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エンコサイヨウ・外伝集  作者: 霧原菜穂
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2019年櫻子生誕祭小話:婚前の交渉

 2019年の櫻子誕生日は、第5幕終盤(https://ncode.syosetu.com/n2544fd/34/)の後に起こったエピソードです。

 ようやく、やっと、何とか付き合うことになった櫻子と統治。前日の巻き込まれ事件から一夜明け、名杙本家内に泊まっていた彼女は……目覚めた朝に、改めて何を思うのでしょうか。

 未来へ向けて色々と考えを巡らせる彼女はハイスペックですが……安心してください、ポンコツエピソードもあるよ!!


■主な登場人物:櫻子、統治、ユカ

 自分の身に、何が起こったのか……実際のところ、全て把握しているわけではない。

 ただ、体はとてもだるくて、例えるならば重度の夏バテにやられてしまったような感覚。

 そして……心の中が、いつもより少しだけ、ほんの少しだけ落ち着かない、そんな朝だった。


「……あ……」

 いつもどおりの時間――午前6時きっかりに目が覚めた透名櫻子は、視線の先にある天井に、顔をしかめる。

 枕も、敷布団も、部屋の空気も、何もかもが彼女の知っているものとは全く異なっていて、まるで他所の家に泊まっているような気分だ。

 いや、実際そのとおりなのだけど。

 櫻子は上半身を布団の上に起こし、周囲をぐるりと見渡した。純和風の室内は畳敷きの8畳間で、縁側に続く障子から柔らかな光が入り込み、室内を明るく照らし出している。簡単な戸棚と床の間、そして、障子と対面にある襖戸を出た先には、トイレと風呂場があった。

 静かな空間で、今は一人きり。顔にかかった長い髪の毛を後ろへ払い除けながら、徐々に現実を体へ染み込ませていく。

「……そうでした。ここは、名杙さんの……」

 そう、ここは名杙本家の敷地内にある離れの一室。

 どうして彼女がここにいるかというと……昨日、七夕祭りで盛り上がる宮城県仙台市内で、櫻子はちょっとしたトラブルに巻き込まれた。

 彼女の『関係縁』に『遺痕』の『関係縁』が絡みつき、人格や行動を乗っ取られる現象。

 統治らの言葉で言えば『重縁(じゅうえん)』というらしいその状態になった櫻子は、自分の意志とは関係なく他人を罵り、七夕まつりで多くの人が行き交っていた仙台市中心部を逃げ惑い――心身共に疲弊してしまった。

 そんな彼女を回復に専念させるため、そして万が一、何か悪い影響があった際に迅速に対処するために、櫻子は一晩だけ、名杙本家内にあるこの部屋に宿泊することとなったのである。

 そして――


「……将来、君と結婚をした時に、俺が君の仕事を知らないのは情けない。だから、機会を見つけてちゃんと知っておきたいんだ」


 昨日の夜、名杙家現当主の長男であり、最近は特に親しくしていた名杙統治と2人で話をした時に、彼の真っ直ぐな思いにしっかりと触れることが出来て。


「俺は……俺に寄り添いたいと言ってくれた君に応えたいし、君の支えになりたいと思う。君は自分を未熟だと言ったが、それは俺も同じことだし、俺にとっては十分過ぎるほど魅力的な女性だ。だから……こんなことを俺から言うのはおこがましいかもしれないが、結婚を前提に、俺と付き合ってくれないだろうか」

 彼から最大の賛辞を受けた櫻子は、彼が差し出した手を、臆することなく握り返した。


「不束者ですが……これからも、宜しくお願いいたします」

 その言葉に、偽りはない。

 この『名杙』という家がどれだけ特殊で、様々な不条理が我が物顔で蔓延っているのだとしても……統治を含めた彼らと関わっていくうちに、自分がブレなければ大丈夫、そう思えるようになってきた。

