第41話 虹とオーロラに祈る
<アイレース>号は、L4-0427の砂色の大地から船尾をもちあげるように着床していた。
砂岩や砂礫のまじりあった地面と船腹とのあいだにある、上陸用格納ハッチが開いている。スロープは船が傾いていることで地面に向かって滑るような急傾斜を見せていたが、クルーザーは四人の乗員を乗せたまま、急傾斜をゆっくりと進んでいた。
「こんな角度は訓練にもなかったぜ」
宇宙服のヘルメットの中で、額に汗粒を光らせながら、オズウェルが呻いた。
「オジー、ハッチの端で一旦停止できそうかい?」
というレックスの問いはそのまま現実となってこたえられた。
「……ふうー」
サイドブレーキを引きおえたあと、オズウェルが長く息を吐いた。
「アチエーツが事前におこなった分析によると、この小惑星の重力はわずか、表面はほとんど砂礫に覆われているとあるわね」
ヘルメットのバイザー越しに広がる、目の前に広がる光景を眺めながらリンジーがいった。
「まるで砂の海ね。ところどころに岩もちゃんとあるわ。地球の海にそっくりね」
「だけど、波もなければ跳びはねる魚もいない。海の上を飛ぶカモメだっていやしない。そこが少しばかり無気味だな」
リンジーとやりとりするオズウェルの言ったことに反応したのか、リビュアはかつて見た地球の海岸風景を思いだし、目の前にある光景を見つめながら体をブルブルっと震わせた。
「それにしても暗いね」
レックスも透かすような視線で砂の海に目を落としていた。
「太陽が木星の陰に入っちまってるからな。調査期間の半分はこの調子みたいだけど、残りの期間はもう少し明るくなるだろうさ。なあに心配はいらんよ、こいつがある」
そういってオズウェルはクルーザーのヘッドライトを点灯させた。
ハロゲンライトの明かりに照らされて、砂礫が仄かに青白くキラキラと光った。
「エヴ、サポートはばっちりか? 準備がよければ出発するぜ」
「ああ、こっちは大丈夫だ。ビーコンほか、各種安全装置は万全だ」
「了解だ。――じゃあいくぜ」
艦橋にいるエヴシンの表情は堅かったが、緊張を感じさせない応答を聞くと、オズウェルはサイドブレーキを戻してクルーザーを砂の海へと進ませはじめた。
砂を噛み砂塵を巻き上げながら、クルーザーの四つの車輪はL4-0427の地面を捉えて停止した。
「思っていたより沈降してないようだ。だが気をつけてくれよ」
レックスの声を聞きながら、オズウェルは素早くダッシュボードにある機器を操作して、
「頼みはこいつだな」
と独り言のようにつぶやき、3Dマップと同調している質量センサーのスクリーンを睨みながら、アクセルを踏んだ。
「安全そうな砂岩質まではおおよそ五十メートルってところだ」
モニターを睨みつけながら、オズウェルは慎重にクルーザーを進めてゆく。
「よーし、乗りきったぞ。ひとまず安全だ」
ヘルメットで顔は良く見えなかったが、車内にいるクルーたちは互いに顔を見合わせたように、安堵のため息をついた。
オズウェルの吐いた息がなんとなく荒々しい鼻息に聞こえて、リビュアには可笑しくてしかたなかった。この冒険が楽しいものになるように思えて、彼女はリンジーと結びあっている手がくすくす笑うのを押しとどめられなかった。足をバタバタさせて「あたし、外に出たいわ、なんだか楽しそうなんだもの。外に出して!」と叫びだしたい衝動すら感じていた。
「さてみなさん、今日はここから先が本番であります。アチエーツによると、この先を二千メートルほど行ったところに洞窟があるんだそうです。みなさん、カメラの準備はよろしいですか?」
リビュアの心を読み取ったのか、オズウェルは冗談めかして調査内容を確認すると、ふたたびアクセルを踏んでクルーザーを前に進めはじめた。
車両を見下ろすように聳え立つ巨岩、ゴツゴツと振動を伝えてくる砂礫、隕石の衝突でできたであろう大小さまざまなクレーターや波立つ大地が、青白い光源に照らされ、砂塵でできた靄をとおして見えている。ふり仰げば漆黒の宇宙とガラス玉をばらまいたように瞬いている星々がくっきりと見えた。
見える世界、ぼんやりとしか見えない世界、地の底にあって見えない世界……なんだか不思議だわ。あたしが立っているところは。はっきり見える世界と見えない世界を繋いでいる場所なのかしら。でもその気になれば、どちらの世界にも行けそうな気がするのよね。
