2018年心愛生誕祭小話:ディア・マイ・シスター!?
2018年の心愛誕生日は、第2幕終盤で発覚した、「心愛、透名総合病院へ兄の愚行を謝罪に行く。(https://ncode.syosetu.com/n2377dz/25/)」を、詳しく書いてみました。
心愛と櫻子、小説でここまでガッツリ絡むのは初めてですね。第3幕でも少し会話はしていましたが(統治が櫻子を駐車場へ送るように仕向けたり)、それにはこんな会話があったから、と、思っていただければ嬉しいです!!
主な登場キャラクター:心愛、櫻子、里穂、仁義、統治
「――よしっ……!!」
勉強机の上に置いた、大きめの鏡。その鏡の向こうにいる自分の顔をもう一度確認して……名杙心愛は一度、気合と共に小さく声を出す。
5月も後半の日曜日、時刻は朝の8時30分。予定がなければそろそろ起きるような時間だが、今日の心愛は既に身支度と食事を済ませている。その顔には眠気も気の緩みも一切感じられない。むしろ、既に気が張り詰めているようにさえ見えた。
今日の自分の行動で、『兄』の今後が決まってしまう……かもしれない。
そう思うと、いつもより緊張してしまうけれど。
でも……これはどうしても、自分1人で成し遂げたいことだから。
「……大丈夫。これはちゃんと、心愛がやらなきゃ……!!」
鏡の向こうにいる自分へ向けて言い聞かせ、もう一度頷いて。
椅子から立ち上がった心愛は、スマートフォンやリップクリームなどの入ったポーチを手に持つと、自分の部屋を後にした。
今日の彼女は襟付きの白いブラウスに、パステルピンクのシフォンスカート。膝丈のスカートには薄い黒のハイソックスを合わせて足元を引き締めている。2階から1階へ階段を降りてきたところで、丁度、リビングから洗面所へ向かおうとしていた兄・名杙統治と鉢合わせになった。
「あ……えっと……おはよう、お兄様」
挨拶から先が上手く思い浮かばない。言葉を探して立ち止まる心愛に、部屋着姿の統治が「おはよう」と挨拶を返した後、寝癖の残る頭を動かして首をかしげた。
「心愛、今日は随分早いな」
「えっ!? あ、今日はちょっと、りっぴーとお出かけするから……」
「里穂と?」
統治の言葉にコクコクと頷く心愛は、「じゃ、じゃあ、行ってきます!!」と足早にその場を後にして玄関へ向かった。
統治はそんな彼女の背中を見送りつつ……彼女が里穂と出かけるようになったことに驚くと同時に、思わず、口元を緩める。
以前の――数ヶ月前の心愛であれば、イトコとはいえ、分家である里穂との付き合いは最低限に留めていたし、自分とこのように日常的な会話をすることも、ほとんどなかったのだから。
先月、統治が行方不明になり、心愛自身も危険に巻き込まれて。
そこで、兄妹として止まっていた時間が、少しずつ動き始めた。
そして先週、秀麗中学における騒動が一段落して。
まだどこか、ぎこちなさは残るけれど……それでも、前よりずっと、話をする機会は増えた。
今日の外出が彼女にとって実りあるものになればいいと思いながら、統治は顔を洗うために洗面所へ向かうのだった。
今の統治に、思い至るわけがない。
心愛がこんなに朝早くから外出する理由が、自分にあることなど。
家を出た心愛は、仙石線の本塩釜駅に向かった。そこから電車に乗り、いつも学校に向かう仙台方面……ではなく、石巻方面へと向かう電車に乗る。
日曜日の朝ということで、電車内には主に松島へ向かうであろう、大きな荷物を抱えた観光客がちらほら見受けられた。心愛は7人がけの横に長い椅子の端に腰を下ろし、ポーチからスマートフォンを取り出す。
