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エンコサイヨウ・外伝集  作者: 霧原菜穂
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2019年心愛生誕祭小話:ブラザー・コンフリクト

 2019年の心愛誕生日は、エンコ本編の前半戦も終わったことですし……これまでの名杙兄妹をおさらいしてみました。統治と心愛の今までとこれからをどうぞ!!


主な登場人物:心愛、統治

 名杙心愛の兄・名杙統治は……年の離れた妹である彼女から見ても、性格はさておき、顔立ちなどを含めた外見は整っている、と、思う。

 彼女がどれだけ心の中でそう思ったところで、表立って口に出すことはない。異性かつ年齢が離れていることもあり、彼女の幼少期、一緒に遊ぶことはほとんどなかった。


 ――否、共に過ごすことも、ほとんどなかったように思う。


 統治は生まれた瞬間に、将来が決まっていた。

 そして名杙家の次期当主になるべく英才教育を受け続け、妹の彼女とは別世界を生きていたからだ。

 家業を継ぐために必要な『縁故』としての素質は十分。加えて、心愛に物心が芽生えた頃は、統治本人も今以上に――恐らく、彼の人生で最もプライドが高かった時期であり、幼すぎて話の通じない妹への関心は皆無と言っても過言ではない。


 幼稚園で見かける、同年代の子の『お兄ちゃん』は、弟や妹に対してとても優しいのに。

 どうして心愛の『お兄ちゃん』は、あんなに怖い人なんだろう。


 『お兄ちゃん』なんて、気軽に呼べるような関係ではないけれど、『統治さん』なんて他人行儀な呼び方も出来ない。

 統治は心愛の兄である……いくら交流が希薄でもその事実を変えることは出来ないし、ひねくれをこじらせて『あの人』なんで呼び方をしてしまえば、自分だって周囲から何を言われるか分からない。

 そんな葛藤が心愛の中でせめぎ合い……彼女はいつの間にか、統治のことを『お兄様』と呼ぶようになっていた。

 少し堅いこの表現が、名杙本家という場所では、違和感なく受け入れられると思ったから。

 

 そして――心愛自身に起こった事故のせいで、彼女自身が不安定になった時。

 母親と父親、周囲の大人は、皆、心配してくれたけれど……兄の統治だけは、彼女の前にほとんど顔を見せなかった。

 後になって聞いた話を総合すると、心愛に危機が迫っていた時、統治は福岡で友人の死に目に遭遇していたのだ。身内とはいえ、関わりの薄い妹と、他人だけど、寝食を共にした初めての仲間――彼の中でどちらがよりショックだったのか、想像に難くない。


 お兄様は、心愛のことなんて……好きじゃない(どうでもいい)んだ。


 胸の中に芽生えた想いは、ここから10年近く彼女の中でくすぶることになる。


 その後、心愛は『縁故』の修行から遠ざかっていた。

 幼稚園での一件以来、『痕』を極端に怖がり始めた彼女に対する周囲の期待が、ガクッと下がったから。

 そして、誰も……心愛に対して「『縁故』になれ」と、言わなくなっていたから。

 兄は相変わらず、同年代の友人と一緒に『縁故』としての修練に勤しんでいたこともあり……自分より早く学校に行き、自分より遅く帰ってくる、そんな生活をしていた統治と、家で顔を合わせる機会もなくなっていた。


 『縁故』にならなくても、生きていける。

 でも――本当に、それでいいの?


 兄に追いつけない、背中ばかり見ているだけで……本当に、いいの?


 学校の勉強も、スポーツも、対人関係も、その全てを理想的にこなしてきた彼女にとって、『縁故』や『痕』に対する苦手意識には……唯一ずっと、悔しい思いをさせられてきた。

 けれど、あの件は――悔しい思いだけで克服出来るような、精神論だけで何とかなるようなトラウマではない。


 これまで自分を受け入れてくれていた世界が、急に、手のひらを返して。

 一瞬で世界が敵になった――それを受け入れられる子供など、いるはずがないのだから。


 そんな思いを抱えたまま、問題が未解決のままで小学校を卒業した心愛は、自宅の学区内にある公立の中学校ではなく、電車で通う私立の中学校に進学した。

 名杙本家の子供は中学校から外部の私立高校に通い、高校卒業までをエスカレーター式で過ごす。これは単に、私立の方がセキュリティがしっかりしていることと……何か問題が発生した時、大事になる前に金銭的に解決出来るからだ。

