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エンコサイヨウ・外伝集  作者: 霧原菜穂
41/121

2018年櫻子生誕祭小話:君と同じ世界が視たい

櫻子の誕生日小話は、何とうっかり職場体験!?

……でもないですね。彼女を襲ったトラブルは、今後の本編でも鍵になっていくと思います。もういいよ君たち早くくっつきなって!!(笑)


登場キャラクター:櫻子、統治、ユカ、政宗、聖人、華蓮

「名杙統治さんと、私が……お見合い……!? お父さん、名杙さん、って……あの時の名杙さんですか!?」

 父親が口にした事実を自分でも繰り返した瞬間、自分が選ばれた嬉しさ以上に、信じられないという思いが勝ったことは、今でもよく覚えている。


 櫻子がお見合いの話を聞いたのは、彼女の誕生日を約1ヶ月後に控えた、3月下旬の第3日曜日のことだった。

 場所は櫻子の実家。仕事が休みの彼女は、自室にある使い慣れたラジカセを使って、週明けから使うCDが再生出来るかどうかをチェックしていたのだが……部屋をノックして顔を出した父親が、「昼食後に応接用の和室に来て欲しい」と言うから、何事かと思いつつ首肯したのだ。

 そこで聞かされたのが、櫻子のお見合い話だ。既に先方とも話がついており、後は当人同士の予定を合わせて、顔合わせの場をセッティングしようという段取りになっているらしい。

 彼女の見合い相手は、名杙統治。宮城県でも指折りの旧家・名杙家の長男であり、正当な跡取りだ。

 容姿端麗で沈着冷静、この地域では最も学力が高い大学を卒業していることから、頭の良さも折り紙つき。今は仙台で働いているそうだが……いずれ必ず、名杙という大きな家を背負うことが義務付けられている、そんな存在。


 もしも、もしも……気が早いけれど、彼と結婚することになれば、櫻子もまた、名杙という大きな家を、共に背負うことになる。


 かくいう櫻子の実家も、地域では非常に大きな病院だ。創立者の祖父も、その意志を継ぐ両親も、人並み以上の名声を得ていることは言うまでもない。

 この病院は兄夫婦が正当な跡取りとして話を進めているので、櫻子は櫻子で、より病院の運営を盤石にする相手を選ばなければならないと思っていた。

 普通の恋愛が出来ないことは覚悟していたし、自分の性格を考えるとお見合いのほうが適していることも理解している。ただ、その相手が――医者でないことに加えて、思いの外大きな家柄で、正直、どうやって両親はこの話をもってきたのかという疑問しか残らなかった。

 確かに、実家の病院には名杙さんという初老の女性が定期的に入院している。珍しい字面なので、恐らく名杙統治とも何かしらの関係があるのだろう。

 塩釜という港町に住んでいる貴婦人が、どうして宮城でも特に内地に位置する登米市(とめし)の透名総合病院に入院しているのか……患者さんのプライバシーに立ち入ることは出来ないけれど、きっと、特殊な理由があるのだと思う。それに、今考えるべきはそこではない。


 どうして、自分なんだろう。

 1人では満足にパソコンも携帯電話もいじれないような、そんな……現代世界から取り残されたような存在なのに。

 統治とは何度か社交の場で会って、簡単な立ち話程度であればしたことがあるけれど……彼の中に『あの時の』自分がいないことは、よく分かっていた。

 だから櫻子からも恥ずかしくて言い出せないまま……学校を卒業して、仕事が忙しくなり、会うこともなくなっていて。

 日々使い続ける携帯電話(ガラケー)を見ては、進歩のない自分にため息ばかり。


 こんな状態で会っても、失望されるだけではないか。


 ……という感情が浮かんだが、櫻子はそれ以上に、早く名杙統治に会いたかった。

 会って……ちゃんと、『あの時の』お礼が言いたかった。

 だって彼は、櫻子の『恩人』なのだから。


 この話を進めてもいいか、と、改めて櫻子の意志を問う父親に、彼女は顔を上げて、迷いなく返答する。


「このお見合い、受けます。私は未熟なので、伴侶としては選ばれないと思いますが……名杙さんに直接お礼を伝えることが出来れば、それで満足です」


 しかし、気持ちが先走る櫻子をあざ笑うように、統治との見合い話はそこから一ヶ月ほど進展がなかった。仲介してくれている人物によると、統治側が新年度に入ったことで仕事が忙しくなり、今はお見合いに挑む余裕がないから少し待ってくれ……と、言われたのだ。