そして、里穂へ「電車に乗った」ことを送信すると、そのメッセージはすぐに既読になり、『了解!!』という文字があしらわれた動物のスタンプが送られて来た。
その様子を確認した心愛はホッと肩をなでおろし、ポーチからイヤホンを取り出してスマートフォンに接続して、端末内に保存している音楽を再生する。
各駅停車の普通列車は、定刻どおりに線路を進んでいく。案の定、ほとんどの乗客は、観光地の『松島海岸駅』で降車してしまい……車両内には心愛と、離れたところにポツポツと座っている数名がいるのみ。心愛が知っている仙石線は、通勤・通学に利用する多くの人で賑わっているが……今は人の話し声など聞こえるはずもなく、電車の走行音だけが規則正しく車内に響いていた。
正直、心愛も石巻まで電車で行ったことはない。そもそも名倉家へ行ったこともあったかどうか、そこからうろ覚えだ。それだけ、里穂との接点はなかったのだから。
本当は、里穂達が心愛を迎えに来ると言ってくれていた。けれど、心愛はそれを断ったのだ。
「心愛が行きたいんだから……自分の足で行かなきゃ駄目だと思うの。りっぴー、それでもいい?」
数日前、『仙台支局』からの帰り道で一緒になった時に、今日の計画への協力要請と一緒に恐る恐る伝えると……里穂が笑顔で「分かったっす」と頷いた。
「じゃあ、日曜日の朝は石巻駅まで来て欲しいっす。そこからはみんなで車移動っすよ!! ジンと一緒におやつを用意して待ってるっす!!」
里穂は心愛の意見を受け入れて、笑顔で頷いてくれた。そして、このことを自分の母親にも伝えると、財布から静かに交通費と昼食代を渡してくれたのだ。
「理恵子さん達に迷惑をかけないように気をつけて。あと……おばあちゃんに宜しくね」
この言葉に、心愛は「分かった」と返答して、そして……ついに、当日が訪れたのだ。
電車は淀みなく進み続ける。そして――
――間もなく東名、東名です。
曲間に聞こえた車内アナウンスに、心愛はビクリと両肩を震わせた。
慌てて窓の外を見ると、駅名を示す看板に『東名』と記載されており、ここが『東名駅』という場所だということに気がつく。
「あ……」
こんな名前の駅があったことなんて、知らなかった。宮城の在来線には扉の開閉ボタンがついており、乗る人、降りる人はボタンを押して扉を開かなければならない。電車は止まったが、車両内に4箇所あるドアに動きがないので、誰も乗り降りをすることなく、車内の静寂は保たれたままである。
程なくして次の曲の再生が始まり、電車も動き出した。心愛はぼんやりと窓の外を見つめながら……これから会いに行く『女性』に思いを馳せた後、人知れずため息をつくのだった。
「心愛の……せいなんだから」
ボソリと呟いた言葉は、電車の走行音にかき消される。
心愛がこれから里穂達と共に向かうのは、透名総合病院だ。
宮城県北部にある登米市にある大きな病院で、そこには心愛の祖母・名杙芳子が入院している。
芳子は検査入院や経過観察の入院を繰り返しており、行く行くは、登米市内にある介護施設への入所も検討されている……らしい。
心愛や芳子が住んでいる宮城県塩竈市と、病院がある登米市は、鉄道で直接繋がっておらず、車での移動も2時間近くかかる。そう簡単にお見舞いへ行ける距離ではない病院へ、祖母がどうして入院しているのか、心愛はずっと気になっていたのだが……最近になって、母親がその理由を教えてくれた。
この家業が原因で、仙台圏の病院から不平等な扱いを受けたこと。
あらゆる病院が芳子を『名杙に対する人質』にした中、透名総合病院だけが、芳子を『患者』として扱ってくれたことを。
分かっていた、いや、分かっていたつもりだった。
自分たちのこの家は、この能力を生かした仕事は……人間を変えてしまうと思う。
