エンコサイヨウ7周年記念外伝②:暁闇マイセルフ(下)
『7周年記念外伝②:暁闇マイセルフ(上)』(https://ncode.syosetu.com/n9925dq/99/)の続きです。7周年記念のラストとなる短編では、第3幕の謎が明かされる……かも。
最終的にいつも通りの彼らをお楽しみください。
■主な登場人物:政宗、ユカ
政宗がやり直すことを決めた世界は、10年前、ユカを助けられなかった世界。
最初に統治から選択肢を出された瞬間から決めていたけれど、改めて口に出すことで、身が引き締まる思いがいした。
決意のもとでそう語る彼に、隣に立つ黒尽くめの『誰か』――大人びたユカの声を持つ彼女は、確認するように問いかける。
「選ばんで元に戻るって選択肢もあるとに?」
「ああ。決めたんだ」
政宗自身も清々しいと思う声が漏れる。それを受けた彼女は、彼の意思が変わらないことを悟った。
「分かった。それでは――」
彼女は静かに息を吐いた後、政宗から視線をそらした。そして、彼に背を向けるように彼の前へ立つと、右手を上げて、被っていたフードをはきどる。
短い髪の毛がフードに煽られて揺れ動き、政宗は思わず目を開いた。
彼女は振り向かず、彼に背を向けたまま前に進むと……真ん中のドアノブに手をかけて、迷いなく言い放つ。
「それでは……扉の先でも、お互いに、後悔のない選択を」
「え……!?」
その言葉の意味を悟った政宗が慌てて彼女を追いかけるが、伸ばした手は、暗闇を彷徨って……何も掴めないまま。
足がもつれる。近いはずなのに追いつけない事実に焦ることしかできない。脳からの命令を体が受け付けていないような違和感。目の前の出来事、その全てが、スローモーションのように見える。
たった数メートル、この手が届けば、何もかもを変えられる。
たった数メートル、この手が届かなければ……あの悲劇を、繰り返すだけだ。
「待ってくれ!! そこから先は――!!」
彼女は躊躇いなく『扉』を開き、歩みを止めないまま前へ進んでいく。
そして――
「――またね、政宗」
こう言って振り向いた彼女の顔は、逆光で……全く、見えなかった。
『扉』が閉まる無機質な音で我に返った政宗は、慌てて中央の『扉』へ駆け寄ると、ドアノブを回して自分もその先へ進もうとする。しかし、鍵がかかっているようにノブは動かず、ガチャガチャという雑音が響くだけだ。
先程まで、あれだけ簡単に開いていた扉は……政宗を拒絶するように、固く、硬く、閉ざされている。
「なん、で……」
かすれた声で漏れた問いかけに、誰も答えてはくれない。
当然だ。だって……誰も、いないのだから。
「そ、んな……どうして、どうして開かないんだよ……!!」
ドアノブは動かない。
指先に伝わる震えが焦りになる。
どうして。
どうして。
同じ言葉を繰り返すだけで、前には進めない。
「嘘だろ……なんで、何でだよ……!!」
何度繰り返しても答えの出ない自問自答は、しばらく続く……かと、思われたのだが。
「――その『扉』、お一人様専用なんじゃなかと?」
刹那、背後からよく知っている高い声が聞こえる。
そしてその声が、彼に結果を突きつけた。
政宗が恐る恐る振り向くと……暗闇の中に立っている、ユカの姿があった。
今の彼女には先程までの人物がまとっていたようなローブもフードもなく、被っているキャスケットも、着ている洋服も、その佇まいも……全て、彼が知っている『現在の』彼女のもの。
「ケッカ……」
かすれた声で名前をつぶやいた。同時に、彼女がその姿でいるということは……『扉』の向こうで起こった事実を悟り、政宗はその場で崩れ落ちる。
未来が決まった瞬間に押し寄せるのは……後悔と、自分自身への失望。
ユカが成長していないということは、あの夏の悲劇を防げなかったということ。
政宗はやはり、彼女を守ることが出来なかったということだ。
政宗が垣間見た『もしも』は、可能性のままで終わってしまった。
