2019年政宗生誕祭小話:シルエット
2019年の政宗誕生日は、20歳になった彼が初めてお酒を飲んだ時のことを妄想してみました。
まだ寒い3月の夜、彼は何を思うのでしょうか……。
今年はユカや統治がほとんど出てきません。そのかわり、あの人が出てきますよ!!
■主な登場人物:政宗、彰彦
自分がどんな大人になるのか、あの頃は予想も出来なかったけれど。
今、ここにいる自分は――『あの人』の息子として、相応しい成長が出来ただろうか。
それは、政宗が20歳になった3月9日。時刻は20時を過ぎた頃。
大学を終えた彼は1人、部屋の中で夕食の準備を整えながら――と、言っても、出来合いの惣菜を買って並べているだけなのだが――その顔にほのかな緊張を宿していた。
平日だったこともあり、友人らが主催してくれた誕生会は、週末に予定されている。
実際、今日も何名かの誘いがあったのだが、彼はそれを全て断って……1人、自分の部屋で過ごしていた。
大学の近くにある、学生向けのワンルーム。既に大学は春休みのため、日々を『縁故』のアルバイトで過ごしている。そんな中での誕生日だった。
「ハタチ、か……」
ボソリと呟いた言葉は、誰にも届かず部屋の中で消える。
成人式を1月に終えた彼だが、その時は誕生日がまだだった。そのため、友人が楽しそうに飲んでいるアルコールを辞退して、1人、烏龍茶を飲んでいたのだ。
友人からは「真面目だな」と揶揄されたけれど、ここだけは譲るわけにいかなかったのだ。
20歳になって、お酒を飲めるようになったら。
その日の夜は必ず1人で過ごす――そう、決めていたから。
テーブルの用意を整えた後、政宗は冷蔵庫の前に立つと……静かに扉を開き、中から冷えた缶ビールを取り出した。
この銘柄は、『彼』が好きだったもの。
朧気な記憶の中、『彼』の笑顔と共に印象に残っている……思い出だ。
――あの頃の自分は、大人を信じられない子どもだった。
それもしょうがないと思う。そもそも、一番信頼すべき親に対して、一切、尊敬の念を抱けなかったのだから。
父親は自分が生まれる前に死別しているし、母親は自分に関心がない。
名前を呼んでくれるのは外で、人の目がある時だけ。家の中で本を読んでもらったり、他愛もない会話をした思い出など……何も、ない。
子どもを養うために昼夜問わず働く、献身的な母親……といえば聞こえはいいかもしれないが、その現状は子どもの我慢の上に成立している。大人の頑張りだけではないのに……それを指摘して、彼を称賛してくれる大人はいなかった。
テーブルに置かれた、食費としての500円玉、それが、2人を繋ぐ絆だったのかもしれない。
彼はそんなこと、一度だって望んでいないけれど。
そして、そんな母親とも死別し、周囲からは『死神』というそしりを受け。
自分はどうして生まれたのだろう、そんなことをぼんやり考えている時……宮城から彼を探して東京までやって来た亡き父親の兄・佐藤彰彦と出会う。
そして彼は――宮城県との、彰彦との縁を結んだ。
「……あ、彰おんちゃん……俺、本当にいらないから……!!」
彼が宮城に引っ越しをしてきてから、最初の週末。仕事が休みの彰彦から、少し遠いホームセンターに行くと言われて家から半ば強制的に引きずり出された。
彰彦は車を持っているが、帰りに軽トラで『目的のもの』を運ばなければならないから、と、片道15分ほどの距離を歩いて駅に向かい、そこから電車で少し移動する。目的のホームセンターは駅の近くにあった。
だったら最初から車で行って、駐車場に車をおいて軽トラで往復してから車で帰ってくればいいのに、とも思ったが、彼はあえて、口に出さなかった。
