2017年セレナ生誕祭小話・福岡友情物語~出会い編
セレナの誕生日には、やはりユカとの出会いと友情を掘り下げます。
記念すべき初回は、出会いから。今でこそ大親友の2人ですけど、最初はどんな感じだったんでしょうか。
セレナの名前の由来や家族構成も何となく分かります。
主な登場キャラクター:セレナ、ユカ、一誠、瑠璃子、孝高
橋下セレナ――という名前を名乗るようになるまでの彼女は、ごく普通の家に生まれた、普通の女の子だった。
福岡市の隣にある新宮町、ごく普通の家の次女として生を受けた。両親と4つ年上の姉、加えて父方の祖父母との三世代同居、後に2歳下に弟が生まれ、親が共働きでも家に帰れば必ず誰かがいる環境で育つ。
彼女は特に、優しい祖父母が大好きだった。自分の話を笑顔で聞いてくれて、母親に怒られたときは二人してこっそりおやつをくれる、そんな、優しい時間。
休日や長期休暇は、両親も必ず同じタイミングで休みをとってくれて……ミニバンにみんなで乗り込んで、九州各地、時に本州まで、色々な場所へ旅行に出かけた。旅行先のみならず、移動の車内さえも笑いが耐えない、そんな、楽しい時間。
「人とのご縁を大切にして、正直で優しい人にならんといかんよ。嘘をついても、良いことなんかなーんもないけんね」
優しい顔でそう言って「ムフフ」と含み笑いを向けてくれる、そんな2人が大好きで。
そんな大好きな2人が事あるごとに同じことを言うから、彼女にとってこの言葉は、大切な人生の指針になっている。
優しい人、が、具体的に何をさしているのかは分からない。でも確かに、嘘をついても良いことは何もなくて。
そして『縁』って何? と聞くと、友達や先生など、周囲の人との繋がりだと教えてくれた。
――お前の名前は、人と人とを繋いて欲しいという意味を込めてつけた、なんて、名前の由来を教えてくれたこともあった。
だから彼女は、自分の名前が大好きだった。
そして、人と人とを繋ぐ、優しい正直者になりたいと思い、自分から積極的に話しかて、学校でも習い事でも、多くの友人に恵まれた。
祖父母の言っていることは正しい。それを実感出来た……とても、嬉しい時間。
彼女が中学1年生の時、祖父が病気で他界した。
当然のように彼女を含む家族全員が大泣きして、祖父を偲んだ。彼女はずっと姉にしがみついて泣いていたように思う。
そして……そこから少し、祖母に元気がなくなった。
話は聞いてくれるけれどどこか上の空。おやつをくれる手には元気がない。
当然のようにその理由を嫌になるほど理解していた彼女は……何も出来ない無力感で、押しつぶされそうになっていて。
注意力が散漫になってしまった結果――祖父の死後から半年後、学校の階段から足を踏み外し、全身が階下に投げ出される。
そのことがキッカケで、見えなかったものが見えるようになった。
「――改めて聞くけど、本当に続けていく意志はあるんだね」
学校での事故から数ヶ月後の秋、『西日本良縁協会福岡支局』内にある、応接スペースにて。
川上一誠は手に持っていた資料を机上におき、机を挟んで向かい合わせに座っている彼女を見つめる。
毛先にゆるくウェーブのかかった髪の毛と、ブレザータイプの制服。まだあどけなさの残る顔つきに強い意志を秘めて、彼女は一度、はっきりと頷いた。
「はい。私は……人と人とを繋ぐ人になりたいんです」
中学生の彼女が何の迷いもなく頷くから、当時既に社会人だった一誠は思わず軽く目を見開く。
『縁故』の能力に途中で目覚める『中途覚醒』は、彼女のように外的に強い刺激を受けて、ある日突然『縁』や『痕』が見えるようになるパターンがほとんどだ。そして、その多くが今まで見えなかった世界に戸惑い、視覚的、精神的に気持ち悪いからと、この能力を消すことを望む人も少なくない。
