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エンコサイヨウ・外伝集  作者: 霧原菜穂
43/121

2018年蓮華蓮生誕祭小話:カウントダウン(3)

 2018年の蓮華蓮誕生日は、昨年からの続き物です。

・カウントダウン(1)→https://ncode.syosetu.com/n9925dq/32/

・カウントダウン(2)→https://ncode.syosetu.com/n9925dq/42/


 蓮華蓮生誕祭、と銘打っていますが、今回、華蓮は一切出てきません。

 蓮がどうして、第1幕の事件を起こしたのか……という、理由を綴るエピソードです。

 この物語はフィクションであり、登場する人物や固有名詞などは、実在するそれとは一切関係ありません。記載されている内容は、霧原菜穂の主観に基づいております。

 また、ネグレクト(虐待のような内容)、災害、津波、いじめに関する、それに近い描写が登場しますので、そのような内容が苦手な方は、読むのをお控えいただければと思います。


■主な登場キャラクター:蓮、華、桂樹

 名波蓮の人生は、生まれた瞬間に決まってしまった。


 名波家――名杙の分家の1つであり、主に宮城県南から福島県までを任されている。あまり表立った特徴がなく、常に本家である名杙の顔色をうかがっているような、全体的にそんな人間が多く集まった家だ。

 数年前、名杙直系の男性に見初められた女性を排出した時は大騒ぎになったけれども……彼女が女児を生んだことで離婚、要するにコブ付きで出戻りとなったため、名波家は彼女たちに対して『無関心』でいるという方針を固める。

 その女性がいわゆる水商売で生計を立てていることも付随して、母親は名波の家から少し離れた別宅で暮らしていたが、娘は中学生になると同時に、県外にある全寮制の中高一貫校へと進学していくこととなる。

 そして……跡取りを求める名波家をあざ笑うように、しばらく子宝に恵まれなかったのだが、その女児が生まれて干支が一周した頃、待望の男の子が生まれた。

 彼の母親は歓喜した。しかし、その歓喜は……すぐに反転する。


 生まれつきの『縁故』の場合、赤子が目を開くと、世界に渦巻く『縁』を追いかけて、独特な目の動きをするのだ。勿論その認識には個人差があるものの、生まれてから1週間を超える頃には、その独特な目の動きで『縁故』の素質を見抜き、『因縁』をチェックして確認する、というのがテンプレートになっていた。

 しかし……彼には、その兆候が一切感じられなかったのだ。

 そして、彼を確認した名波家の家長が、夫婦の前でゆっくりと首を横に振った時……。


 彼に、『利用価値』はなくなった。



 五体満足で生まれても、どれだけ勉強に才覚を発揮しても。

 彼が認められることはない。

 だって――彼は、『縁故』ではないから。


 たった1つ、この才能が欠落しているだけで、全てが否定されてしまう。

 彼が生まれたのは、そんな家だった。



 その後、蓮の母親の弟家族に『縁故』の素質を持つ息子が生まれ、その下に同じく『縁故』の素質を持つ弟まで生まれたことで……彼の孤立は決定的になった。

 大人から当たり前に愛情を注がれるイトコと、大人から当たり前に無視される自分。

 同じ子どもなのに、同じ男の子なのに……どうして、こんなことになるのだろう。

 そんな理不尽にさらされ続けた彼は、自分の意見を言えなくなり、自分を殺すことしか出来なくなってしまった。

 世間体があるので、物理的なネグレクト状態にこそならなかったけれど……朝早くから保育園に預けられ、お迎えはいつも最後。1人、また1人とクラスメイトが母親に手を引かれて帰宅する背中を見つめて、絵本を読む。保育士が時折話しかけても、彼から特に関心を向けることもなかった。

