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エンコサイヨウ・外伝集  作者: 霧原菜穂
47/121

2018年結果生誕祭小話:ホーム・スイート・ホーム①

 2018年のユカ誕生日は、なんとびっくり前後編です。(いつものパターン)

 時間軸は第4幕で植樹祭が終わった直後。ユカがあのことを知る直前に起こったハプニングとは……!?

 え? 政宗誕生日とシチュエーションが似てる? その事実からは目をそらしてお楽しみください!!


主な登場人物:ユカ、政宗、統治、仁義、華蓮

挿絵(By みてみん)


 石巻で起こった一連の騒動もひとまず決着した植樹祭終了後、7月も終わりに近づいた頃。

 ユカが『あの真実』を知るまでの間に、ちょっとした『トラブル』が発生していた。


「……あれ?」

 7月最後の水曜日、時刻は19時を過ぎた頃。仕事を終えて帰宅したユカは、いつも通り自室のエアコンのリモコンを操作して……首を傾げた。

 仙台でも気温が30度を超える日々が続き、1日窓を締め切っていた室内には熱気が充満している。そのため、帰宅したら電気の次にエアコンのスイッチを入れるのが常習化していた。

 彼女が借りているのは家具付きのワンルームなので、全てが最初から備え付け。要するに、自分が気に入って、自分で選んで購入をしたものではない。

 そのため、使い方もよく分からないまま、とりあえずの温度設定をしてオン/オフを切り替えていたのだが……普段どおりリモコンをエアコンへ向けてボタンを押しても、本体の電源ランプに色がつかないのだ。

「リモコンの電池が切れたっちゃか……?」

 ユカはげんなりした表情のまま、とりあえず荷物をテーブルに置いてベランダの窓を開く。停滞していた空気がのんびりと循環を始めたものの……服の裏にじわりと滲む汗は誤魔化しきれそうになかった。

 本当は脱帽をして、クーラーが生み出す涼しさを教授しながら夕ご飯を食べるつもりだったのに……ユカは備え付けの棚から予備の乾電池を取り出して、リモコンのそれと入れ替える。

 そしてため息と共に、もう一度、クーラー本体に向けて電源ボタンを押して――


「……なして!? ちょっ……なして―!?」


 うんともすんとも言わない本体に、思わず真顔でツッコミを入れるのだった。


「ケッカ……マジかよ……」

 十数分後、電話で呼び出された佐藤政宗は、半袖のシャツの腕にリモコンを持って先程のユカと同じ行動を繰り返し……顔を引きつらせた。

 彼女が政宗を呼んだのは、この部屋は『仙台支局』の名義で借りているから。要するに、窓口が政宗だからである。

 政宗は何度となくリモコンの電源ボタンをポチポチ押してみたり、本体のコードを抜き差ししてみたりしたのだが……改善の兆しすら感じさせない無反応である。

 今日の仙台は夜風もなく、昼の暑さを完全に逃しきれない室内に佇む2人には、じんわりとした不快感が襲い始める。

 政宗はスマートフォンで時間を確認した後、画面をタップして電話をかけ始める。程なくして繋がった管理会社にことのあらましを説明して……眉間にシワをよせる。

「……もう少し早く出来ませんか?」

 彼の口調に苛立ちが混ざったことを感じ取ったユカは、この状況が自分たちにとって分が悪いことを悟った。

 政宗はその後も釈然としない表情で相手と話を続けていたが……最終的には「分かりました、では、それで手配をお願いします」と、不承不承のまま電話を切る。

「ま、政宗……?」

 一体何がどうなっているのか。心配そうな眼差しで名前を呼ぶユカを見下ろして、政宗は額に滲んだ汗をハンカチで拭いた。そして……数秒躊躇った後、ため息をつきながらこんなことを言う。

「おそらく、エアコン本体の故障だろうな。素人ではどうしようもないから、業者に見てもらう必要があるんだが……この暑さで業者も手一杯で、最短で週明けの月曜日だそうだ」

「週明け……!?」

 ユカもエアコン本体の不具合だとは思っていたが、業者の対応にそこまで時間がかかるとは思っていなかった。ちなみに今は水曜日のため、週明けと聞くとまだまだ遠く感じてしまう。

 しかも週間天気によれば、ここから8月上旬までは、東北の太平洋側も高い気温で推移していくという予報が出ている。ニュースでも日々、クーラーを活用して熱中症に気をつけろという報道が続いていた。

 この部屋は玄関から直接続くワンルームなので、窓をあければ家全体に空気を入れることは出来る。しかしここは角部屋ではないので、窓はベランダの一箇所のみ。ドアロックをつけたまま玄関の扉を開いておけば風の通り道は出来るが、防犯的な理由からも、一晩中開けっ放しにするのは気が引ける。