 6年生の時に受け続けた模擬試験では、合格圏内から落ちたことはなかった。とはいえ、やはり受験当日は緊張するし、合格をしたら嬉しい。心愛は統治に合格を自分で報告しようかどうか悩んだが……すぐに諦めた。

 その頃の統治は、立ち上げたばかりの仙台支局を軌道に乗せることばかりを考えており、家に帰ってくるのは終電間近、最低限度の休息を取った後は、すぐに出ていってしまっていたから。


 話をする時間もないし、そもそも……彼は、自分の方を見ていない。

 そう思ったら、わざわざ報告することもバカバカしくなった。


 小学校の卒業式の前日、寝る前に統治の部屋の前を通りかかった心愛は……扉を一瞥して、苦々しく吐き捨てる。

「……バカみたい」

 その言葉が何を、誰を指すのか……それは、当時の彼女にしか分からない。


 簡単に修復できないほど距離が離れてしまっていた社会人と学生の兄妹だが、その関係に転機が訪れたのは……心愛が間もなく中学2年生に進級しようかという、春休みのこと。

 統治が失踪したという報を、両親や周囲が彼女に隠しきれなくなってからだ。


 ――統治さんがいなくなったら、心愛ちゃん、貴女がこの家を守るのよ。

 ――こんな時に怖がっているなんて、それでも名杙当主の娘なの?

 ――本当はずっと、お兄さんよりも優秀だと思っていたんだよ。


 無責任な雑音(他人)が、彼女を囃し立てる。

 望んでいない言葉(期待)が、嫌でも耳に入ってきてしまう。


 初めてだった。

 周囲はいつも、次期当主候補筆頭の兄ばかり見ており、『縁故』としても半人前以下の心愛は、子孫を残すための存在(道具)だった。

 そんな自分に向けられた期待、ここでそれに応えることが出来れば……何か、変わるかも知れない。


 統治が、自分の方を向いてくれるかもしれない。


 そう思ったら、行動せずにいられなかった。

 父親を通じて統治が所属している組織に連絡をして(圧力をかけて)、心愛自身の修練の場を作る。

 統治と共に組織を運営している佐藤政宗という男性は、心愛も自宅で何度かすれ違ったことがあるが……それこそ統治とは正反対の、優しそうで爽やかな男性だった。

 今であれば反対する統治もいないし、自分の背後には名杙本家がついているのだ。政宗自身も雇われの身であるし、無茶なことはされないだろう……そう、高をくくっていたけれど。


 実際、彼女の前に現れた指導教官は――驚くほど合理的だった。


「あのさぁ……やっぱり心愛ちゃんには向いとらんと思うよ」

 オブラートに包むということを知らない物言いで、心愛をバッサリと切り捨てて。


「心愛ちゃんの過去に何があったのか、申し訳ないけど統治からある程度のことは聞いとる。あんな経験をしたっちゃけんが、『痕』に恐怖心を抱くのは当然だと思うけど……『縁故』になりたいと思うんやったら、まずは、その恐怖心を自分で克服してからにせんね。でないと、心愛ちゃん自身が可哀想だよ」

 彼女の弱点を的確に指摘して、冷静に首を横に振っていた。


 福岡から来た女性・山本結果。

 統治と共に研修を受け、常に死と隣り合わせで生きている彼女は、心愛のプライドを容赦なくへし折った。

 そんな彼女の態度に反発しなかったわけではない。実際にムカついたし、それを同僚に愚痴ったりしていたけれど……その同僚が裏切り者だったのだから、自分はつくづく、井の中の蛙だったと思う。


 そんな4月の事変を乗り越えて、統治との関係が良くなるキッカケを掴めた頃……兄に、お見合いの話が舞い込んだのだ。



 4月最終週、祝日で学校が休みだった心愛が、自宅のリビングでおやつの喜久福――とろけるような生地の中に黒餡と抹茶餡などが入った、とても美味しい大福――を食べている時、夕食の買い物から帰ってきた母の愛美(まなみ)が、疲れた表情で入ってきて。

