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エンコサイヨウ・外伝集  作者: 霧原菜穂
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2017年里穂生誕祭用小話・上級縁故、名倉里穂

 6月上旬の金曜日、梅雨入りも近い宮城県仙台市は、今日もよく晴れていた。

 そんな週末の19時前、『東日本良縁協会仙台支局』の支局長・佐藤政宗は、仙台駅構内にある伊達政宗のステンドグラス前に立ち、ある人物と待ち合わせをしていた。

 額に汗をにじませた横顔に疲れはなく、改札口を見つめる眼差しは強い光を放つ。半袖の白いワイシャツと、グレーのズボン。その手にはパソコンが入りそうな、横長のスリーウェイブリーフケースを持っている。

 既に外回りの営業は終えているため、ネクタイは外しているが……要するに、完全に仕事モード。『仙台支局』の営業時間は18時までなので、既に時間外労働である。

 ただ……『彼女』に頼る以上、サービス残業になるのはしょうがないのだ。むしろこうして時間を作ってもくれるだけでもありがたいと思う、コチラがしっかりサポートをしなければ。

 週末ということもあり、多くの人が笑顔で彼の前を行き交う。そんな人混みをかき分けるように、ポニーテールの女の子が小走りで近づいてきた。

 仙台市内にある高校のセーラー服を着用している彼女は、片手に大きな荷物を持って、政宗の前に立つ。

 そして、これまた疲れを感じさせない、ヒマワリのような笑顔を向けた。

「政さん、お待たせしましたっすー!!」

「里穂ちゃん、お疲れ様。そんなに急がなくても大丈夫だよ」

 鼻の頭に汗をかいている彼女――名倉里穂に、政宗もまた笑顔を向けると、腕時計で時間を確認する。

 一見すると、社会人の兄が女子高生の妹を待っていた……と、見えなくもないが、当然、2人はそのような関係ではない。無論、恋人同士でもない。

「部活終わったばっかりだよね。少し休憩する? 何か冷たい飲み物でも……」

 そう言って思案する政宗の背中を、里穂がベシベシ叩いて笑い飛ばした。

「そんなに気を遣わなくても大丈夫っすよ、政さん。チャチャッと行って、パパっと終わらせるっす」

 里穂の言葉に頷いた政宗は、彼女を先導するように歩き始める。

 彼の背中を追いかける里穂の目は……その先を見据え、より力を増していた。


 名倉里穂、来月に誕生日を迎える15歳、高校1年生。

 石巻にある自宅から、仙台市内の私立高校に通っている。明るい笑顔とポニーテールが特徴で、交友関係も広い。女子サッカー部に所属しており、日々、勉強に部活に、と、全力投球の女子高生。



 そんな彼女には、もう1つ……別の顔がある。



 駅近くの駐車場にセダンタイプの社用車をとめていた政宗は、運転席からドアのロックを解除して扉を開き、中に乗り込んだ。

 里穂は後部座席の扉を開くと、荷物ごと中に入る。政宗は助手席に自分のカバンを置くと、彼の斜め前に陣取ってシートベルトをつけた里穂に視線を向けた。

「『生前調書』は事前に送ったけど、原本も見る?」

「いえいえ、大丈夫っす。さ、出発進行っすよ、政さん。安全運転でお願いしますっすー!!」

 そう言って軽く手を突き上げる里穂にしたがって、政宗は自分もシートベルトをしめると……車のエンジンをかけて、夜の街へと走り出した。


「ゴメンね、里穂ちゃん。学校終わりにバタバタさせて……」

 国道45号線を使い、仙台市中心部から多賀城、塩釜方面へ抜ける。その道すがら、信号待ちで車を停めた政宗は……バックミラーにうつる里穂に向けて、申し訳なさそうに声をかけた。

