2020年瑞希生誕祭小話:はじめてのおつかい
今回の主人公・瑞希が、はじめてのおつかいに出かけます!!
目的地は秀麗中学校。彼女は無事にミッションコンプリート出来るのでしょうか?
■主な登場人物:瑞希、統治
「あっ……!!」
電車を乗り過ごしそうになった瑞希は、持っていたスマートフォンを膝の上に置いたカバンの中へ押し込むと、座っていた長椅子タイプの座席から勢いよく立ち上がった。その瞬間に膝の上のカバンが中身ごと前方へダイブしようとしたが、両手で必死に抑えて何とか事なきを得る。しかし、安心したのも束の間……仙石線の普通・東塩釜行きの電車は、彼女の目的地でもある中野栄駅のホームに滑り込んだ。
「お、降りなきゃ……えっと……!!」
平日の15時過ぎ、電車の中はさほど乗客が多くないため、同じ車両で他に降車する人は見当たらない様子。早足で扉の方へ近づき、『開』のボタンに右手の指をかけながら……肩にかけたカバンの持ち手を、反射的に左手で強く握りしめていた。
支倉瑞希が『仙台支局』で正式に働き始めてから3週間ほど経過した、9月上旬のこと。
昼食を食べ終えて午後の業務を始めた直後、隣の席に座っていた名杙統治が、机の引き出しから茶封筒を取り出して……顔をしかめた。
「失念していた……今日までだったか……」
「な、名杙さん、どうかしたんですか?」
珍しい横顔に瑞希がオズオズと問いかけると、統治は彼女の方へ椅子ごと半身を向けながら、相変わらず顔をしかめている。
「実は……秀麗中学に提出する書類を出し忘れていて。郵便では間に合わないから、今日中に何とか自分で持っていかないと……」
「そ、そうなんですか!?」
「情けないですが……この間まで別件での対応が忙しくて、忘れてしまっていて……」
統治はそう言って、背もたれに体重を預けた。
この事務所の長である佐藤政宗は、体調不良から回復したばかりの山本結果を連れて、伊達聖人のところへ向かっている。今回は先の体調不良――視力を奪われ、失明状態になる――が完治しているかどうかの検査を兼ねているため、あと2時間は戻ってこないだろう。そのため、社用車も使えない。
統治はつい先日まで、ユカの体調不良に関する名杙としてのフォローと、名波蓮の問題行動に関する情報収集と調整に追われていた。ようやく問題が解決したところで、彼自身も肩の力を抜き始めたところでもある。
瑞希はスマートフォンで見ることが出来る全員の予定表を確認した。統治はこれから政宗の代理として得意先との会議が控えている。他にも重要な連絡が入るかもしれないので、うかつにこの場から離れるわけにはいかないのだ。
それに……彼の横顔には明らかな疲れが見える。加えて統治が焦るほどなのだから、よほど大事な書類なのだろう。
何か出来ることはないだろうか。
今の自分に、何か――
瑞希は自身の予定を念入りに確認した後……意を決して口を開いた。
「あ、あのっ!! 私が、届けてきます!!」
かくして。
瑞希は1人、秀麗中学へとおつかいをすることになったのである。
最寄り駅である中野栄駅を出て、歩いて約10分。
瑞希は校門脇に立っていた守衛に事情を説明し、自身の身分証を見せる。そして彼から受け取った来客用のネックストラップを首にかけると、意を決して、敷地内へと足を踏み入れた。
「し、私立の学校なんて……初めて……!!」
思わず書類の入ったカバンを握りしめて、瑞希はキョロキョロと周囲を見渡してしまう。校内はまだ授業時間のため、周囲に目立つ人影はない。敷地も広いため周囲の喧騒も届かず、しんと静まり返っている。
まるで……自分ひとりだけが取り残されているような気分になってきた。
「うぅ……し、しっかりしなきゃ!! えぇっと、この書類を……」
校舎の脇に立った瑞希は、自分自身を鼓舞するように両手を握りしめた。そして、統治から預かった書類をもう一度確認し、彼に言われたことを思い出す。
――その書類は、俺が部活時のみの臨時講師として10月以降も関わることが明記された契約書です。そのため、渡す相手は……パソコン部の……気をつけて……――
「あ、あれ……?」
頭の中で不鮮明になっていく言伝。瑞希は一度深呼吸をした後、頭の中でもう一度同じ映像を流す。
――その書類は、俺が部活時のみの臨時講師として10月以降も関わることが明記された契約書です。そのため、渡す相手は……パソコン部の……気をつけて……――
「パソコン部の、パソコン部、の……」
そこから先が大切なのに、思い出せるのはその直前まで。
「どうしよう……私、誰に渡せばいいのか忘れちゃってる……!!