今まで心愛のご機嫌を取っていた大人たちが分かりやすかった。彼らは名杙現当主の長女である心愛に媚びへつらい、将来への約束を取り付けようとさえしてきたのだから。
ちやほやされることは気持ちよかった。自分が特別なんだと、例え『縁故』として働かなくても、怖い思いをしなくても楽に生きていける、そう、思っていたけれど。
今年の4月、統治が突然居なくなって。
家の中が大騒ぎになった時に……周囲の目が、期待が、心愛へ一気に向けられたように感じたのだ。
だから、統治の友人である政宗に話をした。
彼もまた、名杙の下部組織に属する1人だ。他の大人達と同じように優しくしてくれる、苦しい思いをせずに自分を導いてくれる、そんな打算があったことは否定しない。現に彼は優しかった。
けれど……。
「心愛ちゃん、やっぱり、今の君には無理やね。いい加減……才能以前の問題を何とかすべきだってことに気づいて欲しいかな」
1人だけ、心愛を最初から特別扱いしない人物が現れて。
「心愛ちゃんの過去に何があったのか、申し訳ないけど統治からある程度のことは聞いとる。あんな経験をしたっちゃけんが、『痕』に恐怖心を抱くのは当然だと思うけど……『縁故』になりたいと思うんやったら、まずは、その恐怖心を自分で克服してからにせんね。でないと、心愛ちゃん自身が可哀想だよ」
心愛の欠点を真っ直ぐに指摘して、現実を見せてくれた。
そんな彼女を見返したくて、追いつきたくて……今の心愛は頑張っているようなものだ。まだ上手く出来ないこと、怖くて足がすくむこともあるけれど、それでも……以前よりも確実に、1人で出来ることは増えていると思う。
だからこそ、今日も……しっかり、自分の役割を果たしてこなければ。
心愛が改めてそう誓った時、電車は仙石線の終着駅・石巻駅に到着した。
改札口で待っていた里穂に出迎えられ、駐車場へと歩く。今日の里穂はいつもどおりのポニーテールに、七分丈のロングTシャツと足首までのスキニーパンツというラフな格好。高校生になって更に背が伸びた里穂が、自分よりずっと大人びて見えた。
彼女と共に出口付近に止まっていたグレーのセダンの後部座席に乗り込むと、助手席に座っていた柳井仁義が、後部座席を見て軽く会釈をする。
「おはようございます、心愛さん」
「お、おはよう……ジン……」
まだ言い慣れない呼び名を戸惑いながら呟くと、それを聞いた仁義は嬉しそうに顔をほころばせて、「今日は宜しくお願いします」と笑顔を向けた。
そんな2人を見守る里穂は、運転席の後ろに陣取ってシートベルトをしめながら、運転席にいる母の理英子に声を掛ける。
「お母さん、用意出来たっすよ」
その声に振り向いた理英子が、シートベルトを締め終えた心愛に視線を向けて、嬉しそうに目を細めた。「心愛ちゃん、おはよう。なんだか久しぶりね」
「お、おはようございます……!! 今日は、心愛のワガママをきいてくれて……ありがとうございますっ!!」
叔母の理英子と久しぶりの対面になった心愛は、思わず背筋を伸ばして声を上ずらせた。そんな彼女に理英子は「そういうのいいから」と軽く手を振る。
「おばあちゃんも心愛ちゃんの顔を見たら喜ぶと思うわ。じゃあ、出発するわね」
そう言って彼女は前に向き直り、座る位置を調整してサイドブレーキを戻す。ゆっくりと動き出す景色を見つめながら……心愛は脳内で、今日、自分がやるべきことをシミュレーションしていた。
今日は透名総合病院で、2つ、やるべきことがある。
1つは祖母・芳子のお見舞い。心愛は同じ敷地内に住んでいるので、そこまで久しぶりというわけでがないが……それでも、お見舞いという形式で会うのは初めてだった。
