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エンコサイヨウ・外伝集  作者: 霧原菜穂
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2019年瑠璃子生誕祭小話:馴れ初め編:馴れ初め⑥/忘却の焼きカレー

 馴れ初め編第6弾は、福岡県北九州市編です。勿論これはフィクションなので、実際の北九州はこんなに物騒じゃありません!! 

 あと、霧原の別作品をご存知の方であれば、ちょっと気になる名前が出てくる……かも。(笑)


■主な登場人物:瑠璃子、一誠、双葉

 徳永瑠璃子が、川上一誠と一緒に、北九州行きを告示されてから……約1ヶ月後の4月上旬。

「これ、で……とりあえず生活は出来るねー」

 家具付きのマンスリーマンションに洋服や雑貨を運び込んだ瑠璃子は、リビングの戸口からはみ出したダンボールを足で蹴りながら……腕を組んで息を吐いた。

 玄関から廊下を進み、扉を抜けた先にあるワンルーム。バスとトイレは別だが、キッチンは寝室を兼ねたこのリビングと同じ空間にあるため、料理によってはニオイを気にしなければならないだろう。

「まぁ、前の部屋もそげんやったけんねー……」

 熊本での仮住まいを思い出し、まぁ何とかなるだろうと楽観視する。そして……備え付けのレースのカーテンを開けると、窓の外を見つめた。

 当然のように、見慣れない景色が広がる。この地で待っている仕事は概要を聞いただけでも相当に厄介で……だからこそ自分たちに白羽の矢が立ったのであれば、福岡支局の一員として、しっかり仕事をしてから戻りたい。


 北九州に支局を作るようになった経緯(いきさつ)は――屈強な男たち(ヤクザ)の権力闘争が勃発したからだ。


 工業の街として戦後に発展してきた北九州は、仕事を求めて、色々なところから色々な人がやって来た。国営の製鉄所があったことも後押しとなり、福岡市と競える大都市として、目覚ましい発展を遂げてきたのだ。

 一方、北九州地域の右下にある筑豊(ちくほう)地域は、石炭業が盛んな土地柄で……一代で莫大な富を築いた人物が、石炭を売り込むために、北九州へと出入りするようになっていた。

 それぞれの場所で、それぞれに動いている間は平和だった。けれど……石炭の需要が減り、製鉄業も以前ほど振るわなくなってくると……利益を生み出すために、互いの領域へと時に土足で干渉するようになる。

 そして――それぞれの利害が激しく衝突した結果、街の片隅で荒くれ者が物騒な抗争を繰り広げるような……そんな街になろうとしていた。


 福岡県と北九州市の連名で福岡支局へ相談が入ったのは、昨年末のこと。

 正直、麻里子としては関わりたくなかったのだが……名雲本家が介入してきたのだ。行政とのパイプを強くしておきたいことが見て取れる。面倒事にため息をつく麻里子へ、名雲はこう、話を続けだした。



 支局長となる人物は、本家筋から排出する――そんな条件をつけて。



 そして――『北九州支局』正式稼働から約半年後の、秋。時刻は間もなく14時になろうとしている。

 市内を縦断しているモノレールの『平和通り(へいわどおり)駅』からほど近い場所にある、築40年ほどの8階建てオフィスビルの一角にて。

 規模が小さく、こじんまりした室内には……4人分の仕事机とコピー機やキャビネットなどのオフィス用具、そして、応接用のソファが2脚と机が1つ、という、必要最低限の設備で構成されている。、