メモを残さなかった己の不甲斐なさを、中学校の片隅で嫌になるほど後悔するのだった。
とりあえず何とか気を取り直した瑞希は、覚えている情報をもとにして行動を開始した。
今の時間、統治は会議中のはずだ。連絡を取るとすれば16時以降になってしまう。それでは遅すぎるし何よりも自分の失態だ。ここは自分ひとりで何とかしなければ。
「パソコン部、ってことは……パソコン室に行って、聞いてみれば大丈夫だよね……!!」
とりあえずの目的地は決まった。後はそこに向けて歩いていけばいい。ただそれだけだ。
「えっと、パソコン室……」
瑞希はとりあえず来た道を少しだけ戻り、守衛室の近くに設置されている敷地内の案内図を見上げた。しかし……。
「そうだよね……教室の位置まで書いてあるわけないよね……」
彼女が見ている案内板に記載されていたのは、校舎や体育館、同窓会館といった大きな建物の位置のみ。どの教室がどこにあるのかは、来客用の出入り口と事務室の場所しか記載されていなかった。
「こ、これだけじゃ分からないよ……うぅ……」
がっくり肩を落とした瑞希は、守衛の男性に教室の場所を尋ねるべく……来た道を再び引き返すのだった。
その後、守衛の男性からパソコン室の位置を教えてもらった瑞希は、その内容をしっかりとメモに残し、何度も頭を下げて再び移動を開始した。
教えてもらった校舎の2階、その突き当りにパソコン室があるという。
「えっと……2階、2階……!!」
瑞希は自分に言い聞かせるようにキーワードを呟きながら校舎の正面玄関へ向かい、来客用のスリッパを履いた。そしてパソコン室までの経路を書いたメモを握りしめ、校舎内へ一歩踏み出そうとした、次の瞬間――
「――あの、すいません」
「は、はははいっ!?」
唐突に声をかけられた瑞希は、全身で萎縮して変な声を出した。
そして、おそるおそる声がする方を見てみると……玄関脇にある事務室から、職員らしき女性が苦笑いで手招きしている。そして、
「申し訳ありませんが、来客の方はこちらでお名前と目的を記載していただいてもよろしいですか?」
「は、はいっ!! 分かりました……!!」
瑞希は慌てて頷くと、彼女がいる方へを足を動かした。
その時に握ってたメモを落としたことになど、気付く余裕もなく。
事務室での手続きを終えた瑞希は、ようやく校舎の中へと足を踏み入れた。
「2階、2階……」
言い聞かせながら長い廊下を進む。途中にも階段はあったが、先程チャイムが鳴って授業が終わり、廊下や階段に生徒が多くなってきた。邪魔になっては申し訳ないと思って彼らを避けながら進み続けた結果……上の階へ登る機会をすっかり逃してしまったのだ。
「そ、そろそろ登らなきゃね……うん!!」
廊下をすっかり突き当りまで進んだところで、瑞希はようやく腹をくくる。そして、上から部活や帰宅のために降りてくる生徒達とすれ違いながら……改めて、周囲をぐるりと見渡した。
「私の通ってた中学とは……やっぱ、違うなぁ……」
瑞希が通っていたのは、かつて実家があった場所の近くにある中学校だ。ごく普通の公立高校で、生徒の半分は同じ小学校からの持ち上がり。そのため、さほど新鮮味がないまま3年間を過ごしたけれど……だからこその安心感はあった。
この秀麗中学校は私立中学校ということもあり、全員が受験に合格して入学してくる。最初からこの中学校を目指しているのだ。だからこそ活気があるし……少しだけ緊張感があるような気もする。
「学校も広くて綺麗……パソコン室にもたくさんパソコンがあるんだろうな……」
独り言を呟きながら階段を半分登りきった瑞希は、その先にある踊り場で立ち止まった。
そして、改めてパソコン室の位置を確認しようと、自分が書いたメモを確認しようとして……。
「……え? あ、あれ!? 私……え!?」
ここで初めて、自分がメモを落としてきたことに気付いたのである。
踊り場で少しだけうろたえた瑞希は、気を取り直して先へ進むことにした。
目的のパソコン室がこの校舎の2階であることは分かっている。ここは学校だ。教室の前に掲げられたプレートを見れば、どの教室かどうが分かる……はず。
「大丈夫大丈夫……分かるから、分かるから……!!」
すれ違う生徒に萎縮しながら、瑞希は早足で階段を登りきった。そして長い廊下と改めて対峙した後、「よしっ」っと言い聞かせて足を進める。
教室から出てきた生徒達が、校舎内にいる瑞希を訝しげな眼差しで見つめながら通り過ぎていった。何だか自分が悪いことをしているような気分になるけれど、今はそんなことを気にしてなどいられない。
早く、早くパソコン室を見つけて、この任務を完遂しなければ――!!
