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ひょうたん沼鬼譚  作者: キスナ
1/8

邂逅

「それで、ここが美術室。どうですか? ここまで覚えられました?」

「いやぁ、ちょっと自信ないですね……」


夏休みもあっという間に過ぎ去り、衣替えも終わった秋の中頃。

まだ少し日の長い夕暮れ時に、二人の男が人気のない校舎内をゆっくりと歩いていた。


昼間は生徒で溢れ学校特有の喧騒を響かせるこの学び舎も、人がいなければまるで違う世界かのように思われる。


「やっぱり前の学校とはまったく違うので、覚えるのは大変です」


そういって困ったように笑う長谷川は、二学期が始まっていくばかりか日が経っている微妙な時期に赴任してきた新しい教師だった。


この高校では夏休み前にとあるクラス担任が教師を辞めることになってしまった。その欠員を埋めるために選ばれたのが、一年ほど怪我が原因で教師生活から離れていた長谷川 仁(はせがわ じん)だ。


彼は既に東京の高校で教師を五年間、しかもそのほとんどを担任として勤めており、そんな長谷川なら大丈夫だろうということで白羽の矢が立ったのである。

長谷川も長谷川で東京という土地に疲れを感じていたところで、そろそろ復職しなくてはいけないという時に飛び込んできた東北の静かな高校への着任にすぐさま飛びついた。


長谷川の赴任先である“八ヶ谷(やつがや)高校”は東北地方のM県八ヶ谷にある高校だ。

八ヶ谷は特別大きい町ではないが、町内には高校の他に小学校と中学校、病院、そして大きな集合団地があり、十分な設備が揃っている。

特筆すべきなのはこの町の結構な敷地を陣取る森のある広大な公園だ。

野球場ぐらいの森を取り囲むようドーナツ型で作られたその公園は八ヶ谷の中央にあることから“中央公園”と呼ばれていた。

綺麗に整備された道と多くの遊具で町の人々の良きジョギングコース兼子供たちの遊び場となっており、長谷川はそののどかさに思わず頬を緩めたほどである。


すごい田舎という訳でもないが人がごちゃごちゃといるほど発展しているわけでもない、地方ならではの静かさのあるこの町を長谷川は既に少し気に入り始めていた。


ただ、長谷川はいささか気になっていることがあった。


「そうですよね。一度ではなかなか覚えられないでしょう。ただでさえこの学校の校舎は他の学校より複雑な構造をしていますし」


この学校の教員であり挨拶に訪れた長谷川の案内を買って出た坂上 祐希(さかがみ ゆうき)の言葉に、長谷川はぎこちなく頷く。


複雑というより、変だ。

長谷川はこの学校の所々に見られる不思議な箇所に疑念を抱いていた。

鍵をかけるだけでなく板を釘で打ち付けて絶対に開けられないようにされている教室や、渡るのを禁止されている渡り廊下。

使用禁止のトイレになぜか窓一面が黒い紙で覆われている教室。

他にも「右側を歩くことを禁ずる」や「赤いものを身につけて歩くことを禁じる」等のよくわからない注意書きがある廊下など。


たしかに建物の構造も複雑ではあったが、長谷川にとってはそれよりもこのような意味が分からない決まりがあることの方が気にかかっていた。

変な宗教でもやっているのかと疑ってすらいた。

そんな長谷川の様子を見た坂上は苦笑いを零す。


「やっぱり変ですよね、この学校。僕はここの卒業生なんですが、ずっと昔からこうなんですよ。これがこの学校の決まりなもので……。別に、変な宗教とかじゃなくて、まぁ田舎によくある習わしみたいなものなんです。面倒だとは思いますが、この町の風習だと思って注意事項は守ってくださると助かります。生徒たちも守っていますので……」


坂上からの説明に長谷川は戸惑いながらも頷く。生徒も守っていると言われてしまえば、教師としてとれる行動は一つだった。


まあ郷に入っては郷に従えという言葉もある。今はとにかくこの町の郷土に慣れよう。


長谷川はあまり深く考えずに、この不思議な風習を受け入れることにした。


「あ、この先は部室棟なんです。今のところ先生は顧問をなさる予定はないので、あまり来ることはないと思うんですけど、一応案内しますね」

「え? 顧問しなくていいんですか?」

「えぇ、この中途半端な時期に来てくださるようお願いしたのはこちらですし、辞めてしまった先生が担当していた部活は副顧問だった教師が代わりに顧問をしているので、やってもらわないと困るってわけではないですから」