 そして統治はきっと、櫻子のことを全ての不条理から守ってくれる、そんな確信があったから。

 過去に偶然の接点があったとはいえ、今はその偶然さえも必然に思える、そんな朝。

 櫻子は背筋を正して呼吸を整えると、その場で立ち上がった。そしてまずは掛け布団を4つ折りに折りたたみ、部屋の脇に置く。そして今度は敷布団を3等分にして部屋の隅に追いやると、その上に畳んだ掛け布団と枕を置いた。

 シーツを外したほうがいいかと一瞬思案したが、そこまで出しゃばらなくてもいいような気はする。後で誰かに確認をしておこう。

 統治と恋人になれてから、初めての朝……という甘酸っぱい感慨は、櫻子の中に存在しない。

 ここは名杙本家、統治が彼女を連れてきた時点で、自分の一挙手一投足は常に監視されていると思っている。それくらいの気持ちでいないと、きっと、この家ではやっていけない。

 勿論、常日頃から気を張ってしまうと疲れて自分が駄目になってしまうけれど……少なくともこれから約2時間、仕事のためにこの家を出るまでは、恥ずかしくない立ち居振る舞いをしなければ。

「私は……負けません」

 部屋の中で呟いた言葉は、誰に対するものだったのか。

 櫻子は息を吐いて体内の空気を入れ替えると、身支度を整えるために動き始めるのだった。


 昨日、統治から今朝の動き方を尋ねられた際、「8時にはここを出たいので、朝食は7時前だと有り難いです」と伝えておいた。

 昨日慌てて調達した白い半袖ブラウスと黒のスラックスに着替え、洗顔までを終えた櫻子が部屋の中で一息ついていると、テーブルの上に置いていた携帯電話が振動する。手に取ると、統治からの着信だった。

 櫻子は深呼吸をしてから、凛とした表情で電話を――


「――あぁっ!!」

 ……電話を、切った。


「名杙さん……ごめんなさい……」

 電話に向けて謝罪をしたところで、彼本人には届かない。分かっているけれど、自分の不甲斐なさに朝からガックリしてしまう。

 この取り違えのミスは減ってきたとはいえ……特に仕事中でない時は、どうしてもうっかり間違えてしまうのだ。

「皆さんはどうやって、電話を思い通りに操作しているのでしょうか……」

 この場に統治がいれば「落ち着けば問題ない」と真顔で言われそうな独り言を呟いた次の瞬間……何度となくこの事態を経験している統治が、再度、彼女の電話を震わせた。


「先程はすいませんでした……」

 電話から10分後、二人分の朝食を運んできた統治へ、櫻子が肩を落として頭を下げる。

 襟付きの白い半袖ポロシャツと黒いジーンズという格好の統治は、部屋に入ってふすまを閉めると、持ってきた保冷バッグをテーブルの上に置きながら、表情を変えずに言葉を返す。

「想定の範囲内だ。気にしないでくれ」

「それは……喜んでいいのでしょうか……」

 反応に困る櫻子へ、統治は保冷バックのチャックを開きながら返答した。

「ああ。君は俺に何の迷惑をかけていないということだ。よければ、朝食の用意を手伝ってもらえるとありがたいのだが……」

「あ、はい、すいません!!」

 彼の言葉に櫻子は慌ててテーブルの方へ近づくと、保冷バックの中からマグカップを2つ取り出した。その間に統治は大皿へサンドイッチを並べていく。

 1つ1つがラップで個包装されており、レタスとハムやツナマヨ、コロッケ、ジャムにマーガリン、果てはデザートのようなフルーツサンドまで、朝から彩り鮮やかな食卓になった。