「ぱ、パソコン室……あった!!」
程なくして、瑞希は視線の先に『パソコン室』と記載されたプレートを見つけた。これで終わると思った瞬間、強張っていた両肩から少しだけ力が抜ける。
瑞希は前のめりになりながらパソコン室の前へ移動すると、その勢いで引き戸を開こうとして――
「――えっ!? あ、あれ!? どうして開いてないのっ!?」
固く閉ざされたパソコン室の扉の前で大声を出した彼女に、生徒たちが訝しげな眼差しを向ける。
そんな、複数の視線を感じた瞬間――気恥ずかしさで耳まで赤くなっていくのを感じた。
どうしよう。
目的地だと思っていたはずの場所は、扉が固く閉ざされている。
扉にはめ込まれたガラスから中を覗いてみても、人の姿はない。部活動が始まりそうな時間だが、この場所を目指してくる生徒も特に見当たらないまま。
「ど、どうしよう……」
初めての場所、慣れない経験、そこからくる緊張感が、全て悪い方向に作用しているように感じる。
統治からの言付けをど忘れして、メモも落として……目的地だと思っていた場所には盛大に裏切られて。
いつも……肝心なところで失敗してしまう。
動かなきゃ。
ここにいつまでもとどまるわけにはいかない。仕事中なのだから。
でも……どこに向かえばいい?
何を、目指せばいい?
諦めて、仕事中の統治に連絡を取る?
多少……迷惑をかけてしまうことになるけれど、きっと、助けてくれるから。
――本当に、それでいいの?
その問いかけに、瑞希は心の中で首を横に振った。そして、一度深呼吸をした後……ガラスにうっすら写り込んだ自分の顔を見据える。
自分に出来ることが、まだ、残っている気がした。
大丈夫、大丈夫……自分に言い聞かせて、一度だけ頷いて腕時計へと視線を落とす。
現在時刻は、15時20分を過ぎたところだ。15時30分には打ち合わせも終わっているはずだから、埒が明かなかったら30分過ぎに統治へ連絡をとって指示を仰ごう。そう、自分の中でルールを決める。
諦めない、けれど……自分のエゴで迷惑をかけない。そのための境界線だ。
「よしっ……!!」
目標を定めた瑞希は、とりあえず一度事務室へ戻って情報を集めようと踵を返した。次の瞬間――
「――あれ、えっと……やっぱり!! 政宗さんの部下さんじゃないですか!!」
廊下中に響き渡る声には、聞き慣れた名前が混じっていた。瑞希がビクリと両肩を震わせた後、恐る恐る声の主を探すと……廊下の奥から瑞希の方へ近づいてくる人影が2つある。
そして瑞希もまた、彼らが誰なのかを瞬時に理解した。
「えっと……そうだ!! 島田君と、阿部さん!!」
歩いてきたのは、制服姿の島田勝利と阿部倫子だった。よく考えなくてもこの中学校の生徒なので鉢合わせになるのはある意味当たり前でもある。2人とは7月の植樹祭で初めて出会い、倫子とは『仙台支局』でも顔を合わせる機会があった。もっとも、こんなに都合よく見つけてもらえるとは思わなかったけれど。
瑞希が困っていることにいち早く気付いた倫子が足を速め、瑞希の前で軽く頭を下げる。
そして、今の瑞希が最もかけて欲しい言葉を口にした。
「こんにちは。どうかなさったんですか?」
「あ、えっと……その……書類を届けなきゃいけなくて……!!」
地獄に仏、そう思った瑞希が必死に目的を説明すると、倫子は「そうですか……」と言葉を区切り、人の居ないパソコン室を見やる。そして、隣にいる勝利へと声をかけた。
「島田君、私達よりもパソコン部のことを分かっている人を連れてきてくれないかしら。多分、まだ教室にいると思うのだけど……」
「パソコン部を分かってる人……部長の飯田君のこと?」
勝利の答えに倫子は「間違いじゃないんだけどね……」と、苦笑いを浮かべて首を横に振る。そして、別の少年の名前を口にした。
