第7話 つぶやかれる呪詛
輸送船<のんだくれ>号が月に近づくにつれて、少年と少女の健康は回復をみせていた。
ひしと抱きしめられてから、少年の目に映る姉はいつもの姉であることが多く、屑のような食事は残されることなく分けあわれた。果てしなく続く夜の時間は、逃げる体力を確保するために、適度な歩行と眠ることに費やされていった。
リビュアが時折り見せる、栓が失われたガラス瓶のような放心状態で壁によりかかっている姿は、少年の心を苛んでいた。だが話しかけさえすれば、いつもの姉に戻るのだった。
その夜もリビュアは壁にもたれて、壁と天井をつなぐ線を左右になぞるように首をふっていた。少女の瞳は虚ろだった。
「姉さん、姉さん」
「ああ、ヒュー、なに、どうかしたの?」
とたんに生気を取り戻した少女は、少年の顔に優しげな視線を向けた。
「ねえ、僕ら自身のことは大丈夫だと思うんだ。けどね――」
そう言って少年は姉の横に座ると、狭い部屋を閉ざしている扉をふり仰いだ。
色違いの瞳が捉えた扉には、把手ひとつ無かった。まるで壁と変わらないその表面はのっぺらとして、鈍くどんよりと雲っているようだった。隙間からさし込む仄かな光の筋がなければ、そこに扉があることさえ幻覚だと思えた。灰色の光の筋のなかで埃が俟っている。
「ヒュー覚えてない? 父さんの農園にあった倉庫。あそこに閉じ込められたことあったでしょ。父さんがどうやって開けたか、覚えてない?」
「確か……電子音のような音がして、錠が外れたのを覚えてるよ」
「きっとそれと同じしかけなのよ。なにか開けられる方法を考えてみて、あたしもそうするわ」
少年は足に残る傷痕をなぞりながらおし黙ってしまった。
「きっとあるわ、考えましょう……」
声から力が抜け、少女はまた首をふりはじめた。
「あるわ、あるわ、きっとある……」
囁きはやがて節となり、侘しい歌になっていった。
姉の執念ともいうべき長々と続く、獣じみた声に憑りつかれたように、少年もまた頭をふり、傷痕をこすりはじめる。
「おいガキども、気味の悪い声を出すんじゃねー」
「あるわ、あるわ、きっとある……」
呪詛とも呪文ともいえない声と、少年の服がこすれる音がとだえることはなかった。天井では変わらず電球が雷鳴のようなノイズを立てている。
「あるわ、わるわ、きっとある……」
少女の哀歌と服がすれる音と、電球がたてる遠い稲光りと雨の音が止むことなく続いた。
「うるせーんだよ、黙れ!」
二人は電子音がしたあと、錠が外れる音を聞いた。眩い光の中から黒い人影が近づいてくるのが見えた。
「黙りやがれ!!」
鞭が空を切った。少年と少女は、二閃、三閃、四閃……金切り音を耳と全身で受け止ながら、必死で光が刺しこんでくる扉の向こうへと視線を走らせていた。
「お前らのお目付け役もあと数日だ。この辺にしておいてやる。今度歌ってみろ、ぶち殺してやるからな」
影が遠ざかり、やがて暗闇がやってきた。
「姉さん……平気かい……」
「だいじょうぶ……」
咳き込み、床に倒れながら、二人は互いの無事を確かめあった。
「なにか見えた? ピピーという音は聞いたわ」
「部屋の向こうの通路に窓があった」
流れ出た血を見つめながら、少年が言った。
「星が見えたわ。あれはたぶん月よ。あと数日っていうのは嘘じゃないわ。あの鍵をあける方法を考えなくちゃ」
「電子音……それからカチャリと錠の外れる音。たしか、カードを手に持っていたよ」
「あるわ、あるわ、きっとある……」
「姉さん止めて。また鞭打たれるのはもうごめんだよ。体が痺れてるんだ。もうこれ以上は……」
「ビリビリ、ビリビリ、あなたの体はどうしてしまったの? 可哀そうなヒュー」
その時、リビュアの瞳が瞬いた。
色の違う少年の瞳はその光を見逃さなかった。
「姉さん……」
「もう大丈夫よ、方法は見つかったの。きっとうまくいくわ。少し眠りましょう。ビリビリ、ビリビリ、直さないとだから」
「う、うん……」
か細い声が消え入り、服のすれる音がしたあと、二人は静寂な眠りの中に落ちていった。