そうなんですか、と呟きながら長谷川は密かに安堵の息を漏らす。

教師の仕事で一番厄介なのが顧問というものだ。

かつてやったこともない野球や空手の顧問をさせられて苦労した長谷川にとっては願ってもないことで、一気に気分が上昇した。


八ヶ谷高校は主に三つの建物で構成されている。

生徒たちが国語や数学などの主要科目を勉強する普通の教室がある北校舎と、技術室や美術室など特殊授業で使用される教室がある南校舎。

そして昔は本校舎であったが現在の校舎が作られたことで使われなくなった旧校舎だ。

旧校舎は北校舎から東に出て上履きのまま歩けるコンクリートの廊下を渡った先にあり、使われていない教室をそのまま部室として再利用している。

旧校舎ということもあってか、比較的新しい北校舎と南校舎より古びていた。


「今日は完全下校日で生徒がいないので暗いですね」


北校舎が西日を遮っているせいか、それとも完全下校日という部活動禁止日のために生徒が誰もいないこの環境のせいか、まるで夜のように真っ暗な旧校舎の廊下に長谷川も案内役の坂上も足を止めた。


「実は僕も部室棟なんてあまり来ないから詳しくないんですよね。えっと、確か電気がそこら辺に……」

「電気なら右手を真っ直ぐ伸ばした先だよ」

「うわっ!」

「うおっ!」


突如、二人の背後から女の声が聞こえ、それと同時に長谷川と坂上の間から真っ白な腕が伸びる。

それに驚いた二人は短い叫び声を上げて飛びのき、声がした後ろを振り返った。

そのまま白い腕の持ち主は坂上の横にあった電気のスイッチをパチンと入れ、廊下が明るく照らされる。


呆然としている二人の目の前にいたのは、この学校の制服である黒いセーラ―服を身にまとう女子生徒だった。

女子生徒はくせ毛気味の短い黒髪をひょこひょこ揺らしながらクスクスと笑い、そのまま坂上に向かって右手を軽く上げた。


「やぁ、坂上先生。こんにちは」

「え? た、高橋さん? こんなところで何してるの?」

「何してるのとは、変なことを言うなぁ。ここは部室棟だよ?青春の一幕を彩るような爽やかで清々しい活動、つまり部活をしていたに決まっているじゃない」


坂上に高橋と呼ばれた女子生徒はどこか胡散臭い綺麗な笑顔と舞台役者のように大仰な身振りで両手を広げながらそう言った。

なぜか彼女にしっくりきているその動作に長谷川は変わり者の気配を察知しつつ、呆気に取られて固まる。

高橋の様子に慣れている坂上は呆れたようにため息をついた。


「今日は完全下校日で部活は禁止のはずだけど」


そう。今日は完全下校日で部活動は禁止の日。

生徒が全員いなくなるからこそ、長谷川は今日この日に高校へ挨拶に訪れたのだ。


「しまった、バレてしまったか。実は部活で必要なものがとある部室にあってね。ちょっとそれを借りるために鍵を失敬して取りにきたんだ」

「いやバレるも何もないよ。堂々と僕たちの前に現れてる時点で色々ダメ……って、また職員室から勝手に自分の部活じゃない部室の鍵を持ち出したのかい!」


怒りで声を荒げたあと疲れたように項垂れる坂上の姿はどことなく哀愁が漂っている。

長谷川はそんな坂上の姿を見て僅かに同情したが、それ以上に好奇心が勝り、高橋に話しかけた。


「えっと……高橋、でいいのか? なんの部活やってんだ?」

「私かい? 私はオカルト研究部だよ」

「……青春の一幕を彩るような爽やかで清々しい活動ってさっき言ってなかったか?」


まさかのオカルト研究部。色々と予想の斜め上を行く回答である。

