7 弟子のお披露目
レスタが私、ハルーカのの弟子となってから、半年と少し経った頃。
私は正式に集落のみんなの前で、レスタを「マホラ島筆頭神官補佐」に任命した。
筆頭神官補佐といっても、今までの関係は何も変わらないのだけど、少なくともレスタも集落の人たちから見れば、神官様ということになる。
もっとも、それで急にみんながレスタを敬うようになるなんてことはなさそうだが。
「あのレスタが神官にねえ」「本当に大丈夫なのか?」「筆頭神官様にご迷惑かけるなよ、レスタ」
みんなで好き勝手に言っているし、レスタも顔を赤くしていた。
「ご迷惑はすでにかけまくってるんだけど、かける量を減らせるように努力するから! み、みんなこれからもよろしく!」
「『これからもよろしく』も何もレスタは何も変わってないだろ」「そうだよな。いつもどおりのレスタだ」「出世祝いに豆でも持っていってやるよ」
集落の人間との間に変な壁ができたらまずいかなと思っていたが、まったくの杞憂だった。
まあ、島の人にとったら、本土からやってきた本職の神官は別として、もともと島で育った顔見知りが神官になったからといって、どうということはないのだろう。
この島に来て強く感じるが、集落のみんなのつながりが濃い。
まるで、集落の全員が家族のようだとすら思う。
私が十八歳で教区長になった時、教区の土地争いの訴訟文書などもずいぶんと見た。
同じ村といっても、むしろ同じ村だからこそ、争いが絶えない世界があることを私は嫌というほどに目にしてきた。
土地争いなんてかわいいもので、狭い村の中で起こった殺人事件の文書などは読んでいても、いたたまれない気持ちにすらなった。
だが、このマホラ島では事情が違うらしい。
みんな、決して豊かとは言えないのに、仲良く暮らしている。
いや、逆なのだろうな。
貧しいがゆえに、全員が協力しないと生きていけないのだ。
長老の家にしても、ほかの家と比べて豪壮というわけでもない。富を集積することも、ここでは難しい。結果的にみんな横並びになるから、妬みの感情だって起こらない。
この島が少しずつ全体的に豊かになるようなことをやっていくか。
それを筆頭神官としての、ひとまずの私の目標にしよう。
とはいえ、何を最初に取り組んだものか。
生活の基本は衣食住か。それが満足にとれないとまともに人間関係を築く余裕も生まれない。
いきなり住居を立派にするというのは無理がある……。
服はそもそも南方のマホラ島ではみんな薄着で、男衆なんて上半身裸で散歩してることもあるから……あんまり現実的じゃないな……。
だったら、残るは「食」か。
「余った干物の魚、レスタのところに持っていくべよ」「そだな、そだな」「じゃあ、うちも」
「そんな干物ばかりいらないから! みんな、もっとバランスよく持ってきてよ!」
レスタが集落のみんなにからかわれているのを聞いていて、ふと思った。
魚は使えるかもしれない。
●
このマホラ島に来て以来、私の蔵書も変化が生じていた。
魔道書や宗教の書物の割合が少しずつ下がってきていた。といっても、捨てているわけではない。
ほかの書物を本土から取り寄せているためだ。
実質的に私は島流しに遭っているとはいえ、形式的にはマホラ島の神官という役職についているだけで、罪人でもなんでもない。お金さえ払えば本土からの定期便を使って書物を購入することだってできる。
それに本土のほうには私の後援者も皆無ではない。
政治力はなくても、経済的には支えてくれる商人などのツテもあった。ほしい書物を入手するのは簡単だ。
そして、私が今、集めているのが――
農政についての本だった。
レスタのお披露目式が終わって、家に戻ると玄関前に袋に入った分厚い本が置いてあった。誰かが届けてくれたのだろう。
この集落では泥棒もいないし、まして難しい本は文字が読めない村人たちには使い道がない。
「おお! これが名著のほまれ高い『王国農業全書』か!」
私はずしりと重たい本を両手で支えた。
こういう自分の専門とは違う書物はこれまであまり読む時間もとれなかった。ある意味、長い隠居生活の今こそ、こういうものを読破する時だろう。
「お師匠様、なんだか目が輝いていらっしゃいますね」
楽しそうにレスタが言った。
「少し子供っぽい瞳になっていました。いつも落ち着いてらっしゃるお師匠様なのに」
「知らないことを知れるということは喜びだからな。そうでなければ、大賢者と呼ばれるほどに勉強なんてできなかったさ」
「それはお師匠様の才能によるものじゃないんですか?」
不思議そうにレスタが言った。
「才能がある人間だけならいくらでもいるさ。けれど、才能がある人間ばかりが集まったら、そこからは学ぶことが好きな者だけが伸びる」
私を天才だと言う人はたくさんいたが、才能だけなら私よりすごい者ぐらい、何人も見てきた。
ただ、学ぶことの貪欲さで私が一枚上手だっただけだ。
「そうですか。マホラ島出身のわたしからしたら、お師匠様ほどの人がうじゃうじゃいる世界は想像ができないですが……」
「レスタ、うじゃうじゃいるわけではないぞ……。でも、王国は広いからな。何十冊も何百冊も本を暗記できる者すらいたし、私よりずっと早く高位の魔法が使えていた者もいた」
レスタは目を丸くしている。
賢者の弟子としての体裁がつくぐらいの魔法は使えるのに、まだまだ牧歌的なところが残っている。これはレスタの性情と島の気風の両方のせいだろうな。
「そんな偉大な人たちだらけというのは、わたしには想像もつかない世界です……。本土は恐ろしいです……」
「もっとも、レスタも才能だけなら私より多分、上だぞ」
私は素の表情で淡々とそう言った。
「…………えっ!? ありませんよ! そんなこと絶対に絶対にありません!」
強くレスタは否定した。まあ、これで得意になったり、傲慢になったりする性格なら言ってはいないので、予想通りの反応だが。
そんなことあるさ。
まだ私が教えはじめて半年ほどだ。しかも文字すら読めないところからの出発だ。
なのに、今のレスタの実力は駆け出しの魔法使いの冒険者程度なら、あっさり上回っているだろう。
水を吸う綿みたいにいくらでも新しい魔法を吸収していく。率直に言って素晴らしい。
私はいい弟子を持てたかもしれないな。いや、いい弟子を持てたと断言していい。
案外と神様は私のことをしっかりと見守っていてくださっているのかもしれない。