第6話 二重スパイ
人類の母なる惑星、地球。その周回軌道にあって自転と公転を続ける衛星、月。砂岩に覆われた月は、いまや宇宙開発において重要な位置を占める存在となっていた。はじめに月面に建設された月基地、二つめの拠点セレーネ、月にはDOXAとPETUが絡みあう二つの基地があった。
数千年もの昔から人類は夜空に浮かぶ月の一面しか眺めてこなかった。月の自転周期と公転周期が同じであることから、月はいつも同じ表情を人々に見せているからだ。その表の顔である月基地に、DOXA所属準光速宇宙船<ケイローン>号が着床していた。そして、裏の顔であるセレーネ基地には、<ケイローン>の姉妹艦である<アイレース>号が着床していた。
この二艦はフライング型といわれる三隻の長女と次女である。長女が<アイレース>であり、<ケイローン>が次女である。末妹の<ダッチマン>号は、地球にあるバベルタワー近郊の工場で船体の建造が終わり、産声をあげたばかりだった。
DOXAの人々は自らを嘲ることを好んでいる、と人々は言う。
「どうして姉妹たちにあんな名前をつけたんだかね」
「そうね、アイレースは女性の名前だからいいとしても、ケイローンとダッチマンはないわね。なんといってもダッチマンのマンは男って意味でしょ。いったいどういうつもりで名づけたのかしらね?」
と人々は噂話を楽しんでさえいた。
人類の歴史は常に男性的である。そうしたことを思索して艦名を発案したのはヨハネスであったが、彼の思惑を知る者は少ないようだった。男神とともに、いやそれ以上に女神が権勢をふるった古い古い神の時代。ヨハネスの理想が艦名に現れていることを知るものは稀れだっのだ。
そうしたいきさつからなのか、<ダッチマン>号は、艤装工事のために新設されたばかりの、アメリカはフロリダにあるDOXA宇宙センターに移送されることを機に、<アキレウス>という名に変更されることになっていた。
「それでもフライング型が男臭いことに変わりはないわよ。アキレウスのほうが、デート相手としては魅力的な名前ではあるけどね」
と、DOXAの女性研究員たちの間では冗談のネタでしかなかったのだが。
しかし、月で働く研究員らには感傷に遊ぶような暇はなかった。
月基地はUNFEとDOXAが技術提供しあう場所でもあり、比較的治安も良かったのに対し、セレーネでは常に緊迫感を抱くような事件が勃発し続けるのが常だったからだ。
「あの連中、最近なんだか言うことやることの質が変わってきたわね」
「そうかい? もとからあいつらは偽善的なやつらなんじゃないかと睨んでるんだけど……」
日々交わされる雑談の中でPETUが前衛化――テロリスト化しているという不安は醸成されていった。
「人権やら、宇宙物質の保護って名目でなにやら薄汚れた輸送船でやってくる。彼らが来るたびに騒動が起こる。そういう統計が最近目立ってきたそうよ」
「そもそも、地球政府にしても、UNFEにしても我々にしたって、彼らが何を運んでいるかなんて検閲できやしないんだから、心配してもはじまらないよ、それよりも仕事だ仕事」
セレーネで交わされる会話の気安さは、研究員たちの心の裏側に潜む不安でもあったのだ。
それは、PETUという倫理団体の裏側に奴隷商人が隠れている構図であり、表を表にしている力がなにかの拍子に抜けることで、容易に表が裏になってしまうトランプマジックのようでもある。
「とはいってもこの二日のあいだにそのコーヒー豆の船が着床するみたいだから、警戒は怠るなって。バベル本部からの電文カードだ」
「どれどれ、見せてちょうだい」
発:DOXA本部、最高議会、全会一致委員会
宛:月基地、セレーネ基地にて勤務中のアイレース、ケイローン号船長各位
この度、最高議長の決済を得て、新規部門の設立が決定された。各部の役割を担う人選、並びに人選された人員への服務規定は、添付の業務要綱に準拠して、即時実行されたし。
なお、各部の名称及び、服務規定についての簡易な要領を以下にて伝達する。