そんなことを口に出したら、自分がそれを欲しがっていると思われてしまう。
駅までの道すがら、終始遠慮して狼狽する彼に、彰彦は立ち止まると……振り向いて彼を見据え、真顔でこう言った。
「いいか――、男は、自転車くらい乗れなきゃ駄目だ」
「だから、自転車なら補助輪なしでも乗れるよ!! 東京の児童館で練習したから……」
「そうか。じゃあいいじゃねぇか。誕生日が3月だったから、少し遅くなっちまったけど、チャリンコがあればどこにでも行けるぞ」
彰彦は1人で納得しつつ……何が駄目なのかと無言で問いかける。
彼はその真っ直ぐな眼差しからジワリと視線をそらしつつ……Tシャツを握りしめ、ぽつりと呟いた。
「俺……誕生日とかそういうの、買ってもらったことないから。ただでさえ養ってもらってるのに、そんな高価なもの、もらえないよ……」
幼稚園や児童館では、皆が自分の誕生日を祝ってくれた。
けれど、彼の母親は……一度だって、誕生日に家にいてくれたことなんかなかった。いつも通りの時間に出かけて、いつもと同じ時間に帰ってくる。一人息子の誕生日だろうが、その生活スパンは変わらない。
クリスマスも同様。母親以外の身内とは会ったことがなかったので、お年玉だってもらったことはない。
友人がそういう話をする度に、「そうなんだ、良かったね」と相槌をうちながら……心の中ではずっと前に諦めていたから。
期待をしたって無駄なのだから、期待なんかしなくていい。
たった一言の「おめでとう」さえ聞けないまま母親と死別したのだ。身内に何が期待出来るだろう。
誕生日には……日々の『食費』のお釣りから積み立てたお金でケーキを買う、それで十分だったのに。
ここで自転車なんか買ってもらったら――『次』に、期待してしまうじゃないか。
皆と同じになれるかもしれない、なんて……おこがましい夢を、持ってしまうじゃないか。
彼の言葉に、彰彦は一度ため息をついた後……彼よりずっと大きな手を、彼の頭にのせた。
職人かたぎで少しゴツゴツした指先と、大きくて暖かい手のひら。彼は大人に頭をなででもらう経験など数えるほどしかなかったので、反射的にビクリと萎縮してしまった。しかし、当然ながら怒られることはない。
何事かと理解出来ないまま、恐る恐る彰彦を見上げると……彼が、どこか楽しそうに笑っていたから、思わず首をかしげる。
「彰おんちゃん……?」
「子どもらしくないことばっかり言ってんじゃねぇよ。いいか、子どもってのはな、欲しいものを大きな声で言っていいんだ。駄々こねるくらいで丁度いいんだぞ。それを与えるかどうか決めるのが大人の役割だからな。子どもが最初から諦めてどうすんだ」
「で、でも……」
「これまでが、そうだったんだな。よく腐らずに大きくなったもんだ」
彰彦はそう言って、頭に置いた手で彼の頭を撫でた。そして、まだ戸惑いが残る彼を見つめ、とても楽しそうに笑う。
「それに、――にチャリンコがあれば、俺が忘れものをしても事務所に届けてくれるだろ? 最近は二日酔いがしんどいから、物忘れがなぁ……」
「……だったら、お酒を飲む量を減らせばいいんじゃないの?」
思わず苦笑いで突っ込みをいれると、彰彦がドヤ顔で返答する。
「バカ言ってんじゃねぇよ。男が酒の量を減らしてどうすんだ」
「減らしなよ……健康に悪いよ?」
「俺は酒と結婚したんだよ。奥さんが俺を殺そうとするわけねぇだろうが」
もはや理屈が無茶苦茶である。
でも、ここまではっきり堂々と自己主張されると……「そうかもしれない」と思ってしまう、謎の説得力もあった。
気がつくと流されて、でも、不思議と不快感が残らなくて。
その手の温もりを知ってしまうと、隣にいたいと思ってしまう、そんな、不思議な魅力がある人。