その先を願った彼をあざ笑うように、眼の前の少女が現実を突きつけている。
結局、繰り返してしまった。そんな後悔に押しつぶされてしまいそうになり……政宗は振り上げた両手を暗い地面に叩きつけた。痛みはない。けれど……とても、とても、痛い。
「俺、は……また、君を、助けられっ……!!」
続く言葉は、溢れる涙と嗚咽に遮られる。
息が苦しい。視界が霞む。悔しさで発狂しそうになる。
ようやく、願いが叶うと思ったのに。
ようやく、彼女を解放できると思ったのに。
どうして。
どれだけ自分に問いかけても、出てくる答えは1つだけ。
君には出来ないことだからだよ、と。
ユカは泣き崩れる政宗をしばらく見下ろした後……一歩、前に踏み出した。
彼は自分を見ていない。だから、まずは――視点を変えさせる必要がある。そのために必要なこと、それは……。
「あのさ、政宗……なしてそげなことで泣いとると?」
刹那、政宗の全身がビクリと震えた。
あえて言葉を選ばなかった、そんな意図を感じるが、今の政宗に彼女の発した言葉の意図を汲み取る余裕などあるわけがない。
「そ、げな、って……」
自分の感情を真っ向から否定された政宗は、思わず目を見開いて彼女を見上げる。
この空間で初めて――相手と、目が合った。
ユカは政宗がよく知っている強い眼差しで彼を見下ろしたまま、口の端に侮蔑をログインさせる。
伝えなければ。
はっきりと、自分の言葉で。
彼が……どれだけ、間違っているのかを。
「あのさ、政宗、自分が死ぬことであたしが成長出来るならそれでいい、みたいなこと言っとったよね? それ……嘘つきになるって気付いて言っとる?」
「嘘つき……俺が?」
ユカが何の話をしているのか分からない。よろめきながら立ち上がりつつ、困惑している彼を、彼女は真正面から見据えた。そして……両手を強く握りしめ、言葉を絞り出す。
どうして気づかないのか、その苛立ちが滲む声で。
「そう。忘れたなんて言わせない、もしも忘れてるなら……あたしが何回だって言う。あたし達は、これからもずっと一緒だって……最初にそう言ってくれたのは、あの時の、この『扉』の向こう側にいた、10年前の政宗なんよ?」
「それは……」
ユカが何を言っているのかを理解した政宗は、きまりが悪くなって顔を伏せた。
確かに自分はそう言ったし、その言葉や気持ちに偽りはない。
けれど……その言葉を伝えた後、状況が大きく変わってしまったのだ。
ずっと一緒にいる、その言葉を叶えられないと思うような絶望を、嫌というほど、味わってしまったから。
政宗がユカを納得させられるだけの言葉を探していると、彼女は震える唇を噛み締め、眦を吊り上げて、思いの丈を言葉にする。
真っ直ぐで偽りのない言葉が、最短距離で……彼の心に届くように。
「まさか、その場限りの言葉やったってこと? だとすれば、あたしはその方が許せない。あたしは……その言葉を信じて、お守りにして、道標にしてきた。辛いことも、悲しいことも、全部背負って……いつか、政宗や統治と一緒にいられるって信じて生きてきた!! 政宗は、そんなあたしの存在を否定するってことやんね!?」
「そうじゃない!! 俺だってずっとケッカや統治と一緒にいたいって思ってる!!」
「だったら!!」
「でも、あの夏に俺が君を殺したようなものじゃないか!! 俺が迂闊だったから、全部、俺の、せいで……!!」
政宗もまた、この言葉を信じて歩んできた一人だ。
けれど……どうしても、割り切れない気持ちが残る。
夏の暑さも感じないほど、冷え切った感覚の中。
倒れたまま動かない彼女の姿を見て――呼吸が、出来なくなった。
大切な人が、いなくなってしまう。
事実が絶望として襲いかかってくる。
それから、我に返って名前を叫んでも彼女の意識が戻ることはなく、自分には何も出来なかったという結果だけが残った。
そして今も、同じ結果になってしまった。
もしもあの時、自分がもっと気を付けていれば――いっそ、身代わりになることが出来れば、ユカは今頃、大人になれていたはずだ。