 要するに……これから1週間、蒸し風呂のような部屋で過ごさなければならない可能性が非常に高くなったのだ。

 思わず放心状態になったユカに、政宗は後ろ手で頭をかきながら……視線を泳がせつつ、こんな提案をするしかない。

「エアコンが直るまで……俺の部屋、来るか?」

「へ……?」

 刹那、ユカが間の抜けた声と共に政宗を凝視する。一方の彼は視線を盛大に泳がせながら、自分のための言い訳を構築した。

「そ、そりゃあ、福岡の暑さに比べると厳しくないかもしれないけどな!! け、ケッカがこれ以上体調を崩すと……心配するだろ!!」

「政宗……」

「俺のとこなら部屋も余ってるし……あ、いや、客間にエアコンはないけど、リビングなら問題ないから。勿論、扇風機を買ってこの部屋で頑張るって言うなら止めないけどな……『生痕』への対応を終えたばかりでもあるし、ちゃんと体を休めて欲しいんだよ」

 こう言ってようやくユカを見つめる政宗は、そのまま無言で彼女の意思を問いかけた。

 ユカは少し考え込み……現状を鑑みて、結論を出す。

「……ここで体調を崩して、これ以上迷惑はかけたくないけんね。しばらくの間、『また』お世話になろうかな」

「ま、また……!?」

 何故かその単語に身構える政宗に、ユカが何事かと首を傾げる。

「政宗、忘れたと? 先月にあたしが体調を崩した時も、5月に秀麗中学の一件でやらかした時も、政宗の部屋には泊めてもらっとるやんね」

「へっ!? あ、あぁ、そうだな。そうだったそうだった」

 声を上ずらせつつ首肯する政宗は、降って湧いたユカとの共同生活に胸を躍らせる……前に、部屋を片付けていたかどうかを早急に思い出そうと頭を働かせるのだった。


 その後、とりあえず食べるつもりだった食事と1日分の着替えを持って、ユカは政宗の部屋に移動した。

 既に一度帰宅した彼がリビングのクーラーを可動させていたため、廊下から続く扉を抜けた瞬間、心地よい空気に包まれる。

「あー……そうそう、コレなんよ、コレ」

「ケッカ、帽子外していいぞ。しかし……災難だったな」

 ダイニングテーブルに車の鍵とスマートフォンを置いた政宗が、帽子を外してパタパタ扇ぐ彼女に苦笑いを向けた。ちなみにリビングは2日前に統治と一緒に片付けていたので、仕事用のカバンが放り出されていたり、シンクに朝食で使った食器が残っていたりするけれど、まぁ……マシな状況ではある。

「どうする? 食べ終わったら扇風機でも買いに行くか?」

 この問いかけに、彼女は首を横に振る。

「とりあえず今日はもう動きたくなかよ。政宗、ご飯食べよー」

「分かった分かった。じゃあ、俺もビールを飲んでいいってことだよな」

「えぇー……」

 ユカのジト目から逃げるように、政宗は冷蔵庫の前へ向かう。何となく後を追いかけたユカは、彼の後ろから冷蔵庫の中身を覗き込み……。

「……うわ貧相」

「勝手に見た挙げ句失礼なこと言うなよ!!」

 政宗は中から冷えた缶ビールとラップがかかった枝豆を取り出すと、それをユカに押し付けた。

「ほらケッカ、暇なら運んでくれ。俺は今から電子レンジを駆使して夕食を用意しなきゃならんのだよ」

「冷食をあけてレンジのボタン押すだけやん……」

 少なくとも今日はこの部屋で世話になることもあり、ユカはジト目と共に政宗からそれを受け取った。熱を帯びた指先に冷え切った缶ビールはとても冷たい。思わずビクリと肩をすくませると、その様子を見ていた政宗が……笑いを堪えていることに気付く。

「なんね政宗!! 笑わんでもよかろうもん!?」

「あー悪い悪い、ケッカ、それ飲むか? キンキンに冷えてるから美味いぞー」

「飲むわけなかろうもん酒バカ宗!! ったく……ぬるくしてやるっ!!」

「はぁっ!?」

 ユカはそう言って、缶ビールを自分の頬に押し当てた。その冷たさに顔が硬直したものの……熱気で火照った頬に対して、徐々に心地よくなっていく。

「こら、ちょっ……ケッカ!!」

 その行動を見てワタワタする政宗に背を向けたユカは、口元に笑みを浮かべて……彼がこちらにやってくるまでの間、アルミ缶の冷たさを楽しんだ。


 2人して食事を済ませた後に、改めてこれからの過ごし方を再確認する時間を取ることにした。

 今日は缶ビール1本でアルコールタイムを終了させた政宗は、食後に2人分のインスタントコーヒーを用意してダイニングテーブルに置くと、ユカの前にあたる椅子を引いて腰を下ろす。