 こう言われると待つことしか出来ないので、櫻子は日々の仕事をこなしながら……何か出来ないかと思案しては、何も浮かばない自分にため息をつく、そんな毎日の繰り返し。

 そしてようやく、5月の連休に開催される会食会に、統治が参加するという情報をキャッチした。

 そこで一言、挨拶をしておきたい。しかし彼の周囲にはきっと他の女性もいるだろう。何か、自分が彼の中で印象に残るは、どうすればいいだろう。

 休憩中、病院内のカフェスペースで1人考え込む櫻子に、白衣姿の男性が声をかけた。


「――こんにちは、櫻子ちゃん。神妙な顔をしているけど、何かあったのかな?」


 そして、白衣姿の男性――伊達聖人の入れ知恵で、櫻子が偏った知識を身に着けた結果、どんな行動に出たのかは……第2幕序盤で、統治が語った通りである。


 それから、統治がお見合いと称したデートを開始早々に切り上げたり、櫻子が仙台まで書類を届けに来て2人の距離が進展したり、櫻子がユカと出会ってお下がりの洋服を渡すことになったり、と、地味に色々なことがあって。

 統治が櫻子への敬語を撤廃して、櫻子が『ユカちゃん』と呼ぶようになった――統治との初顔合わせだった5月の連休から、約2ヶ月が経過した7月上旬のある日。時刻は間もなく18時になろうとしている。

 櫻子は仙台駅近くにあるコインパーキングに自分の軽自動車を駐車して、助手席に置いたカバンとカーディガンを持って車から降りた。そしてドアノブに軽く触れて車に鍵をかけると、仙台駅の方へ向けて歩き始める。

 白い襟のついた水色の半袖ワンピースに、足元はローヒールの白いパンプス。髪の毛を頭の後ろで1つにまとめており、姿勢の良い歩き方で目的地を目指す。

 その瞳は真っ直ぐに前を見据えているが、先程から瞬きが極端に少ない。両肩に力が入っており、いつもは穏やかに笑みをたたえていることが多い口元も、緊張に引きずられるように固く閉ざされたままだ。

 目の前の歩行者用信号が赤に変わったところで……櫻子はようやく、数回まばたきをする。

「……ふぅ」

 意識して呼吸をすると、梅雨の時期特有の湿った空気が肺に流れ込んできた。夕方の帰宅ラッシュに突入しているため、周囲の建物から、仕事を終えた人たちがゾロゾロと出てきている。皆が仕事を終えて、力を抜いて帰宅する中で……櫻子は1人、気合を入れ直した。

 今日はこれから――初めての世界に触れる、そんな時間が始まるのだから。


 仙台駅に隣接している複合ビルに入り、エレベーターホールの前で到着を待つ。

 目的地は24階にある『仙台支局』の事務所だ。

 程なくして1階に到着したエレベーターからは、上の階で働いていた人が続々と降りてきた。そんな人達を見送って、櫻子は1人、誰もいない箱に乗り込んで……24階を目指す。

 扉の右横に設置されているパネルの数字が滑らかにカウントアップしていく様子を見上げながら……櫻子は無意識のうちに、持っていたカバンの持ち手を握りしめていた。


 ――私に、出来るだろうか。

 ――私は、受け入れられるだろうか。


 出来るか出来ないかじゃなくてやるしかない、と、分かっているけれど……。


 彼女が顔に出た迷いを必死に隠そうと呼吸を整えていると、エレベーターは一度も止まることなく24階にたどり着いた。

 左右に開く扉を抜けて、廊下を進む。程なくして目的地への扉が見えたところで……それが内側から開き、中から若い女性が1人出てきた。

 高校生くらいだろうか。眼鏡をかけており、長い髪はシュシュを使って右側でゆるく1つにまとめている。腰の下までカバーするレース素材の白いカーディガンを羽織っており、その下はパステルピンクのインナーとグレーのロングスカート、足元はハイカットのスニーカーという出で立ちで、首からは職員の証でもある入館証をぶら下げている。

