第44話 レゴリスの海
「なんだか学生時代の最後を飾るイベント旅行を思い出すなあ」
「デコレーションのことかな?」
すでに宇宙服を着たオズウェルとレックスは、開いて急傾斜した格納デッキの近くにいた。
「船内倉庫にあるガラクタばかりだからね。どう見ても万国旗には見えないし、クリスマスの飾りつけとも違うけど、それなりんなんじゃないかな。少し派手すぎるとも思うけど」
レックスは面白そうに吊るされている品々を眺めていた。
用済みになった服、壊れて修理不能になった機器機械、消費期限の切れたレトルト宇宙食などが、格納デッキに張られたワイヤーにごたごたと吊るされている。
「派手というより、でたらめだな、こいつは。人間のやることなんてどこに居ても変わらないもんだな。後片付けのことなんか考えもせずにこんな馬鹿げたことをする。お目出度いっていうけど、あれはこういうことを言うんだろうな。後片付けをする奴のことも――」
感慨と軽蔑の狭間でオズウェルがブツブツと何かを言いづづけている。
「それにしてもけっこう色々なものを積んでたんだね。――後片付けか……簡単さ。ワイヤーを切って宇宙にほっぽり投げてしまえばいいでしょ。どうせゴミなんだし」
「おまえ、大胆なことを言うなあ……意外だ」
「冗談だよ、オジー」
二人はにやりと笑いあった。
しばらくすると、
「みんなー、おまたせー」
という声とともにリンジーとリビュアが先頭に立って、エヴシンたちがつづいて歩いてくるのが見えた。
「全員参加は最初で最後だ。予備の酸素は平気かな?」
エヴシンの問いへの答えはすぐに返ってきた。
「心配ない、この滑り台の下にたっぷり用意しておいた」
フェデリコが指先でサインを出しながら、格納ハッチの下を指し示した。
「滑り台ですって。どうする? リビュア、面白そうね」
リンジーは膝をかがめてリビュアのかぶっている小さめのヘルメットの中を覗きこんだ。
「ふふふっ、くつくつのけたけたよ」
そういってリビュアはとび色の瞳でウインクを投げてきた。
「よーし、じゃーいこうかー!」
「ひやーほー!」
オズウェルがまっさきに奇声を上げながら急傾斜のスロープを勢いよく滑っていく。
「はしゃぎすぎだ。もう少し粋で鯔背じゃあなきゃな、ほいーやー!」
フェデリコがつづく。
「ひやーほーも、ほいーやーも大して変わらないじゃない、カッコ悪いことこのうえないわ」
「そ~れっと!」
セラフィーナが滑った。
「あ~れ~」
途中からふらふらとスラロームしながら、セラフィーナも無事に滑り降りた。
「なんだかなあ……」
とぼやいたあとレックスが見事な滑降を見せた。
「じゃあ行こうか、我々も、いざや! 前進~!」
「やー!」
エブシンとリンジーとリビュアが最後に三人でスロープを滑り降りていった。
スロープの先でうまく足を蹴りだし、数回大きなジャンプをくり返し、三人は砂塵を巻き上げて着地した。
「リブ、今日の目的地はあそこに見える穴が二つ開いた鋸岩だよ。歩いてもそう距離はない。ピクニック気分を満喫できるよ」
エヴシンが指さした先には、音もなく無風の砂礫の海からにょっきりと突き出して見えていた。鋸岩というだけあって、ゴツゴツして四角張っているのが、そこからも望見できた。
「リブ、地球にあるモアイって知ってるか? 石でできた人形みたいなものなんだけどね」
フェデリコが少女の気を引くように話しだした。
「もあい? わからないわ」
「ちょっと不気味かもしれないけど、砂の中に体を埋めて首から上だけ出してるような岩がモアイなんだ」
と、レックスがつづく。
「なんだか想像すると恐いわね……」
「恐くはないのよ。鋸岩はただの岩山なの。見方によっては人間の頭に見えるってだけなのよ。別に恐くなんかないわよ」
と、セラフィーナ。
「レックスが撮影してきてくれた映像を見せてもらったけど、恐くなかったわよ。言われてみれば穴の開いた部分が眼に見えるんだけど、穴の向こうには星空が見えてね、思っていたよりずっと素敵だったわ。いまはお日様があたってる昼間の時間帯だから、もしかしたら想像できないような風景を見れるかもしれないわよ」
