2020年涼子生誕祭小話:あの日、泣いていた私へ
2020年の涼子誕生日は、彼女と万吏にとって大切な出来事をいくつか切り取ってみました。長い付き合いの2人には、どんな思い出があるのでしょうか。
■主な登場人物:涼子、万吏
とある平日の、時刻は間もなく18時。茂庭涼子は、ダイニングテーブルの上に複数の写真を並べていた。
夫である茂庭万吏はまだ帰宅しておらず、部屋には彼女一人だけ。今日は花屋の仕事が休みだったので、朝から家事をしたり、実家での用事を済ませたところで……あっという間に夕方になってしまった。
そして、夕方になって、今日の自分が何を優先しなければならなかったのかを思い出したのだ。
「どれがいいのかなぁ……」
テーブルに並んでいるのは、子どもの頃から最近までの写真。一人でうつっているもの、家族との1枚、友人とのワンシーン……どれも大切な思い出だ。
涼子は今、自身の結婚披露宴のスライドショーで使う写真を選んでいた。今日中に何枚か決めて万吏に渡さなければならない。後は彼のツテで業者が動画に仕上げてくれて、当日に上映される……らしい。
「子どもの頃の写真とかも入れなきゃ駄目、だよね……」
正直、自分の幼少期を大多数の人に見られるのは恥ずかしいが、自分で選んだ祝い事なのだからしょうがない。今日、実家に行ったのも、過去の頃の写真をピックアップするためだ。
「高校の制服……懐かしいな」
友人と並んでいる自分の姿に思わず目を細め、結婚式で再会出来ることに嬉しくなる。幸運なことに、この写真に写っている高校時代の友人はみな、あの災害で命を落とすことはなかった。彼女たちと久しぶりに時間を作り、結婚式の招待状を渡した時も、とても喜んでくれて……「あのイケメンと結婚するんでしょう?」と、ニヤニヤしながら尋ねられたのは、そう遠い昔のことではない。
「みんな……なんで万ちゃんのこと知ってたのかな……」
涼子と万吏は幼馴染とはいえ、学年が異なる。中学・高校・大学は期間が一切重ならなかったので、一時的に距離をとっていたこともあるというのに。
「……そういえば……」
理由を思案していた涼子は、ふと……過去の出来事を思い返していた。
「……やっぱり降ってるよね……」
石巻駅の出入り口で、制服姿の支倉涼子は苦笑いと一緒にため息を付いた。
時刻は19時前、彼女と同じ学生服の学生や仕事終わりのサラリーマン、OLなどが、手に持った傘をさして次々と駅を後にしていく。
本来であれば彼女も、カバンの中に折りたたみ傘を常備しているのだ。ただし今日は今から1時間ほど前、学校の最寄駅で、より遠方に――涼子とは反対の仙台方向へ帰る友人へかしてしまったのだ。「あの雲の流れだと、石巻は多分やんでると思うから」という、とても曖昧な理由で。
しかし、雨雲は石巻から去っていなかった。彼女の自宅まではここから徒歩で10分程度、家族に迎えに来てもらうような距離でもない。
「……自業自得、だよね」
涼子はもう一度ため息をついてから、雨が降り続く街中へ飛び出していった。
歩き始めて3分程度、途中に軒先を見つけては休憩しているけれど、体が随分冷えてきた。
「……早く帰らないと、風邪引いちゃうかもしれないな」
秋の夜、雨は思っていたよりずっと冷たかった。これなら意地を張らないで迎えに来てもらえば良かった……自分の浅はかな判断に、思わず泣きそうになり、唇を噛みしめる。
これからは軒先のある商店もなくなるので、休憩なしで走って帰ろうか……薄暗い住宅街を見据え、涼子が意を決して走り出そうとした瞬間――
「――スズ?」
後ろから話しかけられ、思わずビクリと両肩がすくんでしまった。
恐る恐る振り返ると、視線の先には傘をさしてこちらを見ている茂庭万吏の姿がある。
「万ちゃん……」
久しぶりの再会に、思わず頬が緩んだ。万吏は涼子が傘を持っていないことに気が付き、足早に近づいてくる。
「ったく……天気予報は1日雨だったろうが。どうして傘を持ってないんだ?」
そう言って万吏は、彼女の頭上に傘をさした。涼子は髪についた水滴を払い落としながら、申し訳なさそうに彼を見上げる。
万吏はいつの間にか、涼子がすっかり見上げるくらいの背丈になっていた。
前に一緒に過ごしていた時は……少し見上げるだけで、笑顔が近くにあったのに。
そして、スーツ姿は社会人の印。
少し遠くなってしまった……そんな、どこか寂しい気分になってしまう。
涼子は笑顔を作り、首を横に振った。
