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エンコサイヨウ・外伝集  作者: 霧原菜穂
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2018年仁義生誕祭小話:ブラック仁義くん

 2018年の仁義誕生日は、遂に(?)混濁仁義が登場です。中途覚醒の彼がこの症状と向き合うにあたって、絶対に欠かせないものとは? エピソード自体はちっとも暗くないので、のんびりお楽しみくださいませ。


 主な登場人物:仁義、里穂、ユカ、政宗、統治

 柳井仁義(やない ひとよし)、17歳。髪の毛の色と目の色が日本人離れした美少年である。

 宮城県内にある単位制高校に在籍しており、授業などの合間をぬって、『仙台支局』のヘルプ要員として、主に情報収集を担当していた。

 そして彼もまた中途覚醒の『縁故』であることから、どうしても人数が足りない時は、『仙台支局』管轄の『縁故』の仕事を請け負うこともある。


「仁義君、大丈夫? なんか……顔色が悪く見えるっちゃけど……」

 仙台を東西に走る地下鉄・東西線の社内にて。

 沿岸部における仕事を2件終えた山本結果――ユカと仁義は、始発である荒井駅から乗車すると、『仙台支局』の最寄り駅である仙台を目指していた。

 いつもであれば政宗か統治が車で帯同するのだが、今日は2人ともどうしても都合がつかず……こんな時に限って、その土地を管理する依頼主(クライアント)が事態の早期解決を促してきたことなどから、丁度仙台に用事のあった仁義に白羽の矢が立ったのだ。

 地下鉄の駅からバスで沿岸部まで移動した後、互いに1件ずつ『遺痕』に対応して、再びバスでここまで戻ってきた。後は地下鉄で『仙台支局』に帰ればミッションコンプリートである、が……。

 時刻は17時30分を過ぎたところ、主に学生の帰宅時間でもあるので、車内は制服姿の学生で程よく賑わっている。横並びに7人がけの席の端に座っているユカが、隣に座る仁義を見上げて表情を引き締めた。

 今日のユカはいつものキャスケットに、髪の毛は耳の横でツーテール。白と紺のボーダーシャツの上からグレーのパーカーを羽織り、濃い色のデニムスカートとレギンス、足元はスニーカーという組み合わせだ。彼女がスカートを履いているのは珍しいが、これは今日寝坊して遅刻しそうになったので、セレナからダンボールで送ってもらった衣服を上から適当に取っただけである。

 一方の仁義は地元野球チームのえんじ色のキャップを被り、印象的な髪の毛は黒いウィッグで覆い隠している。黒いシャツと同系色のジーンズを着用しており、足元は白い靴紐が目立つ濃紺のスニーカーを着用していた。そんな彼の眼鏡の奥に見える碧眼はいつも以上に疲れを宿しており、時折焦点を調整するようにまばたきを繰り返しているのが分かる。

 ユカの言葉に仁義は苦笑いを浮かべると、肩をすくめて言葉を返す。

「大丈夫です。ちょっと最近、石巻でも立て込んでまして……」

「そうなん?」

「はい。でも、それももうすぐ終息するはずなので……ご心配をおかけしてすいません」

 そう言って軽く頭を下げる仁義に、ユカが慌てて頭を振った。

「謝らんでよかよ。心配するのは当たり前やし……そもそもそげな状態の仁義君に頼らんといかん、今の『仙台支局』の方を何とかせんといかんとやけんね」

「重ね重ねすいません、里穂からも僕は軽率に謝りすぎだと言われるんですけど、何となく、癖で……」

 そう言ってから笑いを浮かべる仁義は、ズボンのポケットから取り出したスマートフォンで、政宗に「今から戻ります」という旨のショートメールを送信した。そして、自分を見上げるユカを見下ろしてから、少し躊躇った後に、言葉を続ける。

「今日は里穂を待ちたいので、少し……『仙台支局』で休ませてもらいますね」

「よかよよかよ。お茶とお菓子くらいならあるけんね」

 彼女の名前を呼んだ彼の表情に張り詰めた糸の緩みを感じたユカは、二つ返事で了承した。

 やはり、仁義にとって里穂は特別なのだと改めて実感して、頬が緩む。

「今日はもう来客もおらんはずやし、里穂ちゃんの部活が終わるまで、ゆっくりして行かんねよー」

 そう言って仁義から視線を外したユカは、手元のスマートフォンで現在時刻を確認してから、そっと、それをフードの内ポケットに戻した。


 2人が『仙台支局』に戻ったのは、17時50分を少し過ぎた頃のこと。電子ロックを解錠したユカがドアの取っ手に手をかけると、扉を開きながら努めて明るく中へ声を掛ける。