この人が自分を見つけてくれて良かったと、時間の経過と共により強く思う。
「……彰おんちゃん、自転車、大事にするね」
彼の言葉に、彰彦は「それでいい」と頷いた後、もう一度大きく頭を撫でて豪快に笑った。
その笑顔が、自分に向けられていることが嬉しくて……自転車を買ってもらえることよりもずっと、自分だけに笑ってもらえることが嬉しくて。
駅へ歩く歩みを再開しながら、彼はこれから始まる楽しい時間を脳内で思い描いて……1人、ほくそ笑むのだった。
その後、電車で移動した2人は、大型のホームセンターで子ども用の自転車を買い、店の軽トラックを借りて自宅まで運んだ。
「じゃあ、俺はこれ返してくっから」
自転車のセッティングを終えた彰彦が出ていこうとすると、彼が慌てて後を追いかける。そして、意外そうな眼差しで自分を見下ろす彼に向けて、自分の気持ちを……思い切って口に出した。
「お、俺も一緒に行っていいかな」
「へ?」
彼からこんなことを言い出すのは珍しい。「自転車に乗ってなくていいのか?」と尋ねると、彼はゆっくりと首を横にふって、彰彦に笑顔を向けた。
「彰おんちゃんと一緒に行きたいんだ。駄目かな……」
まだどこかぎこちない笑顔に対して、彰彦が満面の笑みで答えを告げる。
「駄目なもんか。よし、行くぞ」
「――うんっ!!」
理由なんか、どうでもよくて。
ただ、貴方と同じ思い出が一つでも多くほしかった。
軽トラックを返却した帰り道、電車から同じ景色を眺めながら……彼は窓の向こうに広がる宮城の町並みを、忘れないように胸に焼き付ける。
そして、こんな思い出をこれからも沢山、自分が大人になっても増やしていきたいと……彰彦の横顔を見ながら、ほくそ笑むのだった。
そんな彰彦が毎日、夕食と共に飲んでいた缶ビールは、いつも冷蔵庫の一角を占領していて。
缶に触れると冷たくて、思わず手を引っ込めたこともある。
彼の母親は、家の中で嗜好品を嗜まない人物だった。外ではどうだったのか分からないが……酒やタバコ、菓子などに目もくれず、機械のように動き続けていたから。
だから、仕事を終えた彰彦が帰宅して、幸せそうな顔でビールを飲んでいる姿を見るのが、不思議だった。
あんなものの、何が美味しいんだろう。
過去に一度、彰彦が飲んでいたものを一口もらったことがあるけれど……炭酸と苦味がきつくて、とても美味しいとは思えなかった。
顔をしかめる彼に、彰彦が笑いながらジュースを差し出す。
「まだ早かったな。大人になったらこの味の良さが分かるぞ」
「本当かなぁ……俺には当分理解出来ない気がする……」
こう言ってお茶を飲みつつ、口内に居座る苦味にため息をついた。
そして、チラリと彰彦を見ると……彼はとても幸せそうな表情でビールを飲み、つまみのチーズかまぼこを箸ですくい上げている。
その満ち足りた顔を見ていると、思わず全てが「ま、いいか」と思えてしまって。
そして……自然と、頬を緩めている。
「彰おんちゃんはいい性格してるよなー……」
ため息と一緒に口角を緩め、小声で呟くと……頬を赤らめた彰彦が、そんな彼を覗き込んだ。
「ん? 何か言ったか?」
「何でもない。あーぁ、俺も早く大人になりたいよ。そしたら……」
彼はここで言葉を切ると、続きを目線で催促する彰彦を見つめ……屈託なく笑った。
「そしたら……彰おんちゃんが酔っ払って倒れたところを、引きずって帰ってくるからさ」
「言ってくれるじゃねぇか」
どこか生意気にも見える彼の表情に、彰彦はニヤリと口角を上げて……缶の中に残っていたビールを飲み干した。
目標だった。
いつか、彰彦と酒を酌み交わす、その日を迎えることが。
憧れだった。
いつか、彰彦が好きな味を理解することが。
