2018年瑠璃子生誕祭小話・馴れ初め④/恋は生もの、すなわち馬刺し
2018年瑠璃子生誕祭の小話は、先日の一誠誕生日からの明確な続きでございます。(https://ncode.syosetu.com/n9925dq/53/)
先にこっちを読んでから、お楽しみくださいませ。リアルタイムで待っていてくださった皆様、お待たせいたしましたー!!
■主な登場人物:瑠璃子、一誠
幼い頃から、ある程度のことは何であってもそつなくこなすことが出来た。
勉強、スポーツ、料理、友人関係……空気を読んで、ある程度のことを悟って何であっても及第点を取れるということは、誰かの満点にはなれないということ。
高校時代、同じ学校で憧れていた年上の異性から、自分は落ち着いていて話しやすいけど、女子としての可愛げや儚さのようなものがないと言われたこともある。
それに対して「大きなお世話だ」と思う前に、「まぁ、そうだよな」と思ってしまうあたり……自分はきっと、これからも、可もなく不可もない人生を歩んでいくのだと思っていた。
うっかり『縁故』という素質を手に入れてしまったけれど、それはそれ、これはこれ。
能力の制御さえ出来れば普通に生きていけるし、瑠璃子にとってはこの能力を活かして一生食いっぱぐれないことの方が、魅力的に思えた。
これまでに色々なトラブルを経験して、言われるがままに熊本へ出向して……流れるように今を生きる。
気心が知れた相手のことはある程度察して先に動くことも出来るし、フォローも出来る。だから、自分が対応出来なくなるサプライズは少し苦手だ。それを察知したら相手にそれとなく確認して確証を得て、心の用意をして、相手が一番喜ぶ驚き方をするようにしてきた。
名乗る名前を変えたって、中身は変わらない。
福岡でも、熊本でも、やるべきことをやるだけだ。
自分はそう簡単に変われない――そう、思っていた。
だから――クリスマス間近の金曜日、仕事を終えた瑠璃子の携帯電話に、福岡の同僚・川上一誠から久しぶりのメールが入っていた時は、心臓が飛び出るくらい驚いた。
――今日の夜、そっちで会えるか?
いきなり何を言っているんだ、人をからかうのも大概にしろと思い、少し憤慨して電話をかけてみるけれど……通じない。
その後、何度かけても電話が通じない現実に直面した時、瑠璃子の背中を冷や汗が伝うような感覚が襲う。
正気だろうか。何の約束もなく熊本までやって来て、ここで瑠璃子に用事があって会えなかったら……彼はどうするつもりなのだろう。
そもそも、何のつもりで熊本まで来るのだろうか。
分からない。
分からない。
彼が何を考えているのか、分からない。
とりあえず、一誠と合流しないことには話が進まないが、移動中の彼とは電話をすることが出来ない。
そのためメールでやり取りを続けた瑠璃子は、熊本市中心部にある『熊本交通センター』へ移動した。そこで時刻表を見せてもらい、彼が何時頃に熊本へ到着するのかを確認する。彼はどうやら、21時になった頃に熊本へ到着するらしい。
待合所にあるベンチに腰を下ろした瑠璃子は、壁にかけられた時計を見やった。時刻は間もなく定刻の21時過ぎ。熊本県内各所へ向かう路線バスが集まるこのバスターミナルは多くの人が利用しており、平日の今くらいの時間になると、熊本市内で仕事や食事を終えて帰るため、バスを待つ人の姿が目立つ。瑠璃子のように誰かを待っている人は……きっと、見える範囲にはいないのではないか。
「……一誠、何するつもりなんやろうか……」
福岡での仕事は完璧に引き継いできたし、そもそも一誠はお門違いの仕事をしている。分からないことがあればこれまでにも電話で問い合わせてきた。わざわざ福岡からくるということは……何かの書類に、瑠璃子直筆の署名と捺印が必要なのだろうか? それとも、麻里子の酔狂で様子を見てこいと、貧乏くじを引かされた?