1)技術局:従来の体制を堅持しつつ技術革新を強固に進捗させ、かつまた技術情報の漏えいを厳重強化するものとする。要員一名
2)司法局:あらゆる部署の規範と秩序、並びにDOXA職員の人権を確保するための法規、裁判、陪審制度の管轄部として新設されるものとする。要員一名
3)情報局:あらゆる部署からの情報の漏えい、及び情報収集と保管管理の厳重徹底のために検閲制度の管轄部として新設されるものとする。要員一名
なお、上記新部門員にあっては、DOXAとUNFE並びに、PETUとの間にある提携や条約関連に束縛されない行動を許容するものとする。状況によっては武器の使用も許可する。
ただし、船長服務規程当事者は、上記新設部門の要員の対象となることを厳禁とする。
以上
「テロにはテロで対抗せよ。小さな危険を察知したなら、その芽が育たないうちに叩き潰せ、わたしにはそう読めるわ。なんだか物騒ね」
セラフィーナは電文を船長のエヴシンの手に戻しながら浮かない顔をした。
「心配はいらないよ。ようするに大事なことは二点だ。この――」
そう言って若い男は栗色の髪をかきながら、
「はじめにある二行と、最後の二行だけなんだよ。僕らは技術局の人間だ、というよりも、DOXAの職員はほとんど全て技術局に所属している。ということは、何かあったときには、いかなる自己防衛も許可されたということ。そんなに怪訝な顔をするなよ、セラ」
「それでもう一点は?」
「ああ、そのことはね――」
髪をかく手を休めずに、
「つまり僕らの船、アイレース号の乗員は六人であり全員が技術屋だ。ということは、全員が全員、正当な自己防衛の権利を得たわけだけど、そのうちの三人は多数決によるか、自主的であるかは別として、少しばかり嫌な役目を引き受けなきゃいけないってわけだね」
「なるほど、ものは考えようね」
「それで君はどうなんだい? どちらかと言えば、もの好きって風に思えるんだけど」
エヴシンはからかいとも親愛ともつかない表情で笑っていた。
「そうねえ……その少しばかり損な役が、人助けに役立つなら引き受けてもいいわ」
「それは助かる。で、どの役を選ぶんだい? 申し訳ないが、僕は船長規定の部分に引っかかるから、除外なんだけど……」
添付の業務要綱が納められたデータカードを差し出しながら言った。
セラフィーナはカードを受けとってそれをデータパッドにさし込んで、画面の文字を追いはじめると、突然笑いだした。
「エヴ、あなたって狡いんだか賢いんだかわからない人ね。わたしが技術局員を選べば何も変わらないってわかってたんでしょ。だってもともとわたしは技術局所属なんだもの」
「正解だ。さすがは信頼すべき同志だ」
「おおげさね。これで一人は決まり。あとの二人はどうするつもり? といっても確立は三分のニだから、面倒に巻き込まれないのは二人ってことになるけど」
「正直そこが悩みどころだったんだよ」
エヴシンの落ち着きなく動いていた手が止まり、それは拳となって頬にあてられた。
「申し訳ないが、レックスとオズウェルに頼もうかと思ってる。リンジーが女性だから免除というつもりはないよ」
「そんなことわかってるわ。で、すぐ伝えるつもり?」
「そのつもりだ」
セラフィーナは返答を聞くと、制御卓に向かってキーを叩きはじめた。すぐさま、レックスとオズウェルの居場所が船内マップにマーキングされて小さな光点となってモニターに表示された。
「彼らは船内作業中よ。それから――」
といって、マップの下にある文字に目を落としてから、
「リンジーは休暇を利用して、どうやらショッピンでも楽しんでいるようよ」
とセラフィーナは女らしい空想をまじえて報告した。
「そいつはいい。休みの日ぐらい科学漬けから解放されるべきだからね」
しかしそのリンジーは、既に本部から情報局員の辞令をうけ、密かに行動中だった。ヨハネスの要望をくんでたくまれた二重スパイ方式が、吉とでるか凶とでるか、今はまだデータ不足ではあるようだが……。