長谷川は思わずそうツッコミを入れた瞬間、高橋は眉を吊り上げて怒りを露にした。


「酷いな。君は部活に優劣をつけるつもりなのかい? 青春だと認められるのは少年誌でスポーツ漫画として連載されるような野球とかサッカーとかバスケだけだとでも?」

「い、いや! べつにそういうつもりじゃ……」


たしかに言い方が悪かった。

教師であるのに生徒が真面目に行っている部活を悪く言うなんてよろしくない。


長谷川は慌てて高橋に謝ろうと高橋の顔を見る。

するとどういうことだろうか、怒りの形相だった高橋の顔は途端にニヤッと悪者じみた笑顔に早変わりした。


「君、お人好しってよく人に言われるんじゃないかい? 詐欺には気を付けたほうが良いよ」


まるで怒っている様子のない高橋の姿に長谷川は脱力し、坂上は悩ましげに頭を抱えた。


「……演技か」

「なかなかの役者だろ? 君はとても素直に騙されてくれるね。この学校の人、もうほとんど騙されてくれないから嬉しいよ」

「長谷川先生、すみません……。本当に、すみません」


上機嫌な高橋とは対照的にどんよりとした空気を放つ大人二人。

高橋はなおも機嫌が良さそうに口を開く。


「オカルト研究部なんかに青春の爽やかさがあるわけないよ! そもそもオカルト研究部って名前がついてるけど部員は私一人だし、ていうか研究してないからね。なおのこと青春からは程遠いじゃないか! いや、逆にこれもまた青春かな?」

「高橋さん、一応学校側は“オカルトを通して人の精神状態に現れる変化を調べ、心理学的に研究する”っていう君の言葉を信じて部を設立したんだからもうちょっと取り繕って」

「そんなの建前だって誰もが知っているんだから、取り繕うだけ口の無駄遣いだよ」


いっそ清々しいほどの開き直りである。教師の前なのだから少しぐらい真面目にやっている風を装ってもいいだろうに。


長谷川はその明け透けな態度にもはや一種の尊敬と好感を抱いていた。今まで出会ったことのないタイプの生徒だった。


「まぁ私のことなんていいじゃないか。気にしないでくれ。それにしても坂上先生、この人は新しい先生ってことでいいのかな?」


高橋は長谷川を指さしながら坂上に問う。坂上はそれに指をささないの、と注意しながら頷いた。


「そうだよ。来週の月曜日から着任する長谷川先生だ」

「へぇ! なかなかに整った顔立ちをしてるじゃないか! 大人の男性って感じがいいね。これは坂上先生の人気が危ぶまれるなぁ。爽やかで優しいお兄さん系の坂上先生と大人っぽくて頼りがいのありそうな兄貴系の長谷川先生。これは女子が喜ぶこと間違いなしだ」


褒められているはずなのに、なぜだろうか。

高橋の目が新しい玩具を手に入れた子供と同じ輝きをしているせいでどうしても長谷川と坂上は素直に喜ぶことができなかった。

どちらが玩具認定されたのか、どうか自分ではありませんようにと長谷川も坂上も心の中で祈った。


少し現実逃避をしている間も「写真とか売れるかな」などと恐ろしい計画を立てている高橋に、坂上は少し怯えながら声をかける。


「おいおい……まだ誰にも長谷川先生のことは言うなよ。あと余計なことも何も言わないでくれ。君なら大丈夫だとは思うけど」

「もちろん、先生がそう言うのであれば私は余計なことを言わないよう口を固く閉ざし、スマホに指を滑らせることもしないと誓うよ。他でもない坂上先生からの頼みとあれば特にね。元々私は必要なこと以外喋らない主義だ」

