秘事
坂上による校舎案内が終わり、その後に校長室で校長たちと今後の話し合いをしていたらすっかり夜になってしまった。
長谷川は学校が用意してくれた新たな住まいに帰ろうと秋の虫の声をBGMに学校の校門を出る。
「やぁ、遅かったね。校長先生の話が長かったのかい?」
「うわぁっ!?」
ちょうど校門から足を一歩踏み出したその瞬間にすぐ真横から声をかけられ、長谷川は驚きで短い悲鳴を上げながら声とは逆方向に勢いよく飛びのいた。
なんかこの状況、身に覚えがあるぞ。具体的に言えばたった数時間前ぐらいに。
そう思い声の主を確認すると、案の定である。
先ほど部室棟で出会った高橋が、肩を震わせるほど笑いながら校門の前に立っていた。
「ふ、ふふっ……い、良い反射神経だね。最高。これなら誰かから攻撃を受けても安心だ」
「……あぁ、そうだな。たとえお前が攻撃してきても、俺は避けられただろうな」
「そんな拗ねないでくれ。驚かせて悪かったよ」
「拗ねてねぇよ!」
完全に拗ねている人の返答をした長谷川がおもしろかったのか、さらにツボに入ってしまった高橋は今度こそ声を出して笑った。
さっきまでは胡散臭げな笑顔か悪者じみた笑顔しか浮かべてなかったくせに、随分と子供らしく笑う。
長谷川は子供らしい姿を見せる高橋に何故か安堵した。
高橋は暫く笑っていたが、次第に落ち着きを取り戻して笑いすぎで浮かんだ涙を拭った。
「はぁ、よく笑った。先生は面白いね。私、先生がこの学校に来てくれてとても嬉しいよ」
「複雑な心境だが、生徒にそう言ってもらえて俺も嬉しいよ。できれば他の場面でその言葉を言ってほしかったけど」
言動で笑われて存在を感謝されてもまったく嬉しくない、と長谷川は悲しげに呟く。
「きっとこれから多くの女子生徒がその言葉を言ってくれるだろうから大丈夫さ。それより、自己紹介がまだだったね。私は高橋 由良というんだ。この高校の二年生。覚えていてくれると嬉しいな」
「あぁ、俺は長谷川仁だ。この高校で来週から英語を教えることになってる。それと、先月辞めてしまった先生に代わってそのクラス担任も務める予定だ」
お互いに遅くなった自己紹介をし、握手を交わす。
「長谷川先生の下の名前は仁っていうんだね。うん、覚えたよ。それにあの先生の引継ぎなら、私の担任の先生だ」
「そうなのか? それは助かる。生徒の名前を覚える数が一人分減ったよ」
「私一人覚えたところで変わらないと思うけどね。まぁ、特になんの変哲もない普通のクラスだと思うから安心していいよ」
お前がいる時点で普通のクラスじゃないと思うが。
そう思ったのが顔に出ていたのか、高橋は笑いながら「私以外の子はみんな普通だってことだよ」と長谷川に言う。
別に悪い意味でそう思ったわけではない。慌てて弁解しようとする長谷川の様子を見てまた高橋は笑った。
「そんな慌てなくても分かってるよ。私が変わってるのも事実だし、気にしてないから大丈夫さ」
「自分が変わってることは自覚してるんだな……」
「むしろその言葉の方が失礼だね?」
思わず漏れ出た本音に長谷川は手で口に蓋をした。
高橋は「もう遅いよ」とケラケラ笑う。ごもっともである。長谷川は今度こそ謝罪した。
「まぁ別にいいさ。私も先生のこと笑っちゃっているしね、お互いさまってことにしよう。それより本題に入っていい?」
「本題?」
「そりゃあ、何の目的もなくこんな遅くまでここに突っ立ってるわけないだろ。どれだけ暇人なのさ。貴方に用があったんだよ、長谷川仁先生」
とん、と高橋の細い人差し指が長谷川の心臓辺りを叩いた。