「たっだいまー」

 今の時間帯、まだ、政宗は帰ってきていないと思うけれど……。

「……山本、戻ったのか」

 ユカの声に反応した名杙統治が、イヤホンを外しながら衝立の向こうから顔を覗かせる。そして、彼女の後ろでドアを閉めた仁義の横顔に気付き――顔をしかめて立ち上がった。

 そしてそのまま仁義に近づくと、「お疲れ様です」と頭を下げる彼を見下ろし、統治の中の不安が思い過ごしではないことを確信する。

「仁義、顔色が悪いぞ。目の焦点も合っていないように感じる。大分無理をしているな?」

「そ、そうでしょうか……統治さんにまで言われるなんて、よっぽどですね」

 誤魔化そうとから笑いを浮かべる仁義だったが、統治の目が一切笑っていないことに気がついて……きまりが悪そうに目をそらした。

 統治は次にユカを見下ろしてから、口元に手をあてて言葉を続ける。

「山本、仁義はいつからこんな状態だ?」

「あたしが気付いたんは、帰りの地下鉄の中。時間は……17時33分やったよ」

「分かった。仁義、とりあえずソファに横になっていてくれ。里穂への連絡は俺がやっておく。山本、コピー用紙を置いている隣の棚の中にフリースのひざ掛けがあるから、それを持ってきてくれないか?」

「分かった」

 統治の指示でユカがひざ掛けを取りに行っている間、統治は応接用のソファの背もたれを倒し、フラットな状態にした。そしてまずは彼のキャップとウィッグを外してそこに寝かせると、メガネも外して、それらを応接用の机の上に置くと同時に、追いかける彼の目の動きを確認する。

 いつもであれば物事を正確に捉える碧眼が、どこを見ているのか分からないことは、一目瞭然だった。

「仁義、とりあえずここで安静にしていてくれ。何か異変があったら……声は出せるな?」

「はい……ありがとうございます。自分でも出来るだけ抑えるようにします(・・・・・・・・・)から……」

 自分を見上げて呟く仁義の言葉に、統治はゆっくり首を横に振った。

「ここで我慢をする必要はない。俺はとりあえず、里穂に連絡をしておく」

「……お願いします」

 仁義の言葉に頷いた統治は、スマートフォンがある自分の机へ戻るために衝立の向こうへ消える。

 一人になった仁義は、寝転がったまま天井を見上げて……額に腕を添えると、大きくため息をついた。


 目眩が、ひどい。

 目の奥が――ズキリと痛む。


 これは、『縁故』として仕事をしすぎた時に現れる職業病のようなものだ。その症状から『混濁』と呼ばれる、蓄積されたストレスが表面化してしまう現象のこと。

 体の不調、心の不調、どのような形で出てくるのかは分からないけれど……特効薬がないため、心身を休めて時間が解決してくれるのを待つしかない。この状態を無視して無理を続ければ、最悪、人格が崩壊してしまったりするので、とにかく早めに気付いて休ませる必要があるのだ。

 『混濁』に対するストレス耐性がずば抜けている統治や心愛、里穂などの名杙直系には縁がない症状だが、ユカや政宗、仁義のような中途覚醒の『縁故』にとっては、この仕事を続ける限り、一生付き合っていかなければならない『副作用』だ。

 仁義自身も自分自身に余裕がなくなっていることには薄々気付いていた。でも、どうしても……政宗や統治に頼まれると、多少無理をしてでも貢献したくなってしまう。それくらいの恩義を感じているから。