「このままだと万ちゃんが濡れちゃうよ、私なら大丈夫だから」
そんな涼子に呆れ顔を向ける万吏は……ため息をついて、こう、言い返した。
「大丈夫なわけないだろうが。それに、スズが俺の立場なら、ここで見過ごして「あぁそうですか」って帰るのか?」
「それは……」
「……スズは絶対、そんなことしないだろ? そんなこと、俺が一番よく知ってるっつーの」
そう言って、彼が笑顔を向ける。
何も変わっていなかった。
背丈が伸びて、スーツを着て、一緒に過ごす時間が減ってしまっても。
子どもの頃から、涼子がずっと――すっと好きな彼が、確かに今、隣にいてくれる。
それだけで、心が暖かくなった。
涼子はもう一度体の水滴を軽く払い落とし、彼に一歩、自分から近づいた。
このまま自分が離れたままだと万吏の傘は彼女しか守ってくれない。万吏が濡れることになってしまうから。
「……じゃあ、お世話になろうかな。ありがとね、万ちゃん」
「そうそう、それでいいんだよ」
万吏が満足そうに頷いて、2人並んで同じ方向を向いて歩きだす。
「しかし……スズがこんな天気に傘を持ってないなんて珍しいな。そんなドジをするのはミズだろ?」
「そんなこと聞いたら、あの子……泣いちゃうよ」
そんな他愛もないことを話せる時間が、涼子はとても嬉しくて。
月並みだけど、こんな時間がずっと続けばいい……なんてことを願いながら、彼に歩幅を合わせる。
その翌日……その様子を目撃していた同郷のクラスメートから、詳細を散々聞かれたことを思い出した。
「そうだった……」
涼子は一人赤面しながら、久しぶりに会っても変わっていなかった万吏に、思わずため息をつく。
「本当に……私なんかでいいのかな……」
万吏のスペックを考えると、自分は釣り合っていない……そう思うことがあるのは否定しない。ただ、それを彼の前で口にだぜば、遠回しに彼を否定していることになってしまうので口には出さないけれど。
涼子は一度息を吐いて気持ちを切り替え、再び、写真の選定に取り掛かった。手元に重ねたものを1枚ずつめくっていき、使うか使わないかを決めていく。写真の中の自分は段々幼くなっていき、たまに一緒に写っている妹の瑞希を見つけると、自然と頬が緩んだ。
「懐かしいなぁ……」
『使う』、『とりあえず保留』、『使わない』の3つに分けながら写真を見ていくと……ある1枚の前で、涼子の手がとまる。
「この子……『みりん』……!?」
その写真の中にいたのは……幼い涼子と瑞希、そして、涼子の膝にのっている猫。
彼女が生まれてはじめて、『死』を経験した相手でもあった。
涼子の祖母がかつて――あの災害が発生するまで、半ば趣味で営業している駄菓子屋さん。
その店先で子どもたちに愛想をふりまく……ことはあまりなく、マイペースにのんびりと過ごしていた一匹の猫がいた。
それは以前、小学生だった涼子が拾ってきて……どうしてもと頼み込み、祖父母と一緒に面倒を見てきた猫だ。
名前は『みりん』。名付け親は祖母だ。丁度その時、切らしていた調味料らしい。
店の前でマイペースに振る舞うその猫は、またたく間に子どもたちの人気者になった。万吏もまた、部活の終わりに店へ立ち寄っては、「ようみりん、元気か?」なんて言いながら撫でていてものだ。
その猫が死んだ。病気だったらしい。涼子は獣医に懇願したが、もう手遅れだと言われて何も出来なかった。
最後は食事を満足に食べることも出来なかった猫は、最期はふらりとケージからいなくなって……庭の片隅で丸くなり、動かなくなっていた。
一緒にいられた時間は、わずか2年ほど。だからこそ、どうしてこんなに早く……という思いが消えない。
「おねえちゃ……っ……!!」
遅れてやって来てその事実を認識した妹の瑞希が、目に大粒の涙を浮かべる。
そんな妹の背中をさすりながら……涼子は静かに引き返すと、両親を呼ぶために自宅へ戻った。
埋葬を終えた翌日、月曜日の午後3時過ぎ。
小学校から帰ってきた涼子は、いつも通り、祖母の店に向かって――
「あ……」
いつもの場所に猫がいないことを思い出し、店の中に入れなかった。
中にいた子どもたちが、入ってこない彼女を見て、訝しげな表情と向ける。
泣いちゃいけない。
私はお姉ちゃんだから。
泣いちゃいけない。
私は――私が笑顔でいないと、みんなが泣いちゃうから。
涼子は愛想笑いを浮かべて軽く手を振ると、その場から離れて自宅への道を疾走した。
泣かない。
