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逆行する星々【外伝(3)】  作者: イプシロン
第4章 逆行する星々――壊れゆくもの
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第48話 涙の日――Lacrimosa

 <アキレウス>号はフロリダにあるDOXA宇宙センターに無事着床した。

 ヒュードラーは<ケイローン>号とは一線を画するような新型の宇宙船や、ペールやメールとはまたちがう感性をもった、マザーやファザーの出来の良さに少しばかり圧倒されていた。ハウたちにすれば当り前のようなことも、彼の過ごしてきた歩みでものを見るとまた違った印象を受けたのだろう。物心ついたころから苦汁ばかり舐めつづけてきた者の見る風景とはそういうものなのだろう。おのずと変わってしまうのだろうと思いながら、ヒュードラーはハウやエリスを見つめてきたのだった。

「わが儘ばかり言ってすみませんでした。お世話になりました」

 そういってヒュードラーがハウに別れを告げようとしていたとき、エリスが血相を変えて艦橋に走り込んできた。

「まにあった……」

 エリスは両腕を膝において突っ張ったまま、激しく息を切らせながらなんとか立っている風だった。

「どうしたの? 何があったの? そんなに急いで」

「ヒュードラー、落ち着いて聞いて」

 息も整えぬまま、エリスは彼の肩に手を置きながら言った。

「ケイローンがPETUに拿捕されたわ」

「まさか……」

「マザーもファザーも確認したわ。救難電波(SOS)を発信できたのはわずかの時間だったみたいだけど」

「それで拿捕されてどうなったんだ?」

 とハウが尋ねるまでもなく、エリスは話つづけた。

「修理を終わって火星を発ったケイローンは、どうやら船内に不満分子を抱えていたみたいよ。はっきりはわからないけど、そうでなければあの聡明なペールとメールがなんとか出来たはずだもの」

「父さん……母さん……」

 ハウもエリスも、ヒュードラーがそう呼んだとき、彼がどれほどペールたちを慕っていたかを感じとった。ハウたちもずっとアキレウス号の両親をそう呼んできたのだから。

「あたしとしてはあなたが巻き込まれなかったことにホッとしたんだけど、なんだか胸騒ぎというかね。あたしは宇宙船の中で生まれ育ったから、人格コンピューターへの感情っていうのかな、少しはわかるつもりなのよ」

「それで、ケイローンは取り戻せそうなの? ねえ、またDOXAの船に戻れそうなの?」

 悲痛な叫びだった。ヒュードラーの顔には青ざめた哀願に色があった。

「わからない……けど状況は深刻らしいわ。ペールとメールは一時的にシャットダウンされた可能性もあるし、月であった暴動のあとセレーネはPETUの拠点になってしまっているしね」

「救援隊は?」

「無理だ。DOXAは非武装が原則だからね」

 ハウが沈んだ声でこたえた。

「軍隊はどうなってるの? こんなときこそUNFEが助けてくれるものじゃないの?」

「ヒュー、その軍が何もしようとしないのよ。あたしだって悔しいわ。けど事が重大なこともわかって。PETUの勢力は馬鹿に出来ないのよ。下手をしたら、地球と月が全面戦争なんてことにもなりかねないのよ。以前のように、PETUが弱小なテロリスト程度だったなら軍も即応したんだと思うんだけど」

「そんな……そんなことがあるもんか!!」

 ヒュードラーの腹の底で毒蛇が咆哮した。鎌首をあげて怨念の舌をチロチロと出していた。

「落着いて、落ち着くのよ。ヒュー」

「大丈夫だ、あのペールとメールだ。DOXAの船にあっては一番優秀で高潔だと言われてきた彼らだ。必ず窮地を脱してくるよ」

「気休めはいいんです……ボク、もう行きます」

「ヒュー、待って、待ってよ。あたしだって何とかしたいのよ、それにはあなたの力がいると思ったから、こうして話したのよ。待ってってば!」

 気休めはいいんですよ……エリスさん。

 彼にはわかっていた。誰よりも知っていたのだ。ペールとメールという“人たち”を。その彼らがまんまと出し抜かれた。拿捕を企んだ連中が綿密に計画し実行しただろうことも、それとなく嗅ぎつけていたのだ。ただの海賊行為ではない何かを。宇宙船の運行方法やシステムを熟知したものの影を彼は鋭く嗅ぎとっていたのだ。