それを奪った原因の1つは、間違いなく、過去の自分の行動なのだから。
ユカの未来を奪った自分に、これ以上、前に進む権利なんて……そう思い始めると、ここにいる自分の選択が最善であると思えて仕方がない。
「ケッカ……!!」
無意識のうちに歯を食いしばっていた。政宗は自分を睨んでいるユカを見下ろすと、両手を強く握りしめる。
後悔していることをやり直せる、その千載一遇の好機を逃すことなど、出来るわけがないのに。
それを分かってくれないどころか真正面から否定する彼女に、政宗の中でも……苛立ちが募る。
「どうして分かってくれないんだよ!! 今の俺は、ケッカの未来を奪ったままなんだ!! 当たり前の普通を、幸せを、あの一瞬で全て奪ってしまった。全ての負債を、ケッカ一人に押し付けてしまった、だから俺がここで――」
「――あたしの未来はあたしが決める!! 勝手に決めて満足するなバカ政宗!!」
「っ!?」
刹那、彼以上に激高したユカが政宗の右手首を掴んだ。そして、そこを強く握りしめたまま彼を見据える。
目をそらせないその強さに、思わず見惚れた。
ユカは泣きそうな表情のままで彼を見据えると、自分と彼を鼓舞するように、強い意志を込めて、言葉を続ける。
「過去をやり直して、それで……全てがうまくいく? バカにせんで。押し付けっていうなら、今の政宗の行動の方がよっぽど押し付けがましいやんね。あたしは、政宗の代わりに生きようなんて思わない。代わりになってほしいなんて、望んだことは……一度だってない」
そう言って頭を振った彼女は、彼から目をそらさずに言葉を続けた。
「政宗が、あたしのことが好きなら、本当にずっと一緒にいたいなら、これからも一緒に頑張って、頑張って、絶対にあたしを助けて。それで、絶対に……絶対に、あたしより先に、諦めんで」
「ケッカ……」
「あたしも同じことをする。隣にいる。なんだったら前を走って置いていく。何をしても……政宗よりも先に、諦めたりせんよ」
ユカはそう言って、政宗の腕を一層強い力で握りしめた。
彼女だって分かっているはずだ。自分が言っていることが……どれほど、分が悪い賭けなのか。
もとに戻れる方法は10年経過しても何も分からないし、そもそも、戻れる保証がどこにもない。一生このままの状態で過ごす可能性の方が高いし――いつ、不意に、その『生命縁』が切れても、おかしくない。
『絶対』という言葉から、最も縁遠い場所にいるはずなのに。
彼女は、どうして。
「どう、して……どうして、そんなに……」
彼女がこんなに強くいられる理由が、分からない。
かすれた声で問いかける彼に、ユカは困った顔で肩をすくめる。
「どうして、って……なしてそれを政宗が聞くと? だって……」
彼女は言葉を切ると、手首を握っていた手を、静かにほどいた。
そして……彼との『関係縁』がつながっている小指を前へ突き出すと、誇らしく笑う。
「だってあたしは、政宗が認めてくれた……がんばり屋さん、なんやけんね」
「――っ!?」
「やけんが、こげなところで立ち止まっていられんと。この『縁』が繋がってる限り、この気持ちが消えることはなかと。要するに……あたしは大丈夫だよ、政宗」
そう言って笑う彼女を抱きしめた。この空間では感覚などなかったはずなのに、頬を伝う涙が、目の前の彼女が、うっすら暖かいような気がする。
敵わない、改めて思い知らされた事実に、泣いて……笑うしかないじゃないか。
「ケッカ、俺は……」
「だから……政宗は、あたしの前からいなくならんでね。ずっと、ずっと……『関係縁』、繋いどってね」
聞き覚えのある言葉に、政宗は頷くことしか出来ない。
不意に……10年前に誓った自分の言葉が、脳裏をかすめた。
――この2人に置いていかれないように……俺がもっと、強くなればいいんです。
あの時も、そして、今も。そう思って歩いてきたはずなのに。
闇にのまれて、前後を見失って……一瞬、全てを投げ出してもいいと思ってしまった。