 ここで櫻子は、先月『仙台支局』を訪れた時に、櫻子と統治へ飲み物を持ってきてくれた女性だということに気がついた。名前を聞くことはなかったけれど、あの寡黙で真面目そうな雰囲気は、あの時心愛と一緒にいた女性に違いないだろう。

 目が合った櫻子が先に頭を下げると、気付いた彼女もまた、櫻子へ軽く会釈をして……そのまま横をすり抜けると、エレベーターの方へ歩いていった。

 クールな人なんだな、という印象を心にとめて、櫻子は『仙台支局』の扉の前に立った。改めて深呼吸をした後、ドアの横に設置されたインターフォンを押す。

 ボタン下にあるスピーカーから、ブツリと回線が繋がった音が聞こえて……覇気のある爽やかな声が聞こえてきた。

「――はい、どちら様ですか?」

 この声は、ここの責任者のもの。櫻子は静かに呼吸を整えてから、『いつも通り』を意識して返答する。

「こんにちは、透名です」

「お待ちしてました。今開けますね」

 刹那、通信が遮断される音と共に、中から足音が聞こえてくる。そして……。


「――名杙さん……」

「今日は、わざわざすまない。とりあえず中に入ってくれ」


 内側から鍵を開いてくれた統治に導かれて、櫻子は『仙台支局』内に足を踏み入れた。



 今日の彼女の目的は、「『縁』が見える世界を体感すること」である。



 統治の案内で応接用の椅子の前に向かうと、先客として既に室内にいた聖人が櫻子に気付き、左側につめて座り直した。

 今日の聖人は非番のため、白衣のない私服。襟のついたグレーのシャツと、黒い綿のパンツを着用している。眼鏡の奥にある目が笑顔になり、一度奥に戻った統治の代わりに彼女を出迎えた。

「櫻子ちゃん、お疲れ様。わざわざ登米から来たの?」

 櫻子は聖人の隣に腰を下ろし、彼の方を見て首を横に振った。

「あ、いえ、今日は午後から富谷(とみや)(仙台の北にあるベッドタウン)で仕事があったので、そこから来ました。帰りは高速道路を使いますから大丈夫です」

「それでも1時間以上かかるから、今日は本当に触りだけにするね。どのみち……最初は30分程度にしないと、耐えられないだろうからね」

 こう言って笑顔を向ける聖人の言葉の真意が分からず、櫻子が何となく愛想笑いを返していると……衝立の向こうから、パタパタと軽い足音が聞こえてきて――山本結果が2人の前に姿を現した。

「伊達先生、櫻子さん、お疲れ様です」

 彼女はそう言って、机を挟んだ反対側に腰を下ろす。今日の彼女はいつものキャスケットにキャラクターもののTシャツとジーパンというラフな格好。

「政宗と統治もそろそろ来るけんが、もうちょっと待っとってくださいね」

「ケッカちゃんこそ、体の具合はどうかな?」

「あたしはもう大丈夫です。健康診断の結果も大丈夫やったし」

 そう言ってピースサインを向けるユカに、聖人は足を組み替えて笑顔を向けた。

 櫻子もまた、ユカがすっかり元気になったことに胸をなでおろしながら……膝の上で両手を握りしめ、呼吸を整える。

 そんな彼女の様子を見たユカが、努めて明るく声をかけた。

「櫻子さん、そげん緊張せんでも大丈夫……って言っても、緊張しますよねぇ……」

「ご、ごめんなさい……これが、ユカちゃん達のみている世界だって、分かってるんですけど……」

「ううん、それが当然の反応なんですよ。あたしも最初は、自分の目が信じられんかったけんが……」

 そう言ってユカが櫻子に苦笑いを向けた次の瞬間、衝立の向こうからスーツ姿の政宗と統治がやって来る。政宗がユカの隣に腰を下ろし、統治は自席から持ってきた椅子を政宗と櫻子の間に置いてそこに腰を下ろした。

