8 肥料を作る
『王国農業全書』を私は空き時間に黙々と読んだ。
読んだというより、見たというべきかもしれない。本をたくさん目を通してきたなかで、必要な情報だけを視覚的に記憶する方法がとれるようになった。
もちろん、そんな記憶は不完全なものだし、本の記述を一字一句間違えずに暗唱できるような人間と比べればずいぶんと劣るが、必要な情報をピックアップするぐらいなら、これで十分だ。
私が本の中で探していたのは、肥料に関する記述だった。
肥料は農業において最も重要な点の一つだ。
農業は土から栄養をとり、それによって主に食用になる植物を効率よく育てるシステムだ。
だが、効率性が重視されるがゆえに自然界よりもはるかに、土壌の栄養を奪ってしまう。多くの畑地では、長く使用していると、収穫量が落ちたり、実の付き方が悪くなったりする。土の栄養分が減少してしまうせいだ。
それを打開するために土に肥料を入れ、回復をはかる。その程度の知識は農業に従事していない人間でも知っているだろう。
問題は良質の肥料となると、その価格が高額なことだ。
まして、船の定期便以外に輸送手段がないマホラ島に送るとなると、通常よりもさらにコストが高くつく。
商店というものがまともに存在しないようなこの島で、そんなものはほいほい購入できない。
もともとマホラ島での作物の収穫量はさほど多くない。
畑地になるような土地がほとんどないことと、潮風を受けるために、塩に弱い作物は育たないのだ。
王国本土よりはるかに魚を多く食べている食生活もそのあたりと関係するのだろう。
もし、いい肥料を使うことができれば、作物の質も量も向上させることができるかもしれない。それは、島民の生活の向上にそのままつながる。
ただし、その肥料を買うお金は残念ながらない。
ごく少量を購入するなら可能だろうが、特定の畑地だけ生産量が増大したりすると、余計ないさかいを生むことにもなりかねない。今のところはできるかぎり、平等にやりたい。
ならば、この島で手に入るもので効率よく作ることが必要なわけだが――――あった。
「余った魚を乾燥させ、肥料とする方法」と書いてある。
このあたりでとれる魚はおそらく本で想定している魚と違うだろうが、発想は流用できるはずだ。
私はその箇所に本が差し掛かると、熟読するシステムに変える。
横にはノートを置いて、検討するべき内容を加えていく。マホラ島で余る魚とその他の材料の配合バランスを考える。まあ、これは実験を繰り返して、やっていくしかないか。
魚の乾燥は基本的な火炎魔法のフレイムを使うとするか。
私は家の外で魔法の練習中だったレスタを呼んだ。
「レスタ、あとで漁師さんたちの家に行くから」
「あっ、はい……。でも、どうしてそんなところに……?」
まだレスタは呑み込めていないようだ。
「いらない魚を分けてもらうためだよ」
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筆頭神官という地位がこの島では有効に機能しているということを改めて感じた。
数軒の家をまわったが、どこも丁寧に対応してくれた。ありがたいことだ。
「余っている魚なら、このへんだとマホライワシが多いですね。小さいし、そのくせ骨が太いので、まともに食えません。干して口が寂しい時にしゃぶることはありますが、とにかく苦みが強いんで、子供は嫌がりますね」
その発言は本当だ。レスタが「わたしもあれはまずいから嫌いです」とマホライワシを口に入れられたような顔になって言っていたからだ。
「使い道のないマホライワシだけでけっこうですので、私に分けてもらえますか? 実験したいことがありまして」
「はい。神官様のお頼みとあらば、いくらでも出しますよ! どうぞ、使ってやってください!」
こんな調子で余った魚は大量に調達できることになった。
帰り道、レスタに再度、「なんで魚がいるんですか?」と聞かれた。
「魚で畑用の肥料を作る。上手くいけば収穫量が上がったりして、食生活がずっと安定する。さらに高品質の特産品でも作れれば、現金収入も得られる」
「えっ、海の魚が土に役立つんですか?」
「海に住んでいない鳥も人も魚を食べるだろう。それは栄養があるからだ。その栄養を土に分けてやる」
あとは肥料を作って、どれだけ効果があるかの実験だが――これには自分の畑を使うしかないか。
「少し、レスタの庭と畑を借りることになるよ。都合が悪いようなら、長老に頼んで、余っている土地でも貸してもらうから無理にとは言わないけど」
人口に対して土地はずいぶん残っているからな。その部分では困ることはない。
「いえ、どうぞ。使ってください!」
レスタからもあっさりと同意が得られた。
いくつか配合を変えた肥料を用意して、それを土に混ぜる。
そこに同じ種類の種や苗を入れて成長度合いを確認する。
これはどうしても一日や二日でわかるものではないから、まだるっこしいが、まだ幸いなことに、このマホラ島は年中温暖だ。実験自体は、一年間いつでもできる。次の春まで待つしかないなんてことはない。
実験と並行して植物の本を船の定期便で取り寄せたり、いろんな作物の種を入手したりした。
それと、島の森のほうにも足を延ばすことにした。
何か私の知らない野菜が自生しているかもしれない。というか、火山のせいで、島の住人すら奥地までは入らないし、食用になるものが未発見のまま捨ておかれている可能性はかなり高いだろう。
私はレスタとともに森を慎重に歩く。
というより、視界が悪いし、どこに足をやって進めばいいかわかりづらいので、慎重になるしかないのだ。
レスタのほうは慣れているのか、ひょいひょい奥へと進んでいく。
「お師匠様、もっと早くてもいいですよ?」
「いや、レスタが早すぎるんだ……」
体力がないわけではないが、長年、森に入っているレスタとは経験による蓄積が違いすぎる。
たとえば、正面にちょっとしたぬかるみがあったとしても、レスタはどこに足を置けばいいのか、直感的に把握している。私にはそれがない。
そういった細かな違いがあらゆるところに影響してきているのだ。
「でも、こんなところにいい植物なんてないと思いますよ?」
「レスタの目ではそうでも、私みたいなよそ者の目だと気づくこともあるかもしれない」
経験による蓄積はプラスになる時とマイナスになる時がある。
当たり前になりすぎて、見えているものが見えないことだってある。
ふと、何かの蔓みたいなものにレスタが視線を向けた。
「そういえば、飢饉の時とか、このアマイモというのをとって食べてましたね」
アマイモ? 聞いたことのない名前だ。