 統治は部屋の脇にあるポットのコードをコンセントにさすと、机上を見ている櫻子の横顔へ声をかける。

「飲み物は、インスタントコーヒーか、紅茶、緑茶の中から選んでほしい。俺はコーヒーにするから、君の分も含めてカップを持ってきてもらえないだろうか」

「分かりました」

 首肯した櫻子は、目についた紅茶のティーバッグとインスタントのドリップコーヒーを、二人分のカップと一緒に手に持った。そして、統治の方へと移動する。

「名杙さん、これでいいですか?」

「ああ、ありがとう」

 櫻子からカップ1つとコーヒーを受け取った統治は、ポットの温度表示が上昇していく様子に視線を向ける。

 そういえば……自分はまだ、統治のことを『名杙さん』と呼んでいる。特に問題はないけれど、他の人に聞かれた時、どこか距離がある印象に思われてしまうだろう。

 ならば、ユカや政宗のように下の名前で呼んだほうがいいと思うし、呼んでみたい気持ちはあるのだが……統治が果たして、それを承諾してくれるだろうか。

 とりあえず隣に腰を下ろした櫻子もまた、お湯が沸くのを待ちながら……呼び方問題は一体頭の片隅に追いやって、机上に並ぶ豪勢な朝食の出処を問いかけた。

「朝からあれだけのサンドイッチを作っていただいて……食べきれなかったものは、昼食用に持っていってもいいですか?」

「ああ。むしろそうしてもらえると有り難い」

「ありがとうございます。これ……名杙さんが作ってくださったのですか?」

 いくら統治が料理上手とはいえ、これだけの量を1人で作ったのだろうか。

 そんな櫻子の疑問に対して、統治は首を横に振る。

「俺は何もしていない。母さんと芦名(あしな)さんが用意してくれたんだ」

「芦名……さん?」

「この名杙本家の台所を取り仕切っている、分家の女性だ。芦名さんは10代の頃からこの家の女中として働いてくれていると聞いている」

「そうだったんですね。そんな方が……」

 統治の言葉に、櫻子は目を丸くした。

 彼の口ぶりから、芦名という女性がとても長い間、名杙本家で働いていることが想像できる。この名杙本家の台所を取り仕切っている女性であれば、いずれ必ず、自分とも関わることになるだろう。

 今どき、住み込み同然の女中がいる……これが、名杙家なのだ。

 櫻子は少し緊張した心を奥の方へ押し込めると、いつもどおりの口調を心がける。

「お時間があれば、一言ご挨拶をさせていただきたいのですが……」

「分かった。食器を返却する時についてきてくれ」

「ありがとうございます」

 軽く会釈をした櫻子は、ポットの温度表示を見守りながら……会うことが出来れば粗相がないようにしないと、と、1人、気合を入れ直す。

 統治はそんな彼女の横顔を見つめながら……ふと、少し前の出来事を思い出していた。


 それは7月上旬のこと。困った顔のユカが、仕事中の統治にこんなことを言ったのが発端だった。


「あのさー統治、櫻子さんと絵文字のついたメールって、しよる?」

 パソコン作業をしていた統治が、向かい側に座っているユカに、訝しげな視線を送る。

「メール……は、平仮名だけだな」

「え、そうなん? あたし、練習台にされとる!?」

 櫻子から自分への絵文字付きメールは来ないのに、ユカへは送っているという事実が発覚してしまった。

 女性同士だからそういったことがあるのは当然のことだと思うし、統治は櫻子へ「メール本文は平仮名で」と言っている手前、彼女は実直にそれを守ってくれているのだろう。

 櫻子は統治から携帯電話の操作法に関する『指導』を受けているので、彼の言ったことは実直に守る傾向がある。勿論それは彼女の真面目な性格故だとも思うけれど、もっと、もう少し……ユカに対する態度のように、砕けて接してくれてもいいのに、と、思わなくもない。

