38
沈黙しただけで気まずいと感じるのは、私の気のせいかもしれない。
でもアスタリテ城から戻って以来ずっと、グリードはどこか不機嫌で私のことを避けているように感じられた。
(最後の最後で妹を庇った、私の忠誠心をお疑いなのかもしれない)
この気まずさを解決したいと思うのに、どう切り出していいか分からず私は苦渋を抱え込んでいた。
それに、今のグリード竜王国は人手不足で全ての人が忙しそうにしているというのに、私は何も役目が与えられず好きにしていろと言われるばかりだ。
たとえ役に立てることなんてなにもなかったとしても、しもべとしてはグリードの役に立ちたい。けれど何をすればいいかも分からず、悶々とする日々を送っていた。
「エリアナ」
名前を呼ばれ、私は一瞬耳を疑った。
彼が私の名前を呼ぶのは、本当に久しぶりのことだったからだ。
「な、なんでしょうかグリード様」
慌てて答えると、グリードは玉座から立ち上がり私に向かって振り返った。主だけ立たせておく訳にはいかないと、私も慌てて椅子から立ち上がる。
「お前はあの国で、王太子の妻になるはずだった。そうだな」
過去のことを聞かれ、どきりとした。
確かにその通りだが、今まで彼とその話をしたことはなかった。きっとアスタリテ城で、私の目を通じてことの成り行きを見ていたグリードは、ルーナや国王の言葉からことの成り行きを察したのだろう。
そのままグリードが怒り彼らを罰したことで、全てはうやむやになってしまっていた。
いよいよそれを話すときが来たのだと、知らず肩に力が入る。
「はい。婚約者でした。ほんの短い間のことではありましたが」
もう、遠い昔のことのように感じられる。そうなっていたら私はどうなっていたのだろうなんて、空想の未来さえ抱くことはできない。
肯定すると、グリードは一瞬落胆したように見えた。
どうしてそう感じたのかは分からないが、とにかく私は焦った。グリードの機嫌を損ねたのだとしたら、私にとっては一大事だ。
「ですがそれは過去のことで―――っ」
「ならば、どうしてお前はマグマになど飛び込もうと思ったのだ? 俺が助けなければ、死んでいただろう。婚約者の座を追われることはお前にとって、死を選ぶほどに辛いことだったのか?」
彼の問いは、私の胸に苦いものを呼び起こした。
王太子妃になれなかったことが悔しかったんじゃない。私はただ―――誰も味方のいない人生に疲れ切っていたのだ。
「両親に……父に愛されたかったのです。愚かしく聞こえるでしょうが、竜の花嫁になればその娘を出した家は国から尊ばれます。そうすれば、父が私を誇りにしてくれるといやしくも思ったのです……」
かつての過ちを告白するのは辛かった。
自分でも、何を馬鹿なことを当時の自分に呆れてしまうほどなのだ。
そんな私の言葉に、グリードはよく分からないとでも言いたげに首をかしげて見せた。
「分からんな。親に認められて何になるというのだ? 大体、人間というものは血縁が死ねば泣いて悲しむものだろう? どうしてお前が死ねば父が喜ぶという結論に至る」
不思議で仕方ないとでも言いたげなその口調に、私は思わず自嘲を零した。
「そう……ですね。自分でも馬鹿だと思います。けれど当時のわたくしには、父がわたくしを認めてくれることだけが全てだったのです。だからこそ寸暇を惜しんで勉強して、王太子殿下の婚約者にと……」
当時のことを思い出すと、その努力が全て無駄になるのだと嘲りたくなる気持ちと、そんなに頑張らなくていいんだと過去の自分を哀れむ気持ちの両方が喚起される。
苦い過去ではあるが、その末にグリードと出会えたのだと思えば、この人生も無駄ではなかったかもしれないと思えるのだ。
ただ、そんなこともあったと切り捨てるには、私の傷はまだ生々しすぎた。
「そう、なのか……」