 そして……やっと迎えに来た母親に勇気を出して手を伸ばしても、冷静に避けられるだけ。

 だから、手をのばすことを諦めた。

 どうせ――何も、掴めないから。


 そんな彼は……一度だけ女性の、正しくは女の子の格好をしたことがある。


 彼が小学校低学年の頃、名杙の重鎮である初老の男性が風邪をこじらせて入院をした際、ご機嫌取りの為の見舞いへ連れて行かれた。

 その際、相手が男の子が嫌いだということで、蓮は無理やり、女の子の格好をさせられたのだ。


 フリルのついた白いブラウスを着て、レースのついたスカートを穿いて、髪の毛にカチューシャをつけて女の子らしく整えられる。

 親はいつもどおりの無機質な声でこう言って……病室から出ていった。

「この部屋にいる間は、可愛く笑いなさい。1時間後に迎えに来るわ」


 ――目眩が、した。



 こんな状態で、笑えるわけがないじゃないか。

 自分はずっと、ずっと泣いているのに、どうして……助けてくれないのか。



 衝動的に、すきを見て病室から抜け出した蓮は、病院のロビーにあるベンチに座り……悲しさを通り超えた無表情で、行き交う人を眺めていた。

 胸に去来するのは、初めて親に反抗をした恐怖心をも超える絶望。

 自分はどうして、こんな姿で生きているんだろう。尊厳も人権も剥奪された屈辱的な姿を強いられ、でも、それに気づく人はいない。


 世界なんて……所詮こんなもの。

 誰も、少女が少年だと気づかない。

 誰も……自分に関心などないのだ。



 こんな自分は、いっそ――



「――君、大丈夫?」

「っ……!?」


 不意に頭上から声をかけられ、反射的に顔を上げる。

 そこにいたのは、眼鏡をかけた若い男性だった。少し伸びた襟足を首の後で1つに結い、白衣を着て聴診器を首にかけているので医者だということが分かる。胸元の名札の名前は『富澤』。

 彼は蓮をしげしげと眺めると……眼鏡の奥の瞳を、すぅっと細くした。

 そして、確認するように問いかける。

「君……女の子じゃないよね」

「え……!?」

 的確に言い当てられ、蓮の顔に明らかな動揺が走る。それで自分の言動の正しさを確信した彼は、「親御さんはどこかな?」と優しく問いかけた。


 ダメだ、ここで親にバレたら、自分は――どうなるか分からない。

 ――戻らなきゃ。

 ここで誰かに見つかったら……自分はきっと、生きることすら許されなくなる。


 不安に駆り立てるようにその場から逃げ出し、病室へと戻った蓮を、彼が追いかけてくることは……なかった。

 そして、何とかその時間をやり過ごした彼に対して、誰からも労いの言葉がなかったことなど、言うまでもない。



 そんな不幸の中、彼は1人の女性と出会う。

 それが――名波華。後に彼が姉とまで慕うようになる存在だ。

 実は華とは過去に1~2回、名波の会合ですれ違うことがあった。しかし、話をしたことはない。蓮は部屋の隅で本を読んでいるだけだったし、華は華で女手が欲しいからという理由で無理やり呼び出されていただけで、周囲と特に会話を交わすこともなかったから。

 そんな彼女が、県外の高校から仙台市内の大学へと進学するため、再び宮城に戻ってきた。

 そして……蓮が住んでいる家に遊びに来て、話し相手になってくれたのだ。


 嬉しかった。

 初めて手を握って、目線を合わせて話をしてくれたから。

 嬉しかった。

 初めて頭を撫でて、「色々なことを知っていて凄いね」と言ってくれたから。


 嬉しかった。

 蓮の隣を……一緒に、歩いてくれたから。


挿絵(By みてみん)



 幸せだった。

 その全てを、『災害(津波)』が奪い去るまでは。



 ――息を、吐く。


 白い空気が吐出され、霧散して……消えていく。


 屋上から空を見上げると、夜が明けたはずなのに太陽は見えない。どんよりした鉛色の空から雪が舞い落ちてくる。


 折り重なった車はバカになって、クラクションが鳴りっぱなしの状態だ。遠くからサイレンのような防災無線のような音も聞こえるが、警鐘ならばもっと早くに鳴らして欲しかった。そんな音が多方向から聞こえてきて……耳が、おかしくなりそうだった。