 瑠璃子が一人で事務所内の留守を守っていると……鍵が開く音がして、パンプスの足音が部屋の中に入ってきた。


「――戻りました」


 鈴のように澄んだ声と共に瑠璃子がいる方へ歩いてきたのは、髪の短い女性だった。スッとした佇まいと切れ長の眼差し、白い肌と整ったパーツは、まるで日本人形のよう。

 黒いパンツスーツ姿が様になっている立ち姿は、育ちの良さを連想させた。

 瑠璃子は事務仕事の手を止めて立ち上がると、荷物を自席の椅子においた彼女へ笑顔を向ける。

「お帰りなさい、名雲支局長」

「瑠璃子さん、お疲れ様です。特に変わりはありませんでしたか?」

「はい。北九州は今日も平和ですよー」

 こう言ってコーヒーを用意する瑠璃子は、どこか安堵した表情の彼女を横目で見やり……本当にこんなこともあるんだな、と、彼女の能力の強さに舌を巻いていた。


 瑠璃子から『名雲支局長』と呼ばれた女性の名前は、名雲双葉。年齢は23歳。今年の春から『北九州支局』の支局長に就任した女性だ。

 彼女の実家は、西日本良縁協会を統括する名雲家。双葉は現当主の孫にあたり、次期当主の継承順は8番目に格付けされているものの、結婚して家を出ていく可能性が高い――要するに女性ということもあって、この順番はあってないようなものだ。

 名雲としても動かしやすいし、彼女の稀有な能力を考えると、少しでも遠くへ置いておきたかったというところだろう。


「名雲支局長、そういえば……小笠原さんはどうしたんですかー?」

 彼女の席へコーヒーを置いた瑠璃子が、彼女と行動を共にしているはずの男性の姿を探すと……双葉は未見にシワを寄せて、苦々しく吐き捨てる。

「……魚町銀天街(うおまちぎんてんがい)(北九州の商店街)に用事があるそうです。客寄せをしている派手な女性に対して、楽しそうに手を振っていらっしゃいましたわ」

「あー……そ、そうですか。今日は15時から先方との打ち合わせなので、一誠がピックアップするように連絡しておきますねー」

「お手数をおかけします……全く……」

 双葉は盛大に溜息をつくと、コーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れて飲み始めた。瑠璃子は席に戻って携帯電話を手に取ると、外に出ている川上一誠へメールを入れておく。

 程なくして作業を終えた瑠璃子は、携帯電話を机の端に戻すと……仕事をサボっている彼の、この時間の扱いをどうしようかと……一人で思案するのだった。


 そして――15時まであと5分となった頃。

 職員が戻ってこないことにおかんむりの双葉をなだめすかし、一誠へ5回ほどワンギリをしておいた瑠璃子は、とりあえず5人分の飲み物とお茶菓子を用意して、その時を待つ。

 今日はこれから、行政側の担当者との打ち合わせだった。彼もそのことは承知しているはずだし、それこそ瑠璃子が朝の時点で5回ほど、双葉が20回ほどしつこくしつこく念入りに伝えている。

 行政側の担当者は一人、県職員として働いているとても穏やかな男性だが……流石にこちらが揃っていないのは体裁が悪すぎるのだ。

「一誠……はよ捕まえてこんね……」

 特に何も悪くない一誠へボソリと恨み言を呟いた次の瞬間、ドスドスという足音と共に扉が乱暴に開く。そして――


「――どーもお疲れ様ー。新谷さんも連れてきたぜー」


 扉が外れそうな勢いで豪快に登場した巨漢の男性は、スーツ姿の男性と一緒に『北九州支局』へ戻ってきた。

 白いワイシャツとグレーのスラックスという服装だが、襟の隙間からはシルバーアクセサリーが見え隠れしており、髪の毛は金に近い茶髪。最初は腰の下ではいていたズボンは、双葉が彼のだらしなさにガチギレしたため……しっかり履くようになったというエピソードがある。隣のスーツ姿の男性がどこまでも清楚な立ち姿なので、凄まじい対比になっていることに違いなかった。

 それを見た瑠璃子が「あっちゃー」と思った次の瞬間――双葉が静かに彼らへ近づくと、『新谷さん』と呼ばれていたスーツ姿の男性へ、笑顔で会釈した。そして彼に椅子へ座るよう促した後、瑠璃子へお茶の用意を指示する。そして……。

小笠原忠(おがさわらただし)さん、少しよろしいですか?」

 先程から話題に上がっていた問題の彼――忠を静かに呼びつけると、有無を言わさず事務スペースの方へ連行した。双葉と入れ替わるようにテーブルの前で現れた瑠璃子が、穏やか~な笑顔でコーヒーとお菓子を配膳していく。