リンジーは「恐怖」という言葉に警戒感を抱いたのか、優しく包み込むような声で話していた。
前回の調査行のときのように、出来る限りリビュアと手を結びあっていようともしていた。
「そうそう、人の顔に見えるといってもね、誰かに似てるって思うとほんのり親近感が湧くものだから、そんな風に思うといいのかもね。わたしたちの仲間でいったら誰の顔に似てるのかしらねえ……」
「レックスだろ。あのごちごちした四角さ加減とか、ちょいとしもぶくれな感じとかな。小太りなレックスにどこか親近感が湧くってのは嘘じゃないよな」
とオズウェル。
「ははははは」
レックスはただ笑っていた。
繋がれた母と子の手も、くつくつけたけたと笑いを伝えあっていた。
「この辺から先は少し注意してくれよ。所々に大きな石が飛び出しているからね。ここをすぎればあとは鋸岩までずっと砂の海だよ」
エヴシンがまっ先に進路にある石を飛び越えて、見本をみせた。
「なんだか人数が多いと、ジャンプも楽しいもんだな」
といいながらオズウェルも眼前にあった石をジャンプした。
「ママ、手を離して、あたしもぴょんぴょんするの」
「仕方のない子ね、転ばないように気をつけるのよ」
白い宇宙服がときどき思い出したように跳躍した。波うっていない平坦な砂礫の海は着地するたびに砂煙をあげ、日の光をうけてキラキラと輝いた。
リビュアは跳躍して宙に浮いているあいだだけ、星空がとても近づくような不思議さに胸をわくわくさせていた。
「そーれ!」
少女の無邪気な声と着地のときに踏ん張る声は、大人たちをくすぐったそうに笑わせた。
やっぱり子供ね。自分のしたいことをしている時のあの子は輝いてるわ。
リンジーは時々足を止めたり早めたりして、じっとリビュアを見守りながら歩いていた。
「そーれ! あっ……」
着地に失敗したリビュアはそのまま、すたすたたあっと、前に走っていった。
「あぶない危ない……」
行く手にいたレックスが振り向いて、リビュアを正面から受け止めるのが見えた。
白い大きな宇宙服と小さな宇宙服が一つになるのが見えた。
レックスの胸元にある装置にリビュアの腕がぶつかり、なにかのボタンがカチリと押されたが、二人はそのことには気づかなかった。
「お転婆リブちゃん。あぶない危ない」
「ありがとう、レックス」
ヘルメットの中でレックスは微笑んでいた。
鋸岩の顔もきっとこんな顔なのね。
リビュアはほんのりと浮んできた考えが、なんだか幼すぎるようにも思えたが、頬にえくぼを刻みながら笑うのをこらえられなかった。
振り返ると岩でできたレックスの顔があった。砂の海にぽつねんと。頭のすぐ上には白々とした太陽が煌々と照っている。眼の部分にあたる穴のところには星空があった。
やっぱりおんなじだわ。でもなんだかしゃんとしないといけない気持ちがするわ。
「足元、気をつけてくれよ、もうあと二十メートルもないが、この辺りのレゴリスはとても目が細かいんだ」
エヴシンが思い出したように注意を呼びかけた。
「おいレックス、お前さんだよ。小太りで一番体重があるんだからな」
「オジー、ここは宇宙だからあんまり関係ないよ。なにしろ――」
と言いかけたとき、リビュアはすぐ近くにいたレックスの顔がひきつるのを見た。
「リブ、離れて!」
レックスが力任せに少女を突き飛ばした。
たまらずリビュアは声をあげたが、なんとか砂の海に転ぶことなく体制を立て直した。
「どうしたレック!?」
「いや、なんでもない。大丈夫だと思う」
そう言いながらも、レックスは自分が砂に呑み込まれつつあるのを感じとっていた。
「ママ、レックスの足が砂に埋まってるの、助けなきゃ」
「待ってリビュア、あなたまで呑みこまれるわ」
リンジーは全速力で走って、リビュアの体を後ろから抱きすくめた。
「レックス、平気か!?」
エヴシンも誰も彼もが異常に気づいて、レックスのほうへと駆け寄ってゆく。
「プラズマ噴射して抜け出せないの!?」
セラフィーナが甲高い声をあげた。
「いや、ちょっと無理そうだ。手が届かない」