 いやいっそ、おかしくなって欲しかった。そうすれば、クラクションに混じる別の音を聞くこともない。




 ――助けて。


 ――助けて。私はここにいる、まだ生きている、助けて、助けて、助けて……。




 どうしろというのか、この非常識な世界で。出来ることならば今すぐに助けたい、助けたいけれど……陸の孤島となったこの学校から出ることが出来ない。


 フェンス越しに見下ろす足元は、仄暗いただの湖だった。校庭との境目に設置されたフェンスが網のように車を絡めとり、どこから流れてきたのかコンテナが積み重なり、流木が積み重なり、家の屋根が積み重なり、家財道具が積み重なり……人が、命が、冷たくなって積み重なる。


 信じられるだろうか。つい数十分前まで、この足元に自分たちの生活があったことが。


 ついさっきまで、変わらない明日に愚痴をこぼしながら、今日を安穏と生きていこうとしていたことが。




 一瞬で、世界はひっくり返った。




 これが、現実?




 夢であってほしかった。でも、手に落ちた雪の冷たさで、これが現実であることを実感せざるを得ない。


 蓮以外にも命からがら逃げてきた人々が多数、寒々しい屋上に集まり始めていた。そして、目の前の光景に打ちひしがれ、ある者は泣き崩れ、別の者は叫ぶことしか出来ず……統制を取ろうとする人物の声等聞こえない。法律など何の意味もない無法地帯のよう。


「……姉さん……!!」


 彼が祈るように呟いた言葉は、クラクションの音にかき消された。



 そしてその後、災害時における華の行動が、世間から謂れのないバッシングを受けて、好奇の目にさらされ……彼は再び、心を閉ざした。

 学校も被災してしまったので、蓮が通っていた小学校は、一時的に仙台市内陸部にある学校を間借りすることとなった。距離が離れるためスクールバスで通うことになり、華と並んで歩いた道を歩くこともなくなった。

 そして……学校では時折、靴箱や机の引き出しなどに、誹謗中傷が書かれた紙が入っていることもあった。

 最初は何かと思って、何気なく開いた紙切れ。筆跡で判断されないようにパソコンで作成された『手紙』には、華の尊厳を踏みにじる暴言が並んでいて……頭に、血が上る。

 そして、読書が好きで聡明な彼は……そこに並んでいる言葉の意味を、正確に理解してしまうのだ。

「……偽善者の弟……自己満足、で、目立ちたがり屋の、人、殺し……」

 下駄箱に立ち尽くした彼がその内容をボソリと呟くと、見知らぬ笑い声が聞こえたような気がした。

 このようなことが不定期に何度となく続くと、流石に、その場に居合わせたクラスメイトが、担任に報告しようと進言してくれたこともあった。

 犯人は恐らく、間借りしている先の生徒だ。恐らく同じ学校の生徒ではないだろう。

 あんな災害を目の当たりにして――身内を亡くした人間に対して、こんなことが出来るわけがないのだから。

 いやでも、もしかしたら、身内を亡くしている同じ学校の生徒が、華の行動を恨んで……?

 こう思い始めると、全てが、敵に見えてしまう。

 そう、例えば……。

「名波君……やっぱり先生のところに……」

「……無駄だよ」

 心配そうに声をかけてくれたクラスメイトの声を遮り、蓮ははっきりと、首を横に振った。

 今の彼は、そんなクラスメイトさえも……疑ってしまうのだから。


 子どもの悪意の近くには、もっと強い大人の悪意が存在することがある。

 確かに、小学校高学年にもなれば、自分でニュースを見て物事を考えることもあるだろう。けれど、本当にそれだけで、ここまでの行動に出るのだろうか。

 例えば……家で、家族との会話の中で、被災した地域からやって来た子どもの話になり、蓮の話になり、華の話になって。

 その家にいる大人が報道で華のことを知っていて、「身勝手だ」「偽善者だ」と、口にしたとすれば。

 子どもはその言葉を素直に信じて……悪意を拡散させて、徒党を組んで、面白半分で蓮にぶつけようとしてしまうかもしれない。

 この紙に記載されているのは、きっと、子どもの向こう側にいる大人の――同じ被災県に住んでいる、大人の言葉だ。

 蓮がそう思った理由は、実家にかかってくる正義感の強い大人からの電話や、華のフェイスブックページに寄せられる誹謗中傷と、この紙に記載されていることが、ほとんど同じだったからだ。