2人で並んで歩くと、影ばかりが大きくなる。
早く大人になって、夕日に並んだ影のように、同じくらいの身長になって……対等に振る舞う自分を想像しては、1人でほくそ笑んでいた。
その全てが、こんなに早く叶わなくなるなんて……思わないほどに。
「お、ん……ちゃ……ん……」
連絡を受けて病院に駆けつけた彼は、ロビーにいた知り合いが、揃ってうつむき、泣いている姿を見て――全てを、察してしまった。
その日は、彼が合格を決めた私立中学の入学説明会で。
彰彦は仕事の合間をぬって、参加してくれる予定だった。
その日の朝は、至って普通のやり取りをした。「私立中学校なんか、緊張するな」って言いながら、「頑張ってたお前のためだ、必ず行く」と言って、笑顔を向けてくれたのに。
学校が終わったら、一緒に車で帰って、途中のスーパーでいつも通り、酒と刺し身を買って……家で晩酌をするのだと思っていた。
これまでの彰彦の養育実績などが認められて、中学校からは彰彦と同じ『佐藤』姓を名乗るための諸々の手続きだって済ませていた。入学に必要な書類に『佐藤』と記載する度に、どこか落ち着かないような、くすぐったいような……とても嬉しい感覚に襲われて、ニヤニヤしていたのに。
いつも通りの明日が――彰彦と2人で過ごす、いつも通りの日々が、ずっと、続くと思っていたのに。
世界が、崩れる。
思いが、願いが……隙間から、こぼれ落ちていく。
容赦なく溢れ出して、溢れ出して……全て、『過去』になってしまう。
彼が夜に1人で不安だった時、ずっと手を握っていてくれた。
ただ肉を焼いただけの料理だったのが、段々と野菜が増えて……でも、どこか生っぽかったり焦げ臭かったりして、彼にいつも苦笑いを向けていた。
桜の季節は一緒に花見をして、酔いつぶれた姿にため息をついた。
彼の友達と本気で鬼ごっこをして、小さな子どもを泣かせてワタワタしたこともあった。
夕方の海岸、誰もない砂浜を競争した。
授業参観は、時間の都合をつけて、ほぼ毎回参加してくれた。後ろの方でどこか恥ずかしそうに、でも嬉しそうに見てくれている姿を見つけて、心がドキドキした。
秋の遠足では、頑張ってお弁当を作ってくれた。
運動会の親子競技では、ぶっちぎりで1位になった。
冬の寒い朝は、どっちが先に布団から出るか押し付けあって笑った。
この私立中学に合格した時は、大喜びしてくれた。
彼の名字を名乗りたいと告げた時は、驚いた表情をした後……優しく一度、頷いてくれた。その後、学校や役所に足繁く通って、彼に不自由がないように奔走してくれた。
彼の頭に、大きくてゴツゴツした手を優しくのせて……いつも、笑顔を向けてくれた。
もっと、一緒に遊びたかった。
もっと、一緒に食事を食べたかった。
もっと、色々な世界を見せてほしかった。
いつか、一緒にお酒を飲みたかった。
いつか、一緒に旅行に行きたかった。
いつか、大好きな人を紹介して、本当の家族になりたかった。
いつか……『お父さん』と呼びたかった。
こぼれ落ちた思いは、全て『出来なかった』という後悔になる。
願いは――彼が思い描いた『おこがましい夢』は、もう、続かない。
もう二度と、あの手に触れることは出来ない。
もう二度と――あの笑顔を、見ることは、出来ない。
会いたい。
会いたい。
会いたい。
「おんちゃん……」
無意識のうちに病院から外へ出ていた政宗は、耳に入ってきた車の走行音で、自分が国道沿いに出てきてしまったことに気付いた。
病院を出てすぐのところに、沿岸部を走る国道がある。
交通量が多く、トラックやバスなどの大型車両も頻繁に行き交う……そんな場所で、彼は1人、思案を巡らせた。
もう一度、彰彦に会うためには――どうすればいいだろう?