リビュアは強い感受性を刺激され、砂塵に煙る地上と星が煌々と照る青黒い空を交互に見やりながら、夢見がちだったが、オズウェルの声で現実に引き戻された。
「見えてきた。あれだ」
クルーザーの前にこんもりと盛り上がった砂色をした岩山が見えていた。
「名前、まだないんだよな」
レックスが思いついたようにぽつりと漏らした。
「リンジー山でいいんじゃないか?」
「なによそれ!? なんだかおざなりでいい気持ちがしないわ」
「そうかい? 君の胸の形にそっくりに見えるけどなあ。直接見たわけじゃあないけどね」
「変態オジー……本領発揮ね……」
「見てみろよ、ふたこぶ駱駝じゃあないけど、あの感じ。あれはつまりなんだな、あれだよ、なあリコ」
「まあな。けどその岩のほうが少しばかり膨らみがある気がするがね」
「……二人とも……馬鹿なんじゃないの……」
くすくすとけらけらの混じった笑いがクルー達のあいだを木霊して飛びかった。
だが嫌な気はしなかった。青白いライトが浮かび上がらせる、仄暗くぼんやりした光景に囲まれて湧いてくるだろう怖気を、ユーモアが払っていることがリンジーにはわかったからだ。
洞窟への入口はその膨らみをつなぐ谷の部分にぽっかりと開いていた。
揺れ動いていたヘッドライトの光帯がぴたりと止まると、クルーザーもその場に停止していた。オズウェルが操作板に手を伸ばし、何度かライトを切り替えてみせた。
暖色の温かみある光源に照らされたり、寒色の無気味な光源に照らされても、洞窟への入口はぴくりとも動かず、黒々としてその存在位置を変えることはなかった。
「距離も間違いないようだ。それで、ライトはどっちがお好みだい? 俺はスリルがあるほうを推薦するがね」
「好きにすればいいわ。だけど、赤やピンクのスポットライトはここにはないわよ」
「それは残念だ。とても残念だよ」
リンジーは少しだけやり返してやった気になりながら、早くもクルーザーのドアを開けて、
「さあリブ、降りてみましょう。あなたなんだかさっきからそわそわしちゃって」
といったかと思うと、車内の床を軽く蹴って砂色の大地へとジャンプした。
砂粒がライトの光をうけてキラキラ光りながら舞い上った。リビュアがあとにつづく。
「おいおい、置いてけぼりかよ」
「オジー、お先に!」
「ったく、冗談の通じない御婦人だ。ちょっとからかったら怒りやがって」
といいながら、一行に遅れをとったオズウェルが床を蹴った。
「ライト」
誰の声なのかはっきりしなかったが、クルーたちはその声を聞いて、ヘルメットへと手をのばした。
四本の光帯が洞窟の入り口へと照射され、まぶしいほどだった。青い光、橙の光が絡み合い、遠近感もしっかり掴めることがわかった。
「もう少し光量を落としたほうがいいね。それからみんな、洞窟に入ったら重力増幅器の入れ忘れには注意かな。多分オートモードで大丈夫なはずだよ」
とレックスが生真面目な落ち着いた声でいった。
「オーケーよ。準備は万端」
「あたしもよ」
とリビュアも、自分の存在をアピールするように力強い声を立てた。
奇妙な洞窟だった。一行は黒々とぬめるような質感を見せる岩石で、足を滑らせはしないかとひやひやしながら暗がりの洞窟を進んでいった。
氷なのかしら? リビュアはリンジーとともに狭い洞窟を進みながら、それを確かめようとしてしゃがんで手で触れてみたが、氷であるという確信はもてなかった。手袋を外してひんやりとした感触を味わいたい気がしたが、マーチやアチエーツに習ったことを思い出してあきらめた。
ゴツゴツとした岩の中にある空間は離合集散をくり返し、どこへ向かっているのか、しだいに自分がどこにいるのかもわからない恐怖感が、誰の胸にも湧き上がってきた。
「まるで蟻の巣でもあり、蜂の巣でもあるな」
ぽつりとオズウェルがつぶやいた。
「レックス、現在位置、確認できてるのよね?」
「ああ、大丈夫だ。心配いらないよ。オジーがサンプルを回収していて、少し遅れを取ってる。リンジー、少しペースを落としてもらえないか」
「ええ、わかったわ。といっても――」
リンジーの足がぴたりと止まった。リビュアと彼女が放っている光源に照らされた光景には、そうさせるだけのものがあったのだ。
これはいったい……。
なにこれ!?