「……」


 天井に向けて息を吐いた。情けない、そんな惨めな気持ちになると……どうしても、過去のことを思い出してしまう。


 人とは違う、こんな髪の色や瞳の色が嫌で、嫌で、嫌でたまらなかった。

 おまけに見える世界も変化して、見たくないものまで見えるようになってしまうことに、どう対処すればいいのか分からないまま……時間ばかりが過ぎていく。

 不安ばかりが募って、でも、誰にも言えなかった。

 いっそ、この目がなくなってしまえば――何も見えなければ、と、思ったことも、ある。


 けれど。


「おんなじだ!! りほとおんなじだよ!! ひとよし君はりほといっしょ!!」

 『縁』が見えることに目を輝かせ、手を握って笑ってくれた女の子。

 誰かと同じだと言われたことなど、今までなかった。


「ジンの目は本当に綺麗っすねぇ……あ、私が見えるっす!! ちょっとは可愛く見えるような気がするっすよ。ジンの目の色が綺麗なおかげっすね!!」


 自分を至近距離でマジマジと見つめる彼女が、楽しそうに笑ってくれたから。

 この色を……他の人とは違うこの色を綺麗だと、何の屈託もなく言ってのけるから。

 だから……彼女が好きでいてくれるなら、もうしばらくこのままでいいと思った。

 そう思って、もう、何年経過しただろう。


「……里穂」


 ボソリと彼女の名前を呟くと、少しだけ心が元気になれる、そんな気がした。

 自分がここで負ける訳にはいかない。負けたくない、彼女の隣に並び立つには、まだ、まだ――何も、足りないのだから。


 ――そうだよ。

 君はまだ、足りないんだ。


 足りないから――今は、休んでいなよ。

 自分の中の誰かがそう言って前に出ていく、そんな気がした。



「――やっと取れた!! ったく……どうせ政宗やろ、こげんメチャクチャに置いてから……!!」

 棚の中に上半身を突っ込んでフリースのひざ掛けを探してたユカは、ようやく目的のものを発見して、モゾモゾと棚から這い出してきた。

 あの後すぐに、統治に言われた棚の引き戸を明けてみると……どうやらここは、季節物でシーズンオフの雑貨が詰め込まれている場所らしく、ユカの足元に真っ先に転がってきたのは、ハロウィンが似合うカボチャのランタンだった。

 その後も、クリスマスの飾りや仙台七夕の吹き流し(ミニサイズ)など、もうちょっと整理して片付ければ良いものがゴロゴロと転がってきて……ユカが目指すひざ掛けは、それらをかき分けた棚の奥にいた。

 この場にいない責任者に全責任をなすりつけながらひざ掛けを掴んだユカは(十中八九彼のせいだという確信はあるけれど)、棚を閉めて踵を返す。

 そして、ソファに寝転がっている仁義に近づくと、その足元に回り込んだ。

「仁義君、大丈夫? とりあえずこれ、かけとくけんね」

「――っ……」

 ユカの声に答えるように仁義の唇が動くが、小声で囁く彼の声が聞き取れない。ユカは彼の下半身にタオルケット代わりのひざ掛けをかけてから、仁義の頭の方へ近づき、顔の隣に膝をついて腰を下ろした。

「仁義君、どげんかしたと?」

「……さん……」

「ん?」

 断片的にしか聞き取れない彼の言葉に、ユカが顔をしかめた次の瞬間――彼がソファの上に上半身を起こすと、頭痛を抑えるように額を手で抑え、顔をしかめた。

「ちょっと、起き上がって大丈夫なん? 無理せんでよかとよ?」

「……」

 慌てて立ち上がったユカが仁義の顔を覗き込むと……彼の腕の隙間から、鋭く光る碧眼が見える。

 そう、それは、今までの優しい光ではなく、どこかひどく攻撃的に思えて――


「仁義君――!?」


 過去の経験からユカが体を強張らせた瞬間、仁義はユカの顎に右手を添えると、彼女を真っ直ぐに見つめて微笑んだ。

 触れ合った彼の白い指先はとても冷たくて、思わず背筋がゾクリと震える。


「仁義君……」

「今日はお疲れ様でした、山本さん」

 とりあえずこれ以上刺激しないほうがいいと判断して動きを止めたユカへ、仁義は思いの外『いつも通り』の声音で言葉を紡いだ。

 流石に動揺はしたものの、場馴れしているのはユカも同じこと。瞬時に気持ちを切り替えたユカは軽くまばたきをして、視える世界を切り替えて……ひとりごちる。

「……向こうやったか……」

 そして、仁義の持つ『関係縁』の1本に微細な異常を感じ取ったものの……それは彼の左手から伸びているもののようだ。要するに今のユカの位置からは少し離れているため、確証には至らない。しかもこの異常はまだ微細なため、どこまで処理が可能なのか、もう少し見定めが必要だ。要するに今は特に打つ手がない。

 ユカがここからどうしたものかと1人で思案していると、そんな彼女を見つめる仁義が、とても楽しそうに笑っているから……思わず顔をしかめて問いかけてしまった。

「仁義君……何がおかしかと?」

「いえ、その……山本さんは本当に鈍感だと思ったので」


「……へ?」


挿絵(By みてみん)


 予想外の言葉を浴びせられて首をかしげるユカに、仁義は少しだけ顔を近づけてから……その口元に醜悪な笑みを浮かべる。はたから見ると見目麗しい美少年から迫られているようにしか見えないが、ユカにとっては不可解なことばかりだ。