 心愛はテレビから視線をそらして「おかえり」と告げた後、外野から聞いた情報の真意を尋ねる。

「お兄様、お見合いするって本当?」

 愛美はテーブルの上に散らばる新聞やチラシを片付けながら、「そうよ」と首肯した。

「統治ももう、今年で25歳だもの……流石に1回くらいはね」

「面倒くさ……」

 げんなりした表情で呟く心愛へ、愛美もまた、苦笑いで肩をすくめる。

「ここは、そういう家なのよ。でも、今回はお相手もまだまとも(・・・)だと思うから……」

「お母様……」

 思わず本音を呟いた母にジト目を向けると、何かを思い出した愛美が疲れた表情で首を横に振る。

「そう言いたくもなるのよ。20代のお嬢さんならともかく、結婚適齢期を過ぎた40歳の箱入り娘や、バツイチ子持ちの分家筋の娘さんとか……お爺様達がゴリ押ししてくる割には、何かしら問題のありそうな女性からの申し出も多かったの。息子を送り出す親の立場になって欲しいわ……」

 愛美はそう言い残し、まとめた新聞を持ってリビングから出ていった。

 部屋に残された心愛は、残りの大福を口に入れてから……兄の結婚、という事実を認識して、思わず無言になる。


 やっと、多少は話が出来るようになったのに。

 兄はすぐ結婚して……この家を出ていくんだろうな、と。


 そんな折、彼女が通う秀麗中学で事件が発生し、心愛自身も関わることになって。

 そこで――統治と真正面から衝突した。


「――心愛の何が分かるの!?」


 初めて、兄に対して大きな声を出した。

 気付いてほしかった、知ってほしかった。


「お兄様に心愛の何が分かるって言うのよ!! 全然、心愛のことなんか……心愛に関心なんかないくせに、分かったようなこと言わないで!!」


 こっちを、見てほしかった。


「じゃあ、どうして一度も『縁故』のお仕事について来てくれないの!? 今日だってお仕事が忙しいからでしょう? お兄様っていつもそう、肝心な時には絶対……絶対、心愛の側にはいてくれないの!!」



 側にいてほしかった。

 不安な心に気付いて……支えてほしいのに。



「もういいよ……お兄様に期待した心愛がバカだったんだ!! お兄様なんか……お兄様なんか大嫌い!!」


 必要がないから、心愛に関心がない。

 関心がないから、自分の方を見てはくれない。

 子どもじみた嫉妬だと、嫌になるほど分かってる。でも、これが10年近く続いているのだ。統治の側にはいつだって自分以外の誰かがいて、彼と共に先へ進もうとしている。


挿絵(By みてみん)


 兄はいつも、自分以外の誰かのために生きている。

 そう思ったら……何もかもが嫌になった。



 そんなことも、あった(・・・)



「……」

 10月上旬、3連休直前の金曜日。

 昼休みに生徒会の4役――会長・副会長・書紀・総務――だけでの打ち合わせを終えた心愛は、資料を片付けながら、無意識のうちに息を吐いていた。

 話し合いが終わり、3名は黒板を消したりしながら雑談をしている。その様子を遠目にみやり、心愛は1人で今日の予定を反すうしていた。

 今日の午後、政宗の後を追って、統治も仙台から福岡へ向かう――その予定になっている。

 そこで、放課後の生徒会活動を終えた心愛もまた、『仙台支局』に顔を出して、不測の事態に備えて待機をすることになっていた。

 統治が知らないその情報は、里穂を通じて心愛にも伝わってきた。


 ――『仙台支局』から上級以上の『縁故』がいなくなるのは初めてなので、ちょっと不安もあるっす。ココちゃんも忙しいとは思うけど……時間の都合がつけば、協力して欲しいっすよ。


 心愛は春に『初級縁故』の試験をクリアしたばかりで、秋に実施される『中級縁故』の試験を受けるつもりでいた。そのための実績作りには最適でもあるけれど……それ以上にあの場所を守りたい、その思いが強くなっていることも、紛れもない事実。


