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「竜というのはまあ、迷惑な生き物よ」
そろそろ本題にという話になり、自分の本体の前にどかりと胡座をかいた長は開口一番、そう言い放った。
「特にグリードのやつは、草木を腐らせる。我らドライアドから見れば、天敵と言ってもいい」
それはそうだろうなと思いながら、私は悲しくなった。
グリードは一見冷たそうだったり攻撃的に見えるけれど、本当はそうじゃない。近づいてみれば、不器用だけれど優しくて温かな人だと分かる。
すると、私が何か言いたげにしていると気づいたのだろう。
長は口元に小さな苦笑を浮かべた。
「分かっている。あいつがいたずらにそんなことをするようなやつじゃないってことはな。実際、あいつはここに来る時には必ず本来の姿では来ない。俺たちドライアドが困ると分かっているからだ」
―――そうだ。あの人はそういう人だ。
グリードの話を聞くと、じくじくと胸が熱くなる。まるですりむいた傷みたいに、どこどくと鼓動を感じて血を零さないのが不思議になるほどだ。不快ではないけれど、その覚えのない感覚に私は未だに戸惑っている。
「なんて顔をするんだ」
見ると、長が呆れたようにため息をついていた。
「自分から話を聞きたいなどと言ってきたくせに、今にもグリードに会いたいという顔だぞ」
そう指摘されて、思わず顔が熱くなった。
人ではない精霊にも見抜かれてしまうほど、私はあからさまな顔をしていたのだろうか?
「まあいい。とにかくグリードのやつは、他の竜連中とは違ってお人好しというか、お竜好しというかだな」
「他の竜……ですか?」
「ん? ああ。グリードの他に、プライド、エンヴィ、ラース、ラスト、グラトニー、スロウスがそれに当たる。竜はかつて創造主が捨てた己の欲望だ。それが地に堕ちて古き竜となった。かつてあやつらは、神の一部だったのだ」
それは、初めて聞く話だった。
スレンヴェールで伝わる創世記には、七匹の竜など出てこない。ただ国内に住むグリードだけが、目覚めさせれば大変なことになる厄災として、連綿と伝わっているのだ
私がその話をすると、長は少しだけ寂しそうな、だけれど皮肉げな顔で言った。
「人というのはそういうものだ。お前らは寿命が短いから、どうしても古い歴史を忘れてしまう。だが、それが正しいのかもしれん。過去というのは同時にしがらみでもある。しがらみなどない方が幸せにそして楽に生きられるだろう」
口にはしないが、その言葉の最後には「自分はそうではないが」という悲哀が隠されている気がした。
私は長の本体である巨木を見上げる。一体ここでどれほどの月日を過ごしたのだろう。彼は根や枝葉を通じて外の世界を見ることはできても、この場所から動くことは決してできないのだ。
「その、他の竜たちはどこにいるのですか? 我が国にはグリード様の他に竜の伝承というものはないのですが……」
「竜というのは、群れたりはせん。互いに諍いが起これば地上を滅ぼしかねないほどの力を持つのでな、大体が各地に散らばっておるのよ。ともあれ、この辺りにいるのはグリードだけだろうな。それかどこかで眠り呆けているのか。さすがの私も、あれらの居場所までは把握しておらん」
嘘をついている様子はなかった。そもそも嘘をつくぐらいだったら話さないだろうし、彼の言葉は本当なのだろう。
「それは……寂しくはないのでしょうか? ずっと一人なのでしょう?」
グリードは初めて出会ったあの火山で、ずっと眠っていたと言っていた。
あんな場所に近づく他の生き物なんているはずもない。
彼は一人きりで、途方もない年月を過ごしてきたのだ。
私の言葉に、長は目を丸くしていた。
「竜相手に、そんなことを言う人間なぞ初めて見た」
彼はそう言うが、私は真剣だった。
「私は……グリード様に死ぬまでお仕えしようと心に決めています。けれど、それはきっとあの方が生きてきた時間からすればほんの僅かな時間にすぎません。たくさんの恩を受けたというのに、お返しできるものが少なすぎて、わたくしは情けないのです」
必死に訴えると、ドライアドの長はぽかんと口を開けてこちらを見た。
先ほどよりも更に、驚いたという顔だ。
そしておもむろに、笑い始めた。笑いはやがて大きくなり、今はお腹を抱えて苦しいと言わんばかりだ。
「ははっ、グリードのやつに聞かせてやりたいな! ははははっ」
ごろごろと転がるその姿に、恥ずかしくて所在無い気持ちを味わう。
そして私はここにきて、本来の目的を思い出した。さっきからちっとも話が進まないが、私が最も聞きたかったのは、竜の歴史ではなくて。
「そ、そんなことより! その……竜と人間は、その、つがうことができるのでしょうか!?」
それは、人間である私とグリードが共にあれるのかということ。私がこの恋を全うしてもいいのかということ。
好きだといえる立場ではないと分かっていて、それでも我慢しきれずにあふれ出てしまったあの言葉。
もう取り消したりはできないのなら、せめて努力だけはさせてほしい。
わたしはグリードに、もっと近づきたいのだ。
王太子と婚約するため努力していた時には、こんな風には思わなかった。そもそも、こんな気持ちを抱いたこと自体初めてなのだから。
「真剣に何を聞いてくるかと思えば……」
笑うのをやめた長は、今度は呆れたような顔をする。
「できる。できるぞー。古くは人間と子をなした竜もいる。というか、お前の国の王族がそうだろう?」
今度は私の方が驚かされる。
「私の国の……? それはスレンヴェールのことですか?」
かの国はグリード竜王国に吸収された、既に故国ではあるのだが。
「そうだ。かつて人間とつがった竜がいた。竜は去ったが子はその人を超えた凄まじい力で戦乱をまとめ、国を作った。それがスレンヴェールよ。とはいっても、長い時の中でその歴史は封印されたようだがな。おそらくは、子孫である王族の誰かが国民からそれを隠したのだろう。竜の子であるということは畏怖の対象であると同時に、迫害の原因ともなりえる。そのあたりの人間の細かい機微は、私には想像もつかぬがな」
スレンヴェールの知られざる歴史に、思わず言葉をなくした。
「その人とつがった竜というのは、グリード様なのですか?」
さっき長は、七匹の竜は諍いとならぬようそれぞれに散らばっていると言っていた。だとしたらスレンヴェールの近くにいる竜は、畢竟グリードということになる。
だが、私のそんな心配はすぐに打ち破られた。
「はははっ、だったら面白かっただろうがなあ。残念ながら別の竜だ。それがどの竜でどこへ行ったかまでは、私も知らんがな。それにグリードは竜の中でも堅苦しい性格だから、人とつがうなど考えもしないだろう」
長の言葉の前半で安堵し、後半が私を失意の底に叩き落した。
伸ばした手を振り払われた時から、そうなのではないかと思ってはいた。
たとえそれが可能であろうとも、グリードは人とつがったりしない―――。
でも私は、そんな彼の隣にいたい。
それが表情に出ていたのか、長は最後に面白がるようにこう言った。
「そのグリードがもし人間とつがったら、大層面白いことだ。ドライアドはお嬢さんに協力しよう。ぜひあの頭でっかち竜を、慌てふためかせてやってくれ」
そう言って、そのまま緑の青年は綺麗に笑って掻き消えたのだった。




