第43話 茨の道を裸足で
「エヴ、遅くなりました。すみませんでした。それに、みんなも――」
「いや構わないよ、なにも急いでいることはないからね」
L4-0427の最終調査打ち合わせのために、リンジーが居住ブロックの一室へおもむくと、そこにはセラフィーナとフェデリコの姿があった。
「エヴだけかと思ってたんだけど……」
「威圧感とかあるの?」
セラフィーナが、半円形に並べられ、小机がとり付けられた椅子へと案内した。
リクレエーション・バーの内装は居間に設定されているようだが、様々な時代の家具や調度品が入り混じり、溶けあっていない違和感を醸しだしていた。座ればキュッと音をたてそうなシンプルだが豪奢な革製のソファー、様式美をおし進めていやに華美な印象をあたえるロココ調の小箪笥、赤土色をした煉瓦づくりのマントルピース、そうしたものが同居していたのだ。
「どれも実際には使えない代物ばかりだけど、居間が落ちつくかと思ってね」
エヴシンは照れ笑いを浮かべたが、傍らにいるフェデリコは口を引き結んで、何も言わなかった。
「飲み物がいるなら適当にね。――あたしは頂くけど」
バーチャル3Dが作りだしている部屋の床には、毛足の長い絨毯が敷かれていたが、セラフィーナがドリンク・サーバーへと近寄っていった靴音は、船内通路を歩く硬質な音と変わらなかった。
それぞれが席につき、小机にはミネラルウォーターの注がれたグラスやデータパッドなどが置かれていた。
「さて……どうしたものかな。結論から話してしまえばいいのかもしれないが」
「構いません。みんなの時間を無駄にするつもりはありませんから」
リンジーはフェデリコへと顔を向け、申し訳なさそうにつぶやいた。
「俺は気にしてない。忙しく動いてるほうが最近は楽なんだ。余計なことを考える暇がないからね」
「まあそうあんまり固くならないで、リン。別にあなたは悪いことをしてるんじゃないんだもの」
セラフィーナの言葉に嘘はないようだった。肩に置かれた手と指先から伝わってくる感触でわかった。
あたし……人を信じられなくなってるのね……。
なにかを感じることすらリンジーには苦痛そうだと読み取ったのか、セラフィーナはしばらく彼女の肩と腕に温もりと励ましの力を伝え続けていた。
それでもリンジーは斜向かいに座っているフェデリコの眼が、氷のような冷たさで嘲笑っているのではという疑念を消せないでいた。
「なんだな……正直にわたしの気持を言わせてもらえば、リビュアはゲストという立場にあるが、仲間というより家族的なものを今では感じている。だからね、最後の調査に彼女が参加することについては、やぶさかじゃあないよ。あくまでもこれはわたしの個人的な考えだがね」
エヴシンが彼らしくない回りくどさでいった言葉は、虚しく宙を掻いているようだった。
「個人的にすぎると話は纏まらないと思うけどね。でも、あの子に家族的なものを感じている、それはあたしも同じよ。なんていうのかなあ……あの子の素直さかな。――いや違うわね、あの無邪気さがたまらなく羨ましいっていうかね。子供のころはあたしだってああだったんだろうにって、時々ハッとさせられるのよね……」
長々と言葉を連ねたセラフィーナの声も、歯が浮くような空気を醸成しただけだった。
「あたしは……」
とリンジーは口を開きかけたが、喉を締めつけられたようにそのあと言葉を絞り出せなかった。
「あたしは……」
「俺は賛成だぜ。誰も何も悪くないじゃないか。何を悩む必要があるんだ? 人間正直が一番さ」
「……リコ」
リンジーは思わず顔をあげてフェデリコを凝視していた。
「あたし……自分の気持がわからない。正直ってなに? あたしにしてみれば、あの子を調査に行かせるとか行かせないとかどうでもいいことなのよ。ただあの子に苦しんで欲しくないだけなの」
リンジーは両手で顔を覆い、
「リコが言ってることはわかるつもりよ、どこで何をしていようと避けえないものはある。そういうことでしょう。でも……あたし辛いのよ。あの子が苦しむ姿を見ることが……」
言葉が途切れたあと、しくしくと泣く声が拳となってそこいらじゅうの壁を悲しく叩いていた。
「リンジーは……本当の母親になってしまったのね」
セラフィーナはあくまでも女としての立場を貫く気のようだ。
「俺にはリブが苦しんでいるようには見えなかったけどね」
とフェデリコが冷たく突き放した。
「やりたいことをやらせてあげたい。行きたいところに行かせてあげたい。でも……それが悲しい結果になりかねないと知っていて……。ただのわが儘。いい親ぶって見せても自分が嫌な思いをするのが辛くて、あの子を縛りつけようとしてる……あたし駄目なのよ。母親なんかになれてないの……」
リンジーは小机に泣き伏せ、くぐもったぐしゅぐしゅという音を立てていた。
フェデリコは激しい慟哭を見ていられないのか、顔を背けて床の一点を見つめている。
「リンジー、あなたは立派な母親よ。だってこんなに苦しんでるじゃない。それが母親の証拠じゃなくてなんだというの。――きっとあたしだって同じだと思うわ。母親になったならただ泣くことしか出来ないかもしれないわ」
セラフィーナは手に握ったハンカチを、一層しわくちゃにしながらまだ何か言おうとしたが、彼女の眼からも涙が溢れ、言葉はそこで途切れてしまった。
「堪らないな。でもこれでいいと思うよ」
フェデリコの乾いたしわがれ声がした。
「できることをする。泣いてる奴が側にいたら、一緒になって泣けばいい。それでいいんじゃないか。もう随分昔に思えるけど、リブが弟と離ればなれになったあと、俺は見たんだよ。こいつらがこのレクルームで一緒になって泣いてるのをね」
そういってフェデリコはエヴシンとセラフィーナへと顎をしゃくった。
「リコ……おまえ……」
「まあそれはいいじゃないか、エヴ。昔のことだし、何も恥ずかしがることじゃあない。今だって見ろよ、リンジー子供より子供みたいに泣きやがって。みっともなくて見てられない……」
そういいながら、フェデリコは零れ落ちそうな涙を指で拭っていた。
レクルームは二重三重にすすり泣く声で満たされていた。
「わたしはあの夜、セラから二つのことを教えてもらったんだ。いまでも忘れていない」
エヴシンの声には力が漲っていた。
「それは、『私の心は燃えている、断固として勝つ。強い意志、いつも希望を捨てないあなたへ』というものだ」
勝つ。いったい何に? 誰に? 自分自身にってこと? 何があってもあの子の母として一緒にいつづける。そういうこと? あたしはどんなみっともなくてもそれでいいの? ねえ誰か答えて!
