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ひょうたん沼鬼譚  作者: キスナ
4/8

月夜

「まるで小説かなんかの世界だな」


長谷川はあまりにも現実味のない話に思考を放棄してそんな感想を呟いた。

二人は自販機の灯りでぼんやりと明るい道のガードレールに寄りかかりつつ、熱い缶コーヒーを飲む。

呆けたままの長谷川に、苦いコーヒーはよく効いた。


「事実は小説より奇なりっていうだろう。私だって叶うならこんなこと小説以外で起こってほしくないさ」


飲み終わったコーヒーの缶を自販機の隣に置いてあったごみ箱に投げ入れて、高橋はガードレールから離れた。


「証拠を見せる。デートしようか、長谷川先生」


そう言って手を差しだしてくる高橋の手を長谷川は困ったように見つめ、そして何かを決心するかのようにその手を掴み、ガードレールから離れた。


高橋が長谷川を連れてやってきたのは、さっきの話に出て来たひょうたん沼がある中央公園だった。

今日は満月。月明りと街灯の光で夜でありながらも森の姿ははっきりと確認できた。


「長谷川先生、ここに座ってくれるかい?」


その公園の中でも特にひょうたん沼が良く見えるであろう開けた空間で立ち止まった高橋は、そこに置いてあったベンチに長谷川を座らせその後ろに回り、腕を伸ばして自分の手を長谷川の顔の前に持ってきた。


「お、おい。距離が近くないか? こんなところ誰かに見られたら……」

「こうしないと見えないんだよ、少し我慢してくれ。それに見られたところで先生が教師だとは誰も気づかないから大丈夫」


呆れたように言いながら、高橋は両手の指を複雑に交差させ、指と指の間に穴を作った。


「この穴を覗き込んでくれる?」

「は?」

「早く。この指の形、痛いんだから」


たしかに今にも()りそうな手の形だ。

長谷川はしぶしぶながらその指と指の間に顔を近づけ、まるで望遠鏡を覗き込むかのように片目を瞑る。


「よし、じゃあそのままで。今から魔法をかけるからさ」


なんだよ魔法って。


飛び出しかけた長谷川のその問いかけは、口から出る前に喉の奥へと飲み込まれた。

高橋の雰囲気が、まるでこの世のモノではないかのようなもの急激に変わったからだった。


「何を見ても、叫んではいけないよ」


ひっそりと、秘密を教えるかのように耳のすぐそばで囁かれた言葉は、それこそ魔法のように長谷川の脳味噌に埋め込まれ、彼の喉から音を奪った。

そしてそのまま、高橋はそっと魔法の言葉を唱える。

 

化性(けしょう)のものか 魔性のものか 正体を現せ

化性のものか 魔性のものか 正体を現せ

化性のものか 魔性のものか 正体を現せ


雪女が吐く人を凍てつかせるほど冷たい息のような、セイレーンが歌う船乗りを惑わせる美しい音色ような、そんな力を帯びた声が、コーヒーに落とされた角砂糖のように暗い公園に溶け込んだ。


その瞬間、長谷川は確かにこの場にはないはずのリーンという鈴の音を聞いた。

鈴の音は公園一帯に波紋のように広がり、そして問題のひょうたん沼がある森へ届く。

すると突然、高橋の指の間の穴から見える風景が歪み始めた。


「っ!」


そこに広がっていたのは、光すら飲み込む黒だった。


夜の暗さや絵の具の黒色なんて比べ物にならない、深い深い黒色。

それが先ほどまで見えていたはずのひょうたん沼がある森を包み込み、底の見えない深淵かのように今にも人の命を飲み込まんとそこで(うごめ)いている。


これは見てはいけないものだ。


長谷川の本能が叫び、咄嗟にその光景から逃れようとベンチから転がり落ちた。


「おや、思った以上に影響を受けやすい体質なんだね。大丈夫かい?」


長谷川の息は荒く、その身体からは冷や汗が吹き出し細かく震えている。

高橋はそんな長谷川を支えながら再びベンチに座らせ、いつの間に用意していたのかペットボトルの水を差出す。

長谷川は素直にその水を受け取って勢いよく飲んだ。


それで幾分か冷静になったのか、掠れた声で高橋に問いかける。


「い、今のは……」

「見えたようでなにより。今のやり方を使っても見えない人は見えないんだけど、どうやら長谷川先生は意外と素質があるみたいだ。私の指の間を覗いて見えたあの黒いものが、ひょうたん沼の呪い。あれこそがこの町を呪う、この町が生み出してしまった毒だ」


呪い? あれが? あんな化け物が?


