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エンコサイヨウ・外伝集  作者: 霧原菜穂
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2022年誕生日短編①:名杙統治の健康診断【統治・彩衣・涼子・分町ママ】

 2022年のキャラ誕生日は、2ヶ月毎にキャラを分けて書いてみます。

 まずは1月・2月のメンバーです。統治が年に一度の健康診断を受けます。ゲストキャラもいますよ!!


■主な登場人物:統治、彩衣、分町ママ、涼子

挿絵(By みてみん)


 11月下旬、時刻は間もなく午前9時。

 名杙統治は一人、宮城県中部の富谷(とみや)市にある、『透名内科・小児科クリニック』の駐車場に車を停めて、息を吐いた。

 昨日の21時から今に至るまで絶食状態の彼にとって、自宅から1時間弱の運転は少々しんどかったので……無事にたどり着いたことに安堵してしまう。まだ、何も始まっていないのに。

 今日の統治は長袖の白いTシャツの上から、グレーのカーディガンを羽織っていた。足元は茶色い綿のパンツで、腕まくりや着替えが手早く出来るように、装飾品は最低限度。襟がない服を平日に着ることがあまりないため、ラフすぎるのではないかという懸念はあるものの……今日はこれが正解だと、改めて自分に言い聞かせる。

「忘れ物はない、な……」

 頭の回転が普段より鈍いこともあり、一度気になると急に不安になってしまった。統治は助手席に置いたトートバックから茶封筒を取り出して、再度、中身を確認する。そして、忘れ物がなかったことに再び安堵。仮に何か足りなくてもその場で対応してくれるとは思うけれど、あまりそういった迷惑はかけたくないし……この病院のスタッフには特に、悪い印象を与えたくはない。

 その理由は、言うまでもなく……。

「……そろそろ行くか」

 9時に受付を済ませる約束だ。あと3分、そろそろ向かってもいい頃合いだろう。統治は封筒をバックの中へ片付けると、同じく助手席へ置いていたダウンジャケットをバックと一緒に持って、車を降りる。頬を撫でる風が冬の厳しさを少しずつ持ち始める時期になってきたことを文字通り肌で感じて、軽く身震いをした。

 そして、改めて誓う。何としても全て問題なく乗り越えなければ、と。


 本日、年に一度の健康診断へ向かう統治の背中には、そんな強い決意があった。


「……おはようございます」

 病院の入口で丁寧に出迎えてくれたのは、白衣姿の富沢彩衣だった。長い髪の毛を一つにまとめ、落ち着いた声音が響く。統治もまた軽く頭を下げた後、改めて彼女を見つめた。

「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

「……他の患者さんも多くいらっしゃいますので、健康診断のみの名杙さんは私がご案内します。まずは受付をしますので、スリッパへ履き替えてからこちらへお願いします」

 彩衣はそう言って、外来患者の受付カウンターを手で指し示す。統治は「分かりました」と首肯してから、履いていた靴を脱いで靴箱へ放り込んだ。


 その後、受付カウンターで必要書類一式を封筒ごと手渡すと、彩衣がその中から必要な書類を引っ張り出してバインダーに挟んだ。そして。

「……では、まず、身長と体重、視力、血圧を測定します。こちらへお願いします」

 彩衣の案内で外来患者がいる待合室を抜けて、奥にある『処置室』と書かれている扉をくぐる。そこで自身の身体的な数値を計測された後は、採血をするということで丸い椅子に座らされた。

「……採血は左腕でよろしいですか?」

「あ、はい」

 首肯してからカーディガンを脱ぎ、腕まくりをする。彩衣はその間に採血用の注射を2本用意すると、統治の左腕を台の上に固定し、血管の位置を確認した。

「……アルコール消毒は問題ないですか?」

「はい」

 このように、全てが淡々と――検診なので当たり前なのだが――滞りなく進んでいく。数秒後、統治はほぼ痛みを感じることなく採血を終え、彩衣が貼り付けた絆創膏をしげしげと見つめた。