 だから、子どもだけを糾弾して、犯人を吊し上げても……きっと、無駄だ。

 どうせまた、同じことが起こるだろう。

 蓮は華のことを侮辱する紙を握りつぶし、1人、拳を震わせることしか出来ない。


 自分は――無力だ。

 とても、とても……無力だ。


「無駄だよ……誰も、助けてくれないから」

 言葉の端に滲む諦めを察すると、クラスメイトはこれ以上何も言えず……彼から離れていく。

 1人になった蓮は、その胸の内に、あの時、雪の舞う校舎の屋上から見た津波のような……どす黒い感情がたまっていくことを、強く実感していた。


 その後、中学校の3年間は、本来の学区内に建てられた仮設校舎で過ごすこととなった。

 学区内と言っても、蓮が元々住んでいた家は災害で壊滅状態。両親が住んでいる仮設住宅は学校から離れているという理由をつけられ、蓮は、自宅に目立つ被害がなく、仮設校舎からもほど近い、父方の親戚の家に間借りさせてもらうことになった。

 親族なので当然、蓮が『縁故』ではないことも知っている。そのため、会話という会話をすることもなく……蓮はいずれ、食事も自分用の部屋で食べることが増えた。

 その方が気が楽だ、なんて、口には出さなかったけれど。


 そんな、特に楽しい思い出も何もない3年間が間もなく終わろうかという、中学3年生の1月下旬。

 本命の公立高校への受験を控えていた蓮は、1人、閑散とした道を帰宅していた。

 すると……間借りしている親戚の家の門の前、見慣れぬ黒い車が止まっていることに気がつく。

 恐らくは親戚を訪ねてきた客人だろう。邪魔にならないように気をつけようと脳内で結論をつけた次の瞬間――運転席の扉が開き、スーツを着ている背の高い男性が降りてきた。

 黒い直毛の髪の毛と、どこか鋭い眼差しが印象に残る、姿勢の良い男性だ。当然ながら蓮の顔見知りではない。

 降りてくると形式的に挨拶をしなきゃならないのが面倒だよなぁと内心で毒づきながら、蓮は巻いているマフラーを口元に添えた。どうぜ、『あの災害から間もなく4年』ということで、華のことを聞きに来た首都圏の記者だろう。年に一度は必ず誰かやってきて、話を聞こうと話しかけてくるので……蓮にしてみれば、勝手に生えてくるたけのこのような存在だ。アクが強すぎるから絶対に食べたくない――関わりたくないけれど。