両親を亡くし、『死神』とさえ呼ばれた自分は、どうすれば――もう一度、彰彦に会えるだろうか。
――そうだ。
答えはとても……とても、シンプル。
彰彦と同じ場所に、逝けばいいんだ。
衝動的にそう思ってしまった彼は――自分の身を、道路へと投げた。
後先なんて考えられない、考えたくない、ただ……手の届かないあの場所に、自分も連れて行って欲しいだけ。
減速できない車が、彼の体を豪快に空へと跳ね上げる。
ああ……これで、終わりなんだ。
そう思った彼は、とても幸せそうな顔で……目を閉じた。
――そうだ。
そんなことも、あった。
今は、全てが過去になった。
あの事故で、一命をとりとめて……視えなかった世界が、視えるようになった。
彼の中に芽生えた素質を、統治の父親・名杙領司に見つけてもらい、『縁故』として福岡の合宿に参加して、そして――統治と出会い、ユカと出会った。
最初はぎこちなかったけれど、3人で同じ時間を過ごし、絆を強くした。
2人は死神の影に怯える自分を勇気づけて、その幻影を振り払ってくれた。
その後――『遺痕』に襲われたユカのことを、助けられなくて。
再び自信をなくし、生きる意味を探していた時に……彼女からの電話で、自分を奮い立たせることが出来た。
自分の掲げるべき目標を、はっきりと自覚出来た。
「……俺は好きだよ、ユカ」
電話を終え、冬の空気に1人で呟いた言葉は、まだ、彼女に届けられていないけれど。
でも、いつか必ず――福岡での約束を果たす。そう決めた。
いつかまた、3人で一緒にいられるように。
いつかきっと、ユカに感謝とこの気持ちを伝えるために。
その日のために、生きていこう。
そう――決めたのだから。
あの冬の日から、6年近くが経過して……政宗は遂に、法が定める『大人』になってしまった。
幼少期に思い描いていたよりも、20歳の自分は、ずっと、子どもっぽく感じる。
大学に通っていることもあるのだろう。高校生の延長のような……そんな気持ちが抜けきれないけれど。
でも……生かされた命の使い方は、あの時からずっと変わっていない。
政宗は彰彦の真似をして、ビールの缶とジョッキ、つまみとしての牛たんジャーキーなどをテーブルに並べてみた。誕生日のおめでたい感じは一切ないが、あの頃の食卓を見ているようで……自然と、頬が緩む。
「これ……どうするかな」
政宗は手元にあるビールを見下ろして、1人、思案していた。
彰彦は基本的に、ビールを缶のまま飲んでいた。ただ、仕事が大変だった日や、おめでたい席では……わざわざジョッキに注いで飲んでいたのだ。
ジョッキに注ぐことで泡立ちが違うことは分かる。きっと、そのまま飲むより美味しいのだろう……多分きっと。飲み比べたことなどないので、憶測でしかないけれど。
「どうせ洗うのは俺だからな」
1人で結論に至った彼は、缶のプルタブをあけると、中身をジョッキに注ぎ込んだ。小気味良い音と共に、黄色い液体と白い泡がジョッキの中を満たしていく様子が見える。これだけで大人になったような気がする自分はどこまで単純なのかと、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
とりあえず半分ほど注いだところで手を止めてみる。そして、改めてジョッキを持ち直すと……恐る恐る口をつけて、一口、口に含んでみた。
「っ……!?」
次の瞬間、口の中に慣れない苦味が広がる。思わずジョッキから口を離して、唇についた白い泡を下でなぞってみるが……正直、今はまだ、彰彦のように美味しいとは思えなかった。
瞬間的に、顔が火照る。初めて飲んだアルコールが、体内に染み渡っていくことをじわじわを感じていた。
「彰おんちゃん……なんであんなに美味しそうに飲んでたんだ……?」
本人に是非、聞いてみたいところではあるけれど……もう、それは叶わないから。
ビールが残るジョッキを持って、政宗は部屋のベランダへと移動した。そしてそっと窓を開き、サンダルを履いて外へ出る。
空気の冷たい3月の夜、慣れないビールを夜空の下でもう一口すすって……手すりに背中を預けると、熱の残る顔のまま、上を見上げた。
昼間は雲ひとつない快晴だったのだが、日が沈むと薄曇りの空。星の見えない空を雲が流れていく。春の天気は変わりやすいと言われているように、明日はにわか雨が降ると言っていた。気温が下がって雪にならなければいいが……この程度の体感であれば、雨のままで終わるだろう。