「鈍感……あたし、鈍感だと思われとると?」

 ユカが少しだけ不快感を表に出しながら問いかけると、仁義はヤレヤレとわざとらしく肩をすくめながら、少し演技かかった口調で言葉を続けた。

「そりゃあそうでしょう。あれだけアプローチされておきながら、どうして気がつけないものなのかと……たまに呆れることがありますよ。あれは流石に同情します」

「あのさぁ仁義君……さっきから一体何のことば言いよると?」

 今の彼の言葉には主語がない。だから、ユカが鈍感だということは分かったけれど、誰に対して鈍感だと言われているのか、ユカには一切心当たりがなかった。

 そんな彼女の疑問を表情で察した仁義が、これみよがしなため息をつく。

「まだ分かりませんか? 政宗さんのことですよ」

「へ? なしてここで政宗?」

 謎解きのようにキーワードを連発していく仁義に、ユカは目を白黒させて首をかしげるだけ。

 そんな彼女に一瞬目を細めた仁義は、ユカに自分の息がかかるほど顔を近づけて――


「――もしも、今の僕が山本さんのことを女性として好きだと言ったら……どうしますか?」

「はいっ!?」


 刹那、ユカが素っ頓狂な声を上げて目を見開いた。その反応を至近距離で堪能した仁義は、困惑するユカへ一気に畳み掛ける。

「何とも思いませんか? それとも――政宗さんよりも、ドキドキしてくれますか?」

「え、えぇっと……えぇっと……!?」

 異性からの好意など、今までまともに向けられたことがない(・・・・・・・・・)ユカは、視線を泳がせながら言葉を探して……何も見つからない自分に絶望するしかなかった。

 視線の先には、真っ直ぐに自分を見つめる仁義がいる。この端正な顔立ちから至近距離で迫られて、動揺しない女性などいるのだろうか。現にユカも予想外の状況に困惑してしまい、上手く言葉を返すことが出来ないでいるのだから。