 手際がいい。一言で片付けるのは簡単だが、一朝一夕で身につくような技術ではない……だろう。

 彼女の本業がこっちだと分かっていても、普段、看護師として接してきたわけではないので、新鮮に感じるのは尚の事だ。統治は彩衣と彼――伊達聖人との関係についてあまり詳しくはないけれど、二人の間に流れる尊敬とも愛情とも違う『何か』は、あまり他人が立ち入るものでもないと思うので、あえて深く詮索はしない。ただ……彩衣は自分以上に内情に詳しい。これは間違いないと思う。

「富沢さん……流石ですね」

「……恐れ入ります」

 統治の正直な感想に彩衣は軽く会釈をした後、「聴力検査をしますので、移動をお願いします」と告げる。統治が洋服を整えて移動の用意をしていると、彩衣は採血を終えた容器に識別用のシールを張りながら、こんなことを呟いた。

「……透名先生、朝からとても張り切っていらっしゃいました。未来の義理の弟の健康を守る、とか何とか」

「……」

 彩衣が誰のことを語っているのか悟った瞬間、緊張があからさまに表情としてうかび出てしまう。そんな統治へ、彩衣は手に持った容器を軽く振りながら、にべもなく言い放つのだ。

「……ご安心ください。仕事中ですし、伊達先生ほどの奇人ではないことはご存知かと」

 彼女はそう言って、口元に薄く笑みを浮かべる。絶対に心の中で楽しんでるだろうこの人、という確信を得た統治は、諦めと緊張をため息として吐き出した。


 その後、別室で聴力検査と胸部のレントゲン撮影まで終えたところで、彩衣は統治に待合室で待つように指示を出した。

「……診察の患者さんもいらっしゃいますので、順番にお呼びします。もうしばらくお待ちください」

 彼女はこう言うと、バインダーを持って診察室へと消える。統治は一人、待合室の長椅子に腰を下ろして……正面で流れているテレビの音を聞きながら、周囲を見渡した。

 つい数ヶ月前に開業した院内は、白を貴重とした清潔感のある待合室で、十数名の患者が診察を待っていた。順番は館内放送を使って呼び出されるので、雑多でも聞き逃すことはないだろう。小児科があるので、体調不良の子どもが親に寄り添って順番を待っている様子も見受けられた。ちなみに櫻子の姿はない。あえて彼女がここにいない――実家の病院で働く――日を調べた上で予約をしたのだ。聖人はここの常勤医師だし、内科担当かつ院長である『彼』がいなければ、健康診断そのものが成立しない。かといって、2人一緒にいるところを『色んな大人』に見られたら、血圧が正常値でなくなってしまうかもしれない。つい最近、本当に色々なことがあったから……尚更。

 とりあえずここまでは問題なく終わらせている。後は問診だ。問診さえ終われば……昼ごはんに蕎麦でも食べて自分を労うことが出来る。もう少しだと自分に言い聞かせ、深く椅子に座り直した。

「……」

 病院を、仕事や見舞い以外で訪れるのは久しぶりだ。統治はふと、自分が子供の頃に風邪を引いて母親に病院へ連れて行かれた時のことを思い出し……強面の男性医師から容赦なく座薬を投与された時のことも思い出してしまい、いたたまれない気持ちになる。

 そして、その経験があまりにも嫌だったので、健康には本気で気をつけるようになったことを。

 母親から、腕は確かだが対応が優しくない医師を選んで連れて行ったと後々になって聞かされた。体調不良は自己管理不足だと揶揄されることもある家柄だ。これからも気をつけていかないと、臥せっている時に寝首をかかれてしまうかもしれないから……と。


 誰よりも強く生き残り、この家が続くための礎となる。それが、統治が果たすべき役割なのだから、と。


「誰よりも、強く……生き残る」

 この理念に異存はない。流石の『縁故』でも、悪性のがん細胞との縁を切ることは出来ないのだから。

 ただ……それこそつい最近まで、自分の『家』について深く考えさせられることが矢継ぎ早に襲ってきた。そこで揺らいだこともあるし、固まったこともある。そして、その上で――決めたことも。