 スマートフォンを操作していた里穂は顔を上げて、「いえいえ」と笑顔を返す。

「大丈夫っすよ、どうせ今日は、家に帰っても誰もない可能性が非常に高いのです」

「そうなの?」

「そうっすよー。お父さんは職場の宴会で、お母さんは地域の話し合いっす。ジンも昨日から忙しそうなので、多分、家に帰ってもしばらく1人っすねー」

 あっけらかんと里穂が語った次の瞬間、信号が変わって、車が一斉に動き始めた。

 政宗は改めて前を見つめ……対向車のヘッドライトに目を細めつつ、どこか自嘲気味に呟く。

「そうだったんだ……でもゴメンね。俺がもっと調整出来れば、今日みたいに2本残った『遺痕』を――」

「――もー政さん、さっきから辛気臭いっす!!」

 政宗の声を遮るように声を張る里穂は、ミラーに映る彼に向けて、ピースサインを作った。

「それに、私は政さんのお役に立てて嬉しいっすよ。これでようやく恩返しができるって……本当に、そう思ってますから」


 里穂が政宗と初めて出会ったのは、4年前の災害の後だった。

 当時、災害の被害が凄まじかった石巻には、いまだかつて無いほど大量の『遺痕』が発生していた。普通ならば『痕』→『遺痕』と、順を追って状態が悪くなっていくのだが、人の生活と命を一瞬で奪い去った災害の影響は凄まじく、前段階をすっ飛ばして『遺痕』認定しなければならない存在が、街中のいたるところに溢れていたのだ。

 当時、石巻の陣頭指揮を任されていた名倉家だったが、圧倒的に人出が足りなかった。名杙本家は他の沿岸部に手一杯で、あまり多くの人員を割いてはくれず、まだ小学生だった里穂と仁義も、親や他の仲間と一緒に、日々、何かしらの対応にあたっていた。そして遂に、最前線に立っていた里穂の母親までも、過労で戦線離脱することになってしまったのだ。

 そんな時……名杙本家の長男である名杙統治が、友人の政宗を連れて応援に駆けつける。当時大学生ながら、既に『特級縁故』として活躍していた2人は、阿吽の呼吸で大活躍してくれた。

 里穂はそんな2人の姿に憧れ、同時に、政宗の人柄の良さと、統治が前よりもずっと接しやすくなっていたことに……心から安心したことを、よく覚えている。

 彼のことを「政さん」と呼ぶようになったのもこの頃からだ。お兄ちゃんが出来たと懐く里穂と仁義に、政宗はいつも、頼もしい笑顔を向けてくれた。

 そして確信した。どこか傲慢で、とっつきにくかった統治を変えてくれたのは……きっと、この人なんだろう、と。


 里穂と仁義が中学生になり、石巻の『遺痕』が落ち着いた頃……政宗と統治が、仙台に支局を立ち上げるという話を聞いた。

 石巻での活動実績を含む様々な要因が大きく評価されての大抜擢。誰もが統治がトップに立つと思っていたのだが、蓋を開けてみれば、支局長に就任したのは政宗の方だった。

 その話を聞いた時……里穂は、本当に凄いと思った。

 里穂のような直系でさえ、母親が婿養子を取らなかっただけで、名字が違うだけで陰口を叩かれるような……そんな閉鎖的な名杙家において、名杙ではない人物が一組織とはいえトップに就任するのは、それはもう大事件なのである。

 その話を聞いた名倉家で、一度、祝福と感謝の意味を込めて、政宗を食事に招待したことがあった。

 久しぶりに再会した政宗は、すっかり頼もしくなっていた。でも、2人に向けてくれる笑顔は変わらない。そんな彼の横顔に、里穂はふと、こんなことを聞いたのだ。

「政さんは、どうしてそんなに凄いことが出来るっすか?」

「凄いこと……一体何のこと?」

 食事を終え、リビングにあるこたつ机にもたれれかかるように座っていた政宗は、ビールの力でほろ酔い気分だった。そんな彼が、隣にいる里穂に首を傾げる。

 里穂は両手を握りしめ、目を輝かせて力説した。

「だ、だって、政さんは今度、仙台で偉い人になるっすよね!? 名杙じゃないのに……本当に凄いと思うっす」

 彼をここまで動かす原動力は、一体何なのか。単純に気になったから。

 いつの間にか仁義もそんな里穂の隣にやってきて、2人して政宗を見つめていた。若者から羨望の眼差しを向けられた彼は、どこか恥ずかしそうに頬をかきながら……ふと、その横顔に、明確な影を落とす。