どれだけ考えても、彼がわざわざ熊本まで来る理由が分からず……瑠璃子がため息を付いた次の瞬間、瑠璃子の手の中で携帯電話が振動した。
サブディスプレイに表示されたのは、一誠の名前。瑠璃子は動揺を悟られないように呼吸を整えてから、意を決して通話ボタンを押した。
「も、もしもし、一誠……?」
「おう、瑠璃子。お疲れさん」
「お、お疲れ様……電話出来るってことは、バスから降りたんよね……?」
瑠璃子は電話を持ったまま立ち上がると、周囲をキョロキョロと見渡した。目に見える範囲に一誠の姿は見当たらない。高速バスはまた別の場所なのかと思い至った瞬間、一誠から予想外の言葉が届いた。
「おう。『終点の熊本駅』で降りたのはよかけど……やっぱ、都合悪かったんか?」
一誠からの言葉に、瑠璃子は再び背筋を凍らせた。
久しぶりにミスをしてしまった、そんな焦燥感に襲われる。
「えぇっ!! 一誠、駅まで行ったと!?」
高速バスの始発・終着地点はここじゃない。JR熊本駅じゃないか。
自分がいつも、この交通センターを利用するから失念していたけれど……高速バスを初めて使う一誠であれば、駅が交通の要だと思ってそこまで乗るのは当たり前だ。そもそも降りる場所の指示を一切していない自分が悪い。
瑠璃子は急いで荷物をまとめると、急いで交通センターを出た。
「ちょ、ちょっと待っとってね、今から移動するけんがっ……!!」
今から駅へ向かうのであれば、バスよりも路面電車だ。週末で道路も人も混み合っているので、タクシーもすんなり捕まるか分からない。
熊本市の中心部は路面電車が走っており、均一料金で目的地まで行くことが出来る。瑠璃子は大急ぎで現在地から最も近い路面電車の駅までの地図を脳裏に思い描き、小走りで移動した。
分からない。
分からない。
彼が何を考えているのか、今の自分がどうしてこんなにかっこ悪いのか……分からない。
そして、彼の顔を見るまでは半信半疑だったけれど。
きらびやかな町のイルミネーションを見る余裕もなく、がむしゃらに移動を続けて約20分後。熊本駅の高速バス乗り場の待合室で、1人、ポツンと座っている一誠を見つけた瑠璃子は……珍しく、とても珍しく、大きな声で彼の名前を呼んだ。
「―― 一誠!!」
その声に反応した彼が、何かを咀嚼しながら瑠璃子の方を見やる。瑠璃子は白い息を吐きながら呼吸を整え、自分自身を落ち着かせつつ……彼へと近づいていった。
小走りで、なりふり構わず移動してきたこともあり……きっと今の自分は髪も乱れて、表情にも余裕がないだろう。どうしてこんな姿を身内以外に見せなければならないのか。
分からない。
分からない。
どうして自分がこんなに必死なのか……分からない。
「ほ、本当におった……!!」
瑠璃子は身なりを整える余裕もないまま、彼の方へ近づいていった。いつもであれば一誠が焦って、瑠璃子が何か食べながら見守るはずなのに、今は完全に逆転している。
一誠は口の中身をお茶で流し込みながら、自分へ近づいてくる瑠璃子へ、おもむろに、手に持っていた何かを手渡した。
パッケージに記載されている商品名は『いきなり団子』。いきなり団子とは熊本の郷土菓子で、見た目は大福のように見えるが、中にはカットされたさつまいもと小豆餡が入っている。ちょっとした軽食にもオススメの、割とボリューミーなお菓子だ。クリスマスよりもお正月に向いている和菓子でもある。
彼は晴れ晴れした笑顔で瑠璃子を見上げ、いつもと変わらない口調で声をかけた。
「ちゃんとコレ食べて、仕事しよるとか?」
「……それはもう、真面目に働いてますよー」
瑠璃子は肩をすくめてそれを受け取ると、パッケージをあけてそれをかじった。こし餡とさつまいもの甘さが同居しているお饅頭のおかげで、口の中があっという間に甘くなる。