 とりあえず敷地内に入ってしまえばこっちのものだと結論づけた蓮は、歩幅を変えず、速度も緩めずに、彼の方へ近づいていった。

 そして、すれ違いざまに会釈をしようとした次の瞬間――


「――名波蓮君、ちょっと、いいかな」


 低く落ち着いた声で、開口一番にフルネームを呼ばれた蓮は、思わず立ち止まってしまった。

 そして、そんな自分の行動を呪う。あと数歩で家の敷地内だったのに、どうしてわざわざ、相手に隙を見せてしまったのだろうか。

 立ち止まったら、相手をしなければならなくなる。蓮は自分の反応を待つように見つける彼に背を向けたまま、これみよがしなため息をついた。

「……何か? 姉さんのことであれば、何も言うことはありません」

 そして肩越しに振り向きながら嫌悪感とともに吐き捨てると……彼はそんな蓮を見つめて、とても楽しそうに笑う。


「――姉さん、か。彼女の弟は『俺だけ』のはずなんだけどな」

「え……?」


 彼が滑らかに言い放った言葉は、蓮の思考を停止させるには十分すぎるインパクトを持っていた。

 見知らぬ彼は、今、何の迷いもなく、「彼女の弟は『俺だけ』」と言ったのだから。

 言葉を失って立ち尽くす蓮に対して、彼はその顔に笑顔を浮かべたまま、己の素性を明かす。

「初めまして、名波蓮君。俺は名杙桂樹。名杙本家の人間だ」

「名杙、本家……!?」

 その言葉に、反射的に身構える。

 蓮のような分家の末端の人間にしてみれば、名杙本家の人間など殿上人のような存在だった。勿論蓮は一度たりとも恭しいと思ったことはないけれども、それでもやはり、刷り込まれた価値観のせいで、どうしても、萎縮してしまう。

 彼――桂樹は、戸惑う蓮を見つめ、淀みなくこう言った。

「華さんについて、君と少し話をしたいと思っていてね。急で申し訳ないけれど、今から俺と一緒に来てくれるかな」

「……その口ぶり、どうせ決定事項ですよね」

 せめてもの反抗心を出したくて蓮が冷たく問いかけると、桂樹は「ああ」と頷いて、蓮を強い眼差しで見据える。

「とはいえ……君はこのまま、大人しく俺についてきた方がいいと思うよ」

「はぁ? どうしてそんなことが言えるんですか?」

 思わせぶりな桂樹の言動に、蓮の中で苛立ちが募る。

 そんな蓮の反応を楽しむように、桂樹は口元に笑みをたたえたまま……言葉を続けた。

「大切な人に、『もう一度会える』から……かな」

「っ!?」

 その言葉に、体が震えたのがはっきり分かった。

 彼は明確な意志をもって「大切な人に『もう一度会える』」と言った。これまでの会話の流れと、名杙という家がどんなことを生業にしているのかを考えると、その相手が誰を指しているのかなど……すぐに想像が出来る。

 けれども……。

「……無理ですよ」

 蓮は口元に自嘲的な笑みを浮かべると、吐き捨てるように呟いた。

 そう、もしも彼が言う通り、「大切な人に『もう一度会える』」としても……それを叶えられるのは、蓮が持っていない能力を保持している、『選ばれた者』だけなのだから。

「本家の人は、僕のことなんか知りませんよね。残念ですが、僕は『縁故』じゃ――」

「――勿論、名波君のことは全て調べているよ。君に『縁故』能力がないことも把握している。その上でこうやって声をかけているんだ」

「……」

「ただ……君がこれ以上ここで御託を並べるなら、俺は帰るよ。立ち話をするつもりはないんだ。どうする?」

 先程よりも少し強い口調で決断を迫られた蓮は、乾いた喉に何とか唾を流し込んで……両手を、握りしめる。

 彼がここまで自分に固執するということは、そこに確かな勝算があるからだろう。

 もしも――もしも本当に、彼の言う通りだとすれば。

 こんな千載一遇の好機、逃すことなど出来るはずもない。

「……行きます」

 蓮からの端的な答えを聞いた桂樹が、とても愉しそうに笑みを浮かべた。

  

 桂樹が運転する車の後部座席に乗り込み、蓮が連れてこられたのは……仙台市南部にある長町の一角だった。

 慣れた手付きで住宅街の一角にある月極駐車場に車を止めた桂樹は、特に蓮に声をかけることもなく、助手席に置いていた荷物を取って車を降りる。

 置いていかれないように蓮も車を降りてから……隣に並んで歩く気分にはなれなかったので、2歩ほど後ろから黙ってついていくことにした。

 桂樹は白い外壁の10階建てマンションのエントランスをくぐり、オートロックを解除する。そして、エレベーターで8階まで登ってから廊下を進み、とある部屋の前で立ち止まった。

