35
そして伸ばされたグリードの手が、細いルーナの首をつかんだ。
「うぐっ」
聞いたこともないような詰まった悲鳴。
そして、数キロはあるドレスと一緒に、グリードはルーナを持ち上げる。
彼女のつま先が地面から離れた。
あまりのことに、その場にいた人間という人間は私を含めて身動き一つできない。
「は、はな……っ」
恐怖に怯えるルーナの声。
思わず私の体が震えた。
彼女に憎しみを抱いたとして、だからといってこんな展開を望んでいたわけじゃない。
「耳障りな娘だ。不快なことこの上ない。お前は竜の花嫁になるという姉を止めずに、自分だけが幸せになろうとしたのか? そしてそれを邪魔するなとばかりにエリアナを責め立てるなど、見上げ果てた馬鹿者だな。そのような者は、我が国にはいらん」
「がはっ!」
グリードが手に込める力を強くしたのか、ルーナがより一層悲鳴を上げた。
ドレスからちらつく彼女のつま先が痙攣している。
――このままでは、死んでしまう。
私は――私は、結局彼女を見捨てることができなかった。
こんなにも憎んでいるというのに。
「おやめください! グリード様」
走って、彼の腕にすがりついた。
近づくと、ルーナの顔から血の気が引いて真っ青になっている。
多分、私が思っているよりも猶予は長くない。
「このままでは死んでしまいます。どうか、ルーナの無作法をお許しくださいますよう!」
「なぜだ」
間髪入れず、グリードの問いが降りてくる。
「この娘のどこに、かばう価値があるというのか?」
尋ねられ、私はルーナを見上げた。
私から王太子の婚約者の座と両親の愛を奪った。憎い憎い私の妹。
でも、彼女の無謀がなければグリードと出会うことはなかった。
結果論に過ぎないけれど、私はもう、王太子の妃になるよりも素敵な人生を、手に入れられたと思う。
それに、本当に嫌なら、戦わなければならなかったのだ。おとなしく彼女に譲るべきではなかった。ちゃんと嫌だと意思表示するべきだった。
「価値とかそういう問題ではないのです。どんなに憎んでも、ルーナは私の妹。その事実が変わるわけじゃありませんから」
グリードはよくわからないという顔をした。
それでも、私の願いを聞き入れつかんでいたルーナの首を離した。
投げ出される彼女の体。
どこかの骨が折れたのか、ごきりという嫌な音がした。
「ごほっ、痛い! ごほごほっ、痛いわ!!」
ルーナが泣き叫ぶ。
私は彼女に近寄り、けがの具合を調べた。
折れたのかひねったのか、足がひどく腫れ上がっている。
そして喉元にはくっきり赤黒い手の跡がついていた。だが、すぐに声を上げることができたと言うことは命に別状はないようだ。
「人間ども。俺は不愉快だ。これ以上機嫌を損なえば、どうなるかわかっているだろうな?」
グリードはもうルーナに目を向けることもなく、怯えている貴族や王族たちを睥睨した。
彼の顔には忌々しげな侮蔑がべったりと張り付いている。
私はまだ咳き込むルーナの背中を撫でながら、そんな彼の横顔を見上げていた。
「もう一度言う! この国はもう俺のものだ。人間などという卑小な身で逆らおうなどとつまらぬことは考えるな。約束を違えればすぐにでも国ごと焦土に変えてやろう」
グリードは王者の風格でそう宣言すると、ちらりと私を見た。
「不愉快だ。帰るぞ」
そう言って、彼が手を伸ばす。
私はまだルーナの様態が気がかりではあったのだけれど、たまらず彼の手を取った。
もう、この国に私を引き留めるようなものはなにもない。
「シェリー」
その呼び声に、白い少女が心得たように竜の姿に変わる。
グリードは私とイルに、シェリーに乗るよう指示した。自らは背中に伸ばした羽で、軽やかに空へ舞い上がる。
「忘れるな人間ども。俺の力があればお前たちなどすぐさま屍に変わるのだと」
シェリーの背から見下ろす謁見の間は、ひどい有様だった。
そしてぽかんとこちらを見上げる人間たちに、ジルが何事か指示を出している。
私は呆然とこちらを見るお父様から視線をそらすと、もう二度と振り返らなかった。
シェリーが羽ばたいて、あっという間に城から距離ができる。
「先に行く。お前たちはゆっくりこい」
グリードはそう言い残すと、アデルマイトの旧城に向かって目にもとまらぬ早さ飛び去ってしまった。
それがやけにぶっきらぼうだったので、私はどうしても言いようのない不安を拭うことができなかった。