 そういえば、先日統治から送ったメールに対する彼女からの返信は……まだ、来ていなかった。

 諸々が発覚した統治も地味にショックだったのだが……今は、ユカの困った表情の方が気になる。

「頻度が多いならば、俺から一言言っておくが……」

「う、ううん、頻度は普通というか、1週間にあるかないかくらいなんやけど……その……メールが……」

「メールが、どうかしたのか?」

「あぁもう見てもらうほうが早いよね。実は……」

 百聞は一見にしかず、ということで、ユカはゴソゴソと自分のスマートフォンに、櫻子からのメールを表示させてから。


「……読めないんだけど」

「……なるほど」


 画面を見た統治は、一瞬で現状を理解して……大きな溜息をついたのだった。


 それから数日後、仙台市内の喫茶店にて。

 仕事の関係で仙台近郊に出てきた櫻子を、統治が「少し時間を作って欲しい」と呼び出して……今に至る。

 これは、電話で伝えるよりも、直接言ったほうが確実だと思ったからだ。

「名杙さん、どうかなさいましたか?」

 2人がけの席に向かい合って座る統治と櫻子は、共にコーヒーを注文して、待っているところだった。

 普通ならばここで他愛もない世間話をするのかもしれないが、そこはさすがの名杙統治、単刀直入に話を切り出す。

「忙しい時に申し訳ない。早速なんだが……山本に送ったメールを見せてもらうことは可能だろうか?」

 刹那、櫻子の表情が曇った。

「山本さん、ご迷惑でしたか……?」

 普段ならば慌てて釈明をする統治だが、この反応は予想済みだったので、表情を変えること無く話を続ける。

「理由は後で説明するが、決してそういうわけではない。俺の予想が正しいかどうかを確認したいだけなんだ。個人へ送ったメールを他人へ見せることは憚られると思うが……メールを見せてもらうことは可能だろうか?」

「わ、分かりました……」

 明らかに釈然としない表情のまま、カバンからガラケーを取り出し、統治の前に差し出す櫻子。

 それを受け取った統治は、SMSの画面を開いて……自分の読み通りだったことを確信した。

「やはりか……」

「あ、あの、名杙さん? 一体、何がどういうことなんですか……?」

 説明して欲しい、と、身を乗り出す櫻子に、統治は電話の画面を見せながら、心持ち喋るスピードを抑えて、解説を始める。

「これは、教えてなかった俺が悪いのかもしれないが……メールに使われている絵文字は、全てのキャリアで全て共通というわけではないんだ」

「きゃりあ……?」

「ドコモやau、ソフトバンクなどの通信会社のことだ。同じキャリア……互いが同じ携帯電話会社同士ならば問題ないが、違う会社同士でメールをやりとりすると……」

 そう言って、統治は自分のスマートフォンを取り出し、何やら操作をする。

 数秒後、櫻子の携帯電話の画面に、メールの着信を知らせるポップアップが表示された。

「俺から送ったメール、開いてみてほしい」

「は、はい、分かりました……!!」

 統治から電話を受け取り、送信されたメールを開いた櫻子は……


「……統治さん、私が相手だからってふざけているんですか? 『==』なんてメール、読めませんよ」


 普段より少し強い口調で抗議をする彼女に、統治は自分のスマの画面を見せた。

「俺が送ったのは、こういうメールだ」

「え? あ……あれ?」

 統治の画面に表示されているのは、タンクトップのような絵文字と、人の影のような絵文字。この並びだけでもメールの内容は意味不明だが、少なくとも、自分の電話とは表示が異なることくらい、櫻子でも理解出来る。

「私と、違う……?」

「最近は減っているが、やはり、機種やキャリ……携帯電話会社によって、表示できる絵文字は異なっているんだ。特に山本は格安スマホを使っていることもあるからなのか、絵文字はほぼ『=』の状態で表示されているんだ」


 先日見せてもらったユカの画面には、こんなメールが届いていた。


『こんにちは=きょうはてんきが=ですね・ゆかちゃんにニあいそうな=をみつけたねで・またいっしょに=で=しましょう==』


 ようやく自身の問題点を察した櫻子は、顔を真っ赤にして机に突っ伏した。

「私は、なんて失礼なことを……!!」

「絵文字を使うと華やかになるが、用件は文字で伝えるようにした方が良いと思う。ちなみに……このメールは、山本に何を伝えたかったんだ?」

 丁度ここで、注文していたコーヒーが届いた。ブラックの状態で一口すする統治を、ヨロヨロと起き上がって角砂糖を一つ入れる櫻子がチラリと見やり。

「天気が曇りだったことと、後は……泉のアウトレットで、ユカちゃんに似合いそうなお洋服を見つけたんです。前に、あまり可愛い洋服は持っていないって話をして、凄く勿体無いって思ったから、今度一緒に車でお買い物出来たら楽しいな、と……」