「とりあえず、自分の荷物を置いたり着替えたりするのは、玄関近くの客間で頼む。ただ、あの部屋にはエアコンがないから、寝るのはここにしてくれ。後で布団持ってくるから」

 彼の提案にユカは無言で首肯した後、コーヒーを一口すすって……。

「じゃあ、政宗もここで寝るとやね」

「は?」

 ユカがさも当たり前に言い放った言葉に、政宗は口の端からコーヒーを垂らしそうな勢いで間の抜けた声を出す。

 そんな彼に対して、ユカは平然とその理由を告げた。

「だって、あたしがこの部屋で過ごすってことは、ここは下手したら、一晩中クーラーがつけっぱなしになるっちゃろ? だったら政宗もここで寝たほうが、電気代がもったいなくないやん」

「いや、まぁ……それはそうなんだけどな……」

 部屋の広さとしては2人で寝転がっても十分過ぎるため、「狭いから」という言い訳は通じない。そしてユカが言う利点を論破するだけの理論が、今の政宗に思い浮かぶはずもなく……。

「それに……一緒の部屋で寝るげな、あの時みたいで、ちょっと楽しいと思わん?」

 笑顔を浮かべたユカにこう言われたら、もう何も言えずに頷くしかない政宗なのだった。

 ユカがあの夏のことを覚えていたこと、それだけで……嬉しかったから。


 と、いうわけで……なし崩し的に始まったお泊まり会。

 初日はそのまま互いに身支度を整えて、リビングに何となく絶妙な距離感を保ったまま布団を敷き、快適な空調を維持したまま眠りにつくのであった。


挿絵(By みてみん)


「そうか。災難だったな」

 翌日の朝、『仙台支局』に出勤したユカが、統治に事の顛末を告げると……統治はパソコンを起動しながら言葉を返しつつ、とても心配そうな表情で問いかける。

「山本、佐藤の部屋は人として最低限度の生活が苦痛なく維持できるレベルだったか?」

「普段の政宗の部屋は一体どげんなっとるとね……」

 ちなみに今、部屋の主はここにはいない。朝から得意先に直行しているため、ユカとは仙台駅で別れたのだ。

 ユカは空席の支局長席をチラリと見やり、自分のパソコンを起動する。

 今朝の彼はユカより早く起きており、既に着替えていた。ユカが話しかけるといつもと同じ調子で対応してくれたけれど、その横顔は完全に『支局長・佐藤政宗』で、朝イチの仕事に対して既に気持ちを入れているように感じたのだ。