自分の命で贖えるなら、それでもいいと、本気で思っていた。この気持ちも嘘ではない。
けれど、それを当たり前のように許さない、そんな彼女のおかげで……まだもう少しだけ、足掻いてみたいと思えてしまう。
そんな自分の単純さに呆れてしまうけれど、悪い気はしなかった。
「ケッカのやり方……荒療治すぎるんだよ」
悔し紛れに呟いた言葉が彼女に届いた瞬間、腕の中にいるユカが楽しそうに笑う。
「福岡までわざわざ説教しに来た支局長に言われたくなかね」
「それもそうか」
2人で納得して、笑いあった。
そして、思い出す。
自分たちは……今まで、こうして歩いてきたことを。
統治も一緒に、仙台や福岡の仲間と一緒に、辛い時に支え合って、寄り添って、たまに後ろを振り向いても……それでも、前に進んできた。
闇は怖い。けれど、生きていれば……いつか必ず、夜明けが来る。
暁闇の先にある世界を目指して、一緒に進んでいきたいと思えた。
「政宗が過去を悔やんどることは分かっとるし、当たり前だと思う。今のあたしがおる限り、それを忘れることもできんに決まっとる。けれど……『未来を奪った』げな言わんで。あたしは今、ここにいる。『未来』が『ある』っちゃけんね」
改めて指摘されると、これまでと今の自分達全てを否定していたことに気付かされる。
政宗はため息をついた後、彼女の顔が見えない位置でポツリと呟いた。
「……その通りだな。ごめん」
「よし。じゃあ、この話はおしまい」
ユカはこう言って彼の腕からすり抜けると、半歩前に進んで、中央の『扉』の前に立つ。
そして、いつも通りの口調で言い放った。
「さっさと戻ろう。過去をやり直すんじゃなくて……今を生きるためにね」
迷いのない背中を慌てて追いかけた政宗は、今度こそ、彼女の隣に並ぶ。
そして、無言のまま互いの握りこぶしを軽くぶつけ合い、その手で、同じドアノブを握った。
「そうだな。俺達は――」
刹那、開いた『扉』の先が眩しくて、思わず目を閉じて口をつぐんだ。
けれどきっと、隣にいる彼女には届いている。
もしも届いていなければ……何度だって、伝えればいい。
だって……『今』を生きると、諦めないと、2人で決めたのだから。
政宗を含め、全てが仮初の『もしも』の世界から、現実の世界へ戻るために……彼は、自分の意思で、大きく一歩を踏み出した。
「……あ、れ……俺、何を……」
半分ほどまぶたが開いたところで、ユカ以外の人物に気付いたのだろう。顔をしかめてゆっくりと唇を動かす政宗へと、聖人が笑顔で手をひらひらと振ってみせた。
「おはよう、政宗君。さて、自分は一体何先生でしょうか?」
「伊達先生……です、よね……」
「ぴんぽーん。と、いうわけでおかえり、政宗君。主治医の伊達先生だよ」
普段どおりに飄々と語る聖人は、起き上がろうとする政宗の両肩を支えながら……左手首を掴み、脈拍を確認した。
「脈は……大丈夫そうだね。気分が悪いとか、違和感を感じるところはあるのかな?」
「いえ、特には……体が疲れているくらいで……」
「きっと寝れば治ると思うよ。ね、ケッカちゃん」
話を振られたユカは、「あ、えっと……」とまごつきながら……まだぼんやりしている彼を見つめて、苦笑いを浮かべた。
「ったく……そげん呆けた顔せんでよね、バカ政宗」
「え? あ……え?」
「政宗がそこで寝ても、あたし、部屋まで運べんけんね。伊達先生、わざわざありがとうございました」
そう言ってユカが座ったまま聖人へ頭を下げると、立ち上がった彼が「いえいえ」と言いながら政宗を見下ろした。
「政宗君も起きたから、自分も帰るよ。あ、そうだ政宗君、明日の午後、事務所の鍵を返しに行くからね」
「へっ!? あ……分かり……ました……」
本当は何も分かっていないのだが、聖人へこれ以上迷惑をかけないようにとりあえず頷いて。
「じゃーねー」と手を振って背を向ける彼をその場で見送りながら……政宗は釈然としない表情で、立ち上がったユカを見上げる。