「っ……!!」


 言葉を探して息を呑んだ瞬間、ユカの顎に添えられた彼の冷たい手を再認識した。その事実が、ユカに、この異常事態を訴えかけてくれる。


「里穂からも僕は軽率に謝りすぎだと言われるんですけど、何となく、癖で……」

「今日は里穂を待ちたいので、少し……『仙台支局』で休ませてもらいますね」


 地下鉄の中での仁義との会話を、その時の彼の表情を思い出す。

 そう、これは異常事態だ。仁義が里穂以外の女性に好意を向けることなど、あるはずがないのだから。


 ユカは一度目を閉じて呼吸を整えると……再び目を開き、仁義を真っ直ぐに見据えた。

「そうやね……うん、正直、ちょっとドキドキしたよ。仁義君からこげなこと言われるげな、思っとらんかったけんね」

「そうですか」

「でもね……その『好き』には心がないって、あたしでも分かるよ。だって、仁義君が好きな人について話す時、そげな顔しとらんもんね」


 先程、電車で垣間見たのは、里穂の名前を呼んで気を緩めた、そんな彼の表情。

 そこに彼の本気があることなど、付き合いの短いユカでも察することが出来るほどに……今、目の前にいる仁義は、いつもの彼とは違うのだ。


 そう思ったら、心がスッと冷静になれる。ユカは自分を試すように見つめる仁義を見つめ返しながら、目元に実年齢相応の優しさをプラスして、諭すように言葉を続けた。

「いくら『混濁』しとるとはいえ、そげなことは軽はずみに言っちゃダメなんよ。人に好きになってもらうのは……大変なんやからね」

 そう言って右手の人差指を立てると、仁義は軽く目を見開いた後――肩をすくめる。

「本当、そこまで分かっていらっしゃるのに……どうして気付けないんですか?」

「仁義君はさっきから何のことば言いよると? ケッカちゃんは鈍感やけんが、もうちょっとはっきり言ってくれるやか」

「これ以上言わなきゃ気付けませんか……山本さん、その鈍さが確実に1人傷つけてますよ」

「だから、そげん遠回しに言わんでよかって。本当、さっきからイヤミっぽい言い方なんよね……結局、何を言いたいと?」

 少し苛立ちが混ざるユカの様子を楽しそうに見つめる仁義は、その瞳を細くして――核心を、告げる。


「気付いていませんか? 政宗さんはずっと、山本さんのことを――」


 次の瞬間、入り口の扉が開いて――スーツ姿の政宗が戻ってきた。

 そして、ユカの顎に手を添えたまま顔を近づけて微笑んでいる仁義と、それを受け入れているユカの姿に気付いて……持っていたカバンを取り落とす。


「ケッ……け、ケッカ!? おまっ、お前、仁義君に何をしてるんだ!?」

「ちょっと待ってコレは逆やろ!?」

 思わずユカがツッコミを入れる横で、仁義は静かに机の上に置いてある眼鏡をかけた。そして眼鏡越しの碧眼で政宗を見上げ、とても楽しそうな笑みと共に出迎える。

「お疲れ様です、政宗さん。羨ましいですか?」

「うらっ……!?」

「その証拠に、先程から僕を見る目が怖いですよ。自分がやりたくても出来ないからって逆恨みされたら、嫌ですからね」

「なっ……!?」

 言葉につまる政宗は、ここでようやく、自分を見つめる仁義の瞳にいつもの光がないことに気がつくと……床に落ちていたカバンを拾い上げ、自分自身を落ち着かせるように、無表情でホコリを軽く払った。

 そして、仁義に近づくと……彼を至近距離で見下ろし、腰に両手をあてる。

「なる、ほどね……この状態の仁義君を見るのも、ずいぶん久しぶりな気がするな」

 政宗の言葉で、ユカは、彼のこの状態が初回ではないことを悟ると……自分の顎に添えられた彼の手を静かに払い除けて、首を動かし、政宗を見上げた。

 先程の統治も、対応が慣れているように感じた。それはつまり、仁義がこうなるのは初めてではないということだ。

「政宗、仁義君は毎回こげんなると?」

「毎回……ってわけじゃないけど、割とこうなる確率が多い印象だな。俺と統治と里穂ちゃんの間では、『ブラック仁義君』と呼んでいるぞ」

「そのまんまやん……でも、珍しかね、症状が固定されとるげな」

「まぁ、その辺も個人差だな。そういえばケッカ、統治は?」

 政宗が彼女に尋ねた瞬間、衝立の向こうからスマートフォンを持った統治が合流する。

「佐藤、戻っていたのか。現状は見てのとおりだ」

「ああ、分かってる。仁義君には悪いことをしちまったな……里穂ちゃんに連絡はついたか?」

「問題ない。すぐにコチラへ向かってくれるそうだ」

 ユカの頭上で打ち合わせを終える2人は、ユカが思った以上に里穂に頼っていることが分かる。

 その理由を尋ねようとした次の瞬間、座ったままの仁義が政宗を改めて捉えると、その口元にニヤリと笑みを浮かべる。

「政宗さん、貴方の気持ちは、僕からもお伝えしておきましたよ」

「……は?」

 刹那、政宗の目が点になった。そんな彼の反応を予想通りとほくそ笑む仁義は、チラリとユカに目線を向けた後……人差し指を立ててこう言った。

「だって、あまりにも痛々しくて見ていられないじゃないですか。政宗さんはあんなに頑張っているのに、山本さんには一切合切、ノミやミジンコほども伝わっていないなんて」

「ノミやミジンコ……」


挿絵(By みてみん)


 自分の恋心を微生物同等だと言われた政宗が若干凹んでいると、ユカがそんな彼のスーツの裾を引っ張って、その真意を問いただす。

「ねぇ政宗、仁義君は何のことを言いよると? さっきからあたし、彼から鈍感呼ばわりされとるんやけど……」

「いや、それには激しく同意するけどな……」

「はぁっ!?」

 思わず口をついて出た本音に耳ざとく反応したユカは、彼のスーツを掴む手に力を込めると、口をへの字に曲げて政宗を睨んだ。

「なんね政宗までせからしか!! 言いたいことがあるならビシっと言えばよかろうもん!!」

「いっ……いや、大したことじゃないから、そのうちな、そのうち!!」

「大したことじゃなかなら今すぐ言わんね気色悪か!!」

「きしょっ……!?」

 ユカに睨まれて視線をそらす政宗は、そんな様子をそれはもう恐悦至極に愉悦ですと言わんばかりのニヤケ顔で見守っている仁義を睨むが……これだけには何も解決に至らず、時間が無情に過ぎていくだけ。

 そんな事態に飽きた仁義は、詰め寄るユカとたじろぐ政宗を見つめている統治にターゲットを移すことにした。

「統治さんも、冷静にお二人を見守っていていいんですか? 櫻子さんとの仲が進展していないこと、ご自身でも焦っていらっしゃるのでは?」

「……仁義に俺の心配をされるとはな……」

 まさか自分に飛び火すると思っていなかった統治が言葉を探していると、それよりも早く仁義が矢継ぎ早に畳み掛ける。

「先日、里穂と一緒に透名総合病院へ行く機会がありました、その時、櫻子さんが統治さんに対してどんな感情を抱いていらっしゃるのか、簡単に伺うことが出来たんですけど……聞きたいですか?」