 政宗は自分のスマートフォンを机の上に置いてから、改めて櫻子に向き直る。

「透名さん、今日はありがとうございます。名杙からの許可もおりたので……少しずつ、俺達の世界を知ってもらいたいと考えています」

 その言葉に、櫻子は背筋をピンと伸ばして、座ったまま深く頭を下げた。

「はい。宜しくお願いします」

「では、早速ですが……1枚、このスマートフォンで写真を撮影してもいいですか?」

「はい……? えっと、大丈夫ですけど……写真、ですか……?」

 唐突な申し出に、櫻子が首を傾げながらも頷くと、政宗は「ありがとうございます」と謝辞を述べながら机上のスマートフォンの電源を入れると、彼女の後ろを見つめて、軽く目を細めた。

 そして、スマートフォンを縦にして櫻子にレンズを向けると、シャッター音を響かせて写真を撮影する。

「このスマートフォンには、内部で開発したアプリが入っています。このアプリを介して、カメラのレンズに貼り付けた特殊フィルム越しに写真を撮影すると……」

「っ!?」

 政宗が櫻子へ、スマートフォンの画面を見せる。それをみた彼女は、今日一番驚いた表情で……若干、顔をひきつらせた。

 画面の中にいた自分は、鏡で毎日見ている顔だった。それはいい。問題はその周囲(・・)だ。


 櫻子の周囲になびくのは、無数の細くて赤い糸。その数は多すぎて数えられず、櫻子本人を覆い隠すように漂っている。

 自分の頭から2本伸びている、少し存在感のある青い糸。

 その青い糸の間から一本伸びている、緑色の少し太い糸。

 加えて……櫻子の隣で、妙齢の女性がピースサインをしている。


 櫻子は慌てて自分の周囲を確認した。しかし、画面の中にいた女性は、当然ながらどこにもいない。

 自分の目で何度部屋を見渡しても、目視することが出来ないのだ。いや、そもそも気配すら感じられない。

 勿論、政宗が櫻子をからかっているような様子もない。聖人を含むこの場にいる全員が、この写真の中のことを現実として認識している、そんな、暗黙の了解。

 戸惑う櫻子の顔を統治が覗き込み、椅子ごと体を動かして、少しだけ彼女に近づいた。そして、真面目な表情で声をかける。

「受け入れられないのは当然の反応だ。時間をかけてゆっくり説明していくから、心配しないでほしい」

「名杙さん……」

 どこか不安そうな表情の櫻子に、統治は一度首肯した後、先程の写真の一部を指さしながら、簡単に解説を始めた。

「この画面に見える緑の『縁』……ここから1本伸びている緑色のものは、『生命縁』と呼んでいるものだ。人の命を可視化したものだと思ってくれ」

「命を……可視化……要するに、これが切れたら、人は死んでしまうのですか?」

 その問いかけに、統治はゆっくりと首を縦に動かした。

「そうだ。生きている人間は必ず繋がっている。その隣にある青いものが、『因縁』。主に先祖から引き継いている素質や性質などを生きた人間に繋げているものだ。そして、一番多い赤いものが『関係縁』、人と人との繋がりだ」

「人と人との……」

「そうだ。この無数の赤い糸は……君が今まで築いてきた人間関係そのものでもあるんだ。君も仕事柄、色々な人と出会っているとは思うが……さすがに、量が多いな」

 そう言って統治が苦笑いを浮かべるから、櫻子は恐る恐る……机上のスマートフォンに写っている赤い糸に、改めて視線を落とした。


 この赤い糸は、人間関係そのもの。

 誰かに繋がっているのだとすれば、間違いなく……。


「名杙さんとも……繋がっているんですか?」

 半信半疑で問いかける彼女に、統治は一度頷いてから、改めて部屋を見渡す。統治につられて顔を上げた櫻子は、自分に笑顔を向けてくれるユカ、政宗、聖人に気付いて……目を見開いた。


 大丈夫、1人じゃない。

 言外にそう語る心強い表情に守られて、櫻子は一度、ゆっくり深呼吸をした。


「これが……皆さんの見ている世界なんですね……」

 ボソリと呟いた櫻子に、彼女の隣に座っている聖人が軽妙に首を横に振った。

「自分は違うけどね。でも今は、少しだけなら体験出来るよ」

「体験出来る……名杙さんからもそう聞いていたんですけど、どうやって体験出来るんですか?」

 政宗はスマートフォンを使って、櫻子がなにもしなくても『縁』を可視化してくれた。聖人はいう体験は、今のこれとはまた違うことを指しているのだろう。

 今はVRなどが発展している時代なので、ごついゴーグル的なものをつけて、映像的な疑似体験が出来るのだろうか。櫻子には操作方法含めて、きっとちっとも分からないだろうけど。