刹那、胃が動いて音を出そうとしたため、瑠璃子は腹部を引き締めて音漏れを回避した。ここでお腹の音なんか彼に聞かれたら、もう自分は立ち直れないかもしれない。
一誠は瑠璃子と同じものを取り出すと、彼女と同じように一口かじった。福岡からノンストップで移動して、バスの中で何も食べられなかったのだと思うが……それにしても詰め込みすぎな気もする。
「一誠、そげん急いで食べんでも良かっちゃなかとー?」
瑠璃子が苦笑いで指摘すると、一誠は中身をお茶で流し込んでから反論した。
「んぐ……腹減っとるったい。バスの中で何も食べとらんけんな」
「あ、そうなんやね。じゃあ、どこかでご飯か……っていうか今日はどこに泊まるとー?」
そもそも彼が何をしに来たのかは知らないが、わざわざ熊本まで来るのだから、何か用事や目的があるに違いない。一誠の行動範囲を把握するために尋ねた瑠璃子へ、彼はしれっと一言で返答する。
「知らん」
「知らっ……!?」
あまりにも軽い一言。瑠璃子は驚きを隠せず、目を見開いた。
彼は一体、何を言っているのだろう。知り合いがいるとはいえ、瑠璃子は異性だ。そう簡単に一誠を泊められるわけもないし、そもそも寝具だって居住スペースだって、全てが一人分しかないマンスリーマンションである。麻里子であれば床に転がしておけばいいと言われるかもしれないが、流石にそうするわけにもいかないだろう。
分からない。
分からない。
彼が一体、何を考えているのか……会ってもちっとも分からない。
「え? じゃあ……一誠、何しに来たと?」
瑠璃子のもっともな問いかけに対して、一誠は、残りのいきなり団子を食べ終えてから……お茶で口の中をスッキリさせて、座ったまま彼女を見上げた。
そして――
「好きな女に会いたいと思ったけん、会いに来た。それだけじゃいかんとか?」
次の瞬間、瑠璃子は持っていたいきなり団子を、座っていた彼の膝の上に取り落とした。
分からない。
分からない。
彼は一体、何を言っているのだろうか。
「ちょっ……おい瑠璃子、服が汚れるやろうが!!」
彼女の食べかけのいきなり団子を拾い上げた一誠は、顔をしかめながら彼女にそれを返却しようとして……。
「瑠璃子……?」
いつも冷静に言い返す彼女が言葉を失い、自分を見下ろして立ち尽くしている様子を目の当たりにした。
こんなに困惑している彼女を見るのは、久しぶりな気がする。
前は……あの研修で、ユカが倒れた時だったから。
「瑠璃子、ほら。食べんとか?」
一誠が食べかけのいきなり団子をもう一度掲げると、彼女はそれを受け取る素振りも見せず……ポツリと呟く。
「……なして……?」
「何のことや?」
彼女の言葉の意味が分からない一誠が眉間にシワをよせると、瑠璃子は両手を足の横で握りしめて……彼を見下ろし、胸の中に渦巻く思いを吐き出した。
どうして彼は、こんなことが出来るのだろう。
分からない。
何も、分からない。
瑠璃子は呆然と立ち尽くし、唇を震わせる。
いつもは曖昧に、『適切に』取り繕えるのに……今は、そうすることが出来そうになかった。
「好きな女? 誰のこと? 何のこと? 会いに来たって何? 自分はいっちょん連絡せんかったくせに何? 人の都合も聞かんで何? なして、そげなこと、いきなり……」
「瑠璃子……」
「大体一誠は何も考えとらんやろ? サプライズげな単なる自己満足だって知っとる? 私が今日はたまたま動ける日やったけん良かったけど、風邪引いとるかもしれんとか、仕事が忙しいとか……考えとらんかったやろ?」
「それは……その、申し訳ない……」
矢継ぎ早に指摘された一誠は、思わず萎縮して頭を下げた。それを見た瑠璃子もまた、自分が『感情』を言い過ぎてしまったことを悟り、後悔が押し寄せる。
彼は自分を尋ねて……真偽はまだ不明だが、自分に好意を抱いた状態で、会いに来てくれたのに。
どうしてこんなに、可愛げがないことを淡々とぶつけてしまったのだろう。