「どうもお騒がせしてます~。新谷さん、コーヒーで大丈夫ですよねー?」

「はい。ありがとうございます」

 持っていたカバンを小脇に置いた彼は、瑠璃子へ向けて100点満点の笑みを返した。

 彼は県職員にしておくには勿体ないほど整った顔立ちで、物腰も柔らかいため……既婚者となった今でも、女性から声をかけ続けられるらしい。現に瑠璃子も彼のことは純粋にかっこいいと思うし、キャーキャー言いたくなる女性の気持ちは分かる。分かるだけで実際にときめいたことはないけれど。

 瑠璃子はこの場に居ない一誠に内心でため息をつきつつ、空になったお盆を持って立ち上がった。そして「少しお待ちくださいねー」と声をかけて、自分も一旦裏に戻る。

 事務所側では……双葉が自分より一回りほど大きい印象すらある忠を臆することなく睨みつけ、低音で静かに最後通告(今月4度目)をしていた。

「……今までどこをほっつき歩いていらっしゃいましたの?」

「え? 双葉ちゃんには言ったじゃん。銀天街で人助けとしてビラ配りを――」

「――今は勤務時間中です。最近の小笠原さんは特に物忘れが激しいようですので再度申し上げますが、これ以上勤務態度に問題があるようならば、上申した上で『切る』……くれぐれもお忘れなきようお願いいたします」

 双葉の声のトーンでそれが単なる脅しではないことを悟った彼は、目を泳がせながら一度だけ首肯した。

「……ヘイヘイ。相変わらずおっかねぇなぁ……」

「当たり前でしょう。全く……」

 盛大に溜息をついた双葉が、瑠璃子からの視線に気づいた。そして、姿勢を正して足を進め、瑠璃子と入れ違いに打ち合わせの席へと向かう。

 瑠璃子は忠へ近づくと、彼を見上げて苦笑いを浮かべた。

 確かに彼は、『縁故』ではない。むしろ将来的なお得意様になる可能性がある人物だ。だから、出向しているという立場で、多少のことは目をつむって見ないふりをしてきたけれど……最近はちょっと、目に余る事も多い。

 その都度本人に注意しているが、どこ吹く風だ。すぐに忘れてしまい、豪快に笑い飛ばしてしまう。

 瑠璃子は初任地でこの相棒と組ませられた双葉に心底同情しつつ……笑顔を崩さずに苦言を呈した。

「小笠原さーん、時間内での勝手な行動は、減給対象ですよー」

「瑠璃子ちゃんも厳しいねぇ……」

「私達の長が、そういう方針なんですよー。今日は1時間分引いておきますー。にしても……最近頻繁じゃないですか? 何か……ありました?」

 こう言って声を潜める瑠璃子に、忠は苦笑いで頬をかいた。

「何もないことで、退屈する輩がいるんだよ。そういう奴らを黙らせるのが……俺の仕事だからな」


 彼――小笠原忠は、北九州で製造業をしている家に生まれた。年齢は今年で31歳になる。

 しかし、それは表向きの姿。実際は……北九州北部を縄張りにしている荒くれ者の集まりである。

 彼らは地域の安全を守る代わりに、仕事を請け負ってきた。これで全て上手く行っていたし、これからもその体制が続くと思っていた矢先、他の家と縄張り争いが勃発したのだ。

 このままでは、自分たちも警察に捕まってしまうし……家族や仲間を守れなくなる。

 事態を重く見た彼の祖父が、かねてより親交のあった(・・・・・・)名雲本家筋へ相談したところ、丁度、行政側から対応をして欲しいという話が出ていることを知った。

 そこで――地元企業として協力しましょう、という名目で、忠が送り込まれてきたのである。

 彼は同業者を見分けることが出来るし、腕っぷしも強い。小倉であれば顔もきくことから選ばれたのだが……大人達の真の目的は、少し違うところにもあった。


 忠から話を聞いた瑠璃子は、「そういえば……」とあることを思い出す。

「小笠原さん、一誠知りませんかー? 小笠原さんを連れてきてって連絡したんですけど……」

「一誠君? そういえば商店街で声をかけられた気もするけど……彼こそサボってるんじゃないのー?」

 そう言ってニヤニヤと笑みを浮かべる忠へ、瑠璃子は「ハイハイ、小笠原さんも向こうに行ってくださいねー」と彼を打ち合わせの場へ押し戻してから……自席に戻り、携帯電話を手にとった。