 首をかしげる櫻子に、聖人が、彼の足元に置いていたカバンを膝の上に抱えあげると、中から意外なものを取り出した。


 それは、パーティーグッズでよく見かける、世間的に『鼻眼鏡』と呼ばれているもの。

 しかも2つ。


 聖人と櫻子以外の3人が「うわぁ」と表情を引きつらせる中、作成者の聖人はそのうちの1つを、笑顔で櫻子に手渡した。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます……伊達先生、どうして普通の眼鏡ではないのですか?」

「自分が面倒を見ている、名波蓮君っていう高校生の男の娘がいるんだけどね。彼をからかおうと思ってこの眼鏡を買ったら、鼻の部分をしっかり固定してくれるこの眼鏡が、案外使えるんじゃないかって思ったんだ。だから、ちょっと改造して……かけた人が一時的に『縁』が見えるようにしているんだけどね」

 聖人の声を聞きながら、櫻子は改めて、手渡された鼻眼鏡を見つめた。

 そこにあるのは、まごうことなき鼻眼鏡。

 見た目には特に目立つ変化がない、ごく普通のパーティーグッズに見える。戸惑う櫻子に、聖人がぐるぐるまきになっている両目のレンズの部分を指差して解説を始めた。

「この鼻眼鏡の両目のところに、政宗君達のスマートフォンのカメラに貼っているような、特殊なフィルムを貼っているんだ。このフィルムを通せば、世界がこのスマートフォンの写真みたいに紐だらけに見えるんだけど……でもこれは、半ば無理やり視力矯正をしようとしているような状況だから、最初は拒絶反応が凄いと思うんだ。これをつけていて体の調子がおかしいと思ったら、すぐに外すようにしてね」

「は、はい……っ!!」

 櫻子は緊張した面持ちで、手の中にある鼻眼鏡を握った。

 本当にこれをかければ、世界が変わって見えるのだろうか。こればっかりは実際にやってみないと分からないけれど、本当に世界が変わるのであれば、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、ワクワクしてしまう。


 自分も――彼らと同じ世界を、実際に見ることが出来る。

 彼らと、同じになれる。


 眼鏡を持っている両手に若干の興奮と緊張が見える櫻子に、聖人が統治へ視線を向けて、こんな提案をする

「櫻子ちゃんは目を閉じたままで座っていて、統治君がかけてあげるといいんじゃないかな」

「俺が、ですか?」

 いきなりの指名に、統治が目を軽く開く。聖人はそんな彼を見つめて、いつもどおりの笑顔で言葉を続けた。

「統治君が気が乗らないなら、自分でもでもいいんだけどね」

「……いえ、やります。透名さん、それを貸してくれ」

 統治は櫻子から鼻眼鏡を受け取ると、折り畳まれていたテンプル――耳にかける部分を開いた。そして椅子から立ち上がって彼女に近づくと、櫻子が目を閉じたことを確認してから、彼女の耳に眼鏡をかけようとして……。

