結末
その日の夜、高橋と長谷川によって病院に運び込まれた坂上は目を覚ました。
坂上は自分が校長からの指示に従い帰宅しようと教員用玄関から出たその時からの記憶がなく、自分が部室棟の呪われた部室に入ろうとしていたこと聞き、ひどく驚いていた。
「本当に何も覚えていないのかい?」
「……そういえば、翔子さんの声が聞こえた気がする。最近、なんでか翔子さんの声が聞こえる気がして……あれ? そういえば、翔子さんの声が聞こえた前後の記憶があいまいだ」
坂上は自分が今日以外にも部室棟に行っていたことも知らなかった。
「高橋さん。俺、呪われたのか?」
「大丈夫。坂上先生は呪われていないよ。」
「そうか。……翔子さんが守ってくれたのかな」
いやあんたその翔子さんに殺されかけたんだけどな。
高橋と坂上から見えない位置に隠れながら話を聞いていた長谷川は口から出かけたそのツッコミを必死に飲み込んだ。
好いた女を亡くし、その上さらにその好いた女から殺されかけたなんて知ったらあまりにも坂上が哀れである。
高橋はこの呪いの成長のことを学校に報告する際、その呪いが間宮の幽霊であるということは坂上先生に隠すよう指示をだそうと決意した。
世の中には知らないほうが良いこともある。高橋も長谷川もそのことをよく知っていた。
病院からの帰り道。高橋と長谷川は二人で並んで歩く。
その夜はまるで二人が出会った最初の日のような満月だった。
「いやぁ、まさか私、耳が悪いとは思ってもみなかった。よく考えたらラップ音的なのは聞こえていたけど、幽霊の声というのは聞いたことないな」
「俺だってここに来るまで聞こえてなかったはずなんだが」
「いやだって、先生はここに来て随分と霊感が上がっているからね。最近不思議な現象にあうのもそれが原因だよ」
「え、マジかよ」
「マジマジ」
高橋の言葉に絶望した長谷川の顔を見て、高橋はカラカラと声を上げて笑った。
胡散臭さのない、年相応の笑顔だ。そんな笑顔をみた長谷川は、この二か月間でずっと胸に燻っていた疑問が口から出た。
「なぁ、高橋。お前、どうしてそこまでするんだ? お前ばかり大変な思いをして、不公平に感じないのか?」
それは長谷川の率直としたこの町の人々に対する不満であった。
学校の人も、町の人もまだ十七歳の少女にいろんなものを押し付けすぎだ。
今日だって高橋だけに呪いを任せて生徒も教師もみんなさっさと帰った。
誰も高橋の安全を気に掛けない。長谷川はそのことが許せなかった。
高橋は長谷川の言葉が予想外だったのか、大きな目をさらに大きく見開いた。
「不公平? 何が?」
「何がって……俺はお前ばっかが呪いに関することで動いてるのが気に食わないんだよ」
「最近は長谷川先生も一緒に調査してくれるじゃないか」
「俺以外のやつの話だ!」
高橋はなおも不思議そうである。
しかし、怒っている長谷川に何か思うところがあったのか、とあることを問いかけた。
「長谷川先生、なんで私に瓢箪沼の呪いが効かないのかわかるかい?」
「お前が霊感を持っているからじゃないのか?」
突然話題が変えられた長谷川はむっとしながらも律義にその問いに答える。その答えに高橋は首を横に振った。
「違うよ。私たち一族は全員そうなんだ。私たち一族に流れる血に、そういう呪いがかけられている」
「呪い?」
「そう。永遠に瓢箪沼の呪いから逃れられない呪いさ」
何とも物騒な話題に、長谷川の身体が強張った。
高橋はそれに気づきながらも話を続ける。
「瓢箪沼は元々、呪いが起こるような場所じゃなかったんだ。口減らしで使われていたとしても、あんな化け物になるほどじゃない。あんなことになったのは、私の先祖が原因なんだよ」
昭和初期の事件が起こる前、それこそ口減らしが頻繁に行われていた時代、高橋家の先祖は八ヶ谷で暮らしていた。
代々拝み屋だという高橋の話に洩れず、この時代の高橋の先祖も拝み屋を生業としておりその仕事の一つとして瓢箪沼の管理をしていたのだという。
「理不尽にも殺されてしまった人々の魂を慰め、鎮め、成仏を願うのが私たち一族の役目だった。たとえ口減らしがなくなったとしても、魂はずっとそこにあるからね。私たちは、瓢箪沼で死んだ人々の魂と寄り添って生きていくはずだったんだ」
しかし、ある時代のある当主の代の頃、高橋家の先祖と八ヶ谷の町民の間で何らかの諍いが発生した。
諍いの原因についてははっきりとわからないが、拝み屋という存在に猜疑心を抱いた者でもいたのだろう。
その時町を出て行ったのは高橋家の先祖たちだった。
先祖たちは、瓢箪沼の魂に寄り添うという使命を放り投げてしまったのだ。
「これがすべての始まりだよ。私たちは、何があろうと自分の役目を守らなくてはいけなかった。それなのに、先祖はそれを放り投げてしまったんだ。瓢箪沼の魂たちは自分たちを見捨ててこの町から出て行った私たち一族を恨み、私たち一族を追い出したこの町を恨み、その恨みが時を重ねてあんな化け物に進化したのさ。そして私たち一族には子々孫々までこの恨みが見えるよう、呪いが良く見える目と呪いが効かない血という呪いをかけ、この町には死という呪いをかけた。この町が呪われたのは私たち一族が原因なんだよ」
長谷川は、だからといって高橋の責任ではないだろうと思った。
使命を放り投げたのは高橋の先祖であり、先祖を追い出したのはこの町の人々である。
しかし、長谷川のその言葉に再び高橋は首を横に振った。
「私たちの先祖が原因なら、それを解決するのは私たち子孫の役目だよ。しかも関係ない今の人たちが被害にあっているんだから、無関係だなんてそんな無責任なこと言えないよ。それにこれは私の家の問題というより、拝み屋としてのプライドの問題だからね。一度依頼されたからには解決してみせる。私は私の意地のためにこの町で拝み屋を続けるよ」
だから不公平とかそんなの関係ないさ。
そう言って微笑む高橋は高校生とは思えないほど大人びていて、自分の方が子供のような文句をいっているように思えた長谷川はバツが悪そうに眼をそらした。
「長谷川先生は優しいね。こんな危険極まりないところにきてしまった長谷川先生には悪いけど、私、先生がこの学校に来てくれて本当に嬉しいよ」
う言って長谷川の少し前まで走って行そしまった高橋の背中に、長谷川は負けじと声を投げかけた。
「俺も、この学校に来れて嬉しいって思ってるよ! お前みたいな面白い生徒に会えたからな!」
その長谷川の言葉を聞いた高橋は、黒く短い髪の毛をひょこひょこと揺らしながら振り返った。
その振り返った高橋の顔に浮かぶ笑顔があまりにも綺麗で、可愛らしくて。
なるほど、これを花が咲いたかのような笑顔とでも表現するのだろう。
「……坂上先生も、間宮先生のああいう笑顔に惚れたんだろうな」
月が雲に隠れていてよかった。
真っ赤に火照った顔が雲から月が顔を出すまでに冷めることを願いながら、長谷川は自分の前を歩く高橋を追いかけた。