何か大変なことがあったような気もするけど、思い出せない。現状の訳がわからない、その一言に尽きるから。
「なぁ、ケッカ……俺、一体何が……」
「ねぇ政宗、目を覚ます直前まで何をしとったか……どれくらい覚えとる?」
「え? えっと……確か、福岡から帰ってきて、手紙を読んで、それで……」
そこから先が曖昧らしい。ユカは「なるほど」と思案した後、とりあえず椅子に座るよう誘った。そして、先程のように隣に並んで腰を下ろした後、冷えたコーヒーを一口すすって……話を切り出す。
「政宗、あたしに触った瞬間に気を失ったと。あたしが記憶を取り戻したくて、『関係縁』を掴んどったら……」
「そう、だったのか……でも、どうして……」
「政宗、前にも同じように倒れたことがあるっちゃろ? 伊達先生が言うには、その時と同じ現象が発生したんだろうって。要するに……あたしのせい」
最後の一言を強調するユカに、政宗は慌てて頭を振った。
「これはケッカのせいじゃない。どうしようもない、って言ったら身も蓋もないけど、でも――!!」
「――でも、原因はあたしにあるとよ。それはちゃんと把握しとかんとね」
冷静にこう言ったユカに、言い返す言葉を見つけられない。
違うとは言えないけれど、でも、彼女が責任を感じないように慰めたいのに……適切な言葉が、思い浮かばないまま。
無言になった政宗をユカは横目で見た後、テーブルの上で両手を握りしめて……言葉を続けた。
「正直いまはまだ、意味が分からんことばっかり。伊達先生は独自理論ばっかりやし、政宗はバカやし、過去のあたしは頭の中がお花畑でいっちょんあてにならんし」
「ちょっと待てケッカ。さり気なく俺をディスるのやめてもらえませんかね!?」
「事実やけん受け入れんね。それで……今のあたしは、一歩引きすぎとると思うと。自分のことなのに他人事みたいって、この間政宗からも言われたけど……本当にそう。何も実感がないことを免罪符にして、自分から踏み込もうとしてない。これだと……何も変わらんと思う」
自分に言い聞かせるように語気を強め、握った手に力を込める。そしてユカは強い決意と共に彼を見据えると、何の迷いもなく言葉を続けた。
「やけんがあたし、これから政宗と一緒に住もうと思っとると」
「そうなのか………………は?」
彼女の言葉を聞いて内容を理解した政宗が、間の抜けた声を出す。
そして、夢かと思った彼が、自分の手の甲をつねってみるけれど……痛いだけだった。
その後、ユカからの提案を受け入れた政宗は、まだどこか信じられない気持ちで……冷めたコーヒーをすすっていた。
まさか。まさかまさか、自分から言い出す前にこんな展開になろうとは。テーブルを挟んだ向かい側にいるユカは、福岡から買ってきた博多通りもんを食べている。表情や雰囲気に特別な動揺はなく、ただ、これからも当たり前に続いていく日常の延長線上にちょっとした変化が生じた……くらいの認識のようだ。
政宗が自分を見ていることに気付いたユカは、口に残ったものをコーヒーで流し込むと。
「1つ言っとくけど……あたしはあの子と違って、政宗と一緒にお風呂に入ったりせんけんね」
刹那、ユカが何の話をしているのかに気付いた彼は、ぎこちなく視線を外して顔を引きつらせる。
彼女が何を言っているのか……記憶がある彼には、明確な心当たりがあるのだから。
「……その話を蒸し返すのやめていただけませんかねケッカさん……」
「いや、さすがにドン引きやん? 例の手紙に『あわぶろ楽しかったからケッカもやってみてね』とか、凄まじい世迷言が書いてあったけんが、最初は何かの暗号かと思ったけど……あの手紙を書くような子に、そげな知恵があるとは思えん。しかも、政宗が否定せんってことは事実ってことやんね。もう、なんというか……サイテー。ケダモノ。なまはげ。バカ」
「さ、流石に俺もかなり粘って断ったんだよ!! けど……!!」
「最終的に受け入れとる時点で同罪やろうもんバカ政宗!!」
