第51話 逆行の巨星
憤怒と怨念という、九つの頭をもつ毒蛇に呑まれたヒュードラーはそれからというもの、ネバダにあるバベルタワーに毎日のように姿を現し、真面目に業務を遂行するようになった。だがそれは仮の姿であり、どこからみても愚図で馬鹿な男に見えた。かつては周囲から高評価され特待生として宇宙に飛び出したヒュードラーはどこにもいなかった。ときには高慢な態度で人を見下し、気障な振る舞いをして周囲を辟易させもした。
所詮、用が済んだらおさらばなのさ。俺様はこんな連中にへーこらする気などないのさ。DOXAこそ腐臭の元凶だ。待っていろ、必ずこの手で叩きつぶし、踏みにじってやるからな。待っているがいい。
それがヒュードラーの本懐だった。進んで悪評を買うために色の違う瞳をコンタクトレンズで偽装して、毒牙を隠した男は、天邪鬼を武器にしてひたすらDOXA本部にある情報を引き出しつづけた。ゆっくりと時間をかけて。
誰も彼の行動に注意を払うものはいなかった。あんなにも無能になって落ちぶれただらしのない男になにができる。誰もが怪訝な視線でヒュードラーのことを見ていた。かつての彼を知る者の中には「あれはヒュードラーじゃない。九つの頭をもつヒドラだ。堕落もあそこまでいくと救いようがない」といって気の毒そうに見つめる者さえあった。
だが、そうした印象を与えたことは情報を引き出すためには甚だ好都合だったのだ。
「DOXAが開発した最初の準光速宇宙船ねえ。なんて読むんだ、これは? コイズニックでいいのか?」
「コズミックだ」
同僚が呆れた声をだして鼻であしらった。
「そうかい、サンクス!」
そ知らぬふりをして、ヒュードラーはデータを黙読してゆく。
コズミック型一番艦<コズミック・ヴォルケ>号
搭載人格コンピューターはペンテロス1(雄型)
運航状況:木星宙域にて謎の黒雲に接触して、その後行方不明
特記事項:木星宙域探査中にストレスによる自殺者一名あり
コズミック型二番艦<コズミック・レーゲン>号
搭載人格コンピューターはペンテラー1(雌型)
運航状況:木星宙域にて謎の黒雲に接触して、その後行方不明
特記事項:木星宙域探からの帰投中に原因不明の自殺者一名あり
コズミック型三番艦<コズミック・シュネー>号
搭載人格コンピューターはペンテラー2(雌型)
運航状況:木星宙域にて謎の黒雲に接触して、その後行方不明
特記事項:木星宙域探からの帰投中に発狂による自殺者一名あり
最高議会における事故調査委員会の最終報告
黒雲との遭遇に関しては、人格コンピューターが一台であったことから、緊急回避が遅れたものと推測。
全ての船で自殺者が出たことは誠に遺憾である。原因の究明は今後の最重要課題といえる。
原因の可能性として、プロジェクトP―RAによるものであることも考慮のこと。
恐ろしい状況じゃあないか。木星宙域に行くたびに黒雲に遭遇して、自殺者とはな。
一体この原因はなんだ? おそらく……プロジェクトP―RAというのと、人格コンピューターが一台しか搭載されてないことが原因だろう。邪推すれば、自殺したものがさらなる自殺者を呼び寄せたとも言えるんだろう。なんたる無気味さだ。――さて次だ。
アンドレイア型一番艦<アンドレイア・フォルス>号
搭載人格コンピューター:ペンテロス2(雄型)及びペンテラー3(雌型)――非連動型
運航状況:運航中
特記事項:特になし
アンドレイア型二番艦<アンドレイア・スエーニョ>号
搭載人格コンピューター:ペンテロス3(雄型)及びペンテラー4(雌型)――非連動型
運航状況:運航中
特記事項:特になし
アンドレイア型三番艦<アンドレイア・フィーリア>号:
搭載人格コンピューター:メール(雄型)及びフィメール(雌型)――雄雌の回路を連動型に改修
運航状況:運航中
特記事項:特になし
アンドレイア型四番艦<アンドレイア・エスポワール>号
搭載人格コンピューター:ペンテロス4(雄型)及びペンテラー5(雌型)――非連動型
運航状況:運航中
特記事項:特になし
アンドレイア型五番艦<フライング・ダッチマン>号(特殊任務艦)
搭載人格コンピューター:ファザー(雄型)及びマザー(雌型)――連動型
運航状況:厳重保管状態・永久凍結予定
特記事項:秘匿名称のみ公表(秘匿名:<キンダーハイム・アキレウス>号)。人格コンピューター二台を二代目<ダッチマン>号に移植済み。
アンドレイア型には特に変わった様子はないな。だがなぜ三番艦だけ連動型なんだ? 特に意味はないだろう。修理やら船体や装備の小改修の都合で、たまたま三番艦が連動型になっただけのことだろう。<アキレウス>号か……こいつに関しては要調査が必要ってところだろう。おそらく容易にデータへのアクセスは出来なくなっているはずだ。それにしても腹立たしい。生身の人間を移植して人格コンピューターとしたくせに、型式番号で呼ぶこの腐った感覚は許しがたい愚行だ。――さあ次だ。
フライング型一番艦<フライング・ケイローン>号