「……やはり、俺がここで倒れるわけにはいかないな」

 やっぱり健康第一だと再確認していたところで、統治の名前が空間に響く。彼は無意識のうちに唇を噛みしめると……意を決して、立ち上がった。


「おはようございます。お久しぶりですね、名杙さん。どうそお掛けください」

 統治が診察室に入ると、見知った医師が穏やかな声音と笑みで会釈をしてくれる。年齢は30代中盤、短く切りそろえて清潔感のある短髪と、柔和な印象を抱く顔にはノンフレームの眼鏡。首から聴診器をぶら下げ、白衣の下は水色のワイシャツと黒のスラックスという出で立ちの彼は、この病院の院長であり、櫻子の実兄・透名健(とおなたける)だ。

 櫻子と付き合うようになってから、数回、挨拶程度の会話はしてきたけれど……こうして真正面からしっかりと向かい合うのは初めてだ。しかも、患者(?)と医者として。

 彼――健の背後には、彩衣が涼しい顔で控えている。彼女の表情から、彩衣自身が現状をどれだけ面白がっているのかはうかがい知ることが出来ないけれど……間違いなく楽しんでいるはずだ。

 健は手元のバインダーに記載された検査結果にざっと目を通した後、椅子を少し回転させて、統治と正面から向かい合った。

「では、聴診器で音を聞かせていただきます。すいませんが、衣服を持ち上げていただけますか?」

 指示通りに上半身の衣服を首の上まで持ち上げ、健の診察が終わるのを待つ。数分後、聴診器による診察と腹部の触診を終えた健は、「ありがとうございます」と会釈をした後、バインダーの書類に結果を書き込んだ。そして、統治が衣服を整えたところで、簡単に検査結果が申し伝えられる。

「朝からお疲れ様でした。とりあえず、聴力、心電図、血圧など、今日の検査結果で目立って気になるところはありません。生活実態を把握するアンケートも……食生活、睡眠時間、特に問題はない、ですね。嗜好品も正常の範囲内。素晴らしいです。是非このまま継続して、健康第一、長生きしてください」

「はい」

「あー、あえて言うならば、視力が昨年より下がっているところが気になりますが……裸眼でこれだけの数値であれば、まだ大丈夫かと思います。車の運転に支障はありますか?」

「いえ、特には」

「そうですか。妹から名杙さんはパソコン関連が非常にお得意だと伺っていたのですが、それでこれだけの視力を維持されているのは立派だと思います。未来の義兄として鼻高々です」

 そう言って書類へ楽しそうに書き込む健に、何となく嫌な予感がするものの……思い過ごしだと言い聞かせ、小さく頭を振った。健は他に見落としや記入漏れがないかどうかを確認した後、改めて統治へと向き直る。

「本日の検査結果ですが、血液検査と尿検査、ストレスチェックの結果が揃ってから、改めて書面でお送りします。送り先は職場でよろしいですか? それとも……妹に言付けて直接、ご自宅へ届けさせますか?」

 刹那、顔が引きつったのが自分でも分かった。やっぱり、話の展開が……妙な方向へ転がりそうな気配を感じたからだ。この、最後にちょっと添える言い回しが、某知り合いの小児科医を彷彿とさせたからかもしれない。

 そんなことない、今のは俺を気遣ってのものだ、と、統治は自分に言い聞かせ、平静を装って返答する。

「いえ……職場に郵送いただければと思います」

「本当にそれでいいですか? 未来の義兄として今すぐに協力できることはこれくらいなので、喜んで、自主的に、職権を乱用させていただきますよ?」

「結構です……」

 統治が顔を引きつらせながら改めて首を振ると、健は「そうですか……」と残念そうな声で、バインダーを彩衣へ手渡した。

「では、本日の健康診断は以上となりますが……折角の機会ですし、未来の義兄に相談しておきたいことは、何かありませんか?」

「いえ……特に……」

「そうですか……では、未来の義兄にこの際だからと物申したいことはありませんか?」

「いえ……特に……」

「そうですか……」

 何だこのやり取りは、どうしてそんな残念そうなんだと思いつつ、統治はひきつる頬を見せないように彼へ背を向けると、そそくさと上着を着る。そして、荷物を持って立ち上がると、頭を下げてこの場を切り抜けようとした。