 その気合いと律儀さを、私生活にも少しくらい反映させればいいのに。ユカは彼の真面目な姿を見る度に、心の底からそう思っている。

「とりあえず、あたしも気付いたら片付けるようにするよ。あ、統治も1回くらい一緒にご飯食べん? というか食費出すけん何か作って?」

 ユカの言葉に、統治は自分のパソコンの前でため息をついた。

「……2人いるんだから、協力して何とかしようと思わないのか?」

「出来ん人間が2人集まったって何も生み出せんとよ。それに……あたしも政宗も、統治と3人で夕ご飯食べたいけんね」

 こう言ってキーボードを操作するユカに、統治は口元を緩ませて肩をすくめた。

「分かった。それに明日は元々、仁義の面談をする予定だったからな。山本もいるなら都合がいい」

「へ? そうなん?」

 ユカの問いかけに、統治は「ああ」と首肯する。

 仁義は先日、色々あって仙台に引っ越しをしてきたばかりだった。そして2学期から仙台市内の高校に編入すべく用意を進めている……というとことまで聞いている。

「仁義君、結局どこの高校に行くと?」

「そのあたりを含めて報告を受ける予定だ。何か食べたいものはあるか?」

 その問いかけに、ユカは「うーん……」としばし考え込み、以前から興味があったメニューを口にする。

「統治、これって自宅でも食べれると?」

 その問いかけに、統治は「ああ、大丈夫だ」と端的に頷いた後……ユカのリクエストを含む4人分のメニューを、脳内で構築するのだった。


 そして、時刻は18時過ぎ。アルバイトの片倉華蓮は、定時きっちりにパソコンの電源を落とし、机の周囲を片付け始めた。

 画面が真っ暗になったことを確認してノートパソコンをパタンと閉じた後、チェックを終えて出力した全員分の勤怠表を持って、政宗の席の隣に立つ。

「佐藤支局長、宜しくお願いします」

「……」

 クールビズにつき、支局内ではノーネクタイの政宗は、先程から自分のパソコンの画面を見つめたまま……その口元を極限まで緩めているように見えた。

 そう、まるで、仕事が終わったら楽園が確約されているような……そんな緩みっぷりである。

 華蓮は自分の方を見ようともしない緩みきった政宗を蔑むように見下した後、その声から一切の感情を排斥して、どこまでも冷静に、はっきりと呼び直す。

「佐・藤・支・局・長」

「へっ!?」

 ここでようやく隣に立っていた華蓮に気付いた政宗が、びくりと両肩を震わせて彼女を見つめた。

 華蓮はそんな彼に手元の書類を突きつけて、冷静さを継続したまま言葉を続ける。

「これ、宜しくお願いします」

「え? あ、あぁ……ありがとう。お疲れ様」

 華蓮から書類を受け取った政宗は、その場から動かずに自分を見下し続ける華蓮から……精神的に数メートル後ずさりした。

「あ、あの、片倉さん? どうかした? 他に何かあるなら今のうちに……」

「いえ。ただ……その緩い顔、何とかした方がいいですよ」

「ゆっ……!?」

 刹那、政宗が両手で自分の頬を包み、鏡を探して周囲をキョロキョロと見渡した。華蓮はそんな彼に背を向けると、自席に戻ってトートバックを手に取る。

 その様子に気付いたユカが、彼女を見上げて声をかけた。

「あ、片倉さん、お疲れ様ー」

「お疲れ様です」

 華蓮はユカに軽く会釈をした後……彼女を見下ろし、カマをかけることにした。

「山本さん、佐藤支局長と……何かありましたか?」

「へ? なして?」

 唐突に尋ねられたユカが、何事かと首を傾げる。

 華蓮は政宗に背を向けたまま彼の方を指差して、淡々とその理由を告げた。

「佐藤支局長が人の話を聞いていない時は、大抵山本さんと何かあった時なんです」

「ちょっと片倉さん!?」

 背後で政宗の非難じみた声が聞こえたが、華蓮は背を向けているのでその表情を見ることもない。

 部下からとても辛辣な――分析としてはとても正しい評価をくだされた政宗に、ユカは苦笑いを向けながら……その事情を説明した。

「実は、あたしの部屋のクーラーが故障して。この気候で修理まで時間がかかるけんが、一時的に政宗の部屋に転がり込んどるとよ」

 この言葉で全てを察した華蓮は、2人へ向けて言葉をかける。

「……ご愁傷さまでした」

 その言葉が自分だけに向けられたものだと思っているユカは、華蓮の向こう側で言いようのない表情をしている政宗に気が付き、肩をすくめた。

「政宗にとってもいきなりの話やったけんね。話を聞いてなかったのも、色々気疲れしとるのかもしれんし……」

「それは絶対に違うと思います」

 間髪入れず断言した華蓮は、カバンを持ち直して「では、お先に失礼します」とユカの横を通り抜けた。そのまま統治にも挨拶を済ませて、遠ざかっていく足音を聞きながら……ユカは政宗にジト目を向ける。

「部下の呼びかけには1回で応じんとカッコ悪かよ、佐藤支局長」

「……ハイ」

 これに関しては何も言えず萎縮する政宗に、統治はヤレヤレとため息をつくのだった。


 そして翌日、金曜日の19時30分過ぎ。

 3人から少し遅れて政宗の部屋にやって来た仁義は、その場にいたユカから事の顛末を聞いて……目を丸くした。

「山本さんも大変でしたね」

「そうなんよ。宮城の夏はまだ涼しいと思っとったっちゃけどねぇ……」

 今日も結局、気温は35度近くまで上昇した。今日は午後から1件、『遺痕』への対応があったこともあり、気温が最も上昇する時間を屋外で過ごしていたのだ。だからこそ早く、今日の夕食にありつきたかった。

 キッチンで手早く全員分の食事を用意した統治が、談笑している2人と、着替えを終えて自室から出てきた政宗へ声をかける。

「用意が出来たから、配膳を手伝ってくれ」

 その声に呼ばれたユカは、誰よりも早く統治のもとへ駆けつけて……自分がリクエストしたメニューに目を輝かせる。

「これが……盛岡冷麺……!!」

 ユカが昨日、統治にリクエストしたのは、いわゆる『盛岡冷麺』と呼ばれている料理だ。普通の冷やし中華とは大きく異なり、強いコシのある麺が特徴的である。

 その強さの秘訣は、麺を押し出す時に多大な力をかけること。『押し出し麺』と呼ばれているその製法によって麺が高温になり、デンプンが糊化(こか)する――アルファ化と呼ばれている――ため、強いコシが実現しているのだ。