「ソウデスネ……ハイ、ソノトオリデス……」
6月に起こった、統治にも言えるはずがない、文字通りの秘事。それを……あの手紙はとっても簡単に、追伸として暴露してしまった。ここは予め検閲しておけばよかったと心の底から反省している。
事実を知った目の前のユカからは、終始軽蔑の眼差しを向けられているが、これはもう甘んじて受け入れる。サンドバックになる。政宗の中ではとってもとっても楽しかった思い出として残っているから……もう、今はそれでいい。
政宗が胸中でそんなことを考えながら現実逃避をしていると、ユカは大きな大きなため息をついた後、改めて、机上に残る封筒へと視線を向けた。
結局、この手紙は役に立たなかったけれど……でも、過去の彼女を知るための、きっかけになったことは違いない。そう、思考が終始ピンク色で、ラブが地球を救うことを盲信している、トンデモ世界を生きる自分であっても……それが、自分、だと、受け入れるしか……。
受け入れる、しか……。
「……もう、どうでもよか。終わったことやし。知らん」
とりあえず、受け入れるのは保留にしよう。ユカは思考を切り替え、問題点を整理する。
「要するに、今は嫌悪感しかないようなことをしつこく提案するような気持ちが、あたしの中のどこかにあるってことやんね。それが分かればなぁ……」
「急に冷静に分析するんですねケッカさん……」
ユカの切り替えの速さに、政宗が思わず真顔で呟いた。ユカはそんな彼をジト目で見やり、「過去のお前らのせいだ」と視線で訴えて……改めて、聖人とのやり取りを思い返す。
政宗が目を覚ます前、聖人はユカにこんな話をした。
「ケッカちゃんの成長を妨げている因子……とでも呼べばいいかな。分かりやすい表現として、『毒素』は適切だと思うよ」
「じゃ、じゃあ、その『毒素』を取り除けば、あたしの体はちゃんと成長するってことなんですか?」
「自分の仮定が正しければ、だけどね。まぁ、そう上手くいけばいいんだけど……」
分かりきっていることだが、自身に発生しているこの現象をなんとかする鍵は、濁りきった『生命縁』だ。
『生命縁』への干渉は、よほどの事情がない限り許されないし、当然だが失敗は自身の死に直結する。だから聖人も慎重に根拠を探しているし、自分から迂闊に提案することも出来ない。
この現状を打破するために出来ることは、自分の知らない自分自身へ、もっと踏み込むことだ。
――動け。
困ったときは、恩人の言葉を思い出す。
そうすると……少しだけ強くなれるような、そんな気がするから。
「何でもヒントにして、色んなことを確かめたいけんね。それが、あたしの根本的な問題を解決する糸口につながるかもしれん」
「ひょっとして……伊達先生から何か言われたのか?」
「まぁ、ちょっとね。とにかく、あたしの中にあるブラックボックスをあけてみないと、分からんことばっかり」
ユカはそう言って、机の上に置いてある封筒を指さした。
「……政宗、この手紙、あたしが持っとってもよか?」
この問いかけに、政宗は即座に首肯する。
「ああ。それは元々ケッカに宛てたものだからな」
「ありがとう。あと、今じゃなくていい、いつか、政宗がよければ、なんやけど……政宗に宛てた手紙もあると思うけんが、いつか、読ませて欲しい。あたしがどんな気持ちで政宗と一緒におったのか、ちゃんと知って……う、受け止め……」
ここまで口に出したユカは、急に机に突っ伏してため息をついた。
本当は、このままの勢いで見せてもらう心積もりだった。けれど、もしも政宗への手紙を読んで、うっかり知りたくもない情報を知ってしまったら……果たして、自分の心は持ちこたえられるだろうか。
あの手紙を書いている『あの子』――便宜上別人にしないとユカのメンタルが持たない――は、純粋無垢だ。酸いも甘いも全部受け入れてしまうような彼女が、自分の知らない彼の顔を暴露してしまったら、果たしてこれから、一緒に暮らしていけるのだろうか?