「だめよリビュア! それに触ってはいけないわ!」
銀白色をした絹糸とも、繊細な蜘蛛の糸ともいえる数百本の細い氷柱らしきものが、四方八方からのびだし、二人の行く手を塞いでいた。
「雪の結晶みたいだわ……それがいくつも重なりあって、ずっと奥まで……」
漆黒と沈黙の世界で数千万年ものあいだ眠っていたであろう、氷柱らしき糸の絡みあった絹織物を、二つの光源が照らしだしていた。二人はそれをただ茫然と見つめていた。
「氷だよ。いま成分分析センサーで確認したよ」
二人に追いついたレックスがひっそりとした声でいった。彼もまた荘重たる光景に心を奪われていた。
「なんだい、何か見つけたのか?」
雪の結晶がつづく銀白色の空間とはほど遠い、すっとんきょうなオズウェルの口ぶりに、
「触れてみたいほど美しい景色が目の前にあるのよ。でもきっと触れたら壊れてしまうわ。――だから引き返して別の道をゆくわ」
と、リンジーは静かにこたえた。
「へえ、そんなに綺麗なら俺も見てから合流するよ」
「駄目よオズウェル。危険よ! ほんの少しの振動でも全てが崩れるほど繊細なのよ。この世界には触れちゃいけないものというか、触れるべきでないものがあるのよ。――映像はレックスが記録してくれたわ。それで満足してちょうだい」
それっきり、オズウェルは何も言ってこなくなったが、リンジーは目にした光景に心を奪われていたのか、気にもかけずリビュアとレックスとともに来た道を引き返し、やがて別のルートを進みはじめた。
「レックス、リンジー、その先は0427の裏側になる。太陽光が当たっている部分だから気をつけてくれ」
「了解だ。どうせこの先は行き止まりだ。オジーを待って合流したら船に戻ることにするよ」
エヴシンからの通信が入ってきたとき、三人は洞窟の出口に達しようとしていた。
入口とは比較にならない巨大な出口だった。地上まで数十メートル以上もあろうかという吹き抜けの天井には星空が広がり、さし込んでくる太陽光に、岩石と砂のまじった深く広いホールの片側の壁面が照らしだされていた。
三人は陽光の照る明るい部分を選んで腰をおろした。
「レックス、リンジー、聞こえるか? オズウェルが遅れているようだが、大丈夫なのか?」
「平気よ、今こっちに向かってるわ。なにしろ足場が悪いから時間がかかるのよ」
レックスが背負ってきた、オズウェルの位置を知らせる機器のモニターで、緑色の光点がゆっくりと動いていた。
「あいつ……」
「なに? レックス?」
「あれほど言ったのに、分かれ道を右に行きやがった。氷柱の糸があるほうだ」
「レックス、リンジー、本当に大丈夫なのか?」
エヴシンの声には憂色があった。
そのことに気づいたのか、リビュアが明るい口調で、
「ねえエヴ、どうしてさっきからあたしの名前は呼んでくれないの? みんなのことは心配してるのに、あたしのことは忘れてしまってるみたいよ」
とチクリといった。
「あらまあお馬鹿さんね。この船のクルーたちがあなたのことを忘れると思うの。そんなことはありえないわ。安心なさいな、リブ」
セラフィーナの声だった。
「でもお~、名前ってね呼ばれるとなんだか気持ちがいいのよ。あたしとあなたは友達なの。そういう温かいものがね、胸の中に湧くんだよ」
「知ってるわよ、リビュア」
「……名前……呼んでくれたんだ」
「名前もいいけど、この景色にはかなわないだろうなあ……」
唐突に、なにかに痺れているような声でオズウェルが無線に割り込んできた。
「オジー、そこは危険よ、戻って! お願いだから。なんだかわからないけど、胸騒ぎがしたのよ。お願いだから戻って」