そして――約2分後。
「……何すか。俺、今日は陸上部なんすけど」
ジャージ姿の森環が、勝利に引きずられるようにして合流した。相変わらず表情から感情を読み取れない環だが、視界の中に瑞希を見つけた瞬間、目元をピクリと動かした……ような気がする。
環の襟首を引きずってきた勝利が、廊下を両足で踏みしめて朗々と言い放った。
「森君!! 人助けだよ!!」
「はぁ……だから俺部活が……」
「困ってる人がいるんだよ!? 政宗さんだったら絶対に助けてるよ!?」
「俺、政宗さんじゃないっす」
淡々と言い返す環に、倫子が事情を話し始めた。
「森君、支倉さんはパソコン部の先生宛に、名杙先生の書類を持ってきたんですって。でも、森くんが陸上部ってことは……今日は、パソコン部はお休みなの?」
「そうっすね。サーバーの保守点検が入るらしいっす」
「パソコン部の顧問は神田先生だったわよね。職員室にいらっしゃるかしら……」
……という会話を聞いている瑞希の脳裏に、唐突に、統治の声が響いてくる。
――その書類は、俺が部活時のみの臨時講師として10月以降も関わることが明記された契約書です。そのため、渡す相手はパソコン部の神田先生。今日はパソコンの保守点検でパソコン室には入れないので気をつけて。恐らく、職員室にいらっしゃると思います――
「あぁぁっ!!」
唐突に大声を出した瑞希を、中学生3人が目を丸くして見つめるのだった。
その後、『神田先生』と特に面識のある環の案内で、瑞希は無事にミッションを達成することが出来た。
「も、森君、本当にありがとうございましたっ……!!」
盛大に頭を下げる瑞希が周囲から注目を集めてしまい、環は若干の面倒臭さを感じつつ……ペコリと軽く会釈をする。
「別にいいっすよ。俺も一応、パソコン部なんで」
「そ、そうですね。でも……」
彼の言葉に瑞希は口ごもると……顔を上げ、苦笑いで頬をかいた。
助けてもらうのは、これが初めてではない。
祖母の駄菓子屋で発生した万引少女を捕まえた時、そして……。
「森君にはいつも助けてもらっているから……今度、本当にちゃんとお礼しないと駄目だね。って、私本当に口ばっかりだなぁ……」
「……」
瑞希の言葉に、環はしばし思案した後……表情は特に変えず、ただ、ほんの少しだけ口角を持ち上げて、こんな提案をする。
「じゃあ……俺の誕生日、ラムネおごってください」
「へっ!?」
予想外の申し出に、瑞希は思わず目を見開いた。そして、彼の言葉が嘘ではないことを表情で悟り……首を何度も縦に動かす。
「た、誕生日ですね!! 分かりました……って、森くんの誕生日はいつなんですか?」
「9月17日っす」
「そうなの!? も、もうすぐなんだ……わ、分かりました!! 当日は……確か平日だったと思うんですけど、その前後で絶対に!!」
自分に言い聞かせるように強く反芻した瑞希に、環は「間違いない」と言わんばかりにコクリと頷いた。
「じゃあ俺、部活なんで」
「そ、そうだった!! ごめんなさい引き止めちゃって……が、頑張ってくださいね!!」
瑞希の言葉にコクリと頷いた環は、踵を返して昇降口がある方へと移動していった。そんな背中を見送った後……瑞希もまた踵を返して、靴を置いている正面玄関を目指す。
初めての場所で、何とか仕事を1件終わらせたら……未来への約束が生まれた。
これも『縁』の仕業なのか、単なる偶然の積み重ねなのかは、多分一生分からないけれど。
ただ……今は、嬉しい予感で胸がいっぱいだ。
「遅くなる前に戻らなきゃ……!!」
靴を外靴に履き替えた瑞希は、扉の外を目指して歩き始める。
彼女の今日の仕事は……まだ、これで終わりではないのだから。