「堂々と嘘をつくね。君との会話の八割は必要のない嘘と無駄な軽口だったと思うけど」

「先生は時々言葉をオブラートに包むことを忘れるようだ」


文句ありげな目で高橋を見る坂上に、高橋は変わらない胡散臭い笑顔で言葉を返した。


「コミュニケーションの一つなのだから嘘も軽口も必要だと私は思うけどね。坂上先生もたまには何の生産性のない中身空っぽな会話をしたらどうだい? なにせ……」


高橋の言葉が中途半端なところで切られる。

どうしたのかと高橋を見た長谷川はその瞬間、自分の行動を後悔した。


「どうやらここの教師たちは、必要なことすら言えてないみたいだし?」


突然、高橋から吐き出された言葉に氷柱のような棘が生え、それに呼応し表情もまるで氷のような冷笑に変わる。その高橋の怒気は、確実に演技ではない。


長谷川は訳も分からぬまま今すぐにでもこの場から離れたい気持ちでいっぱいになった。

まだ学校で発表していない情報を知ってしまった生徒に箝口令が出されるのはおかしいことではないのだ、いったい何が彼女の逆鱗に触れたのだろうか。


疑問を抱く長谷川とは違い、坂上はしっかりと高橋の怒りの原因を把握しているらしい。

坂上はまるでとってつけたような笑みを顔に浮かべて高橋と向き合った。


「必要なこと? なんのことかな。少なくとも僕は、必要なことをしっかりと話したつもりだけど」

「なるほど、どうやら私と先生とでは必要なものとそうでないものの判断が違うらしいね。一回しっかりと考え直すことをお勧めするよ」

「余計なお世話って言葉を知っているかな。必要な事かどうかはこっちで判断するよ。君の基準は関係ない」

「わぉ、驚いたな。その判断でこの前痛い目を見たのを覚えてないのかい? しかも尻ぬぐいしたのは私なのに、私には関係ないって本気で言ってる?」

「もちろん覚えてるし、君には悪いことをしたと思ってるよ。だから今回はちゃんと対策をとる。心配してくれているのはありがたいけど、君は学業に専念してくれ」

「私が学業に専念できないような状況にしているのはこの学校の先生たちだと思うけどね」


皮肉に皮肉を重ねた聞く人が震えるような言葉の応酬。

さっきまでの空気からの温度差に風邪をひくレベルである。

この凍えるような空気感もさることながら、怒りが伝わる高橋の表情と逆になんの感情の起伏も感じられない坂上の表情の違いもまた、より一層長谷川の恐怖を増幅させた。

もはや長谷川には影を薄くし、己の気配を空気に溶け込ませるしか道は残されていなかった。


「そもそも私が心配しているのは坂上先生たちじゃない。……何も知らないままここにいることになる、彼だよ」

「……え? 俺?」


しかし、薄くしたはずの影は急激に色を取り戻した。


高橋の目はしっかりと長谷川をとらえており、ここでやっとこの二人の冷戦は自分に関わることだと悟った。


「そうだとも。まぁ、長谷川先生は何も悪くないんだけど、やはりここに来てしまったからには知っておかないと……」

「高橋さん!」


咎めるように高橋の名を呼んだ坂本の顔には、明らかに焦りの色が見えていた。


高橋はそんな坂本の様子を横目で見て、何かを諦めたかのような深いため息をつく。

そして、つき終わったころには先ほどまでの胡散臭い笑顔と明るい空気感を身にまとっていた。


「ま、しょせん私は学校という檻の中で教師という監視に見張られている生徒だからね! 坂本先生の言葉に従うよ。ほら、私ってば模範的な生徒だし?」


まるでこの話は終わりだ、とでもいうかのような高橋の姿に坂上も冷たい空気を霧散させ、その軽口に答える。


「模範的な生徒なら今ここにいるはずないって分かってて言ってるよね?」

「やだなぁ、坂上先生。細かい男は嫌われるよ? そんなんだから彼女いない歴=年齢のままなのさ」

「余計なお世話だよ!」


まるでさっきまでの冷ややかな空気なんて最初からなかったかのような変わり身の早さ。

話にもこの空気の変わりようにも付いていけない長谷川が目を白黒させているうちに、高橋は坂本にどこかの部室の鍵を預けそのまま部室棟から出て行った。


「はぁ、借りに行ったなら自分で返しに行けよなぁ、もう。長谷川先生すみません、うるさかったでしょう?」

「あ、いや別に……もっと騒がしい生徒を請け負ったことありますから。でも、なんていいますか……すごいパンチの強い生徒ですね」

「嵐みたいですよね、彼女」


嵐というか、ジェットコースターみたいである。


登場もあの坂上とのブリザードのような空気感も、まるで予想ができない言動も、振り回されたという表現よりもジェットコースターというものが妙にしっくりきた。

色んなことが起こりすぎて頭の情報処理が間に合わない感じがまさにそれだろうと心の中で長谷川は一人納得する。


「まぁ変わっていますが、根は良い子なので心配しないでください。たまに校則を破ったり教師や生徒をからかう以外は至って普通ですので」

「それは普通と表現していいのでしょうか」

「普通ですよ。……この学校に比べたら、全然」


そう言いながら坂上は「入室禁止」と張り紙が張られた教室の扉を撫でた。


何かを隠されている。何か、重要なことを。


「……あの、坂上先生」

「長谷川先生」


何とか絞り出した長谷川の言葉を遮るかのようにして吐き出されたその声は、穏やかでありながら逆らうことを許さないという威圧感が含まれており、長谷川は言おうとした言葉を飲み込んだ。


「世の中には知らないほうが良いこともありますよね。そうでしょう?」

「……そう、ですね」

「それじゃあ、案内に戻りましょう。高橋さんのせいで余計な時間をくっちゃいましたから。この部室棟、結構広いんで時間かかるんですよ」


部室棟の廊下は、さっき電気をつけたというのにまだ薄暗く、この学校の隠している何かがその奥にあるように感じられ、長谷川の身体は得体のしれない恐怖で微かに震えた。


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