 そう言って口元に意地悪な笑みを浮かべる仁義を見下ろした統治は、一度、口元を引き締めて……首を横に振った。

「遠慮しておく。そういうことは、他人の口から聞くものではないからな」

「流石ですね、統治さん。僕も櫻子さんとは立場が似ていると勝手に思っているので、これからも陰ながら応援させていただきますよ。だから、政宗さんや山本さんのお世話ばかりじゃなくて、もっとご自身と彼女のことも考えてくださいね」

「……善処する」

 そうか、自分は仁義にそう思われていたのか……という感想を飲み込んで統治が首肯した瞬間、室内にインターホンの音が響いた。扉の方に向けて歩き始めた統治は、未だに政宗を問い詰めるユカと逃げ続ける政宗の脇をすり抜けて――ロックを解除する。


「――お待たせっす!! ジンは……ブラックなジンはどこっすか!?」


 制服姿の里穂が飛び込んできたので、統治は冷静に避けながら……「あそこだ」と仁義が座っている場所を指さした。

 そして、慌てて近づいてくる里穂の姿を認識した仁義もまた、大きく目を見開いた後……心から安堵したような表情で、彼女を見上げて言葉をかける。

「里穂……おかえり」

「ただいまっす。ジン、大丈夫っすか? また目が痛いっすか?」

「ちょっとだけ……でも、大分楽になったよ」

 里穂と会話をする彼は、ユカがよく知っている、いつもの穏やかな彼だった。

 その豹変っぷりにユカが目を丸くしていると、政宗はスーツを掴む彼女の手をゆっくり外してから、カバンを持って衝立の向こう側へ移動する。

 政宗に逃げられたユカは……しょうがないので、隣に立ってスマートフォンの操作をしている統治に問いかけた。

「ねぇ統治……里穂ちゃんは仁義君の特効薬なん? これも名杙直系の力?」

 これまで『混濁』には特効薬が存在せず、時間が解決してくれるのを待つしかないと思っていた。しかし、今の仁義を見ていると……里穂の存在を認識したことで、その症状が和らいだように見える。

 ユカの問いかけに、統治はスマートフォンをカーディガンのポケットに片付けてから……2人を見つめる目を細め、息を吐いた。

「初めて仁義が『混濁』した時に、里穂がずっとついていたらしい。それ以来……里穂の姿を見ると、落ち着くようになったんだ。山本が言うように、名杙直系の影響力が関係しているのだと思っている」

 統治や心愛、里穂は、名杙という強い力を持つ家の直系の子孫として、とても強い力が遺伝している。

 そのため、彼らが近くにいることで他の『縁故』は様々な影響を受けてしまい、時に体調を崩したりすることもあるのだが……里穂と仁義の場合は、それが良い方向に作用しているようだ。

 里穂は仁義の隣に座って、「顔色が悪いっすねー……」と彼の顔を覗き込み、仁義は仁義で「そんなに見られても何も変わらないよ」と、苦笑いを浮かべている。これだけ見ると、すっかりいつもどおりの2人。

 こんなこともあるのかと納得したユカは、手をポンとうって結論を述べた。

「なるほど……要するにパブロフの仁義君ってことやね」

「言いたいことは分かるが、もう少し違う表現はなかったのか……?」

 統治がジト目でユカを見た次の瞬間……衝立の向こうから、片手に財布とスマートフォンだけを持った政宗と、帰り支度をした片倉華蓮が顔を出す。

 髪の毛を左下で1つにまとめ、白いブラウスと水色のロングスカートの上から、グレーのロングカーディガンを羽織っていた。足元はスニーカー、その手には黒いトートバックを持っており、眼鏡越しにユカや里穂の姿を確認してから「お疲れ様です」と軽く会釈をする。