そしてもう1つは……病院内にいる女性・透名櫻子に、先日の非礼を詫びること。
「そういえばココちゃん、うち兄は今日、ココちゃんが櫻子さんのところに行くって知ってるっすか?」
不意に尋ねられた心愛は、里穂を見て首を横に振る。
「言ってないの。伝えたら……余計なことはしなくていいって言われそうだし」
「確かに、うち兄はそう言いそうっすねぇ……」
統治が渋い顔をする様子が浮かんだ里穂が、苦笑いと共に頬をかいた。
心愛もまた、里穂に向けて肩をすくめた後……視線を膝の上に落とし、一度、息を吐く。
「心愛が謝ったって、お兄様がやったことは変わらないって分かってるの。お兄様がそんなことを望んでいないのも、お節介だろうなってことも全部分かってる。でも……」
先週、統治は……自分の大切なお見合いを早々に切り上げて、心愛達を助けるために駆けつけてくれた。
そのことはとても嬉しかったし、彼が来なければ事態が悪化していた可能性もある。学校の先輩でもある阿部倫子を助けられたし、秀麗中学における事件も、解決への道をたどっている。
けれどそれは、透名櫻子という女性が身を引いてくれたからだ。
彼女が己のことを一切優先せず、統治のことを考えてくれたから。
そのことには感謝しているけれど……同時に、部外者でもある彼女にお門違いの負担を強いてしまったような、そんな罪悪感も残っているから。
「でも……心愛は直接、謝りたいの。誰かに言ってもらうんじゃなくて、ちゃんと自分で」
心愛が修行を重ねて、1人前になっていれば……今回のことは、もっと早く、スマートに解決出来たかもしれない。
全ては可能性、憶測の話だ。けれど、心愛が自分を甘やかして、苦手なことから目をそらしてきたこともまた、事実。
そのツケを兄に払わせてしまったのだとすれば……自分も出来ることをしたい、素直にそう思ったから。
心愛の横顔に彼女なりのけじめを感じた里穂は、少し力の入った肩にそっと手を添えると、ポニーテールを揺らして優しい笑顔を向ける。
「そんなに強張らなくても大丈夫っす。櫻子さんは怖い人じゃないっすよ」
「りっぴー……」
「むしろココちゃんが会いに来てくれたことを喜んでくれると思うっす。お膳立ては私とジンに任せて欲しいっすよ!! 2人のために頑張るっすね!!」
こう言って力強く頷いてくれる里穂が、とても頼もしくて。
心愛は無言で一度頷いた後……あの時の櫻子が、初対面の統治の気持ちを正確に理解して身を引いてくれたのか、純粋に聞いてみたくなった。
そんな余裕が生まれていることに、当の本人は気が付いていないけれど。
少し気が楽になった心愛がシートに体重を預けて息を吐くと、隣の里穂は自分の顎に手を添えて、何やら考えている様子。
「りっぴー?」
神妙な面持ちの里穂に心愛が首をかしげると、里穂が顎に添えていた手の人差し指を立てて、真面目な顔でこんなことを言う。
「将来的にうち兄と櫻子さんが結婚したら……櫻子さん、ココちゃんのお姉ちゃんになるっすね」
「へぁっ!?」
里穂の言葉に、心愛は自分でも呆れるほど上ずった声を出した。ハンドルを握っていた理英子が吹き出した音も聞こえたが、それはもう聞こえないふりである。
「り、りっぴー!! いきなり何を言い出すの!?」
「え? 事実っすよ。ココちゃんも将来の義理のお姉さんになる女性だから、早々に手を打っておこうと思ってるんじゃ……」
「そっ、そういうわけじゃないし!! だ、第一、まだお付き合いだってしてないのに結婚なんて気が早すぎるわよ!!」
言いながら赤面してうつむく心愛に、里穂が神妙な面持ちのまま、冷静に言葉を続けた。