 出汁の色でほぼ透き通っているスープの中にその麺が沈んでおり、その周辺にはチャーシューとゆで卵、キュウリ、そして、細長い三角形にカットされたスイカが皮付きで添えられていた。

「写真では見たことあったけど……本当にスイカが入っとるっちゃねぇ……」

 ユカが盛岡冷麺に興味を持ったのは、麺の中にスイカが添えられていたからだ。ユカの中で麺類といえばとんこつラーメン、ごぼう天うどんという温かいものばかりだったので、どう考えてもスイカはミスマッチである。

 しげしげとスイカを眺めるユカに、統治は別皿にキムチを盛りながら口を開いた。

「この口直し用の果物は、季節によって変わるんだ。今の季節はスイカだが……梨になったり、リンゴになったりもしている」

「へー……って統治、なしてキムチ? しかもこれ、白菜のキムチじゃなかとね……」

 ユカが彼の手元に注目して問いかけると、統治は小皿4つに大根のキムチを取り分けながら、説明を続ける。

「スープの中にこのキムチを入れて、好きな辛味に調整してくれ」

「なるほど分かった。じゃあ運ぶねー」

 ユカが冷麺の入った器を持つと、予想以上に冷えていることに内心驚いてしまう。大きな器を2つ持ってダイニングテーブルまで運び、同じく2人分の冷麺を運んできた仁義と共に、箸などを並べてテーブルをセッティングする。

 政宗はお盆で4人分のキムチと付け合せのごぼうサラダ、ガラスコップと2リットルの麦茶のペットボトルを運びながら、改めて仁義を見つめた。

「仁義君、仙台での生活は慣れた?」

 この問いかけに、仁義は苦笑いで肩をすくめる。

「1人なのは気が楽ですけど……人通りの多さにはまだ慣れませんね」

「分かるなー。俺も東松島から出てきた時は、仙台が大都会に見えたからね」

 そう言ってシミジミ呟いた政宗が、仁義の隣に腰をおろそうとしたところで……後ろからやって来た統治が、彼の肩を叩いた。

「佐藤は仁義の正面に座るべきじゃないか?」

「え? あぁ、それもそうだな」

 今日は食事会という名目で、仁義の現状と今後の展望を聞くつもりだった。司会進行の政宗は、隣に座るよりも正面に座った方が良いだろう。

 統治の指摘にすんなり同意した政宗は、自分が座ろうとしていた仁義の隣を統治に譲り、仁義と向い合せになる位置――要するにユカの隣の椅子の背もたれに手をかける。

 そして、さり気なく統治から誘導させたことに気がついてチラリとユカを見やるが……当の本人は、冷麺にのったスイカしか見ていなかった。


 全員で手を合わせて挨拶を済ませた後、ユカは静かに箸を手に取ると、別に用意されているキムチを少しだけ入れた。透き通ったスープがあっという間に赤く染まっていく様を見つめながら……恐る恐る、麺をすくい上げる。

 そして、電気の下でキラリとテカる麺をまじまじと見つめた後……いつものラーメンのような気分で、そこそこの量を一気に吸い上げた。そして、いつもの調子で麺を途中で噛み切ろうとしたのだが……。

「ぐっ……!?」

 予想を大きく上回る弾力に一度では噛み切れず、ユカが目を見開いて口内でむせる。隣で一部始終を見ていた政宗は、コップに入っているお茶を、そっと彼女に近づけた。

「盛岡冷麺の特徴は、この弾力ある麺だろうが……そんな一気に食べると、むせるぞ」

「んぐっ……んっ……も、もうむせとるよ……」

 何とか2回目で麺を断ち切ったユカは、上下の歯に力を入れて麺をゆっくり咀嚼した後……お茶を飲んで、息を吐いた。

「山本、大丈夫か?」

「だ、大丈夫……福岡のうどんに慣れとったけん、ちょっとびっくりしたけど……麺を噛んだら味も噛み締められるし、今の季節は特に冷たくて美味しかねぇ……!!」

 ユカはキムチで赤くなったスープから、先程より少量の麺をすくいつつ、添えられていたチャーシューと一緒に口へ運んだ。

 そんな様子を見ていた政宗は、自分自身も手を動かしつつ……改めて、自分の正面で食事をしている仁義を見つめる。


 彼は先日、色々あって……名倉里穂との婚約を一度解消した。

 そして、己の行動の責任を取るために、今は謹慎中でもある。


 婚約は解消したけれど、里穂と恋人関係であることに変わりはない。ただ……仁義そのものを守るためとはいえ、2人の明確な繋がりをリセットしてまったことの責任を、政宗も、ユカも、そして統治も、心のどこかで感じていた。