彼女の話を総合すると、学校の階段から落ちて総合病院のベッドの上で目が覚めた彼女は、既に『縁』が見えるようになっており、トイレの場所を聞こうと思って話しかけた人が『痕』だったこともあるらしい。
両手から、全身から、無数の糸が出ている異常事態。最初は信じられなかった。夢だと思って目を閉じて、恐る恐る目を開けても――世界は変化したまま。そして誰も、その変化に気がついていない。
ただでさえ心配をかけている両親に、これ以上何も言えず。
正直な不安を言えないまま、時間ばかりが過ぎていった。
でも、1人で抱え込むことも出来なくて……セレナは、当時大学生だった姉に、こっそり、胸の内を打ち明けていたのだ。
怖かった。
信じてもらえなかったらどうしよう、そんな不安ばかり先行していたけれど。
真剣に異常を訴える妹の話を聞いた姉が、主治医にこっそり相談してくれて……彼女は医者を介して、ある人物を紹介されることになる。
それが、山本麻里子。福岡支局の支局長を務めている女性だ。
そして……退院後、カウンセリングと称して定期的に福岡支局へ通うことになり、『縁故』の存在と、彼らが生きていく世界のことを知った。
人と人を繋ぐ『縁』、それを司る存在。
これは運命だと思うほど、強く惹かれる何かがあった。
「私は麻里子さんに出会って、この力のことを知りました。きっと何か……意味があると思っています。それはきっと、続けなくちゃ分からないんです」
姉の力を借りて家族とも正直に話し合い、彼女の気が済むまでやっていいという許可を得ている。
親がここまで協力的なケースは珍しく、一誠はその話を聞いた時に……彼女がこれまで真っ直ぐに歩いてきたことが証明されたんだと思った。
何か、新しい風が吹く。そんな根拠のない予感。
「分かった。じゃあ、正式に手続きを開始していこうと思うけど……そうだ、名前は考えてきてくれた?」
一誠が宿題の答えを尋ねると、彼女は「はいっ」と元気に返答した後、脇にあるカバンから提出用の書類を取り出した。
『縁故』として生きていく場合は、新たに名前をつけなければならない。それを聞いたときは……自分の好きなこの名前と決別しなければならないのかと、少しだけ、残念な気持ちになったけれど。
数日前、この話を聞いて肩を落とした彼女に、麻里子はゆっくり首を横に振った。
――今までの名前を捨てろという意味じゃなか。本当の自分を守るために必要な『盾』なんだ、と。
周囲が、両親が、姉弟が、そして祖父母が大切に育ててくれた本当の名前、今までとこれからの自分。それら全てを守るために必要なことなんだ、と。
本名と関係なければ自由に命名していいと言われていたので、彼女は姉とも相談して……1つ、考えてきたものがある。
書類に記載されたそれを見て、一誠は一度頷いた。
「うん、形式的には問題ないな。どうしてこの名前にしたの?」
「名字は、おばあちゃんの旧姓で、名前は……家族の思い出なんです」
「家族の思い出?」
「はい。みんなで家族旅行に行く時に、この名前の車にみんなで乗って、ワイワイ話をして、お菓子を食べて……凄く、凄く楽しかったから」
そう言って目を細める彼女に、一誠は「分かった」と首肯してから、新たなスタートを切った彼女の名前を呼ぶ。
「じゃあ……橋下セレナさん、改めて宜しくね」
「はい、よろしくお願いしますっ!!」
元気に頷く彼女を見て、一誠は……彼女――セレナであれば『あの子』の助けになれるかもしれない、と、そんな淡い期待を抱いていた。
普段は地元の中学に通い、週末に研修を受ける……セレナがそんな生活を始めて1ヶ月ほど経過したときのこと。
時刻は14時過ぎ、休日の福岡支局で1時間ほど研修を受けていたセレナに、講師役の古賀孝高が15分休憩を告げる。