「でも、ココちゃん……ここでうち兄が結婚出来なかったら、一生、政さんのお守りっすよ」
「えっ……!?」
刹那、とても痛いところをつかれた心愛が顔を上げて目を見開いた。助手席に座っている仁義が口元を抑えて肩を小刻みに震わせていたが、見なかったことにしよう。
里穂はそんな心愛に若干同情気味な眼差しを向けると、彼女の肩にポンと手を添える。
「ココちゃんも知ってると思うっすけど……ケッカさんが来たところで、うち兄の役割が変わらないことが分かったっす。むしろ守るべき存在が増えてるっすね」
「そ、れは……でも、お兄様だっていつか……!!」
「その『いつか』が10年後でもいいっすか!? このままだとケッカさんと政さんは特に進展しないまま時間ばっかり経過して、うち兄がそれに付き合って結婚適齢期を通り過ぎてしまうっす!! 妹として、それでいいっすか!?」
「っ……!!」
里穂の容赦ない指摘に、心愛は膝の上で両手を握りしめ……自分に言い聞かせるように呟いた。
そう、全ては――私生活において一切波風の立つ気配のない、そんな兄のために。
「心愛が……心愛がやらなきゃ。心愛がお兄様の結婚適齢期を守らなきゃ……!!」
そんな彼女の様子を見つめながら……里穂は、「あれ、これで良かったっけ?」と思いつつ、心愛が燃えているのでこれ以上何も言わないでおくことにした。
石巻から三陸道(高速道路)を北上すること1時間弱。4人を乗せた車は、登米市の中心地近くにある、透名総合病院の駐車場に到着した。
日曜日なので外来の診療は行われておらず、駐車場には心愛達のようにお見舞いだと思われる人たちが、白い外壁で3階建ての病院へ向けて歩いていくのが分かる。
心愛が車を降りた瞬間、春の爽やかな風が髪の毛を撫でるように通り抜けた。
仙台とも塩釜とも違う、穏やかな空気の流れに、思わず空を仰ぐ。
頭上には抜けるような青空。周囲には病院以外に高い建物がないので、心愛の視界を遮るものは何もない。
きっと、出来る。そんな根拠のない自信を信じたくなった。
「ココちゃーん、行くっすよー!!」
休日外来用の入り口へ向かう里穂に大声で呼ばれた心愛は、慌てて地面を蹴って彼女に追いつく。そして、置いていかれないように歩幅を合わせて隣を歩きながら……目の前に近づいてきた白い建物に、口元を引き締めた。
心愛が理英子と共に、内科に入院している芳子を見舞っている間、里穂と仁義は総合案内の隣に立って、櫻子の到着を待っていた。
2人は櫻子と顔見知りとはいえ、直接の連絡先を知っているわけではない。だからこそ、何度となくこの病院に通って、櫻子や彼女の家族ともすっかり顔見知りの母・理英子の力を借りることにしたのだ。
理英子を通じて櫻子に連絡をとってもらったところ、今日は午前中に院内で1件打ち合わせがあるが、その後は特に予定がないという。とはいえ、打ち合わせが何時に終わるかまでは分からなかったため、それが終わったところに突撃して、櫻子を捕まえようという魂胆だ。
現在の時刻は午前11時前。周囲には人影もなく、普段は患者でごった返しているロビーも、今は照明を落とされ、水を打ったように静まり返っている。
地元野球チームのロゴが入ったえんじ色の帽子をかぶり直した仁義は、どこか自信満々に立っている里穂をチラ見して、恐る恐る問いかけた。
「ところで里穂……櫻子さんは、ここを通るの?」
「へ?」
仁義の冷静な問いかけに、里穂が目を開けたまま盛大に首を傾げた。
そして、周囲をぎこちなーく見渡した後……静まり返った院内の様子に、若干、焦りを浮かべる。
「え、えーっと……えーっとっすねー……えっとー……」
里穂の口から単語が消えた。