 巨大な無力感に苛まれながら、ヒュードラーは船内通路を進んで昇降ハッチへと向かった。

 今は何も出来ないんだ。けど、絶対に取り戻してみせる。なんとしてもだ。でも今のボクにはその力がないんだ。許してね、父さん、母さん……。

 耳の奥で、厳粛だが温厚に話すペールに声が木霊していた。優しく包み込み、時折りへそを曲げて叱るメールの声が響いていた。

 助けて……誰かボクを助けてよ……トゥラキア……トゥラキア。そうだあの人ならボクのこの淋しさをわかってくれる。今すぐ行こう、会いにいくんだ。

 だからってPETUもUNFEも許さない。決して許さないからな。

 腹の底で毒蛇が悲しげに呻き、いくつのある頭をもちあげては憤怒の舌を吐き出していた。

 ヒュードラーは、体にできた虚無の穴を木枯らしが吹き抜ける寒さと、穴の底で怒りのマグマが滾らせる灼熱を感じながら、暴走列車のようにサクラメントを目指した。DOXA職員としてのあらゆる特権を行使して、あらゆる交通手段を駈って、あらゆる方法を駆使して、昼も夜も無くひたぶるにサクラメントを目指した。それはトゥラキアと疾駆したあのアメリカ縦断の再演のようでもあり、郷愁を激しく煽りたて、疲れた体に鞭を打たせた。

 ふと足を止めた瞬間、姉のことを忘れていたことに気づき、情けなくもなった。その非情さが腹立たしく、不完全で未熟なことに悲嘆して忸怩たる思いに涙した。淋しさのブリザードに襲われ凍えてしまいそうになり、怒りの熱射を受けて干からびてしまいそうになりながら、ヒュードラーはひたすらサクラメントを目指した。一目散にサクラメントを目指したのだ。母なるトゥラキアに会いたくて。

 雨が降っていた。雷鳴をともなって横殴りに降る雨が。廃工場のような場所に寝とまりして、ようやく走るようにした錆とへこみだらけの車。フロントグラスのない車内は水浸しになっていた。全身ずぶ濡れのままヒュードラーはアクセルを踏みつづける。

 何も見えない。いまのボクと同じさ。これが運命だというのか? 冗談じゃない。突き破ってみせる。試してやる、見ていろ! 弾も槍もボクを止められやしない。やれるものならやってみるがいい!

 神に挑戦するかのようにヒュードラーはアクセルをさらに踏み込んだ。段差にハンドルを取られ、何度も危うくなりながら、前へ前へと突き進んだ。稲光と雷鳴が交互に襲いかかってきた。腹に響く轟音。数瞬視力を奪ってゆく閃光。それでもヒュードラーは床を突きぬかんばかりにアクセルを踏みつづけた。

 サクラメントの郊外に達したとき、ようやく彼は車速を緩めて市街地に入っていった。雨はまだ激しく降っていた。もう落雷の音は聞こえなかったが、静けさが異様な無気味さで肌を刺してくるようだった。

 あと少しだ。十字路を四つ超えてその先を曲がればアパートがある。番地はニ六番地だ。忘れるわけがない。もう焦らなくていい。母さんはすぐそこなんだ。二階建ての煉瓦造りのアパート。薄汚れていて少しゴミの臭いがするんだ。

