2019年涼子生誕祭小話・部外者の反撃
2019年からお祝いを始めます涼子さん、彼女の最初の話は、第4幕に至る物語。
涼子が瑞希の異変に気付いた理由は、こんなことがあったんですよ、というダイジェストです。
■主な登場キャラクター:涼子、万吏、瑞希
大切な人の異変に、気付けなかったことはありますか?
部外者に事実のみを告げられ、足元が崩れ落ちて絶望へ向かうしかない、そんな思いをしたことは――ありますか?
「……あ、ミズちゃん、おかえりなさい」
茂庭涼子が、妹の『異変』を最初に感じたのは、4月の下旬。
東北の長い冬が終わり、気温が二桁を超える日が続き、開花した桜が散り始める……そんな陽気の頃だった。
当時の涼子は、秋に控えていた挙式・披露宴への準備が本格的になり始めており、『実家』へ顔をだすことも以前より多くなっていた。石巻市内で働いていた涼子が夕食後に顔を出すと、妹の瑞希と顔を合わせることも少なくない。
当時の彼女は仙台市内のイベント会社に就職したばかり、早くその環境に慣れようと、普段よりも張り詰めた表情が多かったように感じる。
人より緊張することが多い瑞希が頑張っていることは、涼子が誰よりも知っていたけれど、身代わりになることは出来ない。人と接することや、人前に出ることも多い仕事なので心配ではあるけれど、瑞希が選んだことならば応援しよう……そう思って、変わらない態度で接するようにしてきた。
用事を終えた涼子が実家を後にしようとした玄関先で、丁度、帰宅してきた瑞希と鉢合わせになった。
時刻は間もなく19時になろうかという頃。帰宅してきた彼女は真新しいスーツに身を包み、ビジネス用のバッグを肩にかけている。玄関の扉を閉めた瑞希は、履き慣れない黒のパンプスを脱ぐのも忘れて、涼子をぼんやり見つめていた。
その眼差しはどこかうつろで、果たして本当に、涼子を見ていたかどうか。
「……ミズちゃん?」
「えっ!? あ……」
思わず心配になって確認するように名前を呼ぶと、ここで瑞希が初めて涼子を捉えた。そして全身をビクリと震わせた後、周囲を確認して、苦笑いで彼女を見つめる。
「お姉ちゃん……来てたんだね。準備お疲れ様」
「ありがとう。でも、ミズちゃんの方が疲れてない? 大丈夫?」
涼子の問いかけに、瑞希は「うん」と一度だけ頷いた後、靴を脱いで涼子の隣に立った。そして、肩越しに涼子を見て、どこか泣きそうな笑顔で言葉を続ける。
「私は……大丈夫だよ、お姉ちゃん」
大丈夫。
こう言われると、信じるしかなかった。
もっとゆっくり話ができればいいとは思うけれど、疲れている彼女に無理やり時間を作らせるのは本意ではない。
今の自分がやるべきことは、新天地で頑張っている妹に、ブレーキをかけることではないと思うから。
「……そ、そっか」
涼子は喉から出かかった言葉を飲み込み、笑顔を返す。そして、明かりの漏れるリビングに目線を向けると、明るい声を意識して言葉を続けた。
「今日の晩ごはん、煮込みハンバーグだったよ。ちゃんと食べてね」
「……うん、ありがとう。お姉ちゃんも気をつけてね」
こう言って瑞希は涼子に背を向けると、リビングへ向けて廊下を歩き始めた。その背中を見送った涼子は、自分も帰宅するために靴を履く。
これまでは瑞希が必ず見送ってくれていたのに、今回は違う。
彼女の変化に一抹の寂しさを抱きつつ、仕事で疲れているのだからしょうがないという結論に至る。
ここで引き止めると、迷惑になってしまうから。
涼子が自宅に戻ると、先に帰っていた夫・茂庭万吏が、作りおきの食事を終えて食器を洗っているところだった。