まぁ、ここで何の根拠もなく待ち伏せている時から嫌な予感はしていたけれど……仁義は目が泳ぐ里穂に、苦笑いで現実を突きつける。
「やっぱり、何も考えてなかったんだね……」
「だ、大丈夫っすよ!! きっと櫻子さんと私達には何かしらの『関係縁』が繋がって――!!」
何かしらも何も『関係縁』だろう、と、仁義がツッコミを入れようとした次の瞬間、言葉の続きを飲み込んだ里穂が一点を見つめて――大きな瞳をひときわ輝かせた。
「――見つけたっす!! 櫻子さーん!! こんにちはーっ!!」
「ちょっ……里穂!? 病院では静かにってあれだけ……!!」
一足早く駆け出した里穂にため息をつきながら、仁義も慌てて彼女の背中を追いかけて……綺麗な目の中に、明らかに戸惑っている髪の長い女性の姿を捉える。
そして……十数分後。
「じゃあ、後は若い2人でじっくり話をして欲しいっすよ!!」
どや顔の里穂が、ロビーの隅にある談話用のベンチの前で仁王立ちになっっていた。
その視線の先には、両手を膝の上で握りしめて口をモゴモゴさせている心愛と、未だにちっとも現状が理解できない櫻子が、横並びで座っている。
今日の櫻子は長い黒髪を首の後ろで1つに結い、パステルピンクで襟付きのブラウスと、白いロングスカートを着用していた。首からは職員用のパスをぶら下げて、その手にはファイルとノート、筆箱を持っている。要するに仕事終わりに唐突に名前を呼ばれた後、割と強引に連れてこられたのだ。
「あ、あの……里穂ちゃん、仁義君、一体、何がどうなっているんですか?」
座ったまま戸惑いつつ、里穂ではなく仁義を真っ先に見つめるところに、彼女の危機管理能力が高いことが伺える。仁義は戸惑う櫻子を見下ろしながら、苦笑いで状況を説明した。
「えっと……心愛さんが今日、櫻子さんと2人で話がしたいということだったので……」
「え……?」
まさかの申し出に、櫻子が目を丸くする。そして、恐る恐る隣に座る心愛を見つめると……彼女が耳を赤くして、ただ首を縦に動かしていたから。
櫻子は持っていた荷物を自分の脇に置くと、心愛が座っている方へ体を少し傾けた。そして膝の上に両手を添えて、軽く頭を下げる。
「わざわざこんな遠いところまで、本当にありがとうございます」
「えっ!? いや、あの……そんな……えっと……!!」
櫻子の態度に狼狽する心愛を横目に、仁義が2回、里穂の肩を軽く叩いた。
それが離脱の合図だと察した里穂が、心愛を見つめて右手の人差指を立てる。
「じゃあココちゃん、私とジンはおばあちゃんの病室にいるっす。お昼になったら呼びに来るし、それまでに話が終わったら、病室まで来て欲しいっすよ」
「わ、分かった……!!」
この言葉に何度も頷く心愛を確認した里穂は、櫻子に軽く頭を下げた後、仁義を連れ立って歩き出した。その背中を視線で見送りながら……心愛は改めて、自分の隣に座っている櫻子を見やる。
外見だけで判断すると、とても聡明な女性に思えた。手に職をつけてちゃんと自立しているその姿は、純粋に憧れを抱く。
こんなお姉さんがいてくれたら素敵だな、と、素直に思ってしまうほどに。
「名杙心愛さん、ですね。はじめまして、透名櫻子と申します」
「はっ、初めまして!! 心愛は、名杙心愛です……!!」
声が上ずって余計なことを言ってしまった気がする。心愛が冷静になりきれない素の自分を呪っていると、櫻子は穏やかな笑みを浮かべたまま、どこか嬉しそうに胸の前で両手を合わせた。
「こんなに早くお会い出来るなんて思っていませんでした。本当に嬉しいです。そういえばあの後……お兄さんは、大丈夫でしたか?」
「え? あ……!!」
櫻子の問いかけに、心愛は慌てて我に返った。