「すまない、髪の毛を耳にかけてくれないだろうか」

「は、はいっ!! こうですか?」

 櫻子は目を閉じたまま、顔にかかっている長い髪を耳にかけた。そして、来るべき瞬間に備えて、体を硬直させる。

 そんな2人の様子を見ているユカと政宗にも、なぜか緊張が伝播してしまい……。

「ま、政宗……本当にあげな眼鏡で見えるようになるっちゃろうか……ちょ、ちょっとかけてみらんね」

「どうして俺が!? け、ケッカがやれよ、レディーファーストでいいぞ」

「なして!? そげなこと求めとらんよ!!」

「――2人とも、仲良しなのは分かったから、ちょっと静かにしようね」

 聖人に笑顔で諌められた2人は、両手を膝につけたまま、固唾をのんで見守ることにした。

 一方、統治は少し中腰になって櫻子と視線を合わせながら、髪の毛をかけて両耳を出している彼女に……そっと、眼鏡をかける。その瞬間、彼女の体がビクリと震えた。

「大丈夫だ。ただ……まだ目は開けないでくれ」

「は、はいっ!! 開けません!!」

 いつもより近くで聞こえる統治の声にも萎縮しつつ、櫻子はギュッと両目を閉じたまま、彼からの許可を待つ。

 統治は鼻の位置をゆっくり合わせてから、全体的にズレがないことを確認して……櫻子から距離をとった。そして、聖人を見て指示を仰ぐ。

「伊達先生、これでいいですか?」

 横から櫻子の様子を確認した聖人は、一度頷いてから……。

「うん、大丈夫そうだね。じゃあ櫻子ちゃん、両目をゆっくり、同時にあけてみてね」

「は、はいっ……!!」

 聖人の指示を受けた櫻子は、一度深呼吸をしてから……ゆっくり、両目を開いて――





 ――次の瞬間、世界が、意識が……全てが、反転した。



 圧倒的な情報量に何もかもが追いつかず、目の血管が焼き切れるような、そんな、強烈な違和感。



 駄目だ、これ以上は――耐えられない。



「透名さん!?」


 統治の焦った声に何も言えないまま、櫻子はあっさりと、自分の意識を手放した。

 




「……あ……」

 次に櫻子が意識を取り戻した時、自分より大きくて暖かいものに体を預けている、そんな安心感があった。

 ゆっくりまぶたを開くと……視界の端で小柄な少女が動いた気配がする。

「櫻子さん、大丈夫!?」

「ユカ……ちゃん……?」

 その声の主に覚えがあった櫻子が、うわ言のように彼女の名前を呟くと……櫻子の顔を覗き込んだユカが、顔をほころばせて息をついた。

「あたしが見えとるとね!! あぁ良かった!! 政宗、伊達先生ーっ!!」

 ユカが踵を返して部屋の奥へ走っていく足音を聞きながら、ゆっくり意識を呼び戻すと……頭の上から、低い声が尋ねてくる。

「……大丈夫か?」

「はい、大丈夫で――」

 条件反射で返答した櫻子は、その声の主が統治であることに気がついて――ついでに自分が思いっきり彼にもたれかかっていることにも気がついて、慌てて体を起こした。


「あ――!!」

「っ!!」


 次の瞬間――激しい目眩と共に統治とは逆方向へ倒れそうになる櫻子の腕を掴み、彼が慌てて自分の方へ引き寄せた。そして、平衡感覚が戻っていないであろう櫻子をとりあえず抱きしめて、安堵の息を吐く。

 唐突な接近に、櫻子も目を丸くしたのだが……視覚的に何かを認知するとそれだけで全てが歪んでしまうため、反射的に目を閉じてしまった。

「申し訳ないが、伊達先生がくるまでこのままでいてくれ。まともに動けないはずだ」

「あ……分かり、ました……」

 櫻子自身もまた、自分自身の体が本調子ではないことなど、嫌になるほど分かっていた。現に今も、目を閉じていても目眩がひどい。船酔いと二日酔いが一気に押し寄せて来たような、そんな、強烈な気持ち悪さがある。だから今、こうして支えてもらえているのは……少し恥ずかしいけど、とても助かる。

 とりあえず目を閉じたまま統治にもたれかかっていると……離れた場所から複数の足音が近づいてきた。

 そして、その中の1つが更に近づいてくると目の前で立ち止まり、櫻子へ話しかける。

「櫻子ちゃん、自分の声は聞こえているかな」

「伊達先生……はい、聞こえています」

 統治にしがみついたまま首肯する彼女を様子をみた聖人が、あごひげに手を添えて「ふむ」と首を傾げる。

「目を開けるのが……辛いのかな? 症状を把握したいから、正直に教えて欲しいな」」

「はい。常に目が回っているような感覚で……気分も、悪いです」

 目を閉じたまま櫻子が声を絞り出すと、聖人は「ありがとう」と声をかけてから、統治の方へ向き直った。

「自分はちょっとアイマスクと飲み物なんかを買ってくるよ。統治君、櫻子ちゃんをあまり動かさないであげてね」

「分かりました。宜しくお願いします」

「政宗君とケッカちゃんも、手伝ってくれるかな」

「分かりました。ケッカ、行くぞ」

「あ、うん。櫻子さん、そのまま無理せんでね!!」

 政宗に促され、ユカも慌てて後に続く。

 室内で2人きりにされた統治は、せめてユカくらい残ってくれれば良かったのにと思ったが……次の瞬間、机の上に置いていたスマートフォンが振動し、政宗からのメッセージを表示した。