「俺は凄くないよ。一番助けたい仲間を……助けられていないんだから」

 初めてみた政宗の表情に、里穂と仁義は2人して息を呑んだ。その物憂げな横顔に、仁義がオズオズと問いかける。

「一番助けたい仲間、ですか……?」

「そう。俺と統治と研修で一緒だった女の子なんだ。ケッカを、俺は、助けられなかったから、凄くなんかないんだよ」

 『ケッカ』。

 文脈から人名だと思うが、2人には聞き覚えのない名前だ。

「政さん、ケッカって……?」

「あぁゴメン、その子のあだ名なんだ。今は福岡で『縁故』として働いているけれど……彼女にはとても大きな負債を背負わせてしまった。だから、俺はもっと頑張って彼女を助けたい。『仙台支局』はそのための第一歩なんだ」

 『ケッカ』さん。

 聞いたことのない名前を呟いた彼の横顔に、少しだけど、確実に光が戻ったから。

 里穂は直感で、彼はその『ケッカ』さんという女性が好きなんだろうと思った。


 そしてこの春、念願の『ケッカ』さん――山本結果に出会った里穂は、彼女の背負う過酷な運命と、それを自分なりに消化して前を見つめる強さ、そして何よりも、政宗と統治の態度の変化を、明確に感じ取っていた。

 これまでも話しやすい、年上のお兄さんだった政宗は、ユカと一緒にいることで、より親しみが出て、今まで巧妙に隠していたヘタレ具合は、見ていて非常に面白い。

 一方の統治は、一見すると変わっていないように見えるが……笑う回数は確実に増えたと思う。それは間違いなく、3人で一緒にいられるから。


 里穂にとっての仁義が、政宗にとってのユカと統治であることが、本当によく分かるから。


 だから里穂は、忙しい高校生活の合間を縫って、『仙台支局』の仕事を手伝うようにしていた。

 もっと、色々なことを吸収したい。いつかは自分も、仁義と共に石巻の町を担うことになるだろう。未曾有の災害から必死に立ち直ろうとしている、恐らく、災害から10年経過したとしても、まだ復興途上であるこの港町を。

 里穂は、石巻に流れている空気が好きだ。仙台ほど急いでいない、寄せては返す波のように、優しくて穏やかな空気。だからこそ、悲しみに支配されてしまっていることが悲しいし、残された悲しみを少しでも減らしていきたいと思う。

 高校時代の限られた3年間、何も無駄にしたくない。

 そのため、今の里穂にしてみれば、現状は願ったり叶ったりなのだ。ただ……心配症の支局長さんは、なかなか割り切ってくれないけれど。


 そんな話をしているうちに、車の動きが止まる。

 里穂はシートベルトを外しつつ、制服のスカートのポケットに入れてある相棒を確認してから……軽く目を閉じて視界を切り替え、政宗に声をかけた。

「宜しくお願いします、政さん」



 仙台港周辺は、最近特に再開発が進んでいる地域だ。

 このあたりも、4年前の災害では甚大な被害が出た場所なのだが……大型のアウトレットモールやホームセンター、家電量販店などが次々と再建し、人の流れが戻ってきた結果、新たな店舗も続々と進出している。大きな被害を受けたビール工場も再建され、工場見学や食事などが、新たな観光資源になりつつあった。

 極めつけは、松島から移設される新たな水族館だろう。オープンまでのカウントダウンが始まっていることも手伝って、周囲の再開発は一層盛り上がり、活気を帯びている。

 そんな地域の片隅、配送業務を請け負う会社の門の前で、政宗は車を停めていた。既に本日の営業は終了しているらしく、門は閉ざされており、建物の明かりは消えている。人の気配もない。