リンジーは自問自答していた。
希望を捨てないあなた……あの子が求めているものを、あの子の強い意志をわかってあげること。そういうことなの? それはあの子をわが儘にしてしまうことじゃないの? 結果は問題じゃないってことなの? 母親は子供に対してしょせん責任なんて持てないってことなの? 答えてよ誰か!
彼女は泣き腫らした赤い眼でエヴシンの顔をみつめていた。
「リンジー、わかるよね? わたしはリビュアの希望を叶えてやりたいと思う」
「あたしもそれに賛成だわ」
「ほかになにがあるっていうんだ? はじめから決まってたさ、そういうもんなんだよ。決まってるのにじたばたする。それがカッコいいんだよ。なんだかわかんないけど、そういう奴こそ輝いて見えるんだよ。出来もしないのに無理して冷汗かいてさ。でもその汗がカッコいいんだよ。――ただ少しばかりお互いに気持ちの確認は必要かな。そういうことじゃないのか。俺は大人なんだって思ってたけど、案外子供だったんだって最近つくづく思った。誰かが自分と同じ気持ちでいてくれなかったらどうしよう……この部屋に来る途中、そいつがずっと頭の中をぐるぐる駆け回ってたんだ。下ばかり見て、そんなことばかり考えた。――リンジー、俺たちは君と同じように苦しむことはできないかもしれない。君の気持をわかってやることもできやしない。けど俺たちだってそう君と変わらないんだよ。決めなくちゃいけないときに不安になって心配してそわそわする。いつもふらふらしてるヤジロベエみたいなもんだ。時々バランスを崩して派手にぶっ倒れたりもするんだ。そんなときに限って誰かを責めてみたり、自分を嫌ってみたり。みっともないなんてもんじゃない。――同じっていわれても今はピンとこないかもしれない。けど俺たちはみんな迷うし悩むんだ。地図を持っていてさえおろおろして歩きまわる馬鹿野郎なんだよ。そのうえ人に訊いても、あれどっちだっけ? ってまた迷う。いま憶えたとおもったらもう忘れてる。どんだけ愚図愚図してやがるんだって、俺だって何度もそうやって地団太を踏んできたんだ。でもそれだけのことさ。ただそれだけのことなんだよ。――俺たちはみんなそういう風に作られてる。めそめそしくしく泣くしかできないことだってある。けどそういう風に作られてるんだから仕方ないじゃないか。それを忘れなきゃ、なんとかやっていけるんじゃないのか?……茨の道を馬鹿正直に裸足になって歩こうとする君みたいな奴には酷だとは思うけどね。……俺は臆病だから靴なんかはいて歩いてるだけだ。カッコ悪いのが嫌でカッコつけるどこかイカレタ野郎なんだよ。けど今こういして話してる俺は裸足だ。自分から進んで茨の道に踏み込んだ。それだけは信じてほしい」
それぞれがそれぞれらしくリビュアが最後の調査に参加することに賛同した。
この頃無口になっていたフェデリコの長広舌にいささか度胆を抜かれたことはあったにしても。
「エヴ、セラ、リコ、あたし忘れないようにするわ。あたしも賛成するわ」
長く沈鬱で暴風雨が荒れ狂ったように感情をぶつけあった話し合いは終わった。
船内通路に出たエヴシンはセラフィーナに背中から呼び止められて足を止めた。
「ねえエヴ、あたしなんだかリンジーが羨ましくなったわ」
「そうかい?」
「母親になってみたい。子供が欲しいって本気で思ったわ」
「母性をくすぐられたってわけかい?」
「さあ……どうかしらね」
セラフィーナは両手を後手に組んで、壁にもたれたまま、
「あなたの子供が欲しいわ」
と言葉を継いだ。
「それはまた急な話だね……」
エヴシンはゆっくりと通路を戻ってゆく。
「興味なさそうね」
「先のことはわからない」
「私の心は燃えている、断固として勝つ」
セラフィーナがいった。
「強い意志、いつも希望を捨てないあなたへ」
エヴシンがこたえた。
「ところで子供が欲しいってあれは、プロポーズかい?」
「さあ……どうかしらね」
「きみは意地悪だな」
「あなただって」
セラフィーナが眼を閉じ、エヴシンがそっと唇を重ねた。
「――まさか!?」
「誰も見てないわ。見られたっていいじゃない。リコが言ってたことが真実よ。さあもう一度」
二人は唇を重ねあったまましばらくじっとしていた。
その数瞬だけ、時は止まっているようだった。