 そこまで言って、自分もコーヒーをすすり……櫻子は肩を落として無言になってしまった。

 統治はカップをソーサーの上に置くと、自分の携帯電話の画面を消し、溜息を……つきかけて慌てて飲み込んだ。今の櫻子に、コレは逆効果なのだから。

 今の彼女にかけるべきは、間違いを冷静に指摘する言葉ではない。

「絵文字を使えるようになったのは、大きな進歩だ。例えば……語尾に使ったりすればいい。山本も『=』の意味は分かっているから、用件が明文化されていれば問題ないんだ」

「で、でも、文字数がオーバーしてしまって……」

「どうしてもオーバーする場合は、複数に分けて送ればいいだろう」

「で、でも、2通連続で、なんて、ご迷惑では……?」

「じゃあ、さっきのメールの場合は、最初の天気の話を省略すればいい。SMSは文字数に制限があるから、多少連続で送っても受け取ってもらえると思う」

「わ、分かりました……本文を厳選します……!!」

 そう言って1人、気合いを入れ直す櫻子。次にユカに届くメールは、『服 買い物 車で行こう』なんて内容にならなければいいが……と、内心で苦笑しつつ……統治は、あることを思い出す。


「そういえば、俺へは一度も君からの絵文字メールが届いていないんだが」

「へっ!?」

 刹那、喉から変な声を出した櫻子が、動揺した手でカップをソーサーの上に戻した。

 そして、どこか残念そうな顔の統治――なお、他の人から見ると普段と特に変わらない模様――をチラチラ見つめつつ……一度、大きく息をついて、理由を白状する。

「私……頂いたメールへの返信しか出来ないんです。ユカちゃんは連絡先を交換した時にくれたんですけど……」

「ちょっと待ってくれ。俺も先日、君へメールを送っているはずなんだが……届いていないのか?」

 イマドキメール事故とは、なんて不幸な。

 こう言いたげに目を見開く統治に、一回り小さくなった櫻子が、更なる真実を白状する。


「な、名杙さんのメールを、その……保護したかったのに消してしまったんです!!」

「……」


 あー、あるある。初心者あるあるだよねー。

 ……と、統治が脳内で同意したかどうかは本人にしか分からないが、とりあえず理由さえ判明すれば、いくらでも対処法はある。

 例えば……。

「……電話、もう一度かしてもらえるか?」

「え? あ……どうぞ」

 再び電話を差し出す櫻子からそれを受け取り、統治が何やら操作をする。そして……。

「これで、大丈夫だ」

 作業を終えた統治が、櫻子へ携帯電話を返却する。

「大丈夫、なんですか?」

 画面をしげしげと見つめる櫻子が、釈然としない表情で首をかしげた。どうやら、些細だけど重要な変化に気づいていない様子。


 次の瞬間、統治が立ち上がり、櫻子の隣――右側に移動した。

 そして、椅子に座っている彼女の後ろから腕を出し、画面の一箇所を指差す。


挿絵(By みてみん)


「ココに鍵のマークが出ているだろう? このマークがついているメールは、しっかり保護されている」

「えっ……あ、そういうことなんですね。お手数をおかけしました」

 統治が保護をしたメールは、先程、統治が櫻子へ絵文字の表示を確認させるために送ったものだった。画面に表示されている鍵のマークが、彼との絆を強くしているように感じて……思わず、顔が綻ぶ。