 2人して車から降りた後、懐中電灯を持っている政宗の先導で、門から敷地を仕切る壁沿いに歩き、更に奥まった場所を目指す。

 そして、雑草が生い茂り、突き当りになっている場所に……1人、こちらを向いてうずくまっている女性がいた。

 肩の上で切りそろえた髪は濡れているのか、皮膚に張り付いているように見える。年齢は10台後半~20代前半といったところだろうか。長袖のシャツとジーパンという出で立ちの彼女に、里穂は政宗を追い越して、いつもの笑顔で近づいた。

「こんばんは、こんなところで何してるっすか?」

 そんな里穂の声に、彼女がピクリと反応して顔を上げる。虚ろな眼差しは里穂を懐疑的に見つめ……次の瞬間、はぁ、と、重苦しいため息をついた。

「……別に、何も」

「私は名倉里穂といいます。えぇっと……寺本明奈(てらもと あきな)さん、ですよね?」

 里穂は名字こそ違うが、持っている『因縁』の半分は、名杙直系から受け継がれたものだ。よって、名前を先に名乗って認識させることで、優位に立つことが出来る。とはいえ、『名杙』というパワーワードを使うことが出来ないため、その威力は統治や心愛に比べたら劣る……らしい。

 この名前に関しても、過去に名杙と一悶着あったのだが……里穂は、この名前に誇りと覚悟を持っているから。ずっと、この名前とともに生きていきたい。

 彼女――寺本明奈の名前を言い当てると、彼女が目を見開いて里穂を凝視した。

「どうして……どうして私の名前を知っているの?」

「あ、良かった。ご自分の名前が分かるっすね。じゃあ、ここで何をしているのかも……覚えてるっすか?」

 里穂は更に一歩彼女に近づくと、目だけを動かして、残っている『関係縁』の数を確認した。

 右手から1本、左手からも1本。別々の手に残っている『関係縁』を、同時に切る必要がある。そのためにはもう少し近づいて、両方掴んでから―― 一気に終わらせるのか最善だ。

 過去に政宗が実践している様子を見せてもらったことがある里穂は、その鮮やかな手際に感動したものだ。そして今回、この仕事を彼がユカではなく里穂に任せてくれたということは……里穂にも出来ると信じてくれているから。

 その期待には応えたい。だから、最善のタイミングを見極める必要がある。

 人懐こく話しかける里穂に、明奈は虚ろな視線を泳がせながら、ボソボソと言葉を吐き出していく。

「私、は……コンビニのアルバイトに行こうと、して……怒られるけど行かなきゃ、って、そう、思って……」

「そうだったっすか。アルバイト、お疲れ様です」

 里穂は終始笑顔を向けて、更にもう一歩近づく。

 寺本明奈。仙台港近くのコンビニでアルバイトをして生計を立てていた、21歳の女性。

 引っ込み思案な性格で、職場での人間関係はあまり良くなかったらしい。

「あ、ありがとう……でも、私、途中で……」

「途中で、何かあったっすか?」

 彼女は約1年前、早朝にバイト先へ向かう際――信号無視をしてきたトラックにはねられて、数日後に命を落としている。

 そして、2ヶ月ほど前から……この会社の周辺で、無言電話や車のトラブルが相次ぐようになった。中には重大な事故につながるような、本来はありえない整備不良も発見されている。

 仁義や政宗が調べてみたところ、明奈の命を奪ったトラックが、この会社のものだったことが分かった。明奈の『関係縁』が誰と繋がっているのかは分からないが、当時、トラックには2名のドライバーが乗車していたということで……人をはねたことで慌てて降りてきた2人と、死に際に繋がった……の、かもしれないというのが、政宗の見立てである。

 明奈は何かを思い出そうと、ボソボソと言葉を吐き出した。

「私……途中で、自転車で横断歩道を渡って……」

「なるほど、アルバイトへは自転車で通ってたっすね」

 里穂はそう言いながら、明奈の右手から伸びる『関係縁』を左手で掴んだ。その瞬間、明奈がジロリと里穂を睨みつけ、膝を抱えていた両手をゆっくり解いていく。

「貴女、何をしているの……!?」

「え? 何って……」

 里穂は笑顔を向けたまま左手を更に動かし、明奈から伸びるもう一本も掴み取った。同時に右手をスカートのポケットに突っ込んで、その中から相棒を――15センチのものさしを取り出す。