セレナが背伸びをした瞬間、背後にある支局入り口の扉が開き……二人分の足音が中に入ってくる。
彼女が首だけを後ろに向けると、目隠し用の衝立の影から出てきたのは……。
「――あ、セレナちゃん、お疲れ様ー」
肩につくくらいのソバージュヘアに丸眼鏡がトレードマーク、小柄な体型にゆったりしたデザインのワンピースとレギンスを着用している徳永瑠璃子が、セレナを見つけて笑顔を向けた。
一誠と同期だという彼女は主に事務方を担当しており、セレナの両親とスケジュールを調整したり、雑談をしたりお菓子をくれたりして話し相手になってくれたり……と、気さくに接してくれるお姉さん的な存在だ。
そして、そんな瑠璃子の影に隠れるように……もう一人、小柄な女の子がいることに気がつく。セレナの視線に気がついた彼女が、帽子を被ったままペコリと会釈をした。
セレナよりも2~3歳年下だろうか。左右の耳の横で髪を結い、年齢の割には落ち着いた雰囲気。無地のロングTシャツとジーパンを着用しており、全体的にシンプルな印象を受ける。
自分と同じく、『最近』中途覚醒した女の子だと思ったセレナは、挨拶するために立ち上がろうとしたが……向かいに座っている孝高がそれを制して、2人を手招きした。
孝高の隣に立った瑠璃子が、並び立つ少女の名を告げる。
「セレナちゃん、この子は山本結果ちゃん、セレナちゃんと同じ年齢なんだけど、『縁故』としては先輩やね。今日はこれから2人で実地研修だから、よろしくねー」
「え……」
瑠璃子の言葉にセレナは思わず息を呑んだ。そして慌てて思考を切り替える。
小柄な女の子なんかいくらでもいるじゃないか。勝手に年下だと判断したのは自分だ、気持ちを切り替えなければ。
セレナは慌てて口角をあげると、少女――ユカを見つめて頭を下げる。
「初めまして、橋下セレナです。よろしくお願いしますっ!!」
「……山本結果です、よろしくお願いします」
落ち着いた声音で名前を告げたユカもまた、セレナにペコリと頭を下げて。
そんな2人のやり取りを見ていた孝高が、机上を片付けながらセレナに指示を出した。
「……今日はこれから、実際に『縁』を切るところを見てもらう。移動をするから用意してもらえるだろうか」
「は、はいっ!! 分かりました」
孝高の言葉にセレナはいそいそと机上に広げたノートなどを片付けながら……瑠璃子の隣に立っているユカを、ちらりと見やる。
目があったので笑顔を向けると、ユカは少し決まりが悪そうに視線をそらした。
孝高の運転する車は、福岡都市高速道路を糸島方面へ向かう。
その車内、後部座席に並んで座っているユカは、最初は手元の携帯電話の画面を見つめていたが……それを片付けた後は窓の外を眺めて、ぼんやりしていた。
普段であれば臆することなく話しかけられるセレナをも躊躇わせる、そんな、目に見えない隔たりを感じる。
ユカは何か、とても大きなものを抱えている――そんな気がしたけれど。
でも……ここで諦めるようなセレナでもない。瑠璃子が自分を後部座席に座らせたのは、ユカの話し相手になって欲しいという思惑もあるはずだ。
まずは帽子を脱ぎ忘れていることを指摘して、それをキッカケに話を広げていこう。同じ年齢らしいから敬語もいらないだろう……多分きっと。
セレナは脳内で会話を組み立ててから、口角をあげて話しかける。
「えぇっと……ユカちゃん、帽子は脱がんでもよかと?」
この言葉に、ユカはチラリとセレナを見やり……事務的に返答する。
「あたし、帽子は脱げないんです」
再び返ってきた意外な答えに、セレナは一瞬口ごもったが……即座に軌道修正をする。
「あ、そうなんやね。何も知らんのにゴメン。あと、同じ年齢なんやけんが、気を遣わんでよかよ」
「……分かった」