長谷川にとって呪いは姿がないモノだった。あったとしても、黒い霧のようなものだと思っていた。

あのような生き物のように蠢くモノが呪いだとは想像もしていなかったのだ。


「そうだね。私も経験上他の呪いを見たことがあるけど、その中でもひょうたん沼は特殊だよ。実際の呪いは長谷川先生の想像通り、黒い霞みたいなものがほとんどさ。個人が使用する呪いの中でも一番ヤバいって言われてる“コトリバコ”ですら、墨汁を垂らした程度だよ」

「コトリバコ?」


なんだか話題にそぐわない可愛らしい名前だ。巣箱かなにかだろうか。


長谷川の頭には小鳥たちが巣箱で鳴いている映像が流れていた。高橋はそれに苦笑を零す。


「悪いけど呪いだからそんな可愛いモノじゃないさ。小鳥箱じゃなくて“子取り箱”。簡単に説明すると、子供を殺して遺体を箱に詰め、その箱を呪いたい相手の傍に置かせる。すると相手は苦しみながら死ぬってやつで、入れる子供の数で強さが変わるマジで危ない呪い。島根の方の呪いだったと思うけど」


まったく可愛くねぇ。誰だそんな呪い考えたやつ。頭おかしいんじゃないのか。


長谷川の心からの言葉に高橋は頷く。

呪いをかける人も作る人も、まともな人ではないのは確かである。


「先生はそのまま正常な思考でいてくれ。まぁもちろん墨汁を垂らした程度のコトリバコも十分ヤバいんだけど、ひょうたん沼は規格外。専門家全員が匙を投げるどころかすべてを投げ売ってでも逃げ出すレベル」


高橋の言葉に長谷川の顔が引きつった。

ひょうたん沼は専門家がどうしようもできないと判断するほどヤバいモノらしい。


「なにより呪われる条件が理不尽だ。足を踏み入れたら呪われるというのは分かる。ひょうたん沼のテリトリーに入ってしまったこちらが悪い。ホラー映画で殺される理由は大抵、幽霊のテリトリーである廃墟に不法侵入するからだしね。でもひょうたん沼はテリトリーを広げてくる。まるでウイルスみたいに呪いが感染していくんだ」


高橋は呪いの知識に乏しい長谷川に懇切丁寧に説明した。


曰く、昔はひょうたん沼に足を踏み入れた者の命を奪う程度だった呪いはある日を境に成長し、自らが呪える範囲を広げた。

その広げた呪いの範囲にいたのが、ひょうたん沼が原因とされる最初の事件の家だ。

誰も気づかないまま呪われた家とかしていたそこに遊びに来ていたのが二番目の事件の出火元である少年。

少年は知らないうちに呪われ、そのまま呪いを持ち帰り最終的に自分の住んでいたアパートを巻き込んで死んだ。

そのアパートもまた、呪われたアパートとなった。


このように数珠繋ぎで呪いが感染するのがひょうたん沼の呪いなのだという。


「しかも伝染する呪いは二種類ある。親であるひょうたん沼と同じ“足を踏み入れたら呪われる”系の呪いか、“何らかの決められた行動を行うことで呪われる”系の呪いだ。我が校には喜ばしいことに二種類とも豊富に取り揃えていてね、渡ってはいけない渡り廊下とか使用禁止の女子トイレとかが前者で右側通行禁止や赤い物の所持禁止の廊下が後者だよ」

「まったく喜ばしくない」

「うん、私だって喜んではないけど」


喜ぶとしたら筋金入りのオカルトマニアか自殺志願者ぐらいだろう。

残念ながら一般的な感覚の持ち主である高橋と長谷川は、げんなりとした顔しながらも会話を続けた。


「まぁとにかく、ここの呪いは二種類あって、それぞれで人の死に方も違うんだ。薬に遅効性と即効性ってあるだろ。ここの呪いの場合は“足を踏み入れたら呪われる”系の呪いが遅効性、“何らかの決められた行動を行うことで呪われる”系の呪いが即効性。ここでは分かりやすく遅効性呪詛と即効性呪詛とでも呼ぼうか」