 そして上着のポケットをまさぐり、車の鍵につけていた部屋の鍵をピックアップすると、鍵穴に差し込んで……ゆっくりと解錠する。

 扉を開いて先へ進む桂樹の背中をおいかけて、蓮は静まり返った室内に足を踏み入れた。

「あぁ、名波君、悪いけど鍵をかけてもらえるかい?」

「……分かりました」

 桂樹の言葉に従って蓮は玄関の鍵をかけると、靴を脱ぎ、廊下を進む。

 単身者向けらしい、どこか手狭で閉塞感のある廊下。その突き当りにある扉の向こうは、リビングダイニングになっていた。

 扉から向かって右側に半対面のキッチンがあり、その向こうは家具がほとんどない、ガランとした空間。また、キッチンの延長線上に押入れのような引き戸が見える。

 生活感のかけらもない空間に、蓮が顔をしかめていると……桂樹は持っていたカバンの中をゴソゴソとまさぐって、中からプラスチック製のメガネケースを取り出した。

 そして、他の荷物を床に置いた後、視線で蓮を呼ぶ。

「名波君、この眼鏡をかけると――この部屋にいる、もう1人と対面出来るよ」

「は……?」

 桂樹は自信満々にそう言っているが、蓮には、ごく普通のメガネにしか見えない。

 こんな眼鏡で一体、何が変わると言うのか。

 蓮の態度を察した桂樹は、苦笑いで肩をすくめる。

「まぁ確かに、信じられないのもしょうがないね。この眼鏡は『縁故』でも何でもない、ただの部外者が、酔狂で開発したものらしいんだ」

「そんな眉唾ものを僕に、ですか。随分と下に見られてますね」

「実際、『縁故』能力のない君はその通りだろう。名波君専用ではないから、長時間は使えないと思うけれど……でも、姿を確認するくらいなら出来ずはずだよ。君が曲がりなりにも、分家筋の人間なら……間違いなく、ね」

「……何を言っているのか回りくどくて分かりませんが、要するに、その眼鏡をかければいいんですね」

「そうだね、俺も御託を並べすぎたようだ。さぁ、どうぞ」

「……」

 蓮は桂樹の手から眼鏡をケースごと受け取ると、自分がかけているものを外して、ケースの中身と入れ替える。見た目には蓮が今使っているものと大差ないような、細くて黒いフレームの眼鏡だ。

 たったこれだけのことで、何が変わると言うのだろう。

 自分をニヤついた表情で見つめる桂樹に苛立ちをつのらせながら、蓮はごく普通に、その眼鏡をかけて――



「――っ!?」



 次の瞬間、視界が強烈に歪んだ。

 蓮は慌てて床にしゃがみ込むと、両目を閉じて、視覚的な情報を遮断する。しかし、こめかみに鈍痛が走り始め、何も見ていないのに、目の奥もパチパチと痛み始めた。

「ぁっ……!!」

 頭が、痛い。

 何か――何か、体の中で凄まじい変化が起こっている、そんな、強烈な違和感。

「こっ……なっ……!!」

 蓮が立ち上がれずにうずくまっていると、立ったまま蓮を見下ろす桂樹が、これみよがしなため息をつく。

「……予想以上に拒絶反応がひどいな。これじゃあ……『華さん』には、会えそうにないね」

「っ……!!」

 上からふってくる挑発的な声に、蓮は拳を握りしめ、歯を食いしばった。

 こんな苦しみが、何だ。どうってことない。

 今まで自分は、何も出来ずに諦めることしか出来なかったけれど。

 ここで耐えて、乗り越えなければ……名波蓮は、ここで終わりだ。

「――っ!!」

 蓮は両肩を激しく上下させながら呼吸を整えて、ゆっくり、両目を開いた。

 そして――



 部屋の奥、人形のように変わらない表情をたたえて腰を下ろしている『名波華』の姿を目視した瞬間、弾かれたように立ち上がって床を蹴る。



「姉さん!!」



 夢中だった。

 頭や目の奥に残る鈍痛も、平衡感覚を麻痺させるような違和感も、その全てをかなぐり捨てて。

 蓮は華の側まで駆け寄ると、彼女の眼の前にしゃがみ込み、必死に訴える。

「姉さん……姉さん、僕です、蓮です!! 姉さん!!」

 しかし、目の前にいる華は、そんな彼の声など届いていないのだろう。その表情は穏やかだが、生前のような力強さは感じない。そもそも蓮の方を見る素振りすら見せず、その目も、口元も、どこも動かないので、彼女が生前とは『異なる』状態であることなど、一目瞭然だった。