 そう、心愛だって『仙台支局』のために動きたいのに、統治は決して、その話をしようとしない。

 彼がこの1週間、政宗と一緒に仕事詰めだったことは心愛も良く知っていた。今日も結局、朝は会うことが出来ずに、「行ってらっしゃい」を言えないまま。心愛が事務所に行く時間は、統治も既に機上の人になっている予定なので、しばらく顔を合わせることも出来ない。

 勿論、自分に出来ることは少ないかもしれないけれど……七夕まつりの時は一緒に仕事をすることが出来て、嬉しかったのに。

「お兄様は1人で考え過ぎなのよね。この家にお嫁にきてくれるかどうかは、透名さんが自分で決めるべきだから、彼女が決めたことを応援してあげればいいんじゃない?」

 櫻子についての話をされた時、心愛は統治にこう言って、彼も何か思うところがあった様子だったけれど……結局、統治はまた、1人で何でも抱え込もうとするのだ。


「……お兄様のバカ。バカ、バカバカバーカっ!!」

 独りごちった言葉は、やがではっきりした音になって室内に響く。我に返った心愛が周囲を見渡すと、苦笑いの生徒会長・阿部倫子と目があって。

「名杙さん、どうかしたの? 名杙先生と喧嘩でも……?」

「ご、ごめんなさい……何でもない、です……」

 きまりが悪すぎて思わず視線をそらしてしまった。情けない、こういうところがまだまだ子供っぽいと自分でもイヤになるほど分かっている。

 やっと、誰かのために生きようとする統治を……自分の意思で、応援出来るようになったと思ったのに。

 そんな1人で凹む心愛へと、副会長・島田勝利が、どこか関心したような表情で頷く。

「名杙さんも、誰かの悪口を言うことがあるんだねー」

 そんな勝利の隣でチョークを整理していた書紀の森環が、「気付いてないんだ……」と言わんばかりの眼差しで勝利を見つめて。

「何言ってるんすか。島田先輩、いつもうるさいって言われてるじゃないっすか」

「そういえば!!」

 事実に気付いてしまい、頭を抱える勝利を尻目に……自分の持ち場の片付けを終えた彼は、筆箱を持って倫子を見つめる。

「終わったんで、戻っていいっすか?」

「ええ。昼休みにありがとう。今日の放課後は陸上部だったかしら?」

 その問いかけに、環は首を横に振った。そして。

「今日、俺と名杙は出られないっす」

 そう言って心愛を顎でしゃくる。まさか彼がこんな話を言い出すとは思わず、心愛は思わず目を見開いた。

「へっ!? 森君!?」

「あら、そうだったのね。行ってらっしゃい」

「うす。」

「ちょっ、ちょっと待ってよ森君!! どうして森君が心愛のことを決めるの!?」

 教室へ戻ろうとする環の背中へ慌てて声をかけると、立ち止まった彼は首だけを心愛へ向けて、いけしゃあしゃあとこう言った。

「『仙台支局』に誰も居ない(・・・・・)って、柳井さんから聞いてるんで」

「えっ……!!」

「俺は研修もあるし、名杙も見送りに(・・・・)行くのかと思ったけど……違うの?」

「心愛は……」


 環の言葉に、思わず、両手を握りしめていた。

 そうだ、ここで……こんなところで文句を言ったって、何も変わらない。


 伝えたいことは、本人に直接伝えるんだ。

 今の統治であれば、きっと……心愛の声が、届くから。


「……行くわよ!! 行くに決まってるでしょう!? お兄様には一言言ってやらないと気がすまないんだからねっ!!」

 自分を鼓舞するように大きな声で宣言する心愛に、環は「そっすか」と言って先に部屋を出ていった。すると、倫子と勝利もまた、互いに顔を見合わせて……。

「名杙さんと森君にご用事があることは分かったわ。こっちのことは気にしないで、気をつけてね」

「よく分かんないけど頑張ってね!! あと、政宗さんに宜しく!!」

 深く事情を聞かずに送り出してくれる、そんな頼もしい先輩に向けて、心愛は静かに頭を下げる。

 そして、顔を上げて前を見据えると――覚悟を決めた。


 何が出来るかはわからない、けれど、何もしないわけにはいかない。

 だから……何が起こっても踏ん張れるように、覚悟を決めよう。

 統治が大切にしている場所を守ってみせる、その覚悟(決意)を。

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