経過
教師をやっていると時間は早く過ぎるものだ。
長谷川は年とともに早くなる時間の経過に少しの寂しさを感じながら一人で廊下を歩く。
季節は冬へと移り変わり、長谷川が八ヶ谷高校に赴任してもうすぐ二ヶ月が経とうとしていた。
長谷川は高橋の予想通り、すぐに人気の教師となった。
元々若く爽やかで人気が高かった坂上とは違うタイプの、年若くも大人の色気がある長谷川。着任当日には黄色い悲鳴が響き渡った。
こんなヤバい呪いがある学校でも普通の学校とそんな変わらないんだな。
長谷川はきゃあきゃあと群がってくる女子生徒を見てなぜか安心するという不思議な感情を抱いた。
今日も授業終わりに適当な質問を持ってくる女子生徒たちから逃げ出し、職員室へと向かっていた。
「長谷川先生!」
「おぉ、遠藤。どうした?」
そんな長谷川を呼び止めたのは、長谷川が担任しているクラスの女子の一人である遠藤だった。
遠藤はとても良い笑顔で「そこね」と長谷川が通ろうとしていた廊下を指さす。
「そこ、絶対に後ろを振り返っちゃダメな廊下だから気を付けてね」
「……心配してくれてありがとう」
「いいのよ」
そのまま注意だけして去っていく遠藤の後ろ姿を見つめながら、これさえなければもっと普通なのにと長谷川は少し泣きたくなった。
この学校の生徒も教師もこうして校舎内に点在する呪いの注意事項は教えてくれるが、いまだにこの注意事項の理由を話してくれる気配はない。
学校中に御触れでも出ているのだろうか、呪いの“の”の字も出てこない。
そのくせ、注意事項はちゃんと気を付けるよう教えてくれる。
いっそはっきり言ってくれと訴えたくなるような何とも言えない微妙な空気に、長谷川はいまだに戸惑っていた。
とにかく振り返ってはいけない廊下を渡り切り、すれ違う生徒と挨拶を交わしながらいくつかの教室を通りすぎる。
するとその中の一つの教室がガラリと開き、二人の生徒が出て来た。
「ありがとう。やっぱり、由良ちゃんに相談して正解だった」
「まぁ、こういうのが仕事なのでね。先輩はもうそのことには関わらないようにしてほしいな」
「うん、わかった。それじゃあね」
「情報をどうも。それじゃあ、また」
軽く手を振り別れる女子生徒二人の女子生徒。そのうちの一人は見覚えのある高橋だった。
長谷川がちょうど通りかかったその教室は、数ある部活の中でも唯一北校舎にあるオカルト研究部の部室だった。
高橋は一学年先輩らしい彼女を見送り、部室へ戻ろうと振り返ったところで長谷川の姿を発見した。
「おや、長谷川先生。職員室へ帰る途中かい?」
「あぁ。お前の部は今日も繁盛してるんだな」
「まぁね。みんな私に相談すれば何でも解決してくれると思ってるんだから困ったものだよ」
「実際解決してるんだから仕方ないな」
「そりゃあ、それが私の仕事なんでね」
荷が重いよ、と困ったように笑う高橋を見た長谷川も同じように困り顔で笑う。
あの日、ひょうたん沼の呪いを見た帰り道で高橋は自分の家の話を長谷川にしていた。
高橋の家は古くから続く“拝み屋”である。
拝み屋とは、人からの依頼で五穀豊穣や無病息災を祈ったり占いをしたり、依頼主によってはお祓いなどを請け負う民間信仰の専門家のことだ。
この町でおかしな現象が起こり始めた当初、怪しんだ住民が呼んだオカルトの専門家というのが偶然同じ県内で拝み屋をしていた高橋の先祖であり、その時からずっと高橋家はこの町で起こる異常な現象の原因解明やその対処法を探る役目を代々引き継いでいた。
「私の家系は別に幽霊を祓えたり呪いを解いたりの専門家じゃないんだけどね……。らしいことと言ったら色んなモノが見えるのと狐の窓みたいな小細工が少し得意なことぐらいなのに、みんな頼りにしすぎなんだ。役が重すぎる。元はただの占い師なのにさ」
胸に手を当て悲しんでいるような身振りをする高橋にその時の長谷川は失礼ながら頼られるようには見えないと思っていたが、なるほど、学校で過ごすうちにやっと高橋の言っている意味を理解できた。