 一誠が、何の連絡もなく勝手な行動をするとは思えない。何か連絡が来ていないかとソワソワしてしまうが……携帯電話には何の通知も届いていなかった。

「……」

 妙な胸騒ぎを感じる。確信はないけれど何かが起こっている……そんな、言いようのない不安。

 瑠璃子は瞬きをして視界を切り替えると、『縁』が視える状態にした。そして、一誠と繋がっている紫色の『関係縁』を見つけると、それを握って……彼の居所を探す。

「……近い、かな……」

 感覚としては、そう遠くない場所にいる気配だ。後はもうこの『関係縁』を辿って、彼を探すしかない。

 とはいえ、現在は大切な打ち合わせ中だ。双葉や忠のサポートとして北九州にいるのだから、瑠璃子が同席すべきなのは違いない。

「……」

 瑠璃子はしばし思案した後……今は、北九州支局の職員として、組織の体裁を守ることを選んだ。

 『関係縁』が繋がっているから生きているだろう、そんな気休めを自分に言い聞かせて。


 そして、30分ほどで打ち合わせは終了。客人が荷物をまとめて退室したことを見送った瑠璃子は、机の上のコップを片付けながら……結局戻ってこなかった一誠に、少しだけ不信感を抱き始めていた。

 自分へも事務所へも一切連絡をせず、彼はどこへ行ってしまったのか。

 何か厄介事に巻き込まれた? でも、双葉が来てから北九州は大人しくなった。それこそ、先程の客人が「たった半年で、小競り合いの件数が目に見えて減っています。凄いですね……」と、眼鏡の奥の瞳を丸くしながら称賛してくれるくらいに。


 ――何もないことで、退屈する輩がいるんだよ。そういう奴らを黙らせるのが……俺の仕事だからな。


 先程、忠から聞いた話が脳裏をかすめる。まさか、生きた人間との厄介事に巻き込まれている?

 最悪の場合、相手との『関係縁』を切ることが出来れば勝機はあるが、例えば両腕が拘束されていれば、それも難しくなる。

「一誠……どこ行ったとやか……」

 瑠璃子がボソリと呟いた一言は、机の上にある書類を取りに来た双葉にも聞こえていた。彼女もまた、壁にかかった時計をみやり……心配そうに頬に手を当てる。

「一誠さんがここまで無断で出払っているなんて、珍しいですね。小笠原さんじゃあるまいし……」

「ちょっとちょっと双葉ちゃん、今、聞き捨てならないことを言ったんじゃねぇのー?」

 次の瞬間、忠が2人の間に割って入ってきた。そして、反論しようとして……はた、と、口ごもる。

「あ……」

 彼の口から漏れた声は、忘れていたことを思い出したときのものだ。2人からの視線――特に双葉からの冷たい視線を向けられた忠は、何とか苦笑いでその場を誤魔化そうと画策しつつ……やがて観念して白状する。

「その……あれだ。一誠君、俺の身代わりにしたんだった……」


 その後、瑠璃子は忠に教えてもらった場所へ――魚町銀天街へと足を運んだ。

 北九州市の中心部にあるこの商店街は、アーケード商店街の発祥の地でもある。モノレールと平行に伸びる商店街には多様な店舗が軒を連ねており、各々が目的地を目指して歩いていた。