嫌われた、真っ先にそう思った。
今すぐに一部を訂正して謝罪しなければならないのに、こんな時だけ口が動かない。言葉が出ない。
分からない。
分からない。
どうして自分がこんなに可愛くないのか……分からない。
困惑して立ち尽くす瑠璃子を見上げていた一誠は、彼女から視線を逸した後……脇に置いていたカバンからマフラーと手袋を取り出した。
それは11月の一誠の誕生日に、瑠璃子がユカを通じて渡してもらったもの。見覚えのあるデザインを見つけた瑠璃子が、「あ……」と声をもらす。
一誠はそれを持って彼女に見せると、どこかぎこちない笑顔でこう言った。
「あと……これのお礼もせんといかんやろうが。瑠璃子には彼氏がおるみたいやけんが、クリスマスや誕生日当日は外して来たとぞ」
「……はい?」
一誠からの衝撃の告白に、瑠璃子はもう数えるのも忘れるほど目を見開き、たいそう間の抜けた声を漏らした。
彼氏? 何を寝ぼけたことを。彼は今、どんな設定で自分を見ているのだろうか。
分からない。
分からない。
この現状が、彼の考えていることが……本当に、何も、分からない。
気がつくと、次の福岡行きの高速バスに乗る人がちらほらと待合室に入ってきた。これ以上、ここで込み入った話をする気分にはなれない。
自分と一誠の間には、凄まじい認識違いがあると思ったから。
瑠璃子は自分を落ち着かせるために呼吸を整えると、一誠の手にあるいきなり団子を受け取って……残りを全て、口の中に放り込む。
「おい瑠璃子……むせるぞ」
彼女の行動に一誠が怪訝そうな表情を向けるが、今の瑠璃子はそれどころではなかった。
圧倒的に情報と糖分が足りない。そうだ、自分もほぼ飲まず食わずで移動してきた。糖分が足りないから短気になってしまうし、落ち着いて考えることも出来ない。だから糖分を摂取して、それで――
「んっ!?」
次の瞬間、むせそうになった瑠璃子が口を抑えて苦しそうな息を漏らした。それを見た一誠が慌ててペットボトルのお茶を差し出す。
「だから言っただろうが……ほら、これ飲むか?」
「……んー」
瑠璃子はお茶を受け取りながらコクコクと頷くと、蓋をあけて中身を流し込みながら……ゆっくりと口の中身を咀嚼した。そして、口内をスッキリさせてからもう一口お茶を流し込み、ふぅ、と、一度息を吐く。
「はー……美味しいけどちょっと焦ったねー」
こう言ってペットボトルを一誠に返却すると、彼はそれを受け取ってため息をつく。
「当たり前だ。なしてそげな無茶な食べ方したとか……」
この言葉に、瑠璃子はいつもどおりの表情で反論した。
「目の前におる、無茶苦茶な人の考えとることが……少しでも分かるようになるかなーと思って」
「……悪かったな無茶苦茶な人で」
彼もまた、悪態をつきながらも瑠璃子に笑顔を向けてくれる。この雰囲気が懐かしくて……互いに思わず肩をすくめた。
「いつまでもここにおると邪魔になるね。どげんしようかな……」
瑠璃子は思考を切り替えて、2人で話が出来る場所を探し始める。とはいえ、今はクリスマス前の金曜日。飲食店は予約の客でいっぱいだろうし、コーヒーショップなどもあと1時間もすれば閉店してしまうだろう。ファミレスの場合、時間は気にしなくていいけれども……高校生や大学生がたむろしていそう。カラオケも同様で、落ち着いて話ができるかどうか分からない。そもそも、内々の話を不特定多数が聞ける場所で行うことそのものに、抵抗があるから。
あと……これだけ心身が疲弊しているのだ。彼の『勘違い』を察した今、バカバカしくて飲まないとやってられない。
瑠璃子は一誠を見つめ……しょうがないと腹をくくった。
「一誠、今日は終バスで帰ると?」
「あ、いや……何も考えてなかったけど……」
「分かった。じゃあ、どこにも予約とか取っとらんとねー」