玄関扉を開けた瞬間、シンクの水音に気付いた涼子は扉を施錠して、小走りで廊下を抜ける。自分が食べたものも、水に漬けたままで出かけていたからだ。
リビングダイニングの扉を開き、タオルで手を拭いていた彼に駆け寄る。
「万ちゃん、おかえりなさい。食器……ごめんね、そのままにしちゃって」
申し訳無さそうな涼子に、長袖ワイシャツを腕まくりした万吏が、「おかえり、スズ」と声をかけて彼女を見下ろす。そして、右手の人差指を立てると、諭すようにこう言った。
「出来る人間がやる、この家はそういうルールだって言っただろ? 今日はスズが実家に用があるって知ってたから、暇な万ちゃんはいくらでも皿洗いするってわけ」
こう言って涼子を改めて見下ろす彼に、彼女からかける言葉は決まっていた。
「……うん、ありがとう」
相手に対して感謝をすること、これだけは、忘れないでいたいから。
涼子の言葉に「よし、合格」と言ってニヤリと笑った万吏は、彼女を連れ立ってダイニングテーブルまで移動した。そして椅子を引いて腰を下ろし、目の前に座った彼女に問いかける。
「それで、やっぱ……なかったか?」
彼の問いかけに、涼子は申し訳なさそうに首を縦に動かした。
「うん、今すぐは見つけられなくて……でも、イトコの家にはあるかもしれないから、今、連絡を待っているところなの」
「だよな、俺の方も親類に聞いてるけど……1枚でも残ってるといいけどなぁ」
万吏はこう言って、天井を仰ぐ。そして、一度長く息を吐いた。
2人がそれぞれに探しているのは、幼少期の写真だった。披露宴のスライドショーで使用するために探しているのである。
幼少期の写真など、当時のアルバムから適当に拝借すればいいと思われるのだが……今の2人は、そのアルバムそのものが消失していた。
4年前の災害で、物理的な思い出は全て……流されてしまったのだから。
この場がしんみりしていることに気付いた涼子が、彼を見つめて笑顔を向ける。
「お互い、何か見つかるといいね。実家に被害がなかった子にも聞いてみるよ」
「そうだな。頑張って探そうぜ」
こう言って笑顔を返してくれる彼に、これ以上、マイナスな情報を伝えたくなくて。
涼子は瑞希の話をしないまま、その後も差し障りのない会話を続けた。
時間が流れて、5月の連休も終わり、6月に入った頃。
石巻市内にある大型ショッピングセンター内の花屋で働いている涼子は、その日、震災前は実家の近所に住んでいた、顔見知りの女性に話しかけられた。
最初は他愛もない世間話から。そこからあの時は大変だったという話になり、気が済んだところで店を後にする、いつもと同じ、そんな流れだと思っていたけれど。
「そういえば涼子ちゃん……妹さん、大丈夫なの?」
「え……?」
彼女の言葉に、花を整理していた手を止める。彼女はそんな涼子の反応などお構いなしに、矢継ぎ早に口を動かした。
「瑞希ちゃん、この間の夜、駅の近くのベンチでブツブツ喋ってたのよ。ちょっと声を架けづらくって……何か、悩みでもあるんじゃない?」
「……」
彼女の言葉に、涼子はかろうじて「そうですね……」と、相槌を打つのが精一杯。
その後、どうやって彼女を見送ったのか覚えていないほど、動揺していた。
知らない。
そんな瑞希の姿など、見たことがない。
人違いかもしれない、けれど……あんなに自信を持って言えるということは、それなりに根拠があってのことだろう。
――私は……大丈夫だよ、お姉ちゃん。
最後に見たのは、こう言っていた彼女の顔。
あれ以来、彼女の顔を見ていない。
あの時も、そうだったじゃないか。
記憶が、蘇る。
――単刀直入に伺いますが、亡くなった名波華さんについて、生前の様子を教えてもらえませんか?