「で、では、よろしくお願いします」

「分かりました。あ、名杙さん」

「は、はい?」

 まだ何かあるのかと顔を上げた統治があからさまにビクビクしていると……そんな彼と正反対の様相を呈している健は、穏やかな笑みと共に口を開いた。

「これからも妹のこと、宜しくお願いします。なんてったって、未来の義兄の願いは、2人の健康と幸せですから」

 そう言って、穏やかに頷いてくれる。その雰囲気はやはり櫻子と似ていて、無意識のうちに安心してしまうような柔らかさがあった。

 だから統治も、謝辞を述べようと口を開――きかけた、次の瞬間。

「健康面で何か不安なことがあれば、遠慮せずにいつでも相談してくださいね。勿論、それ以外の相談もいつでもお待ちしています。あ、いくら未来で親族になるとはいえ、いや、むしろ私だから言いづらいこともあるでしょう。その場合は伊達君へでもいいですよ。確か彼の方が付き合いが長かったかと――」

「――お気遣いありがとうございます。こちらこそ、宜しくお願いします」

 統治は無理やりこう言って再び頭を下げてから……ようやく、診察室を出ることが出来た。


 その後、彩衣の案内で受付(会計)のカウンターまで案内された統治は、改めて、今後の流れの説明を受ける。

「……では、書類は櫻子さんに預け――」

「――違います富沢さん。検査結果は職場へ郵送で、『仙台支局』への郵送で、お願いします」

 というやり取りの後、ようやく開放された統治は……疲れた足取りで車へ戻ると、運転席に座り込み、大きく息を吐いた。

 時刻は間もなく午前10時30分。飲まず食わずの上に、将来の義兄(予定)からの追撃で、余計に疲れた気がする。

「……あんな人だったのか……」

 櫻子からちゃんと、兄に関する話を聞いたことはないが……割とおしゃべりが好きそうな人だということが分かった。伊達聖人や茂庭万吏の先輩だということも頷けるくらいに。

 そして……。

「……穏やかな雰囲気の病院だったな」

 院内は新築ということを差し引いても、明るく、穏やかな空気が流れているように感じた。病院はどうしても、具合が悪い人間が多く駆け込む施設だ。体調不良からマイナスの気が集まりやすく、それは時に『痕』や『遺痕』を呼び寄せる因子の1つになってしまうこともある。

 ただ……今しがたまで滞在していた院内には、マイナスの気はあまりなく、むしろ逆の印象さえ抱いた。それはきっと、健や彩衣、そして恐らく別室で診察していたであろう聖人達が、患者が落ち着いて治療に専念出来るような空気を作っているからだと思う。

 そう考えると……健のようにざっくばらんに話をしてくれる医者は、この環境に適しているような気がした。そう、あくまでも『私情を挟まずに医者として働いた場合』だけど。

「さて……」

 統治はスマートフォンを取り出すと、政宗へ報告のメールを送信する。そして、次の予定を頭の中で確認した後……時間の使い方を考えた。

 統治の次の予定は13時過ぎ、場所は……仙台市内でも屈指の規模を誇る医療センターだ。

 勿論、健康診断の続きではなく……『縁故』として、仕事をこなすために。


 その後、富谷市の蕎麦屋でとろろ蕎麦を食べた統治は、途中のスーパーでミネラルウォーターとずんだ餡のかかった串団子を購入し、車を仙台市へと走らせる。

 そして、12時40分を過ぎた頃、宮城野区(みやぎのく)にある医療センターの駐車場に到着した。敷地内への立ち入りが許可されているのは、12時55分から13時25分までの30分間。とはいえ、表立って請け負った仕事ではないので、あくまでも患者の身内として、一般人を装いながら仕事をこなす必要がある。

 少し時間があるので、先程買った串団子の封を切っていると……誰もいないはずの助手席に、何かがとどまっている気配を感じた。統治は静かにまばたきをして視える世界を切り替えた後、隣にいる『彼女』へ軽く会釈をする。