「……つまり、遅効性呪詛ってやつは死ぬまでに期間があって、即効性呪詛は呪いが活動する条件を満たした瞬間に死ぬってことか?」


長谷川の言葉に、高橋はニッコリと笑いながら頷いた。


「理解が早くて助かるよ。そう、遅効性呪詛はじわじわと体内に潜伏し、その時が来たら殺す。おそらく遅効性呪詛は新たな呪われた場所を作るための呪いだ。遅効性呪詛で人が死んだところが新たな遅効性呪詛になったり、即効性呪詛になったりする。一方で即効性呪詛は条件が満たされた瞬間、その呪いの元となった人の幽霊が対象を殺す。こっちは人の魂を確実に食らうための呪いだね」

「待て、幽霊もいるのか?」

「呪いがあるんだから幽霊ぐらいいるよ」


何なら見てみる? と再び先ほどの手の形を見せられた長谷川は必死に首を横に振った。

もうあんな恐ろしいものを見るのはごめんだった。


「よくお前は平然としてるな。この町の人たちも、あんなヤバいやつがいるって知っててよくこの公園でジョギングしたり子供を遊ばせたりできる」

「そりゃあ見えてないからね。流石にあんなのが見えていたらこの町は今頃人が一人もいないゴーストタウンになってただろうさ」

「は?」


長谷川は思わず自分の耳が悪くなったのではないかと疑った。


「……呪いがあると知ってるのに、見えてないのか?」

「この町の人が呪いを信じているのは実際にそうだとしか思えないような事件を目の当たりにしてるからさ。それに生まれた時から親にこの町の恐ろしさを教え込まれているからね。それに加えてあんなの見えてたら精神が発狂して精神病院まっしぐらに違いない」


カラカラと笑っているが、笑い事ではない。

先ほど発狂の一歩手前ぐらいまでいった長谷川は他人事とは思えず顔を青くする。


しかし、自分はあんなにも簡単に見えたのだから他の人だって見えていても可笑しくないはずである。

長谷川は自分が呪いを見る時に覗いた穴を思い出した。


「あの手で作った穴を覗き込めば見えるんじゃないのか?」

「‘狐の窓’のこと? あれは本来何かに化けた妖怪の姿を見破るためのものであって、見えないはずのものを見えるようにするものじゃないよ。霊感がある私が使ったからちょっと応用可能だっただけさ。あれを通して呪いが見えたのも、長谷川先生は素質があったからだ。他の人じゃこうは上手くいかなかったはずだよ」


高橋が言うには、長谷川はまだ微かにしか気配がしてないものの、第六感、つまりは霊感が芽生える可能性があるのだという。

霊感が芽生えるということは、今まで見えなかったものまで見えるようになるというわけで。

近い未来自分も普通にあの呪いが見える可能性があると知って長谷川は軽いめまいを覚えた。


「アハハ! そんなに怖がらなくても大丈夫だよ! 芽生えてもあんなにはっきりとは見えないはずさ。どうしても怖いって言うなら私が何とかしてあげるから安心して」


心強い高橋の言葉に、長谷川は大人の男としてのプライドを放り捨てる道を選んだ。

プライドよりも自らの精神の安寧の方が重要である。困ったときは彼女を頼ることを心に決めた。


「さて、もう帰ろう。ここはある程度安心だけど、それでも呪いのボスのすぐそばだからね、長居はあまり良くない」

「よし、すぐ帰ろう。今すぐ帰ろう」


長谷川はもはや逃げるかのように中央公園を飛び出す。

あの呪いの姿を見る前と後ではこの公園の雰囲気が完全に違って見える。

極力、この公園には近づかないことを長谷川は自分の中で決めた。


「俺、この町で生きていけっかな……」


項垂れる長谷川の背中を、元気づけるように高橋が叩く。


そんな二人の姿を満月がジッと見つめていた。


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