「あ、片倉さん……おったとね」

 今まで気配すら察知させなかったアルバイトの存在にユカが軽く目を見開くと、華蓮はにべもなく返答した。

「今まで仕事をしていました。今日はもうすぐに帰れと佐藤支局長に言われたので……」

「ちょっと片倉さん、確かにそうだけどもうちょっと柔らかい言葉で表現してくれないかな?」

「私は事実を述べただけです」

 特に何の抑揚もなく言い放つ華蓮に政宗が閉口していると、華蓮に気付いた仁義が、どこか申し訳なさそうに頭を下げた。

「片倉さん、仕事の邪魔をしてしまって……ごめんなさい」

「問題ありません。山本さんが書類を出してくれないと進みませんから」

 そう言った華蓮からギロリと睨まれたユカは、明後日の方向に視線をそらしてから笑いを浮かべる。

 その様子で今日中の提出は無理だと悟った華蓮は、仁義を見つめて肩をすくめた。

「……ご覧の通りです。こちらは大丈夫ですから、どうぞお大事に」

「ありがとう。片倉さんも気をつけて」

「伊達先生に宜しくっすー!!」

 そう言って手を上げた里穂に適当な相づちをうってから、華蓮は一足先に『仙台支局』を後にした。

 その背中を見送った政宗が、苦い表情をしているユカを覗き込み……ため息1つ。

「……あれが間に合わなかったら、査定でマイナス評価だからな」

「わ、分かっとるよ!! 今日は残業して頑張るつもりやったけんね!!」

「残るつもりなら申請しとけよ……あと、今から30分は外に出るぞ」

「へ? なして?」

 仕事のやる気を急に削がれたユカが目を丸くして尋ねると、政宗は里穂と仁義を見やり、その理由を説明する。

「仁義君は、里穂ちゃんと2人だけで少し時間をかけないと落ち着かないんだ。仁義君、30分くらいで大丈夫そう?」

 政宗の問いかけに、仁義は申し訳無さそうな表情で首を縦に動かした。

「大丈夫です。ご迷惑をおかけして……スイマセン」

「謝らないで。俺も仁義君と同じだから、困った時はお互い様だよ。と、いうわけでケッカ、帰るなら今すぐ用意をしてくれ。残るつもりならちょっと下で休憩するぞ。コーヒー代は経費から出していいけど……どうする?」

 その問いかけに、ユカは迷わず返答した。

「行く。スタバの限定飲みたい」

「ヘイヘイ。じゃあ里穂ちゃん、仁義君、俺達は下のスタバにいるから、何かあったら連絡してね」

 政宗の言葉を合図に、ユカと統治も部屋から出ていって……電子ロックがかかる音と共に、部屋の中は、2人だけになった。


 トイレに行くという統治と一旦別れたユカと政宗は、エレベーターホールで、上からエレベーターが降りてくるのを待っていた。

 ユカは隣に立つ政宗を見上げ……先日、自分が『混濁』で調子を崩していたときのことを思い出す。

 あの時は政宗が自分の部屋にユカを止まらせて、数時間おきに経過観察をしてくれた。疲れもあったのか、最後はグダグダになってしまったけれど……でも、久しぶりに誰かと一緒に過ごした、そんな時の朧気な記憶。しかもその後、更に体調を崩して……仕事を2週間近く休む羽目になってしまったのだ。

 中途覚醒者にとって、この『混濁』は常に付きまとう懸念事項だ。それは勿論政宗も同じこと。彼の場合は特に1人で無理をするので、いつか自分が支える側になれればいいと思うけれど……そもそも、倒れるまで働かせないほうが健全に決っているじゃないか。

 先程の仁義を見て急に不安になったユカが、恐る恐る問いかけた。

「政宗は、無理しとらん?」

「無理? あぁ……俺が『混濁』してないかってことか?」

 ユカの言いたいことを悟った政宗は、努めて明るく返答する。

「俺は大丈夫だよ。ここで倒れたら、明日、契約書にハンコもらえないからな」

「いやまぁ、そうかもしれんけど……」

 そう言ってうつむいてしまったユカの表情が晴れないことを悟った政宗は、肩をすくめて……帽子の上から、彼女の頭にそっと手を添えた。

 思わぬ方向から感じた重さに、ユカが彼をもう一度見上げて、その名前をつぶやく。

「政宗……」

「大丈夫だ。ケッカこそ、この間のこともあるし……絶対に無理はしないでくれ。分かったか?」


挿絵(By みてみん)


 そう言って優しく自分を覗き込む彼の表情に―― 一瞬、見惚れた。

「――っ!!」

 先程仁義に見られた時よりも、明確に心臓が跳ねたことが……心が動いたことが、嫌でも分かる。


 ――こんなの、あたしじゃない。


「ケッカ?」

「あ……えぇっと、その……ほ、ほら、エレベーター来たよ!! ケッカちゃんは無理せんし、今は限定のやつが飲みたいけんね!!」

 名前を呼ばれて我に返ったユカは、逃げるように、到着したエレベーターに飛び乗った。到着したエレベーターは、最上階の展望室にいた観光客や、上の階のオフィスで仕事を終えた人が既に乗り込んでいたため、2人は自然と入口付近の操作パネルの近くに乗り込むかたちになる。