「……そういうことか」

 そこに記載されていたのは、3人が一緒に出ていった理由。

 それを察した統治は、まばたきをして視える世界を切り替えた。そして、櫻子の側頭部に手を添えて……一度、呼吸を整える。

「名杙さん……?」

「何でもない。今は安静にしておいてくれ」

 統治にそう言われると、従うしかない。櫻子は大人しく彼に体重を預けながら……その暖かさに安心して、少しだけ、肩の力を抜いた。


 エレベーターで1階まで降りた3人は、商店街にある薬局へ向かうべく、ビルの出入り口から外へ出た。

「櫻子さん……大丈夫やろか」

 ユカが心配そうな眼差しで呟くと、隣を歩く政宗が、帽子の上から軽く手を添えた。

「今は統治に任せるしかないって言っただろ? 俺たちがいると邪魔になる可能性があるからな」

 これは先程、彼女の意識が戻ってから、3人で簡単に打ち合わせをした結果だ。

 名杙直系である統治には、『縁故』に干渉する影響力がある。それは時に、『縁故』へのストレスになってしまうこともあるが、逆に、自分を見失った『縁故』にとっては、暴走した力を抑止してくれることがある。

 統治のイトコである名倉里穂と、中途覚醒である柳井仁義が、そのような関係で成立していることもあり……聖人が、一時的に二人だけにしてみようと提案したのだ。

 同じ場所にユカと政宗がいると、統治の力が2人に流れてしまう可能性があるから。

「統治にもメッセージを送って、状況を把握してもらってる。今の俺達に出来るのは、二人のための買い物だ」

「分かっとるよ……」

 そう言いながらも、どこか釈然としない表情のユカから手を離した政宗は、信号待ちのために立ち止まり……隣に立つ聖人に視線を移した。

「伊達先生、透名さんには今後……何か影響があるんでしょうか?」

 その問いかけに、聖人はゆっくり首を横にふる。

「恐らくそれはないと思うよ。あくまでも今回は、フィルター越しに見てもらっただけで、自分みたいに脳波にまで干渉してるわけじゃないからね。ただ、初回でこれだけ拒絶反応が強いとなると……今後、彼女への説明方法を、考え直したほうがいいだろうね」

「そうですね……統治と話し合ってみます」

 政宗が首肯した瞬間、歩行者用の信号が青に変わり、人が一斉に動き出した。


 先程の会話から、統治と二人だけになっていることを察している櫻子が、何も言えずにもたれかかっていると……統治は彼女の背中をさすりながら、いつもより小さな声で呟いた。

「今回は……申し訳ない」

「名杙さん……」

「俺は……物心がついた時から、『縁』が視えるのが当たり前だった。周囲もそういう人間ばかりで……だから、これがいかに異常なことなのか、考えが至らなかったんだと思う」

 異常。

 彼の口から飛び出た単語に、櫻子は申し訳ない気持ちになって……無意識の内に「スイマセン」と呟いていた。

「私の……私の覚悟が足りなかったんです。みなさんと同じ世界が視えるって、どこか浮足立って……ようやく一緒になれるって、どこか軽い気持ちだったんです」

「それでいいんだ。むしろ、あんな鼻眼鏡を出されたら、誰だってそう思うだろう」

 統治の言葉に、櫻子は首を横に振って……言葉を絞り出す。

「なのに……私、そこにさえ至りませんでした。こんな私が、名杙さんと一緒にいるなんて……!!」


 悔しい。

 努力ではどうにもならないと理解している、しかし、これが持って生まれた素質なのだと言われても……そう簡単には消化出来ない。

 自分は、統治やユカ、政宗達とは違う――そんな烙印を、はっきり押されたような気がしたから。


 同じには、なれない。

 その事実が、今はとても……悔しい。


 統治の服を握りしめて、目を閉じたまま肩を震わせる彼女の背中をなでながら……彼も軽く目を閉じて、彼女の肩に自分の額を寄せた。

 押し寄せてきた無力感に、押しつぶされそうになったから。

「君を巻き込んでいるのは……俺だ」


挿絵(By みてみん)