 里穂が何の脈絡もなく取り出したものさしに、明奈は一瞬、目を見開いて動きを止めた。

 その隙をついて、里穂は左手で掴んだ2本の『関係縁』を自分の方へ引き寄せた。そしてものさしを『関係縁』に近づけると、右手の手首のみを動かし、それを上から下へ素早く振り下ろす。

 次の瞬間――明奈の姿はなく、世界に闇と静寂が戻ってきた。


 政宗も初めて、里穂の『縁切り』の道具を見た時は……「なんでものさし?」と、素直に疑問を抱いた。

 政宗のハサミ、統治や心愛のペーパーナイフ、というように、普通は何かを『切る』ものを相棒にする場合が多い。

 ただし、物理的に『切る』わけではなく、『縁故』にかかるストレスや負担を軽減させるため、間に何か道具を挟むことが重要なのだ。そのため、『縁故』が自分自身で『縁を切る』行動を明確にイメージ出来ていれば、その間に入るアイテムは、割と何でも良かったりする。

 現に福岡の山本麻里子は、特に道具にこだわらず、時にはその辺にあったビール瓶を振り回して『縁切り』を実行することもあるのだ。政宗も一度、攻撃的な『遺痕』の脳天へ容赦なくにビール瓶を振り下ろした麻里子を見て(勿論、割れることはない)……何故か自分の肝が冷えた。

 それはさておき、里穂が使っているのは、どこにでもある、白いシンプルなものさし。4年前に政宗が興味本位でその理由を尋ねた時、彼女は少し恥ずかしそうに……その理由を教えてくれた。

「ジンがここに来たばっかりの時、ハサミや刃物を怖がっていた時期があって……文房具のものさしなら大丈夫だろうってことになって、一緒に買って、交換して使ってるっす」

 要するに、里穂が持っている白いものさしは、仁義が選んだものだ。ちなみに仁義は里穂が選んだ、とてもカラフルなものさしで『縁切り』を実行している。

 そこに2人の絆を感じた政宗は、素直に羨ましいと思った。

 彼の想い人であるユカは……もう、あの時一緒に選んだ道具を、使っていないのだから。


「終わったっすー」

 政宗のところへ戻ってきた里穂に、彼が「お疲れ様」と声をかける。

 そして、周囲に『遺痕』の気配がないことを確認してから、車へ向けて歩き始めた。

 彼の隣を歩く里穂は、あっけらかんとした表情で先を見つめている。流石名杙直系の血筋というべきなのか……政宗はこれまで、里穂が『縁切り』を実行して取り乱した様子をみたことがない。先程のように相手の懐へ入り込み、距離をつめて、容赦なく断ち切る――その潔さは、統治に通ずるところがあるように感じていた。

「里穂ちゃんは……強いね」

「政さん?」

 急に話しかけられた里穂が、歩きながら政宗を見上げた。彼はそんな彼女に苦笑いを向けながら、自分自身の経験を思い出す。

「いやー……俺、最初はどうしても動揺してたから。初めての時なんか、『縁』を切ることはおろか、触れることさえ出来なかったんだ。里穂ちゃんは幼い頃から『縁故』だったから、俺とは違うけど……でも、動揺せずに仕事をこなして、凄いなって思うよ」

 政宗が素直にそう告げると、里穂は「いやー照れるっすー」と頬をかきつつ……前を見つめて、言葉を紡いだ。

「やっぱり転機は、あの災害だと思うっす。あの時は人出が足りなくて……『初級縁故』に合格したばかりの私やジンも、最前線に駆り出されたっすから」


 里穂が見た世界は、この世の終わりのような……そんな世界だった。

 かつて友達の家があった場所、お菓子を買ったコンビニ、自転車で走り回った路地裏……それらが全て、跡形もなく流され、どこまでも広がる更地になっているのだ。


 記憶の書き換えが、追いつかない。


 あの子の家は? コンビニの優しいお姉さんは? 路地裏にいた猫は?