 目ヤニをためた野良猫がのんびり日光浴をしているのが、隣の部屋のベランダごしに見えたっけ。そうだ、あいつに名前をつけてやろう。母さんと話して二人で決めるんだ。二人の名前を取ったっていい。トゥードラーでもいいし、ヒュラキアだっていい。あんちょこな気がするけど、構いやしない。ボクたちがほっこりできればいいんだ。二人でミルクをあげたり、濡れタオルで目ヤニを取ってやるのさ。きっと喉をゴロゴロ鳴らすだろう。もうやめろ、くすぐったいというくらい薄汚い頭や背中を擦りつけてくるかもしれない。臭かったら洗ってやろう。母さんと二人で水を恐がって爪を立てる猫を挟み撃ちにして、風呂場に追いこむんだ。きっと猫だって石鹸の薫りに包まれたら気持ちよくなってぐっすり眠れるだろう。野良猫だからときどき喧嘩もするだろう。あっちこっち傷だらけになって、耳を切ったり、足を引きずって帰ってくるかもしれない。あわれな声をだして鳴くこともある。でもそれでいい。ボクも母さんもそれほど野良猫と変わりはしないんだから。

 もう見えるはずだ。濃い水色のペンキの塗られた手すり。所々剥がれて赤茶色の錆止めの染みがあって。その手すりのあるコンクリートの階段は恐ろしく急なんだ。なんど心配したことか。母さんがお酒を飲んで酔っ払って、あの階段から落ちたらどうしようと。だから痛んだ手すりが頼もしく見えたんだ。黒ずんでどんな色だったかもわからなくなっている檜葉(ひば)でできた分厚い扉。

「ヒュー、あなた知ってる? 檜葉の謂われ」

「なにそれ?」

「なんだか夢見がちだってあなたに馬鹿にされそうだから、言いたくないわ」

「なんだよ、途中まで言っといて、狡いじゃないか。気になるよ」

「うん……檜葉はね、翌檜(あすなろ)ともいうらしいのよ」

「それで?」

 あのとき僕はなんだか急に甘えたくなって、あの人の膝に乗って話のつづきを聞いたんだ。

「あすなろ。そうねえ、英語でいえばmay be tomorrowになるのかな」

「つまり?」

「明日こそって意味ね」

「なんでそれが夢見がちなの?」

「明日こそ、明日こそ、そう思って暮らしているうちにね、いつのまにやら歳を取ってしまい、賢人に笑われてお終いってことらしいわ」

「でも夢を持って明日こそいい日にするんだって思うことは、悪いことじゃないと思うけどね」

「そう思えたら幸せね」

 雨に濡れ寒さに震えながら、ヒュードラーはその檜葉の扉の前に立っていた。

 鍵はかかっていなかった。軋む扉を引き開けると、目の前には暗がりがあった。

 こんな時間だ。寝ててあたりまえか。

 時間は十二時をまわっていた。ヒュードラーは濡らさないようにと厳重にビニールに包んできたデータパッドの電源を入れて、仄かな明かりを頼りにトゥラキアのいる寝室へと向かった。

 やっぱり寝てるか。

 込みあげてくる懐かしさに突かれてヒュードラーはベッドの脇へと歩いていった。

 パッドの発する光に照らされているせいか、トゥラキアの顔はいやに青白く見えた。

 ヒュードラーは、傍らに投げ置かれていたタオルを掴むと、手足と頭を拭きながらじっとトゥラキアの寝顔を見つめつづけていた。

「母さん……」

 奇妙な胸騒ぎに襲われたヒュードラーは、トゥラキアの頬に手をのばした。

 氷のように冷たかった。

 掌を口元に動かしてみても何も感じ取れなかった。

「母さん?」

 慄然たる衝撃が駆け抜け、ヒュードラーは振り返った。

 そこには空になった瓶と空になったグラスが転がっていた。

「嘘だ……嘘だろ母さん」

 トゥラキアの肩を掴みヒュードラーは張り裂けんばかりに叫んだ。

「嘘だー! ……あすなろじゃなかったのかよ、母さん。どうしてこんなことしたんだ。なんでだよ……」

 ぽとぽとと涙が落ちても、トゥラキアは瞼を閉じたまま押し黙っていた。

「嘘だと言ってくれよ……」

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