「姉さん……」


 涙が、(あふ)れる。


「姉さん……ねえ、さんっ……!!」


 声が聞きたいのに。

 また、隣に並んで、手をつないで……共に歩んでいきたいのに。

 目の前に居る華は、まるで出来の悪いホログラム映像のように……動きもしないし、声も発しない。


 蓮の方を、見てはくれない。


「姉さん……僕はここにいます、お願いです、何か言ってください、姉さん……!!」


 涙が、(こぼ)れた。

 思いがけず再会出来てしまった戸惑いと喜び、そして、それ以上に……目の前にいるのに視線すら合わせられない、そんな、悲壮感。

 どうすれば、いいんだろう。

 どうすれば……華はまた、蓮の名前を呼んで、笑ってくれるのだろうか。


「名波君は……『遺痕』を、初めて見たかな」

「えっ……!!」


 『遺痕』

 知識としては知っていたけれど、『縁故』ではない自分には関係がないと思っていた。

 まさかこのような形で、『遺痕』を見ることになるなんて。


 しかし、華が亡くなって間もなく4年。

 どうして今になって、『遺痕』として現れたのだろうか。


「姉さん、が……どうして……」

 分からない。

 座り込んで彼女を見つめても……何も、分からない。

 そんな蓮と視線を合わせることもなく、桂樹は彼を見下ろして、含み笑いと共にこう言った。

「俺に協力してくれるなら、蓮君に全て教えるよ」

「名杙、桂樹……さん、貴方は、一体……」

 蓮は困惑した表情でしゃがみこんだまま、隣に立つ桂樹を見上げた。

 今の蓮には、桂樹が何を企んで自分をこの場に連れてきて、華と引き合わせたのか、何も分からない。

 ただ、彼の行動の背景には……とてつもなく強い意志を感じる。

「貴方は一体、何者なんですか? これから……何をするつもりなんですか?」

 ひどい頭痛の中で何とか言葉を絞り出すと、桂樹はここで初めてしゃがみ込み、蓮と視線を合わせた。

「俺は――さっきも言ったけれど、華さんの実の弟だよ」

「じゃあ……じゃあ、姉さんは、名波じゃなくて、名杙直系……!?」

「あぁそうだ。けれど彼女は……名杙を追われた。そして……」

 何か思い出したのか、桂樹はそこで一度言葉を区切ると……軽く頭を振った。

 そして、一度呼吸を整えてから……改めて、彼を見据える。

 

「名波蓮君、俺と一緒に、『姉さん』を生き返らせるつもりはないかい?」


「は……!?」

 桂樹が口にした、突拍子もない申し出に、蓮は目を大きく見開き、間の抜けた声を出していた。

 そんな彼の反応を、桂樹は喉の奥で笑いながら……こんな付加価値を提案する。

「もしも俺の計画に賛同してくれたら……君に『縁故』の能力をあげるよ。名杙直系はそれが出来るんだ。その能力があれば……今まで蓮君をバカにしてきた人間を見返すことが出来るんじゃないかな」

「……」

 桂樹は間違いなく、蓮が名波家で冷遇と呼ぶには生ぬるいほどの仕打ちを受けてきたことを知っている。

 その上で蓮に何らかの利用価値を見出し、このような提案をしているのだ。


「――バカバカしい」


 バカけている。

 蓮は今、心からそう思う。

 そんなことを自分が望んでいると思われている……その認識に、吐き気がした。


 蓮は心底嫌そうに吐き捨てると、その場で立ち上がり……両足を踏みしめて、桂樹を見下ろした。

 急に頭が冴えたような、そんな感覚。蓮は眼鏡の奥にある瞳を細めると、両手を固く握りしめて……こう、問いかける。

「僕が、実家への復讐を望んでいるのだと思っているのであれば、それは勘違いです。僕は……そんなバカけたことに自分の時間を使おうとは思いません。そもそも……貴方の目的は、それだけではありませんよね?」