この学校で高橋の名と姿を知らない者はいない。
この学校どころか、この町全体ですらそうなのだろうと分かるほど、高橋由良という存在はこの学校で誰よりも重要視されていた。
休み時間はもちろん、放課後や朝のちょっとした時間まで高橋の机の周りには人が集まり、部室にもひっきりなしに人が訪れているのだ。
クラスの生徒や他クラスの生徒、先輩、後輩、さらには教師や酷い時には近くの学校に関係ない近所の町民まで、わざわざ高橋の元にやってくる。
流石に近所に住んでいるというご老人がオカルト研究部の部室に入って行ったのを見た時は長谷川も引いた。一人の女の子に全員、頼りすぎである。
そういう長谷川もまた、何か変なことに遭遇する度に高橋の元へ駈け込んでいるため人のことは言えないのだが。
先日も男子トイレでいきなり聞こえてきた笑い声にビビり、高橋の部室に半泣きで避難した長谷川は自分の情けなさを思い出し、軽く落ち込んだ。
「ところで先生、今日の調子はどうだい?」
高橋からのこの問いかけは、まだこの土地に来て日が浅く、異常なことに慣れていない長谷川への心配の表れである。
高橋はこのように事あるごとに長谷川の様子を確認し、長谷川が困っている時は率先して助けてくれていた。
結構人に対して淡白でマイペースな節がある高橋がこのように人を気に掛けるのは珍しいらしく、長谷川は他の教師たちからは「よく高橋を懐かせたな」と驚きの言葉をもらった。
その行動の理由がどうやら初日にひょうたん沼の呪いでビビらせまくってしまったのを少し申し訳なく思っているかららしいと気づいたのは、着任して一ヶ月たったころだ。
長谷川はその分かりづらい優しさに少しこそばゆさを感じつつも、「大丈夫だ」と答えた。
「そう。どうも最近変な出来事に遭遇しやすくなっているみたいだし、気を付けてくれよ」
「……この前いきなり部室に飛び込んだの少し怒ってるだろ」
「別に? 猫が逃げてしまったことぐらいで怒るわけないだろう」
「怒ってるじゃねぇか……」
先日、長谷川が高橋の部室に半泣きで飛び込んだ時、たまたま高橋の膝の上には校舎裏に住み着く野良猫がいた。その野良猫が勢いよく開かれた部室の扉に驚き窓から逃げ出し、その日から部室に来なくなってしまったのを高橋は少し怒っていたのだ。
長谷川は自分が原因のことに罪悪感を抱いていたが、たかが猫のことで子供らしく拗ねる高橋の姿に微笑ましさを感じ、思わず笑みを浮かべる。
その顔を目ざとくみつけた高橋が「何を笑っているのかな」と睨んできたので長谷川は慌てて話題を変えた。
「あ~、えっと、そういえばちょっと前から少し気になってることがあるんだが……」
「へぇ、今度はどこのトイレの話?」
「からかうなよ。……坂上先生のことなんだ」
「坂上先生?」
その瞬間、高橋の目が真剣な色を帯びた。
「あぁ。どうも最近心ここにあらずというか、呼びかけても返事がないし、それにぼーっとしてる。その時の様子がどこかおかしい気がしたんだが……」
気のせいかもしれないけど、と軽く笑いながら締めくくった長谷川に反し、高橋は何かを考えこむかのように腕を組みながら目を瞑っていた。
そして考えがまとまったのかゆっくりと目を開き、そのまま長谷川の目をじっと見た。
こういう時の高橋の目は深い色であるのに透明で、まるですべてを見透かしているように思える。
そんな高橋の目を綺麗に思いつつも苦手意識があった長谷川は思わずゴクリとつばを飲み込んだ。
「……先生、放課後空いてる?」
「放課後? ……特に何もないが」
「悪いけど、私の部室に来てもらっていいかい? 少し付き合ってほしいことがある」
その言葉は疑問形でありながらも拒否権がないことを長谷川は短い付き合いでよく理解していた。
長谷川が頷くのを確認した高橋は、そのままいつもの胡散臭げな笑顔に戻り、「それじゃあ放課後に」とそのまま部室へと入って行った。
その場に一人残された長谷川は、胸に渦巻く嫌な予感に少しだけその目に涙を浮かべた。




