28
以前のエリアナは、俺の目をまっすぐ見つめて意見できるような女ではなかった。
いつも一歩後ろに下がり、どんな時でも相手を立てる。礼儀作法は完ぺきで、決して出過ぎた真似はしない。
まるで影のような、そんな物静かな女だった。
―――だが、久しぶりに会った彼女はどうだろう。
腹を槍で刺されたと聞いた。突如現れた竜に興奮した門番が、誤って刺したのだと。
集まった人の中に彼女を知る人物がいて、例外的に客人として治療を施されることになった。
だが治療に当たった侍医の話では、刺し傷などどこにも見当たらなかったという。現場にいた人物はほぼ全員彼女が刺された現場を見ていたし、実際まとっていた服は血で汚れていたにも関わらず、だ。
侍医はなにがしかのトリックを使ったのではないかと言っていたが、竜の花嫁となったエリアナが特別な力を授けられて帰ってきたのだと、オカルティックに考える者も少なからずいた。
先日宮廷魔術師長が国王にした申し入れは、まだ一部の者にしか知られていない。だが、それも時間の問題だろう。
とにかく、父である国王は彼女との対話を望んでいる。
いったい何がどうなっているのだと、俺は変わってしまった元婚約者を見下ろした。
老人のような白髪に、神秘的な紫色の瞳。
以前は数ある花のうちの最も地味な花であったが、今はどこか大輪のバラのごとき迫力を感じさせる。
そして彼女について離れない召使たちもまた、異質だった。
緑一色の色彩を纏う、美しい女。そして竜が消えて現れたという白い髪と獣の目の少女。
一目で、ただ人ではないとわかる二人だ。
竜の花嫁という結末を選んだ娘はいったいどんな運命をたどったのだろうかと、俺は背筋が冷たくなるのを感じた。
「全ては、陛下の御前でご説明いたします。殿下、謁見の許可を取り計らっていただけますでしょうか?」
彼女の目には、有無を言わせぬ強さがあった。
まるで別人のようなその迫力に、気づけば頷いていた。
「あ、ああ。陛下はお前とお会いになるそうだ。ひとまずは怪我を癒して、謁見はそれから―――」
「いいえ!」
俺の言葉は、強い否定によって遮られた。
「私のことならば大丈夫です。許されるのならばすぐにでも……」
そしてベッドから出ようとした彼女は、そばにいた緑色の女によって押し留められていた。
「エリアナ様。グリード様のお力によって怪我を負わぬ体になったとはいえ、あなたさまが受けた衝撃が刺された人間のそれと変わりありません。人はそうと思い込めば無傷であろうとも死に至る生き物。ご無理はなさらず、今はゆっくりとお休みくださいませ」
「怪我を負わぬ体……だと」
それは、人間がどんなに求めようとも与えられない、神話の英雄が苦難の末にようやく神から与えられるような、人知を超えた加護だった。
彼女が槍に衝かれた直後だと知らなければ、何を戯言をと思っただろう。
竜について我が国に伝わっている伝承は少ない。だが、そのグリードという竜が本当にエリアナに加護を与えたというならば、それは人や竜という種族の違い以前に―――神の領域だ。
「なにを戯言を言っているんだ」
公爵は女の言葉を信じていないようで、その顔には呆れもあらわだった。
「お姉さまは疲れていらっしゃるんですわ。まずはゆっくりとお休みになって……」
ルーナも信じてはいないのだろう。その言葉の端々に、姉への同情が感じられる。
「そうはいきません。私はグリード様のしもべ。一刻も早く、そのお言葉を果たすのです。グリード様の望みこそが、わが望み。そのためならばこの体がどうなろうと些細なこと。殿下、陛下のご都合がつき次第、わたくしは参ります」
そう言って、結局彼女は緑の女の手を振り切った。
部屋の中には家族以外に俺もいるというのに、ネグリジェのまま這い出してくる。
俺は彼女の勢いに、すっかり気圧されてしまった。
―――この女は、いったい誰だ?
俺の知るエリアナは、恋愛遊戯にうつつを抜かす令嬢と違って、絶対にこんなことをするような女ではなかったのに。
「分かった。陛下にはそうお伝えしよう」
「殿下!」
公爵が諫めるように声をあげたが、俺はそれを無視した。
そもそも、俺はこの国の王太子だ。いくら公爵が外父になる予定だからと言って、彼に俺の行動を制限する権限はない。
「公爵。私的な発言は控えてもらおう。彼女が隣国の特使だというのならば、国は相応の対応をするまでだ」
「しかし……っ」
「くどい。私はもう行く。エリアナ、時が来るまではゆっくり休めよ」
これ以上病人を騒がせるのも気が引けて、俺は足早に部屋を出た。
自然、ルーナを置き去りにする形になったが、これから父に話すべきことを思うとそんなことはすぐにどうでもよくなってしまった。