端的に返事をしたユカは、再び窓の外を向いてしまった。その背中にこれ以上の会話を拒否されたような気がして……でもとりあえず、スタートラインからは一歩踏み出せたような、そんな気もする。
そんなセレナへ助手席に座っている瑠璃子が視線を向けた。
「セレナちゃんは、糸島って行ったことあると?」
「はい。お祖父ちゃんの家があったので、海水浴とか、家族でよく遊びに行ってました」
「そうなんやね。糸島はイチゴや牡蠣が美味しいけんねー」
そう言って何かを思い浮かべた瑠璃子の言葉に、ユカの両肩がピクリと反応したことを……セレナは心の片隅にとどめておくことにした。
高速道路を降りて、4人は糸島市にある芥屋海水浴場を訪れていた。
ここは、国の天然記念物にも指定されている芥屋の大門に隣接している海水浴場で、景観の美しさなどから、夏には多くの人が海水浴を楽しむ観光スポットだ。
シーズンオフになった今、4人以外に目立った人影はない。近隣の駐車場に車を止めた孝高に、助手席に座っている瑠璃子が膝の上にのせていたカバンを手渡す。
そして降りる用意を整えたセレナに、努めていつも通りの口調で話しかけた。
「セレナちゃんは、実際に見るのは初めてやね。今日はユカちゃんが対応するけんが……私の側から離れないで、しっかり見とってね」
「はい、分かりました」
セレナは自分と同じ年齢のユカが既に最前線で働いていることを改めて悟り、自分も追いつけるようにしっかり見ておこうと、決意を固めるのだった。
人気のない海岸には、絶え間なく押し寄せる波の音だけが響いている。
『縁故』の実地研修として、海はよく選ばれていた。対処すべき『遺痕』の数が多いという理由もあるが、見通しが良いので不測の事態にも対処しやすいためである。
福岡支局は約3年前にユカの一件があったため、新人の研修には殊更気を遣っていた。
瑠璃子の指示で彼女の隣に立ったセレナは、数歩前をいくユカと孝高の背中を見つめる。
そして、数メートル先で2人が立ち止まり、くるりと振り向いた瞬間――瑠璃子が表情を引き締めて、セレナの肩を軽くポンと叩いた。
「セレナちゃん、視え方、切り替えられる?」
「は、はいっ!!」
瑠璃子の言葉にセレナは急いでまばたきをして、世界の視え方を切り替える。
そして――
「あ……」
ユカと自分の間に、今まで『視えなかった』少女が、海の方を見て佇んでいることに気がつく。
年齢は7~8歳程度だろうか。水に濡れたショートヘアーを無表情な横顔に貼り付けており、可愛い黄色の水着姿との対比が痛々しい。その虚ろな眼差しが、自分を見ているユカに気がついたようで……ノロノロと体を動かし、セレナに背を向けた。
ユカは孝高から離れて少女に近づき、名前を尋ねる。
「楠さや香ちゃん、やね」
「……」
その問いかけに、少女――さや香はコクリと首肯する。その様子を確認して目を細めたユカは、空中に漂っている一本残った『関係縁』を左手で掴むと……その赤い糸を、右手の人差指と中指で挟んだ。
その様子に、セレナは1つの違和感を覚える。
研修で聞いたはずの予備知識が、早くも役に立たなくなりそうなのだから。
「あ、あの、瑠璃子さん……ユカちゃん、ハサミとか使わないんですか?」
小声で尋ねると、瑠璃子は肩をすくめて首肯した。
「そうなんよ。ちょっと色々あってね……いれずまた使って欲しいとは思っとるけど、今は……指で切ることを麻里子さんも許可しとると」
「え……」
その話を聞いたセレナは絶句した。これまで受けてきた研修では、『縁』を切る際にはハサミやカッターなど、とにかく何か道具を使うことが必須条件であり、むしろ素手で触ってはいけないと教えられてきたのだから。
しかし、瑠璃子も……そして孝高も、彼女を止めようとはしない。
「だ、大丈夫なんですか!? 確か……縁は直接触っちゃいけないって……!!」