 蓮を見上げた桂樹が初めて軽く目を見開き、口元に、笑みを浮かべる。

 そしてその場に立ち上がると、見開いた目をスッと細めて……再び、蓮を見下ろした。

「……よく分かったね。そう、俺の目的はそれだけじゃない」

「全てを知らずに賛同するほど、僕はお人好しにはなれません。仮に、本当に姉さんを生き返らせるだけが目的ならば、分家の、しかもその中でも特に末端の人間である僕に声をかける理由が弱いんですよ。そうなると……貴方はとてもリスクが高いことを成し遂げたいのだろうと考えるのが普通です。その上で僕に声をかけたのは、仮に失敗しても僕を切り捨てれば自分の身を守れるからですよね」

 抑揚のない声で冷静に分析する蓮に、桂樹は思わず苦笑いを浮かべるしかない。

「ひどいな、そこまで人でなしに見える?」

「違います、僕は誰も信用していないんですよ」

 蓮はそこまで言うと、彼を見上げて目線で訴えた。


 さぁ――どうする?


 そして、桂樹が口を開く。


「俺は……華さんを生き返らせて、次期当主候補の名杙統治と、奴を唆している佐藤政宗という男を、名杙から排除したいんだ」

「次期当主候補を、排除……!?」

 彼の口から出た、予想以上に過激な発言に……思わず背筋が凍った。

 名杙直系であるはずの桂樹が、次期当主候補である人物を排除したいという。当然ながらその理由を、今の蓮が推し量ることなど出来るわけがないけれど。

「それを成し遂げれば……」

 蓮は歪む視界の端に、華の姿をとらえた。

 一言も発しない、人形のような……姉の姿を。


「それを成し遂げれば……姉さんはまた、僕を呼んで、笑ってくれますか?」


 その問いかけに、桂樹が無言で、首を縦に動かし――彼に向けて、自分の右手を突き出した。

 蓮は桂樹の右手を見つめ……軽く、目を閉じる。


 脳裏によぎったのは、自分に対して手を差し伸べてくれる、大好きな姉の笑顔。


挿絵(By みてみん)


 そう、あの笑顔を取り戻すためならば――


「……分かりました。どうせこれからも生き地獄なら……少しくらい、足掻いてみせますよ」


 蓮はそう言って右手を突き出すと、桂樹の手を軽く握った。

 蓮の過去に関することや、華との出会い・交流に関しては、第6幕でもう一度掘り下げることになるのですけど……改めて書くと、ちょっと、きつかったです。

 霧原には蓮の両親がどんな気持ちで彼と接していたのか、ちっとも理解出来ないのですけれど……親からずっと無関心を貫かれたからこそ、華に関心を持って接してもらえたことが、彼の救いになったのではないかと改めて感じました。

 そして後半、桂樹と対等に舌戦を繰り広げるところは、書いていてとても楽しかったですね。蓮はとても聡明な子なので、失うものが何もなくなった今の状態は、逆に頭が冷静になって本当に強いだろなって思いましたね。

 この続きは、今年の華誕生日になります。さて……いつになったら第1幕まで戻れるのかな。(予定より長くならないように頑張ります)


 本文中のイラストは、1枚目が狛原ひのちゃん、2枚目が八紡つづひさんに描いてもらったものを使わせていただきました!! 2枚とも、華が笑顔なんですよね……彼女には笑顔が似合うと思ってもらえていることがとても嬉しいです。蓮が彼女の笑顔を取り戻したくなった理由も、分かってもらえるのではないでしょうか。お二人とも本当にありがとうございます!!


 改めて、蓮(華蓮)、誕生日おめでとう。来年はもっとハッピーな話を書きたいな!!


 無理かな!!

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