 特殊な家の生まれだという自覚はある。それを背負う覚悟も、多少なりともあったつもりだ。

 しかし、目の前で……将来的に自分と結婚するかもしれない女性が、自分たちと目線を合わせようとしただけで、抗えずに倒れてしまう。


 これが、『縁故』。

 一般人には立ち入ることが出来ない、特殊な世界。


 為す術なく自分の方へ倒れてきた櫻子を何とか抱きかかえた瞬間、一瞬で意識ごと持っていかれた彼女を重さを実感して、背筋が寒くなったことを思いだした。


 もしもこのまま、意識が戻らなかったら――そんな恐怖心を押し留めて、彼女の隣に座っていた。

 力なくしなだれた彼女の手を、握る勇気が持てないまま。


 櫻子は首を横に振って、統治に体重を預けながら……か細い声を絞り出す。

 ここから先を口にするのは、少しだけ、勇気が必要だけど。

 でも、どれだけ苦しくても、彼らとは違うと烙印を押されても……たった一度失敗しただけで、そう簡単に諦められない。

 だって……彼女はこれまでに、同じことで何度も躓き、諦めそうになって……その度に支えてくれた人がいるのだから。

「私は本当に至らない人間です。これ以外でも沢山、名杙さんに迷惑をかけて……ここで見限られてもしょうがない、そう思っています」

「……」

「でも……私はもう、諦めたくないんです。それを教えてくれたのは名杙さんです。私はまだ、貴方に何も返すことが出来ていない……!!」


 あの時、古い携帯電話にしがみついていた櫻子を鼓舞して、新しい世界へ挑戦する勇気をくれたのは、統治だ。

 変われないと思い込んでいた櫻子の話をじっくり聞いて、今も、彼女の苦手を克服するために一緒に考えてくれている。

 そんな彼に報いたい。ここで変わったところを見せなければ……櫻子は、自分を一生認めることが出来ないだろう。


 悔しい、だから、もっと頑張りたい。

 いつか――いつか、一瞬でも、彼と同じ世界を見ることが出来るように。


 今はまだ少しだけ怖いけれど、ここで勇気を出して、彼の手をとれば、きっと――

 

 櫻子は自分を抱きしめてくれている彼の腕を握り、背中を丸めて呼吸を整えた。

 そして、口の中にたまった唾を飲み込むと、声の震えを抑えながら彼の意思を問う。

「ご迷惑をおかけすることは、重々承知しています。でも……お願いします。私をもう少し、お側においていただけませんか?」

 どんな答えが返ってくるか、正直とても怖かった。でも、ここでしっかり意思表示をした上で、彼の答えを聞かせてほしかったから。

 統治は顔を上げて少し距離をとると、真正面から櫻子を見つめた。

 今の彼女はまだ、目を開けることが出来ないけれど……でもきっと、目を開いていれば、統治を真っ直ぐに見つめてくれているだろう。


 統治は一度、呼吸を整えると……櫻子を抱きしめていた腕の力を抜いた。そして、だらりと落ちてきた彼女の両手をしっかりと握ると、はっきりと答えを口にする。

「分かりました。改めて、よろしくお願いします」


 繋いだ手に、これらの希望を込める。

 2人がもっと、強く――強く、繋がっていられますように。


 その答えを聞いた櫻子が、統治に向けて安心したような表情で笑ってくれたから。

 2人はそのまま向かい合って、互いの手を握ったまま、優しく流れる時間を共に過ごした。

 名杙のお嫁さんになる……予定の櫻子ですが、今後、統治との距離を近づけると、彼との「違い」がより顕在化してきます。その辺を嫌味に突くのが大好きな人間が多い家なので、櫻子は本当に大変だろうなって思いますが、ちゃんと両思いになった統治なら守ってくれそうな気がしました。うん、現時点(2018年4月23日)ではまだですけどね。頑張れ統治、負けるな櫻子!!

 今回は機械音痴に頼らない話にしたかったので、統治と櫻子がスマホ操作の師弟関係に頼らずに関係を作っていく様子は、本編でしっかり書いていきたいと思います。

 櫻子、誕生日おめでとう!! これからも笑顔でマイペースに頑張ろうぜー!!

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