 全部――どこへ行ってしまったのか。


 そんな混乱を、『遺痕』は待ってくれない。里穂は必死にしごとをこなした。勿論、初心者から毛が生えたような小学生に出来ることなどたかが知れている。でも、そんな彼らにさえ頼らなければならないことに、一番心を痛めていたのは……紛れもなく、里穂の両親だった。

 ただ、前述の通り『遺痕』は待ってくれないのだ。特に里穂は名杙直系の『因縁』を持つこともあり、『縁切り』におけるストレス耐性がずば抜けていた。周囲の大人はそんな彼女に期待して、日々、何かしらの仕事を頼みに来る。仁義は1日~2日おきでも、里穂だけが毎日、『誰か』と対峙して、『関係縁』を切り続けていた。


 そんなある日、母親が里穂にこう言った。「1週間、里穂と仁義は家の仕事を手伝わなくていい」と。

 里穂は嬉しかった。久しぶりに仁義や友達と遊べること、恐怖を押し殺し、呼吸をとめて、早くなっている自分の心臓の音を聞かないようにしながら『縁』を切る――そんな生活と、離れることが出来るのだから。


 そして、その5日目、母親が過労で倒れた。里穂や仁義の分も全て背負い込み、最前線で戦い続けた彼女は……意識を失い、入院することになってしまう。ちなみに里穂の父親は被災した職場のことで手一杯になっており、この件にはほとんど関われななかったのだ。連絡を受けて病院に駆けつけた彼が、病室で項垂れている背中を見て……里穂と仁義は、そっと、2人で家に帰った。


 名杙直系の彼女をもってしても、この状況は異常だ。


 里穂はわけが分からなかった。どうしてこんなに頑張っているのに、誰も母親を助けてくれなかったのか。

 どうして私は……母親の不調に、気付くことが出来なかったのか。


 そんな時、応援に駆けつけてくれたのが……統治と政宗だったのだ。


「お母さんが倒れて、どうすればいいか分からなくなって……そんな時、政さんとうち兄が石巻に来てくれたっすよね。その時、2人から「よく頑張った」って言ってもらえて……私、仁義と一緒に大泣きしてたっす」


挿絵(By みてみん)


 誰もが……あの仁義でさえもが、里穂や彼女の母親が、毎日、『遺痕』の『縁』を『切る』ことが、「当たり前だ」と思っていた頃。

 あの場にいた全員の感覚が麻痺していた中で、政宗と統治は……里穂や仁義の頑張りを認め、久しぶりに褒めてくれたのだ。

 そして、そういえば、前に褒めてくれたのが……里穂の母親だったことを思い出す。


 現実はとても過酷で、とても悲しくて、とても……とても辛いけれど。

 でも、そんな中で1人立ち続け、里穂と仁義を守ってくれた。

 そんな母親に、自分たちは何が出来るだろう。

 どうすれば、彼女を守れるんだろう。


「そこから、うち兄や政さんの仕事に帯同させてもらって……私達、本当についていっただけだったっすよね。帰りにコンビニでおやつ買って帰るのが楽しみだったっす」

「そういえば、そんなことしてたね」

「そうっすよー。私との思い出も忘れないで欲しいっす」

 わざとらしく里穂が頬を膨らませると、車がある場所に戻ってきていた。

 2人は車に乗り込み、シートベルトをしめる。そして――誰もいなくなったその場所から、静かに出発した。


 『産業道路』と呼ばれる沿岸部にほど近い幹線道路を走りながら、里穂は話の続きを始める。

「んで、そんな政さんとうち兄の姿を見て……私と仁義で決めたっす。私達もちゃんと強くなって、独り立ちしようって。誰かに言われるんじゃなくて、自分たちのことは自分たちで決めようって」

 そこから2人は……理不尽だと思える要求は、きっぱりはねのけるようになった。嫌味を言われそうになった時に、統治がさり気なく睨みをきかせてくれたこともある。政宗が笑顔でイヤミを言い放ったこともある。

