12
「はーい……ってえぇぇぇ!?」
思った通りというかなんというか、家の奥からは若い男の悲鳴が聞こえた。
私は頭を抱えたくなった。閂が壊れている理由を、いったいどう説明すればいいのか。
「ちょ、え? これ最初から壊れてました!? うわ、お客さん怪我無かったですか?」
奥から出てきたのは、怪しくもなんともない若い青年だった。
身長はグリードより低いが、深紫色の目と髪が印象的な青年だ。着ているものは質素だが、清潔感がある。地味だが整った顔立ちで、妹がいたら騒ぎ出しそうだなと思った。私の見栄っ張りな妹は、顔の整った男性にめっぽう弱いのだ。
彼はグリードが力づくで閂を壊したなんて考えもしないようで、逆に私たちを心配してくれていることに罪悪感を覚えた。
「いえあの、誤って閂を壊してしまって……弁償しますので、お許しいただければと……」
グリードが何か言う前にと先んじて説明すると、青年はその場に立ち尽くしてぼんやりを私を見つめていた。
まさか―――私が壊したと思われたのだろうか?
そんな怪力あるわけもないが、正直にグリードがやったとも言うわけにもいかず、私は顔が引きつるのをこらえてなんとか笑顔を作った。
大抵のミスは笑顔で何とかなる。これは私のマナー講師を勤めていた女性のありがたい教えだ。
「おい、何をじろじろ見ている」
ドラゴンはと言えば相変わらず不機嫌なようで、私は優しく対応してくれた青年に申し訳なくなった。
「あっ―――はは! すいません。弁償なんていいですよ。横木が腐ってたのかもしれません。とにかくお怪我がないようでよかった」
青年は本当に本当に親切だった。
彼が優しい言葉を口にするたび、私が背負う罪悪感がどんどん大きくなっていく。
しかしそんなことはお構いなしで、グリードは遠慮なく青年に詰め寄った。
「ドライアドに聞いた。薬師というのはお前のことか?」
「そ、そうですが……」
グリードはその場にあったソファにどっかり据わると、止める間もなくいきなり本題を切り出していた。
「街に行きたい。どうすればいいか教えろ」
「街に……?」
困惑したように、青年が私とグリードの顔を交互に見つめる。
今度こそ、私は頭を抱えたくなったのだった。
とにかくこのままでは話が始まらないと、私もソファに座るよう促される。けれど召使が主人の隣に座るのは不敬だろうと思い、私は自分の侍女がそうしていたようにグリードの後ろに立った。
「わたくしはこちらで大丈夫です」
「そうですか?」
よほど足腰が弱そうにでも見えるのか、それから何度も席に促される。
しかし私が頑として座る気がないと知ると、青年もあきらめたようにグリードと向かい合って腰を下ろした。
「それでご用件は―――っとと、街に行きたいんでしたね」
「そうだ」
グリードの機嫌はなぜか悪化しているようだった。声音が先ほどよりも低くなっている。
いったい何がそんなに不快なのだろうかと首をかしげていると、青年がちらちらとこちらを気にしていることに気が付いた。
「ええと、あなたもそちらの女性も、人間ではないということでしょうか? だから街に入る方法が分からないと?」
驚いたことに、青年は人に化けているグリードが人外のものだと言い当てて見せた。
ドライアドの王からの紹介なので、もしかしたら人外の客というものに慣れているのかもしれない。
「俺はグリード。そこの山に住む竜だ。この娘は人間で、巣に飛び込んできたので俺の所有物とした」
真実だが、あまりにも端的な説明だ。青年は驚いたように、私の顔をじっと見つめる。
「お恥ずかしい話ですが、竜の花嫁として火山に飛び込んだのですが死にぞこないまして、今は助けてくださったグリード様にお仕えしております。エリアナとお呼びください」
客観的に言葉にしようとすると、なんとも荒唐無稽な話だった。
果たして青年が信じてくれるだろうかと心配になったが、彼は私の話を聞き驚いたように立ち上がった。
「や、やはり! あなた様はリュミエール公爵家のご令嬢、エリアナ・リュミエール様なのですね!?」
フルネームで名前を呼ばれ、唖然としてしまう。
知り合いだっただろうかと青年の顔を見つめるが、どんなに考えても記憶にある顔と彼のそれは一致しなかった。
どういうことだとでも言いたげに、グリードが振り返って私を見ている。
こちらが聞きたいですと言い返したかったが、興奮した様子の青年の手前そう口に出すことは憚られた。
私たちの困惑に気付いたのか、彼はバタバタと部屋の奥へ走って行って黒いローブを引っ張り出す。
それを目深にかぶった彼は、たちまち私の知っている人物へと変身した。
「まさか……宮廷魔術師長様ですの?」
驚いた私の声は、奇麗に裏返った。
彼こそ、大国スレンヴェールの国王に仕える最強の魔術の使い手。
宮廷魔術師をまとめ上げるクリス・トワイニングその人だったからだ。