「分町ママ、お疲れ様です」

「――お疲れ様、統治君。朝から結構な移動だったわねぇ……」

 本日は髪の毛を結い上げ、紫色の着物を着用している彼女――分町ママが、足を組み替えて統治を見やる。

「統治君がお団子なんて、珍しいわね」

「流石に糖分が欲しくて……腹持ちもいいですし」

「その気持ち分かるわぁ。私もお酒がないとやってられないもの」

 そう言ってどこからともなくビールジョッキを取り出した分町ママは、幸せそうな表情でそれを一口すすった。そして「そうそうコレコレ」と一人で納得しつつ。

「とりあえず、近くをぐるっと回ってきたけれど……やっぱり、産婦人科の裏だったわ」

「そうですか。ありがとうございます。もしかして、去年と同じ場所ですかね?」

「多分そうね。行けば分かると思うわ」

「分かりました」

 統治は改めて彼女に頭を下げると、黄緑色の餡がかかった団子を1つ、口に頬張った。枝豆がしっかり裏ごしされているので、なめらかな食感と優しい甘味が口の中に広がる。団子ごと噛み潰して飲み込むと、これからの流れを頭の中で確認した。


 今日、これから『縁』を切るのは――『死産』という形で、生まれた後にすぐ、もしくは母親の胎内で既に亡くなった状態で産み落とされた子ども『達』だ。

 彼らには名前が『ない』。厳密に言えばあるのだが、彼ら自身が自分の名前を認知していないこと、そもそも生まれたばかりなので言語による意思疎通が出来ない。

 彼らに残っているのは『地縁』――この場所で生まれたという事実だけ。どこにも行くことが出来ず、病院の敷地内に留まっている。名前がないし、複数の『地縁』を一度に処理しなければならないので、中途覚醒の『縁故』では対応が難しい。名杙の持つ特性と圧倒的な力で、彼らの現世を断ち切るのが、今日の統治に与えられた『仕事』だ。病院内で目立つことを避けるために、付添は『親痕』の分町ママである。

「……そろそろ行きます。宜しくお願いします」

 ミネラルウォーターで口の中をキレイにした統治は、荷物を持って車のドアに手をかける。分町ママも一度頷いた後、窓をすり抜けて虚空へと飛び出した。


 時刻は13時を少し過ぎた頃。

 統治は自身の記憶と漂う気配を頼りに、広い病院の敷地内を建物に沿って歩き……とある建物の裏側へとたどり着いた。

 病室の窓にはカーテンが引かれているため、院内から統治の姿は見えないはずだ。とはいえ、あまり長居をしてしまうと自分の気配で怪しまれてしまうので、手短に終える必要がある。

 建物があるので日が差さず、昼間でもひんやりと冷たい空間。その、足元の草の上で寝転がっているのは――

「……3人、か」

 統治は人数を確認すると、彼らへ近づいて……すぐ近くにしゃがみ込んだ。

 彼らからは敵意を感じない。泣くことも知らないので、きょとんとした表情でその場に転がっているだけに視えるけれど……この状態で放置してしまうと、悪意を持った別の『遺痕』に狙われる可能性があるし、彼らが無意識のうちに、病院へ悪影響を及ぼす可能性もある。そして何よりも、彼らの未来のためにならない。

 そう考えた統治の父親が、病院側と交渉して定期的な立ち入りと処理を許可されて、約30年。

 そして、統治がこの仕事を父親から引き継いだのが……1年半ほど前のことだ。


「統治、覚えておきなさい。私達のような能力者――『縁故』は、生命の循環を守る存在だ。この世界に存在する者たちの居場所を守り、失われた命は天に返し、再び転生するのを待つ……『縁故』は、そのための守り人だということを、決して忘れないでくれ」


 幼い頃、父親から言われた言葉を思い出す。

 名杙という家については、まだ、理解できないこと、理解したくないこと、変えていかなければならないことが山積しているけれど。

 でも……名杙という家が『良縁協会』のトップとして全体を統べり、治めているのは、生命の循環を守るため。これが、今の統治の原動力だ。

 彼らが次が今よりも良縁に恵まれるように、そのために、出来ることをやると決めた。


 統治を見つけた一人が、彼を、大きな瞳で見つめている。統治はまず、手前にいたその子の足に残る『地縁』を握ると、カーディガンのポケットから取り出したペーパーナイフを優しくあてがった。そして、その子から視線を外さないまま、口元に意識して笑みを浮かべた後、手を動かして――『縁』を、切る。