あのときも、店に訪ねてきた見ず知らずの報道記者が、大学の先輩でもある華の死を、こちらに何の心構えもない状態で口にして。
何も知らなくて、満足に答えられなかったら……いつの間にかいなくなっていた。
帰宅して調べてみると、華が世間から否定的に扱われている報道ばかり。火消しをしようにも、途方も無いほど拡散されていた真実と虚構に、一個人では立ち向かえなかった。
何も知らなかった、何も出来なかった自分に、後悔ばかりが募っていたのに。
また、私は知らなかった。
そんな思いが、静かに積み重なる。
涼子は静かに、水で濡れたままの両手を握りしめた。
その日の仕事終わり、18時30分頃。涼子は意を決して石巻駅に行ってみたけれど……瑞希の姿を見つけることは出来なかった。
その翌日も、仕事終わりの同じ時間帯に行ってみた。そこで十数分待ってみたけれど……仙台方面から帰ってきた人波の中に、瑞希の姿を見つけられず。
更に翌日は仕事がシフト休だったので、もう少し早い時間から待ってみたけれど、帰宅ラッシュの人の中に、瑞希の姿はない。
仙台と石巻は、電車で1時間かかる。社会人である瑞希の帰宅時間は、もっと遅いのだろうということもなんとなく察していた。
しかし、何の理由もなく帰宅が19時を越えてしまうと、仕事終わりで先に帰宅した万吏に、いらぬ心配をかけてしまう。1度や2度であれば、残業だと言って誤魔化せるだろう。しかし――彼に3度目はない。
万吏は涼子の職場があまり残業をさせないことを知っていた。だからこそ、この言い訳を使うのは、瑞希を見つけて話を聞けそうな時にしよう……そう、思っていたけれど。
肝心の瑞希に会えないのであれば、どうしようもない。
一度、「何か心配事はない?」と、メッセージを送ったことがある。戻ってきた返事は、「大丈夫だよ。お姉ちゃんも結婚式の準備、頑張ってね」という、とても差し障りのない言葉。
文面だけ見ると、いつもの瑞希と変わらないのに……どうして、胸の違和感が消えないのだろう。
どうして、彼女を信じられないのだろう。
どうして、彼女が嘘をついていると、思ってしまうのだろう。
「……駄目なお姉ちゃんなのかな……」
ポツリと呟いた独白は、誰にも聞かれることなく春の空気に溶ける。
涼子は何の収穫もないまま、今日も一人、石巻駅を後にした。
「――スズ?」
「え?」
その後、自宅に帰って万吏と共に夕食を食べていると、正面に座ってカレーを食べていた万吏が、涼子を覗き込むように見つめて名前を呼んだ。
そして、反応して顔を上げた彼女を真顔で見つめる。
「スズ、最近疲れてるように見えるけど……何かあった?」
「え……?」
万吏の指摘に、涼子は思わずギクリと逃げ腰になる。
ここで、彼に話をしてしまっても……いいのだろうか。
他人から話を聞いただけで、自分の目で確認したわけでもない。万吏は情報通だから、瑞希が本当に一人でベンチに座っていて、その様子がおかしければ、自分に対してもう少し瑞希のことを探るような会話をするだろうと予想していた。それがないということは、万吏のところまで瑞希の変化は届いていないということだ。あの時のお客さんの見間違いだったかもしれない。
それに――
「6月は、結婚式場からの大きな依頼が多くて、間違えないようにしようって気を張ってるからかな……」
こう言って苦笑いを向けると、万吏は「そっか、そういう時期だな」と一人で納得する。