 そうして、里穂と仁義は2人に支えられて……最も過酷な時期を乗り越えることが出来た。

「だからきっと……私が『縁故』として強くなれたのは、ちゃんと引っ張ってくれた政さんとうち兄のおかげっす」

「な、なんか改めて言われると照れるね……」

 信号待ちでとまった車内で、政宗が苦笑いを浮かべる。

 そんな彼の背中に、里穂はいつもの笑顔を向けながら……いつも通り、とどめを刺すのだ。

「だから、政さんも頑張ってくださいっすよー!! ケッカさんと上手くいってもらわないと、うち兄も結婚出来ないっすよー」

「……努力します」

 彼がボソリと呟いた瞬間、信号が青に変わった。


 そんな2人がたどり着いたのは、仙石線多賀城駅せんせきせんたがじょうえき。駅の駐車場に車を停めた政宗は、里穂を改札前まで見送るため、並んで歩いていた。

「今日は本当に助かったよ、ありがとう」

「いえいえ、お安い御用っす。遠慮せずに頼ってくれないと……ケッカさんが倒れたら、もっと大変っすよ?」

「そうだね、考えます……じゃあ、ここからはバトンタッチ、かな」

 政宗がそう言って、駅に入る前に足を止めた。

「へ?」

 意味の分からない里穂が彼にその真意を尋ねようとした、次の瞬間。


「――里穂!!」

 

 少し離れた場所から駆け寄ってきた仁義の姿に、里穂は思わず目を丸くした。

 どうして彼がこんなところに?

 とっさに政宗の方を見ると、彼はどこか意地悪な表情で、こんなことを言う。

「そういえば今日、仁義君に夕方から多賀城周辺での調査を頼んでいたのは……俺だった気がするなー」

「もー政さん、そんなサプライズ反則っす!! ズルいっすよー!!」

 むくれる里穂に追いついた仁義は、黒いウィッグの上から地元サッカーチームの黄色いキャップをかぶり、グレーのポロシャツと濃紺のジーンズという組み合わせ。そして、その手に持っているトートバックから、クリアファイルを3つ取り出す。

「政宗さん、コレ、今日の分です」

 それを笑顔で受け取った政宗は、いけしゃあしゃあと返答する。

「ありがとう、助かるよ。じゃあ、今日はこれで終わりってことで。お疲れ様でした」

「はい、お疲れ様でした」

 そう言ってペコリと頭を下げた仁義は、未だにどこか不機嫌そうな里穂の左手を握ると、とても嬉しそうにこう言うのだ。

「じゃあ……帰ろっか、里穂。それとも多賀城で何か食べて帰る?」

 こう言われると、機嫌を損ねている時間が馬鹿らしい。

 里穂は少し考えてから……すっかり上機嫌の政宗へ、改めて向き直った。

「里穂ちゃん?」

 彼女の考えが読めない政宗が、首をかしげる。

 そんな政宗へ……里穂は、いつもの笑顔で、こんなことをお願いするのだ。

「私もジンも仕事を頑張ってお腹がすいたので、これからどこか食べに連れて行って欲しいっす!!」


 たまには、あの頃のように……頼れるお兄ちゃんとして憧れていた頃のように、甘えてもいいだろう。


 里穂のキラキラした瞳と、仁義の苦笑いを見てしまうと、政宗は何も言えず……周辺のファミレスで一番近いのはどこかと、脳内検索を始めるのだった。

 7月7日は、里穂の誕生日ですおめでとう!!

 そういえば、彼女が『縁故』として働いているところを書いたことがないなぁと思って、彼女と仁義がメインになる来年の第4幕を前に、一度ちゃんと書いておくことにしました。

 そして、第4幕で政宗との関係まで掘り下げると、また話数が足りなくなりそうだったので……ここで書いてしまえと思ったそうです。

 里穂と仁義の出会いや、きっと衝撃の(笑)ものさし、そして、災害直後のことに関しては、第4幕でしっかり掘り下げていきたいと思っています。

 改めて……里穂、お誕生日おめでとう!! 今年も元気な君でいてね!!

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