 ユカが黙り込んで視線を泳がせていると、閉じるボタンを押した政宗がため息混じりにユカを見下ろした。

「それ、さっきも聞いたんだが……自分の金で飲もうという発想はないのか?」

「自分のお金で? なして?」

「俺に聞くなよ」

 そんな会話を繰り返していると、エレベーターはあっという間に、コーヒーショップが入っている2階に到着する。

 他の人と一緒にエレベーターを降りたユカは……結局、隣を歩く政宗が自分に対して何を言いたかったのか聞きそびれたなぁと思いつつ、今はコーヒーを呑んで休憩したいなぁ、と、早速違うことを考え始めるのだった。


 人が出払った『仙台支局』で仁義と2人きりになった里穂は、まばたきをして、視える世界を切り替えた。そして、彼の左手から伸びる『関係縁』に普段と違う異変を確認した後……異変を感じた『関係縁』を右手で手繰り寄せ、ギュッと一度、力を込めて握りしめる。

 そして、パッと手を離すと……その手を顔の前にもってきて、パタパタと振ってみせた。

「これでちょっとは落ち着くはずっす。でも、なんか違うなーって思ったら、お母さんに言って欲しいっすよ」

「うん、分かってる」

「とりあえず、前より落ち着く時間が早くなって良かったっす。私が……仁義の助けになれて、嬉しいっすね」

 こう言って屈託なく笑う彼女を、少しだけ強引に抱きしめた。今はただ、里穂の存在を実感したい。彼女がここにいてくれることを、自分自身に言い聞かせたくて。

 里穂もまた、仁義の背中に自分の腕を回すと……体重を預けて、腕の中でほくそ笑む。

「……ジン、今から私は、ちょっとだけ不謹慎なことを言うっす」

「里穂?」

 こんな前置きをする里穂の真意が分からず、腕の中にいる彼女を見下ろすと……里穂は仁義を見上げ、どこかいたずらっぽく微笑んだ。

「ジンがこうなってる時は、私だけが堂々と一緒にいることが出来るので……ちょっと役得だと思ってるっすよ」

 こう言って舌を出す里穂に呆気にとられた仁義は、エヘヘと笑う彼女に肩をすくめた後……彼女の額に軽くキスをしてから、その場所に、自分の額を押し当てた。

 そして、里穂が好きだと言ってくれた瞳で彼女を見つめながら、少し顔を赤くして、こんな本音を白状する。

「色んな人に迷惑をかけちゃうけど、僕も……里穂と一緒にいられるから、役得だと思ってるよ」

 その言葉が届いた瞬間、里穂は軽く目を見開いた。

「おぉ、ジンも同じっすか」

「そういうこと。本当に……自分でもどうかと思うけどね」

 そう言って苦笑いを浮かべる仁義を見上げる里穂は……とても嬉しそうに目を細めた。

「同じだね、仁義君は……里穂と一緒」

「里穂……」

 あの時の呼び名で呼んでくる彼女をもう一度抱きしめてから、仁義は改めて、胸の中に浮かぶ言葉を伝える。

 あの時から、そしてこれからもずっと自分を支えてくれる彼女に伝えたいのは、とてもシンプルな感謝の気持ち。

「うん、同じだよ……里穂。いつもありがとう」

 地上の喧騒が届かない事務所の中で、2人はしばらく抱き合ったまま……2人だけで、ゆったりした時間を過ごしたのだった。

 いつもは穏やかであまり多くを語らない仁義が、ちょっと饒舌になってしまったエピソードです。書いていてとても楽しかったので、2日くらいで書き終えてしまいました。(政宗誕生日は1週間以上かかりました)←あれは特殊だろう霧原。


 しかも、挿絵も捏造しました。狛原ひのちゃんは色々な仁義を描いてくれるので、何が何でも使いたかったと供述しております。そしてもう1枚の方は、なんか上手いこと入れられたので入れました。あれ、このエピソード、もしかしてユカ政だった……? と、思われないように最後を頑張って書き足しましたが、なんだかとてもむず痒かったです。(笑)

 更に公開後に挿絵が増えましたよ!! ユカ仁義という新たな可能性を視覚的に見せてくれたおがちゃん(おがちゃぴんさん)、本当にありがとうございますー!!

 仁義と里穂のエピソードは、今年の第4幕でもっとしっかり掘り下げますので、引き続き、どうぞ宜しくお願いいたします。

 仁義、誕生日おめでとう!! これからも公認カップルの片割れとして、大人たちに余裕をみせつけてやってね!!

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