 そんな彼女の横顔を至近距離から見つめながら……統治は一度、呼吸を整えた。

 顔を見られない位置から伝えたいことが、1つだけあるから。

「絵文字が表示されていないメールで申し訳ないが、とりあえず保護しておいた。あと……」

 統治は少しだけ期待も込めて、彼女の後ろから尋ねる。

 彼女の頑張りを、前に進もうと励む姿を、これからも近くで見守りたいから。

「……これからは俺にも、絵文字のついたメールを送ってくれて構わない」

「名杙さん……」

「使い方に慣れてほしいということもあるが、俺に対しても、その……堅苦しく接する必要はないし、色々なことに対する練習台にしてくれて構わないんだ」

 自分はこんなに、言葉選びに苦労する人間だっただろうか。

 もっとスマートに伝えられそうなのに、どこかぎこちなくなってしまう。

 統治が心の中を上手く伝えられない状況にもがいていると、櫻子は少し振り向いて、そんな彼を見上げ……安心したような笑顔を見せる。

「何から何まで、本当にありがとうございます。これからも宜しくお願いします」

 伝わっている、素直にそう思えた。

 統治もまた、つられて口角を緩め……心に浮かんだ言葉を、素直に口に出す。

「ああ。何かあれば遠慮なく頼って欲しい」


 あれから約1ヶ月……彼女からのメールには、たまに二重線が入っているけれど、前よりも誤変換は少なくなったし、句読点も正しく使えるようになってきた。

 人より遅いということは、本人が誰よりも理解しているだろう。それでも諦めずに食らいついてくる姿は、統治が知っている他の友人たちの姿に重なった。

 勿論、彼女に惹かれたのは他にも理由があるけれど――その強さは、とても眩しい。

 だからこそ、その眩しさに負けない自分でいたいと思う。

 統治は櫻子のカップへ開封したティーバッグを入れると、自分でやろうと手を伸ばした彼女を視線で制した。

「これくらいさせてくれ。君は静養中なんだ」

 統治の言葉に面食らった櫻子だが、伸ばした手を自分の方へ引っ込めて、彼の優しさに甘えることにした。

「……はい、分かりました」

「今日は俺が富谷まで運転するが、細かい道案内はよろしく頼む」

「分かりました。とりあえずコストコがある方へ向かってほしいんですけど……名杙さん、分かりますか?」

「……努力する」

 心愛や母親が会話の中で口にしていた未知なるスーパー・コストコ。

 場所は漠然としか分からないけど、何とかしなければ……統治が脳内でルートを思い描いていると、ポットの温度表示が100度になった。

 統治がまずは櫻子のカップへお湯を注ごうとした次の瞬間……彼女が何か言いたそうな表情で、自分の方をチラチラと見ていることに気がつく。

「……何か俺に言いたいことがあるのか?」

「えっ!? あ、そのですね、えぇっと……」

「遠慮せずに教えてくれ。俺に言いにくいことなら、母さんや山本にでも――」

「――ち、違うんです!!」

 統治の言葉を遮って、櫻子が首を横に振った。

 櫻子の心の中に浮かんだ、次の一歩へ進むキッカケ。

 先程口に出して確信した。友達のその先へ進むために、必要だと思ったことがある。

 櫻子は口の中にたまった唾を飲み込むと、訝しげな表情の彼を見上げて……意を決して口を開いた。


「あ、あの、私も……これからは『統治さん』とお呼びしてもいいですか?」

「ああ、それで構わない」


 櫻子が悩んだ末に口に出した提案を、統治はあっさりと認めると、カップの中へお湯を注いだ。

 あまりにもあっさりと彼が認めてくれたため、思わず拍子抜けしてしまう。

「ほ、本当にいいんですか……?」

「ああ」

「本当の本当ですか?」

「くどいな……言い出したのは君だろうが」

 統治のジト目に、櫻子は目を伏せて「すいません……」と呟いた後、カップを受け取って息を吐く。

「もっと、距離を縮めてから……と、難色を示されるかもしれないと思っていたので」

「距離を縮めてから……?」

 櫻子の言葉に、統治は顔をしかめる。

 そして、自分のカップにインスタントのドリップコーヒーを用意しながら、釈然としない横顔で呟いた。

「君と俺は恋人同士なのだから、それで十分距離が近いと思っていた俺は……認識を改めた方がいいのだろうか」

「……」


 そんな彼の横顔を目の当たりにした櫻子は、思わず、自分のことを笑ってしまった。

 粗相がないように、しっかりした女性としての立ち居振る舞いを。

 そう思って背筋を正すことは、決して間違いではない。

 