 天神にある新天町を連想させるような、どこか落ち着く雰囲気。瑠璃子も最近歩き慣れてきた道を進んでいると……小倉駅の方から歩いてきた、彼の姿を見つける。

「一誠……!!」

 瑠璃子が小走りで彼に近づくと、一誠はとても疲れた表情で軽く手を上げた。そして。

「……瑠璃子……お疲れさん……」

 疲労の色が濃い彼の隣に立ち、支えられないかと思案する。一誠はそんな彼女の気持ちを受け取って自力で立ち直すと、大きなため息をついた。

 そして――普段より鋭い瞳で、彼を探す。

「小笠原さん……今、どこにおるとか……マジで勘弁して欲しいんだけどな……!!」

「ちょっと一誠、大丈夫なん? どっかで休む?」

「……よか。事務所戻るぞ、瑠璃子」

 瑠璃子の申し出を断った一誠は、怒りのオーラを身にまといながら、鬼神の迫力で事務所への道を歩き始めた。

 とりあえず彼の意思を尊重するために瑠璃子も隣を歩きつつ……これからやって来る修羅場に、少しだけ、頭が痛くなる。


 そして――


「小笠原さん!! 人に自分が請け負ったビラ配り押し付けて一切連絡もしてこないのは無責任じゃありませんか!? 電話しても繋がらないしあの女の店員さんはぜんっぜん解放してくれないし!! 俺の仕事、何も終わってないんですけど!!」

「わ、悪かったって一誠君、そうだ、俺が奢るから紺屋町に飲みに――」

「――行くわけないでしょう!! ふざけるのも大概にしろ!!」


 ……と、忠から雑用を押し付けられて2時間近く放置されていた一誠が、事務所内で近所迷惑を顧みずに怒鳴り散らして。

 結果、忠の本日分の給与は、9割カットされることになったのだった。


「ったく……散々な目にあった……」

 その日の夜、瑠璃子の部屋でビールを飲んでいた一誠が、疲れ切った表情でため息をついた。

 実は2人の部屋は同じウィークリーマンションの隣同士なので、こうしてほぼ毎日、どちらかの部屋で飲んだり食べたりしている。

 瑠璃子は二人分の食事をお盆に乗せて運びながら、「お疲れ様やったねー」と苦笑いを返した。

「小笠原さんを見とると、あげん適当でも生きていけるんやなーって感心するっちゃんねー」

「いや、あれは適当すぎるやろうが……ったく、名雲も何を考えて双葉ちゃんを……」

 今日は特に苛立ちを隠せない一誠を、瑠璃子は「まぁまぁ」となだめつつ……双葉の心労を思い、ため息をつく。


 名雲が双葉を北九州に送った大きな理由は、彼女の持つ稀有な能力にあった。

 名雲家は代々、『縁』を見えなくする能力を持っている。加えて一般人に対して霊的に干渉し、相手の持っている顕在化していない能力を引き出したり、畏敬の念を抱かれて萎縮してしまったりするのだ。

 双葉は、後者の能力が圧倒的に強かった。それこそ、彼女が街を歩いているだけで一般人は潜在的に「彼女には敵わない」と悟り、大人しくなってしまうくらいに。

 その特性故に、名雲では煙たがられていた。彼女の影響力は名雲本家の人間にも伝播するため、彼女が近くにいることで『縁故』としての能力が不安定になる事案が多発したのだ。


 そこで名雲は、双葉を北九州に送り……彼女の特性を生かして、荒くれ者を霊的に制圧することにした。その作戦は今の所順調に成果を上げており、下っ端同士の抗争も少なくなっている。


 そして、名雲としては……小笠原から出向している忠と双葉の縁談を進め、九州での地盤を強めて……福岡で独裁状態の麻里子を牽制したい、という思惑もあった。

 もっとも、あの2人の現状を近くで見ていると……後者が頓挫するのは時間の問題だと思うけれど。


「……って、瑠璃子、これは(なん)か?」

 一誠は瑠璃子が持ってきたグラタン皿を見下ろし、首をかしげる。耐熱皿に入っているのでグラタンかドリアに見えるが、ニオイは完全にカレーだし、上にかかったチーズが溶けていることから、チーズカレーのようにも見える。