「はっきり言うと、大丈夫じゃないんよ。でも、ユカちゃんは……しょうがなかと」
どこか悔しそうに呟く瑠璃子の横顔に、セレナはこれ以上、何も言えないまま。
しょうがないって、何だろう。
彼女は一体、何を諦めなければならないのだろう。
彼女はどうして――ずっと、寂しそうなのだろう。
セレナは目をそらせずに、対極にいるユカを見つめる。
ユカは目を閉じたまま、躊躇いなく指でさや香の『関係縁』を切って……この場所にとどまっていた幼い陰は、静かに消失した。
仕事を終えて戻ってきたユカに、セレナは反射的に近づいていた。そして、無機質に佇んでいる彼女を見下ろして……思わず尋ねる。
「ユカちゃん、大丈夫やった!?」
「え……?」
意外な言葉だったのだろう。ユカが目を丸くして、帽子越しにセレナを見上げる。
そして、自分を心配そうに見下ろすセレナから目をそらし、淡々と返答した。
「大丈夫、いつものことやけん」
「そげなことなかよ!!」
刹那、セレナは自分でも驚くほど大きな声を出していた。内心「やってしまった」という後悔が先立つけれども、もうこれは勢いで突っ走るしかない。
だって、そう思ってしまったのだから。
開き直ったセレナは、ユカの後ろに立っている孝高を見上げて言葉を続ける。
「だ、だって、ユカちゃんは『縁』を直接触っとったよ!? 古賀さんも徳永さんも全然止める気配がないし……可哀想じゃないですか!! 教えてください、どうしてこげなことになっとるとですか?」
セレナの最もな問いかけに、大人2人は視線を交錯させて……孝高が無言で頷いたことを確認した瑠璃子が、セレナの両肩にそっと手を添えた。
「セレナちゃん……続きは車で話してもよか? あまり人には聞かれたくない話やけんね」
刹那、ユカが何か言いたそうに口を開いたけれど……何か諦めた様子で、セレナからそっと目を伏せる。
まだ日暮れまでは遠い午後の時間帯、波の音だけが、変わらずに響いていた。
孝高の車に戻った瑠璃子は、後部座席でユカを真ん中にして、自分とセレナで挟むような配置にした。運転席に座っている孝高は、何も言わずに前を見つめている。
どこか萎縮してしまったユカの肩に手を添えた瑠璃子は、周囲を軽く見渡してから、対面にいるセレナを見つめた。
「セレナちゃん、まだ、『縁』は見える状態になっとる?」
「え? あ、はい……大丈夫です」
「分かった。今からユカちゃんの帽子を少しだけ外すけど、ユカちゃんの『生命縁』、しっかり見とってね」
「『生命縁』……あ、はい、分かりました」
とりあえず言われるがままに頷いたセレナへ向けて、瑠璃子がそっと、ユカの頭から帽子を取り去る。
「――っ!?」
目の前にある現実を認識した瞬間、セレナは目を見開いて口元を手で覆った。
人間1人に対して、等しく一本伸びている『生命縁』。
普段は瑠璃子や孝高のように、綺麗な緑色をしているはずの『生命縁』は……もはや黒に近いほど変色しており、今にも切れそうな脆さがあったから。
こんな状態でよくも生きていられるものだ――素人同然のセレナでさえ、そんな感想を抱いてしまう。
「ユカ、ちゃん……あの、それは……っ……」
セレナが認識したことを確認した瑠璃子は、ユカの頭に帽子を戻し、彼女の代わりにその理由を端的に告げた。
「もう3年も前の話になるんやね……ユカちゃんが研修中に『遺痕』に襲われて、『生命縁』を傷つけられたんよ。何とか一命はとりとめて、こうして普通に……ううん、普通じゃなかね、最低限度の生活は出来るようになったけど、でも、今後どうなるかは、正直、私にも、誰にも分からん」
普通じゃない。
今度どうなるか、誰にも分からない。
その言葉の重さは、セレナ以上にユカが日々痛感していることだろう。
可哀想――そんな言葉が生ぬるく感じるほどに。
どんな声をかければいいんだろう?