「仁義君、里穂ちゃんとは……連絡、取ってる?」

 どこか遠慮がちに問いかける政宗へ、仁義は一度手を止めてお茶を飲んだ後、「大丈夫です」と力強く返答する。

「実は今日も、ここに来る前……里穂と少し会っていたんです」

「そうなの?」

「はい。と言っても……部活終わりの里穂と仙台駅で合流して、途中まで同じ電車に乗っただけですけどね」

 里穂が通う私立高校は、仙台駅から程近い場所にある。今までであれば石巻駅で待ち合わせて同じ家に帰っていた2人は、仙台駅で待ち合わせをして、それぞれの家へ帰ることになった。

 車内は混み合っており、2人して扉近くに立って談笑していた。そして電車を先に降りることになった仁義の手を、里穂がそっと握って……日焼けをした顔に笑顔を作り、彼を見送ってくれる。

「夜にまた連絡するっすね。ジン、政さんに絡まれたらうち兄やケッカさんにバトンタッチするっすよ」


 その言葉と共に離れた手が、とても、名残惜しかった。

 これまで通りであれば、終点(石巻)まで……手をつないで、一緒に帰ることが出来たのに。


 でも、ものは考えよう。

 この別れの切なさも、未来へ続く関係を考えたら……単なる通過点でしかないのだ。


「勿論、今までのように、里穂と1つ屋根の下で同じ時間を共有出来ればいいのに……なんて、思うことがないわけじゃありません。ただ、こうしてどこかで別れがあることで、相手と過ごす時間を今まで以上に大切に出来るようになりました」

 仁義はそう言って政宗を見つめ、横目でチラリとユカを捉えた後――口元に笑みを浮かべる。

「僕は、後悔しません。今、里穂と一緒に過ごせる時間を全て大切にして……いつかあの家に帰る、そう決めましたから」


 2人が今以上に、心身ともに大人になった未来に……改めて、将来を誓おう。

 その約束を胸に抱き、2人は共に前を向いて……ずっと手を繋いでいなくても、同じ方向へと歩いていくことが出来るようになったから。


 迷いなく言い放つ彼の言葉に、ユカは思わず政宗を見上げる。

 仁義の言葉を受け止めた政宗の横顔、彼は軽く目を見開いた後……とても嬉しそうに目を細めたのが分かった。

「そっか。仁義君がそう決めたなら、俺達は全面的にバックアップするからね」

 そう言ってキュウリをつまんだ政宗の隣で、ユカが「そういえば」と別の話を切り出した。

「仁義君、仙台の高校に編入するっちゃんね。どこにするか決めたと?」

「はい。とりあえず……今の家から一番近い、仙一(せんいつ)高校に挑戦してみようと思います」

 校名と実績を知っている政宗と統治は軽く目を見開いたが、特に知らないユカが目の前の統治に解説を求めた。

「統治、そこ……頭良かと?」

「仙一高校は、県内にある公立高校の中でもトップクラスだ。確か……名波君もそこに通っているはずだな」

「そうなん!? 名波君……頭良かったとやねぇ……」

 ユカには難しいことがよく分からなかったけれど、とりあえず仁義が無事に編集試験をパス出来れば、蓮と同じ高校に通うことになることは分かった。

 そしてユカは、とあることを思い出す。

「そういえば……仁義君が住んどる部屋って、名波君が着替えるのに使っとる部屋やったよね。その辺はどげんなっとると?」

 仁義が今回越してきた仙台市内のマンションの一室は、伊達聖人が管理している物件だった。彼がどういう理由で仙台に部屋を持っているのか、詳しいことは分からないけれど……その部屋は今年の春以降、名波蓮が片倉華蓮へと着替えるために使われていたのだ。

 その部屋に住民が来たということは、蓮は……これからどうするのだろうか。

 ユカの問いかけに全員が仁義へ注目する中、彼は落ち着いてその答えを口にした。

「とりあえず、夏休みが終わるまでは事前に連絡をしてもらって、名波君の用意が終わるまでは、僕が外で時間を潰すことにしています。それ以降のことは、僕の通う高校が決まってから考えることになっていますね。政宗さん、それで大丈夫ですか?」