そんな判断が出来るくらい、宮城の空気を何年も肌で感じて。
流れる時間を、1人で過ごしてきた。
身長も伸びたし、声も低くなった。勉強も頑張っているし、夢に向かって進んでいる実感と手応えもあるけれど。
その全てを――例えそれがどれだけ些細なことであっても、その全てを認めて、褒めてくれた、あの大きな手は……もう、どこにもない。
分かっていた。
覚悟していた。
自分の思い出の中にしか、彰彦はいない。横に並ぶ影もない。
彼はもう――この世界の、どこにもいないのだ。
「彰おんちゃん、ビールの美味い飲み方……ちゃんと、教えてくれよ。全然分かんねぇからさ……」
ボソリと呟いた言葉と共に、ジョッキを握りしめる。
目尻に浮かんだ涙を落とすのが悔しくて、唇を噛みしめ、空を見上げた。
そして――星の見えない夜空へ向けて、無理やり口角を上げながら独りごちる。
「宮城で10年以上生きてきてさ、少しは、自慢の息子に、近づけたかな……と――」
その言葉を口にしようとした瞬間――我慢が、出来なくなった。
『あの時』のことを――初めて彰彦をそう呼んだ日のことを、思い出してしまったから。
「っ――!!」
政宗は俯いて部屋に戻ると、窓を閉めて、テーブルにジョッキを荒々しく叩きつけた。
ガダン、と、天板と机上の皿が大きな音を立てて震える。その音は周囲に反響して……すぐに、静寂が戻ってきた。
彼を咎める者など、誰もいない。
だって、彼は――1人なのだから。
「あ……あぁっ……!!」
政宗はその場に崩れ落ちると、額を床に擦り付け、両手を強く握りしめて……背中を震わせる。
一度意識してしまうと、耐えられなかった。
どうして自分は、1人なんだろう。
「そう、だよ、たまには会いに来てくれよ……俺、ハタチになったよ……色んなこと、頑張ったからさ……褒めてくれたって……っ!!」
フローリングの上に、涙の粒が落ちていく。
口の中に残るビールの苦味は、過去にも感じたことがあるはずなのに……その過去を、すんなり思い出すことが出来ない。
年月の経過と共に、彼の声や仕草が曖昧になっていく。
大好きな人が、他の人と同じ『思い出』になっていく……その事実が、苦しい。
「晩酌するって、約束したじゃねぇか……本当、そればっかり、楽しみにしてたくせにさぁ……!!」
生きていたのに。
政宗の隣で――父親として、共に生きてくれると、思っていたのに。
「なんで、あんなあっさり……なんでだよ!! まだ何も返せなかったのに、どうして……!!」
もう二度と、あの手に触れることは出来ない。
もう二度と――あの笑顔を、見ることは、出来ない。
会いたい。
会いたい。
会いたい。
「会いたい……会いたいよ、父さんっ……!!」
まるで子どものようにか細い声で絞り出した感情は、空気に溶けて消えてしまう。
蛍光灯の下、床にぼんやり伸びた影だけが……彼の小さな背中に、いつまでも寄り添っていた。
外伝としては、とてもあざとい構成だなぁと思います。彰彦との思い出を持ってくると、どう転んでも切ない内容になるに決まっているのですが、これは本編で書く余裕がないだろうなと思ったので、外伝で書いてみました。
20歳の誕生日にはユカも統治も入り込めない、彼と彰彦の時間を過ごしているだろうな、と、思ったので……手酌酒(?)です。それを考えると、ユカと統治がいる今は、とても賑やかですね。良かったねぇ……!!
そんなことよりイラストですよ!! 今回はとても豪華で、なんと、1話に4枚も挿絵が!!
まずは前半の2枚は、レジェンドこと時也さんによるショタ政宗です!! この2枚目の彰彦と政宗のイラストがあったから、この自転車のエピソードは生まれました。この優しいおんちゃんと大きな手がたまらんですな……ありがとうございます!!
そして後半の2枚は、おがちゃんことおがちゃぴんさんです。作ってもらった動画からそれぞれ好きな場面を引っ張ってきました。特に4枚目、政宗が1人で空を見上げているところは、どうしても使いたかったので満足です!! ありがとうございます!!
政宗、誕生日おめでとう。これからも君はそのままでいてね!!(いいのかな)