そうだ、今、彼女に伝えるべきは――心愛の名前ではない。
『縁故』でも『遺痕』ではない彼女の前では、仮に自分の名前を伝えたところで……優勢になど、なるはずがないのだから。
伝えなきゃ。
心愛を動かすその一点を道しるべに、彼女は櫻子に向けて大きく頭を下げた。
「ご……ごめんなさい!! あの時お兄様が帰っちゃったのは……心愛のせいなんです!!」
「え……?」
心愛からの謝罪に心当たりのない櫻子が首を傾げていると、顔を上げた心愛が、そんな櫻子を見つめて……膝の上で、両手を強く握りしめる。
「お兄様が透名さんへ何を言ったのかはわからないんんですけど……あの日、心愛が多賀城で仕事をしていて、お兄様はそこに来てくれたんです。でもそれで、透名さんとの約束を駄目にしてしまって……お兄様の選択も、正直ちょっとどうかと思うこともあるんですけど、でも、それは心愛のためなんです。兄妹揃って本当に……!!」
「名杙さん……」
ようやく話が繋がった櫻子が口を開こうとした次の瞬間、心愛が櫻子へ深く頭を下げた。
「本当にごめんなさい!! 折角、お兄様のために時間を作ってくれたのに……!!」
自分の不甲斐なさで、周囲に尻拭いをさせてしまった。
そんな現実が、今は、とても悔しい。
小さな体で頭を下げる心愛に呆気にとられた櫻子は、彼女の背中を見つめて……口元を緩めた。
「顔を上げてください、名杙さん……えっと、心愛さん、と、お呼びしてもいいですか?」
「え、あ……」
櫻子の声に顔を上げた心愛は、首を一度縦に動かした。
そして、穏やかな笑顔で自分を見つめる櫻子の様子に……戸惑いを隠せない。
「あ、あの……」
何か言って欲しいと表情で訴える心愛に、櫻子は優しい笑顔のまま、ゆっくりと言葉を続けた。
心愛がこれ以上、不要な誤解をして、苦しい気持ちを背負わないように。
「あの時のことは、私から言い出したことでもありますから……当事者同士で納得しています。名杙さん……あ、お兄さんのことですけど、既にご連絡を頂いて、仕切り直しの日程も決まっているんです」
「そうなん、ですか……?」
心愛が呆けた表情で問いかけると、櫻子は笑顔で首肯した。
「そうなんです。だから、心愛さんが私に謝罪する必要はありません。むしろ、そんなに責任を感じさせてしまって、申し訳なかったですね」
そう言って萎縮する櫻子に、心愛が慌てて頭を振った。
「将来的にうち兄と櫻子さんが結婚したら……櫻子さん、ココちゃんのお姉ちゃんになるっすね」
車の中での里穂の言葉が、脳裏をよぎる。
もしも、もしもこんな女性が、自分の兄と結婚してくれたら……。
「あ、あの……1つ、聞いてもいいですか?」
心愛は戸惑いながら彼女を見つめて……胸の奥にある疑問を尋ねる。
目の前の彼女ならば、答えてくれるような気がしたから。
櫻子が「何ですか?」と優しく続きを促してくれたこともあり、心愛は思い切って口を開く。
「どうして、お兄様の考えていることが分かったんですか? お兄様、口に出すような人じゃないと思うんです。透名さんだって、初めて会った人なのに……」
彼女からの疑問に、櫻子は「一種の職業病かもしれないんですけど……」と、苦笑いで前置きをしてから、あの日の統治を思い返していた。
頑張って自分をエスコートしようとしてくれたけれど、視線がどこか、遠くを見ていて。
その眼差しに、不安が隠しきれなかったから。
「私も日々、患者さんと向き合う仕事をしています。色々な人とお話をさせてもらっていると、やっぱり、何となく気がつくんですよ」
「そうなんですか……」
「それに……名杙さんは優しい人だって、少し、知っているつもりですから」