泣かない。
泣いたって……あの子は、もう――
「うわっ!?」
「あっ!!」
前方をきちんと見ていなかった涼子は、突然現れた人影に驚き、慌てて立ち止まる。
「ご、ごめんなさい!! ちゃんと前を見てなくて――」
「――あ、スズ。良かった、探してたんだ」
聞き覚えのあるその声に、涼子は顔を上げて……。
「万ちゃん……」
見知った顔の彼の名を呼ぶ。そこにいたのは、中学の制服を来た万吏だった。部活終わりにしては、いつもより早い時間だ。
涼子は気が緩んで泣きそうになった気持ちを、慌てて引き締める。
「万ちゃん、どうしたの? 探してたって……私を?」
心当たりがないので首を傾げる涼子に、万吏は少し言いにくそうに口ごもった後……。
「あのさ、みりん……死んだんだろ?」
「え、あ……うん、そうだね、一昨日……」
まさかその話だとは思わず、涼子は表情を強張らせた後……苦笑いを浮かべる。
泣かない。
泣いたって……もう、あの子は戻ってこない。
二人の間に微妙な空気が流れた後、万吏は彼女を見つめて、こんなことを言う。
「その……もしも墓とかあったら、これ……」
そう言って彼がポケットから取り出したのは、みりんが大好きだった猫の缶詰だった。
「これ……」
「アイツ、好きだっただろ? もしも墓とかあったら供えてやって――」
刹那、万吏は目の前の涼子が涙を流していることに気付き、軽く息をのんだあと……持っていた猫缶を一度、自分のポケットに片付けた。
そして涼子の目尻に浮かぶ涙を指で拭うと、彼女を諌めるように、ゆっくりと声をかける。
「我慢してただろ、スズ」
万吏には涼子が自分の感情を押し殺していることがすぐに分かった。
図星をつかれた涼子が、両手を胸の前で握りしめて言葉を絞り出す。
「だ、だって……私が泣いたら、ミズがもっと……それに、泣いたって……」
「泣いたって?」
「泣いたって……みりんは戻ってこないから!!」
分かっていた。
どれだけ泣いたって、あの猫は――みりんは、涼子の膝に戻ってこない。
嘆いても、後悔しても……もう、二度と会えないのだから。
珍しく大きな声を出した涼子を見た万吏は、その口元に優しい笑みを浮かべると……ポケットから改めて、猫缶を取り出した。
「戻ってこないからって、スズがずっと我慢して、キツそうな顔してると……アイツ、いつまでたっても成仏出来ないぞ」
「私、そんな顔……」
「してるよ。鏡、持ってきてやろうか?」
どこか意地悪に囁く万吏に、涼子は首を横にふる。
万吏はそんな彼女の両手に猫缶をおしつけて、まだ躊躇っている彼女の背中を押す。
「スズの笑ってる顔は好きだけど、無理してまで笑ってる顔は好きじゃない。だから……また自然に笑えるようになるまで笑わなくていいよ。今のスズは……どうしたい?」
「今は……」
今の自分は、どうしたいのか。
周囲の状況を気にしないで、他人の目を気にしないで、どうしたいのか。
心にそっと尋ねてみると、答えはすぐに帰ってきた。
万吏に尋ねられ、涼子は自然と……涙を流す。
「今は……泣きたい」
大好きだったみりんを思って、涙を流したい。
そんな彼女の手を握った万吏は、一度、優しい顔で頷いた。
「分かった。ちゃんと教えてくれてありがとな、スズ」
彼はいつだって、自分に寄り添ってくれて。
その時の自分に、一番欲しい言葉をくれる。
「……万ちゃんは、変わらないね」
彼の名前を口にすると、心が優しくなった。そして、仮に自分が彼と釣り合っていなかったとしても……自分が彼と一緒にいたいのだと改めて思う。
涼子は改めて写真を見下ろすと、中にいる彼女達へ、近況を報告した。
「あのね、私……万ちゃんのお嫁さんになるんだよ」
実は万吏と涼子に関する短編は、公開していないものの方が多いんじゃないかってくらい書いた時期があるので……今回、それらをつなぎ合わせてみました。猫の名前は霧原が実際に買わなければならなかったものです。(ドキュメンタリー)
と、いうわけで(?)イラストもあるんです!! 今回は、ボイスドラマで涼子役をお願いしている狛原ひのさんが描いてくれました。絵が先だったのか文字が先立ったのかも忘れましたが(ヲイ)、この万吏の意思の強そうな瞳と戸惑う涼子(学生)が、当時の2人の関係性やそれぞれへの思いがはっきり見えるので最高でございます。ありがとうございます……!!
涼子、誕生日おめでとう!! これからも仙台の人妻担当でいてね……!!←?