頑張って? 何か違う。
大変だったね? それも違う。
だって私は、まだ、何も知らない。
そんな私が、今、目の前の彼女にかけるべき言葉は……何だろう。
息をついて目を伏せる瑠璃子に、セレナは困惑しながらも問いかける。
「じゃあ……さっき、道具を使っとらんかったのはどうしてですか!? ユカちゃんが可哀想です、そげなことしたら余計に――!!」
「ユカちゃんは、またいつ『遺痕』に襲われるかも分からんけんね。どんな場合でも対処出来るように、道具に頼りたくなかって……本人の希望なんよ。私としては、ちゃんとハサミを使って欲しいっちゃけどね」
瑠璃子がそう言ってユカに苦笑いを向けると、ユカは無言で首を横に振る。
「嫌です……あんなこと、もう二度と――!!」
「ユカちゃん……」
声をかける瑠璃子の声を遮断するように、彼女は両手で耳を覆い――俯いた。
「声が……今でも耳に残ってるんです。政宗がずっと、泣きながらあたしを呼んで……きっと統治も、凄く困らせて……でも、あたしは動けなくて、何も、出来なくて……そんなのはもう、絶対に嫌なんです……!!」
絞り出すように呟いたユカは、両手を膝の上におろして握りしめる。瑠璃子はそんな彼女の背中を擦りながら、沈痛な面持ちでため息をついた。
そしてセレナは……ユカの横顔を見つめて、口元を引き締める。
彼女のことは、まだ分からないけれど。
強い確信を得たことが、ある。
しょうがなくなんかない。
彼女は何も、諦めていない。
「――ユカちゃん、ごめんなさいっ!!」
唐突に謝罪したセレナに、瑠璃子は目を丸くして、ユカは反射的に顔を上げる。
セレナは目尻に浮かぶ涙を流さないよう、顔に力を入れて……心のなかに浮かんだ言葉を、隠さずにそのままぶつけた。
「正直、驚いたよ。びっくりした……でも、ユカちゃんが諦めてないこと、よう分かったけんが。あたし、勝手に誤解して、勝手に憐れむような目で見とったと。本当にごめんなさいっ!!」
「諦めて、ない……?」
オウム返しに尋ねるユカに向けて、セレナは当たり前に返答する。
「だって……ユカちゃんは生きるために、命を繋げるために、今、必死になっとる。なのに私、可哀想だなんて……そんなの、ユカちゃんに失礼だよ」
人と人とを、繋ぐ人になりたい。
そう思って飛び込んだ見知らぬ世界。その先にいた、同じ年齢の女の子。
彼女が抱える荷物の重さはきっと……一生かかっても正確に理解することは出来ないけれど。
でも、1秒先を目指して必死に生きている人を『可哀想』だと憐れむのは……違う気がした。
君と繋がるために必要なのは、きっと、そんな感情ではないと思ったから。
「っ……!!」
再び頭を下げるセレナに、ユカが呆気に取られて言葉を探していると……そんな彼女の後ろから、瑠璃子がそっとハンカチを差し出した。
それを受け取ったユカは、セレナに顔をあげるように促すと……そっと、そのハンカチを差し出し、苦笑いを浮かべる。
「……変なの。そげなこと、あたしいっちょん気にしとらんとに」
ユカからハンカチを受け取ったセレナは、目尻に残る涙を拭って……自然と、笑顔になっていた。
「ムフフ……嘘をつかず正直に生きなさいって、教えられてきたけんね」
ユカがようやく自分を見てくれたことが、素直に、嬉しかったから。
その後、瑠璃子が助手席に戻って、車は福岡市街地へ向けて動きだす。
その車内……行きよりも少しだけ物理的な距離を近づけたセレナは、窓を見つめるユカの肩を、つんつんとつついた。
「……ん?」
なんとはなしに振り向いたユカは、自分を見つめるセレナの眼差しが……好奇心しかない眼差しで、それはもう両目をキラキラさせて、自分を見ていたのだから。
「な、何か……?」
「ねぇねぇユカちゃん、政宗さんと統治さんって、誰のこと? もしかして彼氏!? 嘘、2人もおると!?」
「なっ……ち、違っ……!?」
刹那、ユカが目を見開いて首を横に振る。しかしこれを勝機と捉えたセレナは、臆することなく踏み込むことにした。
彼女がどこか寂しそうにしていると感じた理由が、先程口にした名前の2人にあるのだとすれば。
ユカともっと近づくための糸口は、ここにあるような気がした。
