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 クリスは転がるように、王都へと戻った。

 もちろん転がるというのは比喩表現であり、実際には得意の魔術で王都にある自宅にまで転移したのだが。

 森の中にある古びた家は、彼の王より与えらえれた邸宅と地下で繋がっていた。物理的にではなく、地脈を流れる魔力の川によって。

 通常この川は、影響が大きすぎて普通の人間には使えない。

 クリスが使えるのは並外れた魔術師だからであって、川の先にある隠れ家のことは限られたごく一部の者しか知らないのだった。

 彼はそこに、もう数日前から引きこもり失意の日々を送っていた。

 密かに想いを寄せていたエリアナが、竜の花嫁となることが決まったその日からである。

 クリスは平民の出身だ。

 類まれなる能力を見出され現在の地位に就いたが、所詮貴族とは相いれない下賤の血。どれだけ国王に信頼され引き立てられようと、宮廷内には彼を侮る者が少なからずいた。

 そんな彼に、毅然とした態度でいるよう教えてくれたのがエリアナだった。

 まだ城に上がったばかりで、緊張から失敗ばかりしていたクリスにエリアナは言ったのだ。


 自分で自分を誇れない者を、一体他の誰が誇ってくれるというのか。そして誇れない主のために、誰がその身を尽くそうと思うのか―――と。


 クリスとエリアナは十歳ほど年が離れている。

 当時のクリスはまだ二十歳を少し過ぎたぐらいで、エリアナはまだ社交界にデビューもできないような小さな小さなレディだった。

 しかし、彼女はいつも胸を張って歩いていた。王太子妃候補という重圧をその華奢な肩に載せて、それでも恐れることなく自分の道を邁進していた。

 月光に照らされた雪原のような髪と、神秘的な紫色の瞳。

 クリスの目も同じ紫ではあるのだが、色はエリアナの方が濃く、そして青みがかっていた。

 当時のクリスは、とてもではないが公爵令嬢であるエリアナと直接口を利けるような立場ではなかった。

 しかしある時エリアナの飲む予定だったお茶から毒が発見されて、その犯人を探るために探知魔法が得意なクリスが呼び出されたのだ。

 話を聞いてみると、お茶を口にしてすぐに異変を感じたエリアナは、すぐさまそれを吐き出したということだった。

 しかし吐いたとは言え一度は口に含んでおり、更に彼女は年相応に体が小さい。

 大人ならばある程度まで耐えられる毒でも、小さな彼女は今にも倒れそうな顔で椅子に腰かけていた。

 しかし、決して臆することはなく、犯人を突き止めようとするクリスをじっと見つめて。

 エリアナがお茶を飲んだのは王城の敷地内でのことだった。彼女は幼いながらに、自分がここで倒れるようなことがあれば実家に迷惑がかかると気を張っていたのだろう。

 クリスはその強さに、感嘆した。

 結局、エリアナに毒を盛ったのは彼女が実家から連れてきた侍女の仕業であった。

 いや、侍女の仕業―――ということになった。

 本当はリュミエール公爵家の力を削ぎたいグランスフィール公爵家の仕業だったのだが、二大公爵家の決定的な対立を畏れた王の采配によって、そして両公爵家の取引によって、エリアナの殺人未遂は侍女私怨ということで決着をつけさせられる結果となったのだった。

 もちろん、犯人を特定したクリスは公爵家の犯行であると知っていた。

 知っていたが、その結果は誰にも口外するなと上司に口止めされていたのである。

 平民出身であるクリスには、貴族たちの微妙な綱引きというものが、心底理解できなかった。

 特にありえないと感じたのは、実の娘を殺されかけながらも、その罪の所在をうやむやにすることに同意したリュミエール公爵に対してだった。

 けれど、一介の魔術師であるクリスが、口を挟めるような問題ではない。

 そのままなんとなく釈然としない気持ちで毎日を過ごしていると、ある時エリアナから呼び出しを受けた。

 事件の日、真っ青な顔をしていた小さなレディは、結局その後寝込んで、やっとのことで回復したらしかった。

 一体何の用だろうかと彼女の待つ王宮内の部屋へ向かうと、クリスがそこで見たのは信じられないものだった。

 なんと公爵令嬢であるエリアナが、自らクリスの尽力へと感謝し、そして真犯人の黙秘について念を押してきたのだ。

 クリスは驚き、そして心底不思議に思った。


 どうして公爵令嬢とはいえまだ幼い彼女が―――そんなに強くいられるのかと。


 きっと恐ろしかったはずだ。毒を飲まされて殺されかけるなど。

 そしてこの世で最も彼女を守るべき親は、元凶である敵と通じて、厳罰ではなく政敵に貸しを作ることを選んだというのに。

 その疑問をそのまま、彼女に投げることはできなかった。

 だからたった一言だけ呟いた。

 『どうして』と。

 その答えが、結果的にクリスを変える言葉となった。

 心底まで帝王学の叩き込まれた彼女は、令嬢などという甘いものではなく、もう自分という国を制する王だったのだ。

 けれどクリスは、衝撃を受けると同時に心配にもなった。

 それは強い意志を秘めた彼女の横顔が、ひどく脆いもののように思えたからだ。

 病み上がりのこけた頬に、浮き上がるように強く光る紫のまなざし。

 いつかその強さが、彼女自身を壊してしまうのではないかとクリスは心配になった。

 そしてその予感は的中し、彼女は数年後誇りをもって自ら竜の花嫁になることを選んだのだった。



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