公爵家の二家の力を拮抗させることで、貴族が増長しすぎないよう心を砕いてきたのだ。

 だから父のやりようは為政者としてはある意味正しかったのかもしれない。

 だが、突如謁見の間の天蓋を破り現れた竜は、宮廷の醜い権力争いなど簡単に壊し尽くしてしまった。

 竜はエリアナを己の妻であると宣言し、更にはアデルマイトのみならずこのスレンヴェールすらも配下に治めると言ってのけたのだ。

 そして嵐のように彼らが去った後、ドライアドを名乗る全身緑色をした美女が、腕から枝を伸ばしその場にいた全員を拘束した。

 アルヴィンはあまりのことに気を失ってしまったのだが、気づけばこの地下牢にぶち込まれていたというわけ。

 地下牢は日が差さないから、今が昼なのか夜なのかも分からない。食事を届けに来る見張り役にここから出すよういっても、ご容赦くださいの一点張り。

 (あれから、一体どれくらいの時間が経ったのか……)

 もうアルヴィンは、王太子としての矜持も、国を取り返さなければと言う熱意もなくしてしまいそうだった。

 よき治世だったならば、いつか国民が助けてくれるだろうと希望を持つこともできただろう。

 だが、残念ながらスレンヴェール国の現状は、圧倒的多数である平民から搾取した富を少数の貴族が独占しているというものだった。

 アルヴィンもその現状をどうにかすべきだと思ってはいたが、知謀策略に長けた宮廷人から利権を手放させるなどどうせ不可能だろうと半ば諦めてもいた。

 良くも悪くもかれは生粋の王子で、だから自分が次の王位さえ継ぐことができればそれでよかったのだ。

 その時だった。

 カチャカチャと鍵を開ける音がした。

 アルヴィンのいる牢からは見ることができないが、どうやらこの牢と外を繋ぐ地下通路には、一つ以上の鍵が必要な扉があるらしい。響きからして、木の扉などではないだろう。おそらくは牢に使われているのと同じ、格子のついた鉄製のドアだ。

 アルヴィンはその音に耳を傾けながら、自分の腹具合を確かめてみた。

 まだそれほど空腹は感じていなかったが、それはおそらく眠っていて体力を消費していないせいだろう。

 こうして食べて眠るだけの生活をしていると、公務に忙殺されていた日々がなんだか馬鹿馬鹿しく思えてくる。

 弟を出し抜こうと汲々としていた日々は、決してこんな結末を迎えるためではなかったというのに。

 そうして感慨にふけっていたアルヴィンの耳に、ふと奇妙な音が届いた。

 それは、扉の向こうからやってきたらしい足音だ。

 いつもなら兵士のブーツが立てるカチャカチャという拍車の音が、今日はしない。

 何より、足音は二人分あった。どちらも軽い、おそらくは武装などしていないのだ。

 何事だろうと顔をあげたアルヴィンはそして、驚くべきものを見た。光のない地下牢に慣れきっていた目が、松明の炎に驚き痛みさえ感じる。

 けれど彼を驚かせたのはその光ではなく、そこに立っていた人物の方だった。

「ステファン……」

 アルヴィンは呆然とその名前を呼んだ。

 自分と同じように捕らわれの身となっているだろうと思っていた弟が、そこに立っていたのだ。見張りすらなく、己で松明を持って。

 いや、王子である彼が自ら松明を持つこと自体、常ならばあり得ないことではあるのだが。

 そして驚くアルヴィンの目に、さらに驚くべきものが映った。それはステファンに寄り添い立つ、もう一つの影。

 地下牢に相応しくないドレスを纏ったその姿は、アルヴィンを呆然とさせるのに十分だった。

「まさか、ルーナまで!」

 弟に寄り添っていたのは、アルヴィンの婚約者であるはずの娘だった。虚栄心が強く考えが足りない、あの日謁見の間で骨を折られ痛みに喘いでいた娘が、松明の明かりに照らされて無邪気な様子でそこに立っていたのだ。

 驚きのあまり立ち上がったアルヴィンは、二人とは打って変わって粗末な服しか身に着けていない己に気付き慌てて毛布を掻き合わせた。それがより一層己の身を哀れに感じさせ、アルヴィンはえも言えない羞恥に小さな呻きを漏らした。

「どうして……なんでお前が……」

 まず何から問えばいいのだと、アルヴィンは途方に暮れていた。

 聞きたいことならいくらでもあるが、圧倒的に不利な己の立場が声を出すことすら思いとどまらせる。

「兄上。ご健壮な様子で安心しました」

 ステファンの言葉には、嬲るような響きがあった。

(この姿のどこが健壮だというのか!)

 アルヴィンは頭がかっかと熱くなるのを感じた。今までに感じたことのないほどの激しい怒りだ。

 弟に追い落とされるのではと絶え間なく感じていた焦燥と違い、その怒りは辛抱強い気質のアルヴィンをあっという間に燃え上がらせた。

「兄の零落を嗤いに来たのか! わざわざこのような地下の穴倉に!」

 アルヴィンの掠れた怒号が、隧道の中に木霊する。久しぶりに声を出した彼は、そのままげほげほと咳き込み胸を押さえた。

「あらあら、突然大声なんて出すからですわ。アルヴィン様大丈夫です?」

 ついこの間まで好きだ好きだとまとわりついてきたはずの婚約者は、まるで別人のようにアルヴィンを睥睨する。

 その声の調子からして自分から弟に乗り換えたであろうことは、火を見るより明らかだ。だがそれ以前に、どうして彼らが自由の身であるのか、アルヴィンにはそれが気になった。

 エリアナを蔑ろにした者が罰を受けるというのなら、自分は元よりルーナにだって非があるはずだろう。彼女こそ姉を婚約者という身分から追い落とした張本人なのだから。

「なぜだ……一体どうしてなんだ!」

 アルヴィンの悲痛な叫びが、地下牢の中に木霊する。

 彼は未だに痛む目を押さえ、萎えた足を折ってその場に頽れた。

 するとその時、にわかに外が騒がしくなる。

 こっちだという声や、そっちを探せという男たちの声だ。

 彼らが誰を探しているのか、アルヴィンは本能的に感じ取った。おそらく彼らは、目の前の二人を探しているのだろう。

 どうして逃げられたのかなぜ自分のもとに現れたのか、彼らの余裕のある態度は何なのか!

 湧き上がる疑問を口にすることもできずにいるアルヴィンに対し、大人しく従順な弟であったはずの男が不敵に笑った。

 それはまるで別人のような、禍々しい笑みだった。

「竜が人の国を奪うというのなら、それを更に奪ったところで何の問題があるでしょう」

 そう言い残し、ステファンとルーナの姿はその場から掻き消える。

 残されたのは呆然と宙を見上げるアルヴィン一人。

 しばらくして兵士が駆け込んできても、アルヴィンは何も答えぬまま薄い毛布にくるまり、結局はいつものように沈黙を貫いたのだった。



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