 ただ……彼と2人の時は、必要なさそうだ。


「すいません。私が少し考えすぎていました。確かに名杙さ……統治さんの仰るとおりです」

「……そうか」

 彼女の言葉に、統治がどこか安心したように息をついた。

 そして、コーヒーの抽出を待ちながら……ふと、櫻子へこんなことを尋ねる。

「俺は、君をどう呼ぶべきだろうか」

「そ、そうですね……ユカちゃんみたいに名字で『透名』と呼んでくださっても、心愛ちゃんのように『櫻子』でも、名杙さ……統治さんの呼びやすい呼び方であれば何でも……!!」

 何でも来い、と、構える櫻子へ向けて、統治はしばし考え込む。

 彼はユカや政宗など、身内以外を名字の呼び捨てで呼ぶことが多いが、心愛や里穂などの身内は下の名前で呼び捨てに呼ぶことが多い。年上に対しては敬称をつけているけれど、ある程度気心の知れた年下に対しては、どちらかの呼び捨てだ。

 果たして自分は、どちらに選ばれるのだろう。

 櫻子が内心ビクビクしながら彼の答えを待っていると、統治は抽出の終わったフィルターを外して……櫻子を見つめ、答えを告げる。

「待たせてすまなかった。櫻子さん、食事にしよう」

 予想外の合わせ技に、櫻子は大きく目を見開いた後……緩みそうになる口元を引き締めて、彼を見据える。


 家柄なんて関係なく、これまでの流れにとらわれることなく。

 統治は櫻子のことを、一個人としてしっかり考えた上で、結論を出してくれた。

 2人の立場は同等である――それが、彼からの答えなのだから。


 だからこそ――彼の隣に並んで恥ずかしくないような、不束者ではない女性でありたいと改めて思うし、そう思わせてくれる統治は彼女にとって大切な人だと、改めて感じる。


「はい、分かりました、統治さん」


 立ち上がった統治に続いて、櫻子も自分の飲み物を持って立ち上がり……背筋を正して彼の隣に並び立った。

 統治が櫻子と付き合いだしたら、彼女をどう呼ぶのか。

 2年前からずっと考えてました。(だって、2年前の第2幕で付き合い始めるはずだったから)

 最初は「櫻子」って呼び捨てかなーと思っていたんです。まさか「透名」はないだろうと。

 でも……なんか、霧原の中でしっくり来なくて。

 統治は自分にない才能や素質を持っている前向きな人に「あいつマジすげぇ(意訳)」と思って気になる傾向があります。

 その際たるは政宗とユカなんですけど、櫻子と付き合う、ということは、彼女の中に「あいつマジすげぇ(意訳)」があって、彼女をリスペクトしていないと駄目だろうと思いまして。

 そんなたった1人の大切な人を、彼が果たして呼び捨てにするだろうか、と、思ったら……答えはノーでした。そのため、「下の名前+敬称」という結論に至ってます。


 そしてそして、本文内の挿絵は、霧原の創作仲間こと僕らのトライアングラーこと水成豊さんから約2年前に描いてもらったものを、ようやく、よーーーーーーーーーーやっと使わせてもらうことが出来ましたっ!! 拍手喝采!!

 いっやーーーー長かったー!! こんなに熟成させることになるとは思いませんでしたが、後ろから指示を出す統治の横顔がイケメンですし、ハッとしながら話を聞いている櫻子が、まぁ可愛い。

 まぁ可愛い。(大事なことなので2回書きました)

 ようやく物語と共に公開することが出来て嬉しいです……その節は本当にありがとうございます!!


 櫻子、誕生日おめでとう。これからも失敗を繰り返して前に進む、凛として不器用な君でいてねー!!

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