 父親からの引き継ぎの中に「赤子の『縁』を切るときは優しい顔で」という指示があった。これは勿論、相手に警戒をさせないようにするためと――最期に見る大人の顔は優しい方が、彼らにとっても良いという考えのもとで。

 引き継ぎをした当初は、対応する際の知識として理解していたけれど……今は少しだけ、それ以上の理解を得たような気がする。

 それは、もしかしたら――


「……皆の命、一度、天に返します。だから……」


 3人目の『地縁』を静かに切った統治は、呟いて軽く両手を合わせた後、静かに立ち上がった。

 そして――建物の合間から広がる空を見上げ、目を細める。


「……だから、いつかまた、どこかで」


 どこかで。次にこの世界へ生を受けた時は、どうか……どうか、今よりも笑顔で、天寿を全うしてくれますように。

 相手に対してそう、思えるようになったのは、もしかしたら……自分が家を継ぐということの意識が、より、強くなったから、かもしれない。

 分町ママはそんな統治の背中を見守りつつ、そう遠くない未来、彼が背負う名杙の中に自分は恐らく()()()()()()()と思いながら……持っていたビールを飲み干した。


 その後、人目を気にしながら建物裏から駐車場へと戻ってきた統治は、院内から出てきた意外な人物を見つけた。

「茂庭、さん……?」

「あ、名杙さん」

 自動ドアをくぐって出てきたのは、茂庭涼子だった。ロングコートに身を包み、ボアブーツを履いていた涼子もまた、統治の姿に気付き、会釈をして近づいてくる。

「こんにちは。名杙さんもお見舞いですか?」

「はい。名杙さんも、ということは茂庭さんもですか?」

 涼子の問いかけに首肯した統治へ、彼女は「そうなんです」と病院へ視線を移す。

「大学の時の友だちがこの病院で出産したので、お祝いを持って」

「そうだったんですね。おめでとうございます」

「ありがとうございます。って、私が産んだわけじゃないんですけどね」

 こう言って苦笑いを浮かべる涼子は、「そういえば」と改めて統治へ向き直り。

「あの、華さんのこと……色々手続きをしてくださったんですよね。ありがとうございました。今日、ママになった子も、実は彼女の旦那さんも、同じサークルだったんです。みんなして華さんにはすっごくお世話になっていたので、落ち着いたら一緒にお墓参りに行こうねって話を出来たんです。すごく……すごく、嬉しそうでした」

「そうですか。良かったです、本当に」

「生まれたのが男の子だったんですけど、名前を『華』にしようか、なんて笑ってて……あ、流石に止めましたよ? でも、どちらかの音は入れたいから考えてみる、って……久しぶりに、華さんの話が出来ました。本当に、ありがとうございました」

 こう言って頭を下げる涼子は、その後、電車へ乗るために駅の方へと歩いていった。

 その背中を見送りながら……統治は改めて、父親の言葉を噛みしめる。

「『縁故』は命の循環の守り人、か……」


 きっと、この世界の悲しみをなくすことは出来ない。

 だからこそ、失われた悲しみ、生まれた喜び、その全てを掬い上げて……健全な世界を保つために、循環させていく。

 『縁故』がそんな存在ならば、自分は――その世界の真ん中を歩き続ける、そうありたいと思う。

 その時に、隣や後ろを守ってくれる存在がいてくれれば、自分はきっと、健康的な足取りで進み続けることが出来ると思う。

 そして――


「……時期尚早だな」

 脳裏をかすめる『幸せな未来』に、統治は苦笑いで肩をすくめた。

「あら、統治君ってばどうしたの? 随分と楽しそうじゃない?」

「何でもないです。戻ります」

 分町ママの意味深な笑みをすり抜けて、統治は一歩、前に踏み出した。

 作中の時間軸でいえば、11月下旬なので……実は、第8幕よりも後の話になります。

 そのため、健義兄さんがどうしてあんなにウザ絡みしているのか、統治のラスト「時期尚早だな」に込められた意味など……現時点では言えないことがあって。

 8幕が無事に終わったら、また、ここに戻ってきていただければと思います。まずはそれに向かって進みます……!!

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。統治、彩衣、分町ママ、涼子、誕生日おめでとう!!

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