レックスはすでに腰まで砂に呑まれて装置も砂に埋まっていた。
「なんとかして沈降を止められないの?」
「セラ、最悪の場合、俺の背中にあるのを使うしかないぞ」
フェデリコは鋸岩に登れるようにと、念のために背負って来た鋼索投射機を砂の大地へと降ろしていた。
「危険すぎるぜ。もしもレックスの宇宙服を破いてしまったらどうするんだ」
オズウェルが警告の声をあげた。
「でも方法がないなら……」
「誰が責任を持つんだ」
「何かほかに方法はないの?」
「時間がないぞ、時間が」
声は入り乱れ、誰が何を言っているのかはっきりしなかった。
「ママ、離して! レックスを助けなきゃ!」
「駄目よ! お願いだからじっとしてて!」
「ああ、こいつだ。まちがって入れておいたのかな。重力増幅器が作動しているみたいだ」
レックスの声はあきらめに満ちていた。
「止めて! 今すぐ止めるのよレックス!」
セラが叫んだ声はキンキンと耳に痛かった。
「手が……届かないんだ」
レックスはすでに胸まで砂に呑まれていた。
「一か八かだ! シューターを使うぞ」
「やめてよリコ! やめて! 何をしようとしているか、わかってるの!」
リンジーはリビュアを抱きかかえたまま猛烈に抗議したが、フェデリコは耳を貸さなかった。
何の音もせずにシューターからケーブルが伸びてゆくのが見えた。
シューターの先端にある突起がレックスの宇宙服をかすめたあと、飛び去っていった。
破れた宇宙服から霧状のものが吹き出し、それは一瞬にして凍りつき、日の光をうけてキラキラと光った。
「ちきしょう……蒸気循環回路に当たりやがった……」
「レックス!」
ずっと黙っていたエヴシンが絶叫した。
刹那、リンジーは腕の中で暴れていた力が弱まったのを感じた。
「ねえ、なにか方法はないの? あるはずよ、あるはずなのよ、きっとあるってば! 探してよ、探してちょうだい。あるのよ、あるんだってば!」
セラフィーナが狂ったように絶叫した。
「あるわ、あるわ、きっとある……あるわ、あるわ、きっとある……」
リビュアは強烈な頭痛に突き刺されながら、つぶやいていた。
「よしてよリビュア、やめて、やめなさいってば!」
「あるわ、あるわ、きっとある……」
「リビュア!」
「レックス!」
そのとき宇宙服の高温化を防ぐために循環していた水蒸気を失ったためか、電気回路がショートして、レックスの宇宙服から火花が散った。
「ビリビリ、ビリビリ……ビリビリ……ビリビリ……」
あれはレックスよ。恐くなんかないの、助けなきゃいけないのよ……。
「離して、離してよ、ママ」
声にはもう力強さがなかった。
首まで砂に呑まれたレックスは両手をあげたまま、恐怖に目を見開いていた。
朦朧とする意識に押されて、リビュアは膝をついた。
レックスの宇宙服がまた火花を吹き、青白い閃光が破裂するように弾けた。
「ビリビリ、ビリビリ、ドーン!」
「やめてよリビュア! お願いだからやめて! 眼を閉じなさい! 見ちゃ駄目なのよ!」
砂の海に小さな手をついたリビュアはガクリとうなだれたが、再び顔をあげたとき、眼の前に浮んだ鋸岩にある二つの穴から日の光が爆発しているのを見た。
レックスの宇宙服が作る火花と混じりあい、片側の光は青く、片側の光は白かった。それはさながら二重太陽のようでもあった。
「誰? あなたは誰なの? 色違いの眼をして、怖い顔をして。怒ってるの? あなたは……誰?」
リビュアははっきりと思い出した、自分に弟がいたことを。そしてその名前も顔も。
尖った鉄片で切り刻まれているように頭が痛かった。
指先を真赤に染めて、監獄の扉を開けようとしている弟の姿が見えた。血に染まった指先から何かが剥がれ落ちた瞬間、耳を覆いたくなるような絶叫を聞いた。
「ヒュー……レックス……主よ、我と我が愛するものを……救いたまえ」
リビュアの脳裏ですべての記憶の欠片が収束され、それは真白な閃光を放って爆発した。
囁くような声が消えたとき、レックスの姿はどこにも無かった。
あるのは凪いだレゴリスの海だけだった。