搭載人格コンピューター:ペール(雄型)及びメール(雌型)――連動型
運航状況:木星宙域にて謎の黒雲に接触して損傷するも帰還。その後PETUにより拿捕され行方不明
特記事項:木星宙域探からの帰投後に精神衰弱による自殺者一名あり(推定)
フライング型二番艦<フライング・アイレース>号
搭載人格コンピューター:マーチ(雄型)及びアチエーツ(雌型)――連動型
運航状況:木星宙域にて逆行小惑星に接触して損傷するも帰還。現在修理中
特記事項:木星宙域探査中に原因不明の自殺者一名あり。事故死一名あり。
フライング型三番艦<フライング・ダッチマン>号(特殊任務艦)
搭載人格コンピューター:ファザー(雄型)及びマザー(雌型)――連動型
運航状況:運航中
特記事項:秘匿名称のみ公表(秘匿名:<キンダーハイム・アキレウス>号)。人格コンピューター二台を初代<ダッチマン>号から移植済み。
問題のフライング型か……。ペール、メール……我が父と母なる船。行方が知れないのは承知のことだ。そしてこの自殺者はトゥラキアだ。こうして見ると<ケイローン>という船は我が故郷と言えるわけだな。必ず取り戻してみせるぞ。<アキレウス>号に関してはいい。問題はこの<アイレース>号の自殺者と事故死している二名だ。名前を知る方法はないのか? 恐らく……リビュアはこの二名に含まれているのだろう……今さら恐れるものはない。俺様は真実を知りたいだけだ。
ヒュードラーはこうして事実を知っていった。驚くべきものは無数にあった。プロジェクトP―RAとは、元々志願制であった人格コンピュータへの移植希望者が絶たれたために行われた計画だった。PETUという組織を編成し、それを隠れ蓑にして奴隷商人を動かし、一般人を誘拐して無理やり人格コンピューターに移植するという、あまりにも非人道的なものだった。ヒュードラーは知ったのだ。自分の両親がその犠牲となり、本当の名前を奪われ、ペールになり、メールになったことを。そしてもちろん、奴隷商人に誘拐され監禁され、人格コンピューターへの移植に堪え得る年齢になるまで、彼と彼の姉は監禁生活を強いられていたことを知ったのだ。それまでどんな情報に接しても、顔色ひとつかえなかったヒュードラーだったが、この時ばかりは違った。職員たちのいる前ではなんとか感情の爆発を抑えはしたが、アパートの部屋は滅茶苦茶になった。何もかもが破壊され、残ったのは壊れかけた宇宙船のおもちゃと、傷だらけのデータパッドとトゥラキアの遺影だけだった。
それから数年のあいだ、ヒュードラーはDOXAの内偵者としての日々を送り、姉の死とその状況を知ったのだった。半ば確信していたこととはいえ、ショックを受けた彼は、目指していた情報局の二重スパイになる道を踏みはずしはしたが、司法局の二重スパイへの切符を手に入れ、<アンドレイア・エスポワール>号の乗員資格をも手中にしたのだ。
復讐には時間がかかるものだな……。
胸の中でそうつぶやきながら、ヒュードラーは<アイレース>号に乗る機会を待ちつづけた。姉の遺品である日記を手に入れるために。そしてそれは果たされた。だがまだヒュードラーの憤怒も怨念も満たされてはいなかった。次なる手は、DOXAの腐敗を探るために被っていた愚鈍の仮面を少しずつ脱ぎ去ることだった。そうして、最新型準光速宇宙船<ネーデルランダーズ・スペランツァ>号の乗員資格を得たのだ。
DOXAの記録では、ヒュードラーという男の履歴は「航行中行方不明」という部分で途切れてしまっているが、ヒュードラーは生きつづけていた。九つの頭をもつ毒蛇として。
数年後、一人の男が唐突に暗黒崇拝教という狂気の集団で頭角を現しはじめた。男はその頃から、海賊とかしていたPETUを凌ぐ凶暴さで、DOXAやUNFEの艦船に襲いかかってきた。時にはPETUの船さえ男の餌食となって宇宙の塵となっていった。その凶暴さと徹底した破壊行為と、隙のない機敏な戦術は地球人たちに畏怖の念をもって迎え入れられた。
ある時期から男は深緑色に塗られた船を操るようになっていた。誰もその船の名を知らなかったが、男はその船のことを知り尽くしていた。<ケイローン>号のことを。我が故郷を掌中に納めたことで、水を得た魚のように、男は宇宙狭しと暴れ回った。ビームを放ち、ミサイルを撃ち、強襲揚陸艇を疾駆させ、戦闘機を縦横に指揮して見せた。
「マフデト、準備は整っておるか」
「ぬかりは御座いませぬ」
「ならば往け、目標はわかっておろうな」
「もちろんで御座います」
「ならば言ってみよ」
「地球軍第三艦隊旗艦<ヨーロッパ>で御座います」
「よろしい。古代の話らしいが『東欧を制する者が世界を制す』と言ったものがおるそうだ。完全撃破とは言わぬ、せめて半壊くらいのダメージは与えてみよ。失敗は許されぬぞ。償いは貴様の頸をもって購え」
「ナアム・ファヘムト!」
その男は「逆行の巨星」と綽名され、またの名をヒドラといった。
かつて、ヒュードラー・アル・ファルドという名をした少年の変わり果てた姿だった。
(了)