「折角の花が間違ってたら、相手も残念な気分になるもんな。お疲れさん。でも、無理しないでくれよ」
「うん、ありがとう」
こう言って笑顔を向けると、万吏もまた、何時も通りの笑顔を返してくれるから。
彼の表情に安心しつつ、涼子はスプーンを動かして、味が曖昧なカレーを機械的に飲み込んだ。
そして、その翌日――仕事終わり、ショッピングセンター内で食事の買い物をしていた涼子は、同じフロアで出会った同級生から、こんな言葉をかけられる。
ミズちゃん、あんな時間に一人で大丈夫?、と。
足元が、すくんだ。
焦りが、募る。
どうして私は――彼女に、妹に、出会えないのだろう。
そんな思いを抱えながら、出来る限り駅に通い……6月中旬、時刻は19時30分を過ぎたところ。
ブルーのシャツワンピースにレギンス、足元はスニーカーという出で立ちの涼子は、駅前のベンチに座って、膝の上のトートバックを握りしめていた。
式場へのフラワーアレンジメントの搬入を手伝っていたら遅くなってしまった。万吏には残業の連絡しているので、もう少し遅くなっても怪しまれることはない。
すっかり日が落ちた空は暗く、湿っぽい空気が漂っている。県内も梅雨入りしたようで。一雨降りそうな気がした。
こんな天気であれば、誰しもが早足で家に帰るだろう。駅から出てくる人の足も、どこか気早いように感じる。
「ミズちゃん……」
名前を呟いても、返事が返ってくるはずもない。当然だ。瑞希はここにいないのだから。
最近は駅に来ても、瑞希がいないことを確認して、その事実に安心してから帰宅している気がしていた。
彼女を探しに来ているはずなのに、いないことに安堵してしまう。
いつの間にか目的が逆転していることに気付かないふりをして、涼子はすっかり日の落ちた石巻駅の入り口を見上げた。
石巻市は、漫画家・石ノ森章太郎先生にゆかりが有る場所ということで、町のあちこちに石ノ森作品のキャラクターをかたどったオブジェがある。駅舎の上方にあるキャラクターの像を見上げて、帰ろうかと踵を返そうとした、次の瞬間――
「――あれ、スズちゃんじゃないっすか?」
自転車置き場の方から歩いてきた顔見知りの声に、涼子は立ち上がると、視線を声が聞こえた方へ向けた。
駅の自転車置き場の方から歩いてきたのは、知り合いの高校生・名倉里穂と、彼女の家に居候している柳井仁義。里穂は高校帰りのようで、制服のスカートの下にジャージをはいている。仁義は里穂のカバンをかごに乗せた自転車を押しており、穏やかな表情で軽く会釈をした。
2人とは、実家が流される前は家が近かったこともあり、それなりに交流があったけれど……災害後、涼子達が内陸の復興住宅に引っ越しをしてから、少し縁遠くなっていたのだ。
前に会ったときよりも大人っぽくなっており、でも、元気な印象は変わらない。ポニーテールが似合う里穂に、涼子は思わず目を細める。
「里穂ちゃん、それに仁義君、こんばんは。久しぶりだね」
「そうっすね。前にイオンで会った気はするっすけど……いつだったっすかねぇ……」
そう言って首をかしげる里穂に、仁義が苦笑いを向けた。そして、改めて涼子に向き直る。
「茂庭さん、に、なったんですよね。ご結婚、おめでとうございます」
刹那、仁義の言葉に触発された里穂が、太陽のような笑顔で大きく口を開いた。
「そうっすよ!! 万ちゃんと結婚したって聞いたっす!! おめでたいっす!!」
