第1話
私は急いでいた。兎にも角にも急いでいた。
あと一分半後に、片田舎に住む依頼人の元へと出発するバスが出てしまう。走りながら確認した腕時計に示されている秒針は無情にも進んでいく。
漸くバス停が見える所まで辿り着いたと思えば、停留所には既にバスの姿があった。少ない乗客を乗せ終えて扉を閉めたバスに私は必死になって呼び掛ける。
「あぁ~!待って、待って下さい!」
私の声は虚しく木霊するだけに終わり、時間通りにバスは出発する、······かと思われた。
ガコンと嫌な音を立て一瞬バスの動きが止まる。その隙に不思議そうにハンドルや足周りを確認している運転手の視界に入る場所まで駆け寄った。
硝子張りの扉越しに手を大きく振ってアピールをすると、運転手はさも今気が付いたかの様に一つ頷き扉を開く。
一番後ろの席をなんとか確保出来た私は、背中の矢筒とベージュのショルダーバッグを下ろすと、手の甲で額にじんわりと掻いた汗を拭ってふぅ、と一息吐いた。
「麿呂、ナイス」
乗客が疎らなのを良い事に小声で彼に話し掛けると、隣の席に位置する場所に彼は姿を現す。
「これ、何回目?」
ジトリとした目で私を見てくる麿呂に苦く笑う。文句は毎回寝惚けて目覚まし時計を止めてしまう父に言って欲しい。
「僕が居ないと本当に遅刻しちゃう所だったんだよ?」
彼は小さな身体を香箱座りに落ち着けると特有のふわふわとした尻尾を揺らして、まるで母の様に「全く、これだから菊は······」とか「ちゃんとしてくれなちゃ困るよ」等、お小言をぶつぶつと呟いている。
私は麿呂の名前の由来の、麿呂眉毛辺りをポンポンと撫でると「ありがとね」と彼のご機嫌を取った。
「あんまり無茶な止め方をすると機械が悪くなっちゃうから今度から気を付けるんだよ!」
麿呂は怒りを収めて、目的地まで寝る事にしたらしく、白く小さな身体を隣で丸めて静かになる。周りに乗客が居る事も気を遣っているのだろう。
麿呂は神使見習いの獅子。普通の人間には見えないので大きな声で会話をすると私は変人扱いをされてしまうのだ。