瑠璃子は荷物を持ち直すと、一誠に移動する旨を伝えた。そして連れ立ってバスの待合室を出てから、路面電車のホームがある方へと向かう。
「る、瑠璃子、どこ行くんか?」
迷いなくあるく彼女に追いついた一誠が首を傾げながら尋ねると、瑠璃子は前を見据えたまま、何の動揺もなく返答した。
「買い物して、私の部屋で宅飲みやねー」
その後、弁当のヒライで二人分のお弁当を調達し、近くのコンビニでアルコールとつまみ、お菓子を調達して。
それらを全て一誠に持たせた瑠璃子は、水前寺公園の近くにある部屋へと彼を案内した。
彼は初めて乗る路面電車にいたく感動していたけれど……瑠璃子は脳内で、ちゃんと片付けていたかどうか、部屋に人をあげて大丈夫なのか、朝食の片付けとゴミ出しはしっかりして出てきたかどうか、そんなことばかりを考えて、もはや何も楽しめない。おかげでうっかり乗り過ごすところだった。
「はしゃいどる一誠のせいで乗り過ごすところやったねー」
「責任転嫁するなよ!!」
……といういつものやり取りを続けて、路面電車の駅からほど近いウィークリーマンションに到着。とりあえず一誠を廊下で待たせた瑠璃子が先に室内へ入り、部屋の中で干しっぱなしだった下着やタオルをベッドの上に置き、その上から布団をかけて一時的に隠した。そして改めて周囲を見渡してから、特に見られて困るものがないことを確認し……玄関を開き、彼を招き入れる。
「お、お邪魔します……」
どこかソワソワした足取りで入ってくる一誠にため息をつきながら、瑠璃子は玄関扉に施錠して、彼の後ろに続いた。
そして――どうして自分が熊本に赴任しているのか、その理由を説明する。
「産休!?」
一誠の大声が響き、瑠璃子は思わず顔をしかめてビールをすすった。
2人入ると手狭なワンルーム、備え付けの正方形のテーブルに二人分のお弁当やビール、つまみに買った馬刺しを置くと、それだけで目いっぱいになってしまう。そして、自ずと距離も近くなる。
瑠璃子はビールの缶から口を離すと、事の発端を説明した。
「熊本の加東支局長の奥さん、知らん? 事務局長の柿原千明さんっていうんやけど……その柿原さんが妊娠して、産休をとることになったんよ。私はその間のヘルプってことで、熊本に来とると」
「そ、そうやったんか……でも、あの辞令にはそげなこと一言も……」
一誠や皆が福岡で見た辞令には、そんなこと、一言も記載されていなかった。特に隠すようなことではないと言外で語る彼に……瑠璃子は肩をすくめ、「誰にも言わんでね」と釘を刺す。
「柿原さんってあまり体が強くない人なんよ。妊娠中もずーっと管理入院ばっかりで、正直……出産したら母体がもたないからって、遠回しに子どもを諦めろって言われるくらいにねー。だから、万が一を考慮して、あまり事情を表に出さんようにしとると。私の赴任期間が不明瞭なのもそのせいやね。やけんが、一誠も人に言わんでよね」
「……」
「柿原さんがどうしても生みたいって言って、ギリギリまで加東支局長も手伝っとったんやけど……流石に限界ってことで福岡にヘルプが来たと。私が選ばれたのも、柿原さんと年齢も近い同性やし、料理もある程度出来るし……要するに、困ったことがあったら手伝いやすいってこともあったみたいやね」
淡々と語りながら、瑠璃子は不意に、自分が熊本へ赴任した当日のことを思い出した。
その日、熊本駅まで迎えに来てくれたのは、支局長の加東幸清だった。彼は瑠璃子を歓迎してこの部屋の鍵と支局の場所、机の位置やパソコンの使い方などを案内した後……全てを了承した瑠璃子に、改めて深く頭を下げてくれたのだ。
「今回は……本当に、ありがとう。本来であれば熊本で対応せんといかんとにな……」
「顔を上げてください。私もキャリアアップしたかったので問題なかですよ」
慌てて瑠璃子が彼に顔をあげるよう促すと、幸清はどこか疲れた顔に精一杯の笑みを浮かべる。いくらバタバタしているとはいえこんなにやつれた人だっただろうかと心配になる彼に、瑠璃子はオズオズと問いかけた。