「ああ、こちらとしては片倉さんが時間までに出勤してくれれば大丈夫だから。仁義君は……編入試験、頑張ってね。合格したら、里穂ちゃんも呼んで食事会でも開催するから」

 政宗の言葉に、いつも以上に嬉しそうに笑って頷く仁義を見て……ユカと統治は顔を見合わせた後、口元に笑みを浮かべるのだった。


 その後、21時を少し過ぎた頃。食事を終えた4人は食器などの後片付けをした後、全員が政宗の運転する車に乗っていた。

 ただし、普段と違うのは……ユカが助手席に乗り、統治と仁義が後部座席に乗っていることである。

 その理由は、トランクに積み込まれた洗濯物にあった。

 政宗は金曜日の夜、飲み会などが何もなければコインランドリーに行き、1週間分の洗濯と乾燥を終わらせてから週末に望むようにしていた。土日に不用意に動き回りたくないからである。

 そのため、金曜日の今日は週に一度の洗濯デー。しかも今回は、昨日のユカの分もある。

「ケッカ、その……洗濯は別々にやるか?」

 今日の朝、恐る恐る尋ねていた政宗に、ユカが心底不思議そうな表情で問いかける。

「なして? 昨日の服と下着だけなのに……わざわざ分けると? 勿体なくない?」

「……」

 こう言われると、これ以上何も言えなくなる。

 かくして、統治と仁義を駅まで送った後、2人でコインランドリーに行くことになったのだった。そのため……今日の彼はまだ、1滴もアルコールを摂取していない。

 駅前のロータリーで車を停めると、後部座席の2人がシートベルトを外した。

「今日はありがとうございました。おやすみなさい」

「何かあったら連絡してくれ。山本、佐藤を頼んだぞ」

「ちょっと待ってくれよ統治!?」

 政宗の非難じみた声を後部座席のドアを閉めることで遮断した統治は……運転席と助手席の2人に向けて軽く手を上げた後、仁義を連れて、駅の構内へと向かって歩いていく。

 2人は車内からその様子を見送った後、互いに無言で顔を見合わせた。

「……行くか」

 ユカが頷いたことを確認した政宗は、サイドブレーキを解除してからアクセルを踏み、目的地へ向けて車を走らせる。

「ここから近いと?」

「ああ。車で5分くらいだな。洗濯してる間はどうする? 本屋にでも行くか?」

 信号待ちでブレーキをかけた彼の問いかけに、ユカは「うーん」と思案しながら答えを呟く。

「とりあえず……行ってから考える」

 ユカであれば即答する内容だと思ったけれど、彼女の返事は珍しく曖昧だった。ガラス越しに見える夜の町並みを見つめながら呟く彼女を、政宗はチラリと見つめた後……信号が変わったことを確認して、再びアクセルを踏んだ。


 程なくして到着したコインランドリーの駐車場に車を停車して、ランドリーバッグを持って店内に入ると……中には誰もおらず、見知らぬ人が乾かし終えた洗濯物が、乾燥機の中で迎えを待っていた。

 政宗は慣れた足取りで1台の洗濯機の前で向かうと、蓋をあけて、バッグの中身をなるだけ見ないようにしながら入れていく。しっかり蓋をしめてから財布から小銭を取り出し、既定の額を投入した。

 デジタルで表示された残り時間は、1時間。洗濯から乾燥まで全てを引き受けてくれるため、それなりに時間がかかるらしい。

「ケッカ、1時間どうする? 一度帰るか?」

「そうやねぇ……」

 政宗の問いかけにユカが薄ぼんやりと返答する。その様子に違和感を抱いた政宗は、ユカの顔を覗き込んで問いかけた。

「ケッカ、どうかしたのか? さっきから曖昧な返事ばっかりで……」

「へっ!?」

 思わぬ指摘にユカが目を見開いた。そして、自分を見つめる政宗を見つめ返しながら、先程までの自分の言動を振り返って……曖昧な返事しかしていなかったことに思い当たり、苦笑いで肩をすくめる。

「本当だ、さっきからいっちょん明確な答えを返しとらんね」

「珍しいな。何か言いたいことがあるなら言っていいぞ。食べたりないとか」

「だっ、大丈夫やもん!! 駅近くのサーティーワンに行きたいげな思っとらんけんね!!」

「……行くか?」

「違うと、違うとって!! なんか、そのー……ま、政宗が行きたいところでよかと!!」

「俺が、行きたいところ……?」

 意外な答えに彼が目を丸くすると、ユカは気恥ずかしそうに視線をそらしつつ……その理由を口にした。

「政宗、あたしに気を遣ってばっかりやし……普段どおりの過ごし方でよかっちゃけんね!!」

 それが、彼女なりの気遣いと優しさなのだということはすぐに分かった。政宗は目の前にいる不器用な彼女を見つめる目を細めて……帽子の上からそっと、手を添える。

「ありがとな、ケッカ。じゃあ……車に戻るぞ」

「え? あ、うん……」

 すんなりと車に戻る決断をした政宗を追いかけて、ユカは慌てて隣に並んだ。そして、助手席に乗り込みつつ、彼は一体どこへ向かうのだろうと首をかしげてシートベルトをしめる。