「ありがとう。そうだ、里穂ちゃん達の家からもお祝いを頂いているから、いずれお返しさせてもらうね」
「そうだったっすか。カタログギフトならお肉とか食べたいっすねぇ……」
「里穂……」
既に返礼品を皮算用している里穂に、仁義は呆れ顔で肩をすくめると、「そろそろ行こう」と彼女を促した。
「じゃあスズちゃん、そろそろ行くっすね」
「失礼します、お気をつけて」
こう言って二人仲良く家路につく、そんな背中を見つめながら……涼子は内心、いずれ瑞希にもそういう大切な人ができればいいなぁ、と、心の中でため息をついた。
彼女が生まれてから、浮ついた話は何一つない。本人が臆病なことに起因するとは思うけれど、姉妹で恋バナが出来ると楽しいのにな、と、思いつつ、涼子は腕時計で時間を確認した。
19時30分を過ぎ、電車から降りてきた人の流れも落ち着いた。今日も瑞希の姿はなく、そろそろ帰ろうかと思った、その瞬間。
「――っ!!」
駅からポツリと出てきた人影、色濃く影がついたその横顔に見覚えがあった涼子は、声を上げそうになった自分の口を慌てて抑えた。そして、植えられている木の陰になるように移動して、トートバックからつばの深い帽子を取り出すと、それを目深にかぶりつつ、彼女の――瑞希の動きを見守る。
「ミズちゃん……」
間違いない、出てきたのは自分の妹だ。
けれど……彼女はあんなに、暗い表情をするような子だっただろうか。
自信がなくてうつむいて、泣きそうになっている様子は何度となく見たことがある。けれど、先程見た瑞希は、自信がないというよりも、全てに絶望して諦めている……そんな、とても物悲しく、やるせない横顔。
彼女に一体、何があったのだろう。
胸が、ざわつく。
「……み、見失っちゃダメだよね……!!」
己の目的を思い出した涼子は、意を決して彼女のあとをつけることにした。あまり人は多くないけれど、夜の暗さですぐには気付かれないはず。仮に気付かれたとしても、駅に用事があったと言えばいいだけのことだ。
姉が妹と偶然会うことに、深い理由はいらないはず。涼子は自分にそう言い聞かせて、瑞希を見失わないように歩みを進める。
視線の先にいる彼女は、フラフラと歩きながら……駅の脇にある広場のベンチに腰を下ろした。
そして、猫背になって肩を落とすと……深く、深くため息をつく。
街頭の明かりが、彼女の姿を半分ほど、ぼんやり映し出していた。
その姿はどこか虚ろで、普段の彼女からは想像も出来ないほど――仄暗い。
見ていた涼子の背筋に、悪寒が走った。そして、慌てて我に返る。
このまま放置しておけない、咄嗟に足が動き、彼女の名を呼ぼうと空気を吸い込む。
「ミズちゃ――」
「――また、失敗しちゃったの。私、どうして生きてるんだろうね……」
彼女の声が聞こえた瞬間、足が止まった。
思わず顔を上げて彼女を見ると……瑞希は右側にいる誰かに向けて話しかけているように見える。
――座っているのは、彼女一人だけ。
何が起こっているのか、分からなかった。
一瞬、自分に向けて話しかけているのかと思ったのだが、彼女の視線は涼子を捉えていない。全く違う世界を見ているようにさえ思う。
瑞希との距離は、5メートルほど。
こんなに近くにいるのに、彼女は涼子に気付いていない。
そして――
「――私もあの時、一緒に死んじゃえばよかった」
その言葉を聞いた瞬間、涼子はその場から駆け出していた。
何が起こっている?
何を聞いた?
あれは――誰の声だった?