「あの、奥さんの体調は……いかがですか?」
聞いていいのかどうか分からなかったが、自分にも遠からず関係してくれる事案だ。幸清も口元を引き締めて……驚きの事実を告げる。
「ありがとう。実は……先週の日曜日に生まれたんだ」
「え!? 先週!?」
彼の言葉に瑠璃子は思わず耳を疑った。瑠璃子が聞いていた予定日は年明け、1月中旬だったのだから。
驚きで言葉を失う彼女に、幸清が苦笑いで現状を告げる。
「超未熟児で生まれてしまってな、今は保育器の中で頑張っとるんや」
「そうだったんですか……あの、奥さんは……」
「千明もまだ、意識が朦朧としとるけど……とりあえず峠は超えたって言われたよ。やけんが申し訳ないけど……俺がおらん時は、副支局長の指示に従ってくれるかな」
「分かり、ました……」
現状を把握するだけで精一杯の瑠璃子は、そう言って頷くのが精一杯で……やつれきった彼にかける、気の利いた言葉が浮かばなかった。
ここまで語ってお弁当のハンバーグをつまむ瑠璃子に、一誠が恐る恐る問いかける。
「それで、瑠璃子……奥さんと子どもさんは、どげんなったとか?」
最悪の事態を危惧している彼に、瑠璃子は笑顔で現状を告げる。
「千明さんは2週間くらいで退院出来たっちゃけど、娘ちゃんは結局2ヶ月近く入院して……この間やっと、退院出来たところなんよ。そういえば千明さんが退院した頃が丁度、一誠の誕生日付近やね。私が加東支局長の家で家政婦しよった頃なんやけど……」
「家政婦……」
彼女の言葉を受けて、一誠はとある可能性に思い至った。
――瑠璃ちゃん、飯にするけん、電話終わったらこっち来んね
誕生日に電話で聞いた、聞いたことのない男性の声。
それが熊本支局の加東支局長のもので……瑠璃子が千明の産後の手伝いも兼ねて、彼らの家で家事手伝いをしていたのだとすれば。
「マジか……」
ポカンと口を開いて、呆然と瑠璃子を見つめる一誠の口へ、瑠璃子は自分のお弁当からハンバーグを一切れつまみ上げると、適当に放り投げた。そして、少し嬉しそうに笑う。
「そういうこと。今は千明さんのお母さんが鹿児島から手伝いに来てくれて、私も行かんくなったっちゃけどね。いやー、あの頃は大変やったよー」
そう言ってビールを1缶飲み終えた瑠璃子は、空き缶をテーブルの脇に置いた。そして……お弁当の白米を食べながら、言いようのない表情でハンバーグを噛んでいる一誠を見やり、口元に笑みを浮かべる。
「嘘だと思うなら、加東支局長に聞いてくれてよかよ。まぁそんな感じで、今年は1人で誕生日かと思ったけど……一誠が来てくれて、ちょっとは楽しかったかな。でも、次からは事前に連絡してくれんと困るけんねー」
「それは……すまん」
口の中のハンバーグを飲み込んだ一誠が、改めて頭を下げた。瑠璃子はそんな彼の後頭部を割り箸の箸袋でつつきながら、目を細める。
「……変なの。今朝まで1人やったんに……今は一誠がおるよー。まるで福岡で働いとる時みたいやね」
「そうやな。俺もまさか、夜に熊本におるとは思わんかった」
箸袋を手で弾きながら顔をあげた一誠は、楽しそうな瑠璃子を見つめて……一度、呼吸を整えた。
ここに来た目的は、彼女と楽しく食事を食べることだけではない。
ちゃんと伝えたいことがあって、次に繋げたい事があって――それらを実現するために、わざわざ押しかけたのだから。
さっきは思わず勢いで伝えてしまったけれど、あれは告白としてはノーカウントだろう。だからここで改めて伝えて……彼女の返事を、彼女が自分をどう思っているのか、知りたい。
「あのな、瑠璃子……俺は――」
次の瞬間、机に手をついて中腰になった瑠璃子が、一誠との距離を一気にゼロにした。
唇同士が触れ合っていたのは、ほんの一瞬のこと。だから正直、動揺と相まって感触なんか覚えていられない。