 そのケッカ――


「『やまや(酒屋)』げないつでも来れるやろうもん酒バカ宗!!」

 彼が迷いない運転で直行したのは、近所にあるチェーンの酒屋だった。

 かごを手にとって軽い足取りで進む彼にジト目を向けると、政宗がさも当然と言わんばかりの表情で彼女を見下ろす。

「これが俺の黄金ルートだぞ、ケッカ。洗濯・乾燥をしている間にそれが終わった後に飲む酒とツマミを吟味するんだ。実に効率的だろう?」

「家にあるビールでいいやんね……」

「それは平日用だ。休日前夜は1週間の苦労を自分で労わないとやってられないぞー。ケッカもジュースとか適当に入れてくれ」

 彼はそう言って芋焼酎の前で立ち止まると、どれにしようかと品定めを始めた。ユカもつられて棚を見つめて……瑠璃子が好きな九州の芋焼酎を見つけて、何となくほくそ笑む。

「政宗は……なしてそげんお酒が好きなん? 美味しいから?」

「ん? まぁ、それもあるけどな……」

 ユカの問いかけに、政宗は一度言葉を切って……目を細め、懐かしそうに呟いた。

「俺の育ての親が、酒好きの人だったんだ」

 その言葉に、ユカが真顔で彼を見上げる。

「ま、まさか政宗、ちっちゃい頃から飲みよったとね!?」

「違う違うそうじゃねぇよ!! なんというか……すっごく美味しそうに飲む人だったんだ。俺は、その人と晩酌をするのが夢『だった』」

 夢『だった』――淀みなくそう語った彼の横顔に、ユカはその先にある結論を察した。

 具体的には特に聞いたことがないけれど、その人物はもう、恐らく――

 気を遣ってユカが口をつぐんだことを察した政宗は、そんな彼女に苦笑いを向けた後……再び棚を見つめると、焼酎が入った500mlの瓶を手に取った。

「不思議だよな、その人と俺は、直接血がつながってるわけじゃないけど……最近、似てるって言われることもあるんだ」

「そうなんやね」

「それが少し嬉しいけど……あんまり飲みすぎると、俺も混ぜろって夢に出てきそうだ」

 そう言って屈託なく笑う政宗は、ユカが久しぶりに見たような――そんな、純粋な少年の顔だったから。

 ユカは少し前にもこんな顔を見たような気がして……でも、結局思い出せなくて。何があったかと首を傾げつつ、自分用の飲み物とおやつを探す旅に出るのだった。


 買い物を終えた2人は、再びコインランドリーの駐車場まで戻ってきたが……時間にはまだ少し早い。シートベルトを外したユカが暗がりの中でスマートフォンを確認していると、同じくシートベルトを外した政宗が、車内の電気をつけて肩をすくめた。

「目が悪くなるぞ。電気つけていいからな」

「あ、ごめん。ありがとね。もう終わったけん大丈夫」

 スマートフォンをパーカーのポケットに押し込んだユカが、再びスイッチをオフにして……車内には再び、闇が戻ってくる。

 大通りから通りを一本入ったところにあるので、周囲は静寂に包まれている。気まずい空気を回避したくて、ユカが言葉を探していた次の瞬間――

「あれ……雨?」

 不意に、フロントガラスにポツリポツリと打ち付け始めた雨粒を見つけた。つられて政宗も目線を上に上げて、雲の流れに目を細める。

「降ってきそうだな、これで気温も下がればいいんだが……」

「どげんやろうか。単に湿気がこもって蒸し暑くなるだけなんじゃなかと?」

「そんなこと言わないでくれよ……」

 政宗はユカにジト目を向けた後、洗濯物を濡らさずに車へ運ぶ手段を考えながら……雨の気配に、ふと、先月のことを思い返していた。


 雨が降り続いた6月、偶然が重なった奇跡の上で、『彼女(ユカ)』と再会することが出来て。

 雨上がりと共に、彼女は姿を消した――否、全てが『元に戻った』のだ。

 どれだけ降り続いても、雨はいつかあがる。それだけのことだと分かっているのに。


挿絵(By みてみん)


「なぁ、ユカ――」

「……え?」


 政宗から不意に呼ばれた『名前』。

 とりあえず反応してみたものの……ユカは大きく目を見開き、困惑する彼を見つめていた。

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