分からない。
分からない。
あの場にいたのが『誰』なのか……分からない。
車を駐めていた駐車場にたどり着いた時、両肩で息をしながら……自分が、泣いていることに気付いた。
「っ……!!」
逃げるように車の運転席に乗り込み、鍵をかけて……顔を手で覆う。
自分が見たものが何なのか。聞き間違いではない、あの言葉の真意はどこにあるのか。
瑞希に何が起こっているのか……詳しいことは、何も分からないけれど。
ただ……妹が死にたいと思うほど追い詰められていたこと、これに気付けなかったことが、悲しくて……悔しい。
自分から相談できるタイプではないことなど、分かっていたつもりだった。
ましてや今は、涼子が結婚準備で忙しくしていることを知っている。そんな時に瑞希が自分の悩み事を相談するなんて考えられない。
「私は……大丈夫だよ、お姉ちゃん」
あの時、もっと話を聞けばよかった。
もっと、瑞希と連絡を取ればよかった。
子供の頃はひとつ屋根の下、いつも一緒だったのに。
幼い頃の自分は、瑞希のことを、いつも気にかけていたのに。
――あのときの『優しいお姉ちゃん』は、写真と一緒にいなくなってしまったのだろうか。
「ミズちゃん……何が、何があったの……?」
言葉とともに零れ落ちた涙が、涼子の膝にシミを作った。
その後、20分ほど車内で過ごした涼子は……気力だけで運転して、自宅へ帰った。
あまり遅くなると、万吏に心配をかけてしまうから。
「だ、大丈夫かな……目、はれてないよね……」
駐車場に車をとめて、手鏡で顔をチェックする。そして、何度となく笑顔の練習をしてから、助手席に置いたトートバックを手にとった。
「――おかえり、スズ」
自宅のリビングに入ると、ダイニングテーブルに座っていた万吏が、片手を上げて彼女を出迎えた。
既に部屋着に着替えていた彼が、立ち上がって彼女の分の夕食を温めようと移動を始めて……ふと、涼子の前で立ち止まった。
そして、どこか狼狽している涼子を見下ろすと、彼女をそのまま抱きしめる。
「ば、万ちゃん?」
唐突な行動に目を丸くする涼子に向けて、万吏は冷静に問いかけた。
「……何があった?」
「え……?」
心を完全に見透かされた涼子が声を震わせると、万吏はそんな彼女の頭をなでながら、少し勝ち誇ったように言葉を続ける
「スズのことは、ずっと見てたから……何かあったらすぐに分かるよ。本当はスズから言って欲しかったけど、スズ、そういう性格じゃないからなぁ……」
「……ごめんね、万ちゃん……」
「謝らなくていいよ。俺が聞いていい話なら、スズの話、聞かせて欲しいかな」
そう言ってくれる彼を、恐る恐る見上げた。
助けてほしい、そんな思いが強くなって……でも、ここで彼にすがっていいのか、そんな疑問も浮かぶ。
万吏は、関係ないのに。
「でも……迷惑、かけちゃうかもしれないよ……?」
彼女の不安を見透かすように、万吏は首を横に振った。そして、何の迷いもなく答えを告げる。
「迷惑じゃない。スズの荷物は俺が半分持っていいんだよ。夫婦なんだからさ」
こう言ってくれた彼に、涼子は思わずすがりついた。
我慢していた涙が、溢れる。
そして、それと同時に――悩んでいる瑞希を抱きしめてくれる人がいないこと、そんな人物に自分がなれなかったこと、それは少し悔しいけれど。
涼子1人では、何も出来なかった。
だからこそ――今も1人で泣いている瑞希を、確実に助けるための味方を増やさなければ。
「万ちゃん、あの、あのね……私も、よく、分かっていないんだけど……」
呼吸を落ち着けて、頭の中で話を出来るだけ整理して。
そんな涼子の話を黙って聞いていた万吏は、彼女の頭にもう一度、優しく手を添えた。
そして、涙目のまま頷く彼女に笑顔を向けて、力強く一度だけ頷いてみせる。
「話は分かった。ここからは万ちゃんにもどーんと任せてくれ」
万吏はチートキャラみたいだなぁと思って終盤を書きました。夫婦は互いの荷物を持っていい、が、彼の持論なので、涼子の悩みを引き受けた万吏が、彼が懇意にしている仙台支局に話を通して、物語が始まったのです。
涼子を主役にすると、どんな感じになるのかわかりませんでしたが(普段が万吏の少し後ろに立っているキャラなので)……何とかまとめられてよかったっす!!
涼子、誕生日おめでとう!! これからも作品の根幹を支えるような、そんな君でいてね!! 割と重要なポジションなんだからね!!