こう言って嬉しそうに笑う櫻子に、心愛が首を傾げた。
櫻子はあえてそれ以上は言及せずに、どこか困惑の残る心愛を見つめ、口を開く。
「よければ……私からも、心愛さんに聞いていいですか?」
「へっ!? あ、はい、何でしょうかっ!!」
櫻子の言葉に、心愛は慌てて背筋を伸ばした。そして、一言一句聞き逃すまいと神経を研ぎ澄ませる。
そんな心愛へ、櫻子がどこか控えめに問いかけた。
「心愛さんはお兄さんと……普段、どういったお話をなさってるんですか?」
「話、ですか……!?」
予想外の質問は、最近になってようやく会話らしい会話をするようになった心愛にとって難問だ。
最近の統治とは、どんな話をするようになっただろう。
そもそも、どうして話をするようになったんだろう。
最近の統治とは……何があっただろう。
「あ……」
心愛はあることに思い至ると、櫻子を見つめて……肩の力を抜いた。
そして、その顔に苦笑いを浮かべる
身内のことを褒めるのは、あまり得意ではないから。
「お兄様とは……お兄様も忙しいから、最近は朝の挨拶くらいしかしてないんですけど、でも、心愛が困った時には、ちゃんと助けてくれるんです」
4月に、信頼していた親族から裏切られた時も。
5月に、自分の力が及ばなかった時も。
統治は、誰よりも早く助けてくれた。
そして今は、志を共にしている仲間を、縁の下の力持ちとして支えている。
最前線で動く彼と、その彼に続く彼女が、立ち止まらずに済むように。
それがきっと、統治の生き方なのだ。
そしてその優しさはきっと、いつか……目の前にいる彼女に対しても向けられるはず。
心愛の言葉を聞いた櫻子は、無意識のうちに……スカートのポケットに入れた携帯電話を握りしめていた。
そんな櫻子へ向き直った心愛は、はにかんだ笑顔を向けると……自信を持って、言葉を続ける。
「だから、何か困ったことがあったら、『お姉様』の相談にものってくれると思いますっ!!」
「えっ!?」
「へ?」
次の瞬間、櫻子が耳まで赤くして目を見開いた。一方の心愛は、彼女の反応に一瞬疑問符が浮かんだものの……自分の発言を思い返して、とんでもないことを口走ってしまったことを悟る。
車の中では、里穂に対して「気が早い」なんて言っていたのに。
『お姉様』だなんて……自分もどこまで気が早いんだ。
「あぁぁぁあのあのごめんなさい!! 心愛が変なこと言ったのは……く、車の中でりっぴーが、りっぴーが!! りっぴーのせいなんですーっ!!」
頭を抱えて謝罪する心愛を、櫻子は慌てて諌めながら……あの時、統治を送り出したことは間違いではなかったと、自分の判断を少しだけ誇らしく思うのだった。
早く統治と櫻子が結婚すればいいのにって思いました。(現時点ではまだ付き合ってもいない)
心愛に関しては、最初はちょっとツンツンしている年頃の中学生だなぁと思っていたんですけど、最近は誰よりもしっかりしている妹キャラになってきて、他のメンツ(特にメイン3人)がいかに頼りないかというのが分かります。(やめてあげてよ)
里穂との会話は年の近いお姉ちゃん……というか、同級生のような気分で書いていたのですが、これが櫻子になると完全に「名杙姉妹だ……なんだかこの2人、馴染む」と思って、ぬるっと書いてしまいましたあぁ楽しかった。音声でももっと絡ませたいです。
心愛はこれから、統治や櫻子、他のメンバーを支えつつ、自分は自分でしっかり成長出来るキャラになってくれるでしょう。まずは秋の資格試験を頑張って欲しいですね。何月だったっけ……。(ヲイ)
心愛、誕生日おめでとう!! 多分兄夫婦は結婚してからも手がかかると思うから、適度にお世話してあげてね!!(気が早い)