 瑠璃子は一誠の前にスプーンを置きながら、本日のメニュー名を告げた。

「焼きカレー。門司港で有名な料理なんよ。門司港も結局行けとらんけん、寒くなる前に行ってみたかねー」

「焼きカレー……要するにカレーライスでよかとか?」

「味はチーズカレーだと思うけど、焼いとるけんが焦げ目がついて美味しくなっとるはずなんよ。やっぱり一度、本場を食べてから研究せんといかんねぇ……いただきます」

 言いながら手を合わせ、瑠璃子はスプーンで耐熱皿の中身をすくった。溶けたチーズが幾重にも細く伸びて、中から湯気が溢れ出してくる。

 口の中をやけどしそうだなーと思いつつ、息をふきかけてパクリと一口。味は当然ながらカレーだ。

「……パン粉、もっとかければよかったかもしれんね……」

 上にふりかけて焦げの風味を出したパン粉、その分量をケチったことに内省していると……一誠は真顔で首を傾げた。

「そうか? 十分うまかぞ?」

「一誠は何食べさせても同じ反応やけんねぇ……」

 瑠璃子はこう言って缶ビールを開けながら……一誠を見やり、苦笑いで言葉を続けた。

「一誠も災難やったね。ビラ配りとか、いい感じのところで切り上げればよかったやんねー」

 瑠璃子の言葉に、一誠はきまりが悪そうな顔で目をそらした。

「しょうがなかやんか……中途半端で逃げるみたいなこと、したくなかったっちゃけんな」

 こう言って焼きカレーを混ぜながら熱を飛ばす一誠に、瑠璃子は「ハイハイ」と言いながら肩をすくめた。

「真面目やねぇ……あ、そうそう。新谷さんとの打ち合わせは無事に終わったけんねー」

「新谷さん……あぁ、県の人か」

「そうそう。今日も相変わらず爽やかなイケメンやったねー」

 こう言ってスプーンを動かす瑠璃子は……一誠が自分をジト目で見ていることに気がついた。

「一誠?」

「瑠璃子は、あげなタイプが好みなんか?」

「……」

 一誠の言葉に、瑠璃子はスプーンを動かす手を止めて……肩をすくめた。

「うーん……私は別に。点と点で会うくらいが丁度いいかなー」

「そ、そうなんか……」

 瑠璃子の答えが意外だったのか、一誠はアツアツの焼きカレーをスプーンに乗せたまま、呆けた顔で頷いて……口に運んだつもりのスプーンを唇にくっつけて一人悶絶していた。

 そんな彼の様子に、思わず笑みが浮かぶ。

「なんね一誠、嫉妬しとるとー?」

 これ幸いとばかりに瑠璃子が畳み掛けると、一誠は決まりが悪そうに視線をそらしたまま……ビールの缶を持って、ボソリと呟いた。

「……そりゃあ……まぁ。するやろうもん、普通……」

「普通、ねぇ……」

 瑠璃子は彼の言葉を意味ありげに反すうすると、カレーで熱くなった口の中をビールでクールダウンした。

 そして、次の言葉を探す一誠を見やり……口角に笑みを浮かべる。

「普通かどうか分からんけど……私は性根が真面目な人がタイプやけん、忘れんでねー」


 瑠璃子が一誠を心配していたことや、大切な打ち合わせを中座してまで探しに行くかどうか、本気で検討したこと。そんなことまで……彼に教えるつもりはない。

 ただ、彼女の『好きの普通』くらいは、教えてあげてもいいかな、と、思ったから。


 彼女の言葉に、一誠は小さく「そうか……」と呟いて、表情を綻ばせる。

 そして、アツアツの焼きカレーを綺麗に食べ終えた。



 その後、瑠璃子は一誠と共に、約1年間、北九州で勤務をして……。

「――はーいっ!! 今日から北九州支局でお世話になりまぁーす、斎藤環南(さいとうかんな)でーすっ★」

 結婚を機に北九州へ引っ越してきた同僚夫婦に業務を引き継ぎ、福岡支局へ戻る運びとなった。

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