下から覗き込むかのように合わされた高橋の瞳の色の深さに長谷川は息をのむ。
吸い込まれるような瞳というのはこのようなもののことを言うのだろうと脳味噌の片隅で考えていた。
「……なんだ? デートのお誘いか?」
「おや、長谷川くんはデートがご希望かい? 先生がしたいというなら喜んで誘いに乗るけど?」
「いや、冗談だよ。……で、その用ってのはすぐ済むのか?」
「さぁ、先生しだいだね。私はなるべく早く済ませたいけど」
「もったいぶるなよ。はっきり言ってくれ」
「さっきの私と坂上先生の話のことさ」
高橋と坂上の話のことと言われて思い出されるのは、あのブリザード並みの周りが凍り付くような言葉の応酬だった。
長谷川は無意識のうちに顔を強張らせる。あんな空気感に挟まれるのは二度とごめんである。
「気になっているだろう。何かを隠されてるって、先生ならわかったはずだ。そうだとも、坂上先生も他の教師も、長谷川先生に隠し事をしている。何を隠しているか、知りたくない?」
「お前、何も言わないって坂上先生と約束してたじゃないか」
高橋は長谷川に何も言わない坂上に抗議をしていたが、たしかにあの論争では高橋は坂上に従うことに同意したはずであった。
そのことを言うと、高橋は胡散臭い笑顔をさらに深め、大きく頷いた。
「言わないって言ったよ。“余計なこと”はね。どこからどこまでが余計なことなのかの指定は受けてない。そこの判定は私次第だ」
「坂上先生が聞いてたら泣くような発言だな」
結局はこうするつもりだったのだろう。
坂上が意見を変えるつもりのないと知り、強硬手段にでたのだと長谷川は悟った。
あの場で折れたのも演技だったのだ。
非難するような長谷川の目線を受け止めた高橋は、なんてことないように「嘘は言ってない」と重ねた。
「長谷川先生が黙って知らないふりをすれば坂上先生は泣くことないだろう? それに、聞く気満々な先生も同罪だと思うけどね」
その言葉に長谷川はギクリと身体を強張らせた。
そう、高橋のことを口で非難しておきながら長谷川は隠し事を聞く気満々だったのだ。
高橋は自分の話をとめることも坂上にそのことを話すつもりも長谷川にはないとしっかり分かっていたのだろう、図星をつかれて無言になる長谷川の様子に機嫌良さげに笑う。
「酷いなぁ、悪いのは私だけかい? 坂上先生の言うことを守る気があるなら、今ここで耳をふさいで帰ってしまえばいい。坂上先生の言うことを聞けと私に言うなら、私は先生に従って喋らないでおこう。私は別にそれでも困らない」
どうする? と目で問われた長谷川は喉の奥で唸った。
長谷川はこの時点ですでに高橋に勝つことは不可能だと本能的に悟った。
彼女は自分より何枚も上手である。喋れば喋るほど彼女のペースに飲まれ、勝手に丸裸になっていることだろう。
何かを誤魔化そうとすれば、誤魔化したいこと以上の隠し事が晒される羽目になる。つまりは……。
「……教えて、ください……」
素直になることが、高橋に対して最良の対応なのだ。
教師であるとか大人であるとか色んなものを放り出して率直な今の気持ちを口に出した長谷川に、高橋は一瞬きょとんと呆けた後、盛大に吹き出した。
「アッハハハ! 良いね! 自分の望みに正直だ! あぁ、本当に面白い。私、長谷川先生のことすっごく気に入った。いいよ、話してあげる。この学校のこと、そしてこの町のことを」
高橋はゆっくりと両手を広げ、舞台役者が口上を述べるかのように朗々と語り始めた。
大きな丸い月が、まるでスポットライトのように高橋の頭上で光っていた。