「なっ……!?」
手を床についた一誠が、狼狽した表情で瑠璃子を凝視した。一方の彼女はしたり顔で自分の席に戻ると、食事の残りを食べながら……こんなことを言う。
「さっき聞いたけん、もうよかよー」
「あのなぁっ……!!」
無神経にも思える物言いに、一誠が苦言を呈しようとした次の瞬間……瑠璃子の顔がずっと、ずっと笑っていることに気がついた。よく見ると耳まで赤くなっている。注視してみると、彼女の箸は白米をすくおうとして、3回に1回は失敗していた。
分からない。
分からない。
瑠璃子自身もまた、自分がどうしてあんなことをしてしまったのか、分からない。
ただ……変わらないと斜に構えるよりも、何か変えたいと思ってがむしゃらに行動する、そんな彼を見ていたら、少しだけ、感化されてしまっただけだ。
勿論……どうして感化されたのかは、分からない。
己を見失って迷走する瑠璃子を見ながら……一誠はひたすらに目を丸くした。
こんな彼女、初めて見る。恐らく誰も見たことがないだろう。
彼女がどうしてあんなに大胆な行動にでたのかも含めて、これはもう、じっくり尋問する必要がありそうだ。
「瑠璃子……お前、実はめちゃくちゃ恥ずかしいっちゃなかとか……?」
「……」
瑠璃子は何も言わず、その箸は白米もすくえない。
一誠はあぐらを組み直すと……残ったビールを一口すすった。そして、割り箸でテーブル中央にある馬刺しをとると、付属してきた特性醤油をつけて口の中に入れる。
あっさりとした中にある独特の旨味が癖になる。好き嫌いはあるかもしれないが、やはり本場で食べられるものだ鮮度が違うと改めて思いながら、一誠は思わずもう一つ箸でつまんで口に運んだ。
瑠璃子はさして珍しくないからなのか、馬刺しには特に箸が向いていない。
……否、それどころではないのかもしれない。
鮮度が落ちるから、早めに食べたほうが美味しいに決まっている。だから、この話題も、今のうちに……戦略を決めた彼女が普段の調子を取り戻す前にもう少し自分から押し進めて、今しか感じられない彼女の反応を楽しもうと思う。
恋はナマモノ。いつどうなるか――明日の自分が今頃どこにいるのか、誰にも予測出来ないのだから。
一誠は箸を自分の弁当の脇に置くと今度は自分から距離を近づけて……彼女の隣に移動した。そして、静かに目をそらす彼女を見据える。
「それで……さっき聞いたことに対する返事は、いつになったら言葉にしてもらえるとでしょうか、徳永瑠璃子さん」
「……」
「瑠璃子さーん、いつも口が達者な瑠璃子さーん」
「……」
隣にいる、普段は『律儀に』返事をしてくれるはずの彼女は……黙して何も語らないまま。
一誠は持っていた空き缶をテーブルの上に置いてから、静かに彼女の肩を抱いた。そしてビクリと身をすくませる瑠璃子に意地悪な笑みを浮かべると……彼女だけに聞こえるよう、最後通告をする。
「瑠璃子の言葉で聞くまで……ここから離れんけんな」
そこから、瑠璃子が再び口を開くまで20分以上かかることになるのだが……それはまた、別の話だ。
おべんとうのヒライって知ってますか? 熊本を中心にしたお弁当屋さんなんですけど……霧原さん割と好きです。熊本の色んなところに点在しているイメージなので、見かけた際は立ち寄ってみてくださいませ。
さて、まぁ……2人はこうして付き合うことになったんだよという馴れ初め話。割と大人な2人だと思っているので、多少踏み込んでもいいかなと思ったんです。あぁ楽しかった。
来年を遠距離編にするのか、結婚編にするのかは決めていませんが……もうしばらく、この夫婦のネタはつきそうにないですね。ありがたいことです。書いていて楽しいので来年もノリノリで書ける、はずだ!!
瑠璃子、誕生日おめでとう!! これからも素敵なお姉さんでいてね!!