グリードはなぜか、少しほっとしたようだった。不思議がっているとも呆れているとも言えない反応に、首をかしげたのは私の方だ。
「グリード様。そんなことをお聞きになるなんて、突然どうなさったのですか?」
「いや、てっきり俺は、お前があの王太子とかいうやつに未練があるのだろうと」
「そ、そんなことはありませんわ! わたくしはグリード様の忠実なるしもべ。愛や恋だなんてもう必要ないのです。グリード様にお仕えすることこそが、わたくしの幸せです」
思わず拳を握って力説すると、なぜかグリードがたじろいだ。
「そ、そうか……」
「お、落ち着いてくださいませエリアナ様」
イルになだめられ、とりあえず握り拳を下ろす。
「すいませんわたくしったら、はしたない」
「いや、それはいいんだが……」
そう言うと、グリードは何を考えているのか黙り込んでしまった。
じりじりと、お尻に火がついたみたいな焦燥を覚える。今の話を聞いてグリードがどんな結論に至るのか、それが知りたいような知りたくないような、複雑な気持ちだった。
だが、待ちに待ったグリードの言葉に、その思考は霧散する。
「それにしてもお前の父とやらは、止めもせずお前を送り出したのだとしたら許せん。やはりあの場で亡き者にしておくべきだった。いや、今からでも……」
バサリと背中から羽を生やし、今にも飛び立とうとするグリードを、その手をつかんで慌てて止めた。
「そ、それはもういいです! あれで十分ですから!」
誇りにしていた貴族の位を剥奪された父への報復は、もう十分だ。
今は彼を恨む気持ちよりも、主体性のなかった自分を情けなく思う気持ちが大きい。
そうだから―――本当にもう十分なのだ。
「そ、そうか?」
なぜか狼狽しつつ、グリードは床から離れかかっていた足を下ろし、そして羽を仕舞った。
手を繋いだまま、私たちの間に微妙な沈黙が流れる。
「申し訳ありませ……」
突然玉体に触れて不敬だったと、我に返った私は慌ててその手を離そうとした。しかし触れていた手に逆に握り込まれて、逃げ出すことは不可能になってしまった。
突然のことに私は戸惑い、動転する。
「ぐ、グリード様!?」
名前を呼んでも、グリードは視線をそらしたまま手を離そうとはしない。
救いを求めて周囲を見回すと、いつの間にかイルの姿が消えていた。広い王の間に、私たちは二人きりだ。
陽が傾いてきたのか、天井の明かり取りから赤みがかった光が差し込む。
「グリード、様……?」
自分の髪が、朱色に混ざって淡いピンク色に染まるのが分かった。
幼い頃は夕刻しかルーナのようになれないと、己の老人のような髪色に落胆したものだ。
グリードが空いたもう一方の手で、私の髪を一房持ち上げる。
鼓動が高鳴って仕方なかった。ともすればこの鼓動がグリードにまで届いてしまいそうで、私は慌てて胸元を押さえる。
「初めてお前を見た時」
唐突に語り始めたグリードの声に、私は黙って耳を傾けた。
「その白い髪が、キラキラ光って綺麗だと思った。赤いマグマで燃え尽くされてしまうのが、どうしようもなく惜しく思えたのだ」
それは、思いがけない言葉だった。
私の白い髪を、こんな風に言ってくれたのは彼が初めてだ。無性に嬉しくなって、心臓が暴走し始めた。
だからだろうか、自分でも思いがけない言葉が口から出る。
「わたくしは……燃えたぎる赤に染まりたく思います」
赤はグリードの鱗の色。私にとって世界で一番尊い色だ。
しばらく、グリードは何を言っているか分からないというように不思議そうな顔をしていた。けれど次の瞬間、彼の丸みを帯びていた瞳孔は一瞬にして尖り、捕まれていた手が振り払われる。
「そういうことを、気安く言うな!」
そのままぷいと背を向けて、彼は王の間を出て行ってしまった。
王の間に取り残された私は、彼を追うこともできずその場に立ち尽くすしかなかった。