顔を赤くして困惑するユカに、セレナは更に近づいてグイグイ攻め込んでいく。
「行き掛けにも、携帯見とったよね。もしかして写真とかあるっちゃなかと!?」
「しゃ、写真げな持っとら――」
「――あ、私の携帯に入っとるよー」
「瑠璃子さん!?」
助手席から躊躇いなく飛んできた追い打ちと携帯電話に、ユカは非難じみた声をあげるが……時既に遅し。
「あらまぁ……これはこれは……ムフフ」
セレナは瑠璃子の折りたたみ式携帯電話に表示された写真をユカに見せて、満面の笑みを浮かべる。
「ムフフ……2人とも随分なイケメンやね、ユカちゃん。これはもう……根掘り葉掘り聞くしかないかなー」
「は、橋下さんの意地悪!!」
「セレナでよかよ。さぁさぁ、まずはどっちが政宗さんでどっちが統治さんなのか、ユカちゃんの本命さんから教えてもらおうかなぁー?」
「――もう!! ほんなこつせからしか!!」
扉と自分との間にユカを追い詰め、電話の画面をかざしてニヤニヤするセレナに、ユカは今日一番の大声で怒鳴り散らすのだった。
そんなキッカケで、2人は同僚兼友達になる。
それから2人で、多くの時間を共に過ごして。
「――ゴメンね、見逃すわけにはいかんとよ」
出会いから約3年が経過した年の11月、福岡市内から電車で30分ほど、筑肥線の筑前前原駅近くにある笹山公園内にて。
公演の奥にいた『遺痕』の生命縁を切ったユカは、気配が消えたことを確認して……肩の力を抜き、一度、息をついた。
いつものキャスケットと、耳の下で結った髪の毛。丈の長いパーカーを着用しており、その下はデニム素材のサロペット。今は1人なのだがキョロキョロと周囲を見渡して、誰かを探している様子。
すると、そんなユカの背後に影が近づき――
「――ユカ、待った?」
まるで女子高生の待ち合わせのように軽妙な声で、セレナがユカに声をかける。カーディガンの下にはTシャツと膝丈のスカート、足元はハイソックスにパンプスという出で立ち。今日はニット帽の下から髪の毛をゆるく二つに結っており、くりっとした大きな目で、ユカを真っ直ぐに見つめた。
ユカはセレナに近づき、その隣に並び立つ。
「ううん、今終わったところ。レナも終わったみたいやね」
2人がそれぞれ『縁故』としての実力と実績を積み重ね、一誠や瑠璃子がいなくても問題なく仕事をこなすようになって。
時折こうして、少し遠方の仕事も、2人だけで任せられるようにもなってきた。
あの時、心の何処かで自分の境遇を諦めていたユカを本気で心配して、知ろうとしてくれて。
そこからいつも、変わらない笑顔で接してくれる。
嫌な思い出も多いこの土地で、改めて立ち続ける勇気をくれた――大切な親友。
それぞれに公園内やその周辺の『遺痕』に対応して、今から電車で戻るところなのだが……駅に戻って電光掲示板を確認したユカが、露骨に顔をしかめた。
「うわ、次の電車までまだ時間がある……どげんしようかねぇ……」
たった今、福岡方面の電車が発車してしまったようで……次の電車までは、まだ少し時間がある。
どうしようと顔をしかめるユカの隣で、セレナがピッと右手の人差指を立てた。
「じゃあ、駅の近くにあるカフェに行ってみらん? ちょっと気になるところがあるとよ」
「行くっ!!」
二つ返事で便乗したユカに、セレナは笑顔を向けると……店の場所を確認するために、ポケットからスマートフォンを取り出したのだった。
セレナの名前の由来は――車です。
霧原の中で勝手に、「ミニバン」=仲良し家族、という偏見があって。
セレナはおくそが多いでお馴染みのエンコサイヨウの親の中で、多分名倉家に匹敵するくらい善良です。とても普通です。それが珍しいってどういうことだ?(笑)
そしてこのエピソードは、当然ですが緩やかに来年へ続いております。ユカがセレナを「レナ」と呼ぶようになった理由なんかも書いていきたいですね。あ、政宗に告白した話は本編に組み込みたいと妄想してますが、ダメだったらコッチで書きます。
セレナ、誕生日おめでとう!! 天真爛漫なムードメーカーとして、君はとても書きやすいです。
2018年は更に出番を増やしていきますので、よろしくお願いします!!