今は……やめておこう。自信が、ない。
「……受け止められるようになったら改めてお願いするけんが……ご検討ください……流石に今今日はもうやめときます……」
「わ、分かった。用意しておくよ」
政宗としても一度、中身を改めて検閲しておく必要がある。そんな彼の決意など知らないユカは、そのままの体制でボソリと呟いた。
「ありがとう。政宗……凄いね」
「凄い? 俺が?」
ユカが何のことを言っているのか分からず、首を傾げる政宗。ユカは突っ伏したまま顔を少しだけ持ち上げると、前髪の隙間から、キョトンとしている彼を見上げる。
「だって、10年間も……その間に色々あったとしても、結局、諦めきれんかったっちゃろ?」
「まぁ……そうなるな」
「その執念が凄いなって」
「執念って言うなよ。否定出来ないけど」
苦笑いでツッコミを入れつつ、政宗はふと、これまでのことを考える。
10年間、色々なことがあったけれど、最終的にユカのことを諦められなかった理由。
それは――
「俺がケッカを諦めれられなかったのは……ケッカがずっと、諦めてなかったからだと思う」
「政宗……」
「10年前の夏も、バレンタインの電話も、仙台に助けに来てくれた時も……ケッカが諦めなかったから、俺は今、ここにいるんだ」
彼女のことを、思い続けた理由。
それは……ユカがずっと、自分を信じてくれていたから。
『佐藤政宗』として生きる、目的になってくれたから。
誰よりも過酷な環境の中で、諦めようとしなかったから。
「だから、俺が凄いんじゃなくて、ケッカが凄いんだ。俺を、諦めさせなかったから」
「なるほど……なるほど? つまり、どういうこと?」
「要するに……俺達はきっと、これからもずっと一緒なんだろうなってことだよ」
そう言って笑う彼の表情は、10年前のあの日、研修所の屋上で見たものと同じような気がして。
ユカは突っ伏していた上半身を起こすと、彼を見つめて肩をすくめる。
「やっぱり精神年齢はあたしと同じくらいですかね、佐藤さん」
わざとらしく昔の呼び名で自分を呼ぶユカに、政宗は頬杖をついて首肯した。
「かもしれない。本当、ケッカは10年前から大人びてたよな。だから、たまに見える子どもっぽいところが可愛くて好きだなって思っ――」
「――っ!?」
刹那、ユカがテーブルの下で政宗の膝を蹴った。そして、耳まで赤くしながら頭を横に振る。
「そ、それ以上はもういい!! あんまりアピールされても……う、ウザいだけやけんね!!」
「ウザい!?」
「あっ……えぇっと、あぁもう……!!」
上手く言葉を伝えられず、ユカは改めて机に突っ伏した。
ずっと一緒に。年齢が上がるに連れて、言葉の先にある意味を考えてしまう。
10年前ならば、背伸びをした男子の可愛い宣誓で終わらせることができる。
だが、10年後の今は、どうだろう。
24歳になった彼の『これから』に、20歳の自分が『ずっと一緒に』進んでいく、それはもう……要するに。
「あぁぁもう要するにバカ政宗!!」
「なんでだよ!?」
謂れのない中傷に政宗が引きつった顔で抗議をした瞬間、統治から、彼の身を案ずる電話がかかってきた。
前に進もう。
過去を踏まえて選び続け、未来を諦めないために。
「7周年だから、トータルで7本の短編をアップするぞ」と意気込んで書き始めた一連の短編ですが、文字数の関係で分割したので、本数としては7本以上になりました。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
今回の『暁闇マイセルフ』が生まれるキッカケになったのは、8月下旬に開催された、声劇でした。
『エンコサイヨウ』の音声化企画でキャストをお願いしている有志の方々が集まっていただき、久しぶりにキャラを演じてもらえる機会をいただけたのです。その機会に乗じて、台本を書かせて欲しいと志願して……今回の短編の元になる物語が生まれました。
本編ではメンバーを引っ張りつつ、自分もしっかり活躍する政宗が、もしも、10年前をやり直せるなら……そんなテーマで書いていたら、まぁまぁ物騒な展開に。書いている側はとても楽しかったです。ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。
タイトルにもなっている『暁闇』は、月がない、夜明け直前の様子を意味しています。以前、キャラソンCDを作ってもらった際、メイン3人(ユカ、政宗、統治)に『DAYBREAK FRONTLINE』という曲を歌ってもらったことがありまして。その曲を思い出した時に、明け方のイメージがバッと浮かんだので、この言葉を使いました。
7周年記念①の『宵闇ランナウェイ』と同じく、今後も『☓闇○○○』みたいなタイトルで、短編を書いていきたいなぁという野望だけ書いておきます。タイトルのストックがなくなったらやめます。
約1ヶ月間、不定期にアップしてきた7周年短編も、ひとまず一区切り。
次は第8幕に向けて本格的に作業を続けていきますので、どこかで見かけた際には、よろしくお願いいたします。
【宣伝的なお知らせ】
ありがたいことに、作品に関するイラストを頂戴する機会がありまして。
Twitterは文字数が足りないので、備忘録としてインスタを使い始めました。キャラの誕生日も、ここでひっそりお祝いすることにしました。
基本的に壁打ち目的のアカウントですので、私に何か物申したいことなどありましたら……『なろう』内のメールフォームか、メールにてご連絡いただけますと幸いです。
https://www.instagram.com/frosupi/