「心配いらない、君の小さな胸の膨らみが感じたものを尊重するよ」
「……ったく」
リンジーは繋いでいるリビュアの手が小さくくつくつと笑っているのを感じとった。
名残り惜しそうに、オズウェルは引き返そうとして足場の岩を蹴ったが、それは上手くいかなかった。凍りついていた岩氷がつるりと足をすくったのだ。
リビュアの手はまだくつくつと笑っていた。
名前、友達……いい響きだわ……なまえ、ともだち……なまえ、ともだち……。
刹那、リビュアは刺すような頭痛に襲われた。
それと同時に彼女は誰かの悲鳴を聞いたような気がした。
「オジー、何をしてるの!? 大丈夫なの!?」
「あいつ……足を滑らせたんだ」
モニターにある緑色の光点が速いスピードで動いている。
「レックス、彼がどこへ向かっているかわかって?」
「いま計算させてる、あと三秒待ってくれ」
そのときリンジーは自分の手が強く握られていることに気づいた。
振り向くと、バイザー越しに見えたリビュアの瞳が見開らかれて震えていた。
「なまえ、ともだち……」
リビュアの消え入るような囁きは、オズウェルの悲鳴に消されて誰の耳にも届かなかった。
「あいつ、この出口にある側穴から放り出されるよ。――場所は……あそこだ」
レックスは太陽光に照らされた壁面にある黒い穴を指さした。
「なまえ、ともだち……」
リビュアは頭を締め上げてくる痛みの中で無機質な声をききながら、誰かが指さした場所へと目を向けた。
その瞬間だった、太陽光に照らされた壁面にある穴から、砂礫とともに氷塊が噴き出したのは。
それは日の光をうけてキラキラと輝いていた。氷塊がプリズムの形に砕け散ったのか、あらゆる方へと七色の光条を放って見せた。
「虹だわ……綺麗ね……あれはなまえよ……いつもは目には見えないの、でもある瞬間だけ見えるなまえ……」
「オジー、宇宙服のプラズマ噴射器を使うんだ。でないと側壁に激突するぞ! オジー、聞こえてるのか! いますぐやってくれ!」
レックスの叫びの中で、リンジーは少女の囁きを聞き取りはしたが、側壁の穴から目を離すこともできなかった。
「オジー!」
七色をした虹の光条が自由をえたレーザー光線のように絡み合い、あらゆる方向へと弾けあっている場所に宇宙服を着たオズウェルが投げ出されてきた。
「死んでたまるかー!!」
宇宙服から透明のプラズマが噴射されたのだろうか、オズウェルの体を包むように七色の光の波が湧きおこった。薄いレースのような七色の光の膜が、広く深いホールで踊っていた。
「あれはなに?……ともだちが……きっと名前を呼び合ったことで現れたのよ。たぶんオーロラね。図鑑でしか見たことなかったけど、とても綺麗だわ……虹、名前、オーロラ、友達……リンジーとあたし、リンジーとあたしの弟……でも待って、あれは神さまなのかもしれないわね だってあたしは悪い子だったから鞭に打たれて……」
……頭が、頭が割れそうに痛いんです。神様、あたしを助けて!
主よ、我と我が愛するものを救いたまえ、主よ……
オズウェルは寸でのところで側壁に打ち付けられることなく止まると、プラズマ噴射器を使って、ゆっくりと降りてきた。七色の光条と七色の光のカーテンを纏いながら。
「リビュア、しっかりして、しっかりするのよ! リビュア、あたしが誰だかわかる!?」
力なく手を握り返してくる少女に、ヘルメットをぶつけながらリンジーは必死に語りかけた。
「……リンジー……ともだち……主よ……救いたまえ……主よ、我と我が愛するものを救いたまえ……」
ほとんど聞き取れない囁きのあと、小さめのヘルメットがガクリと垂れた。
リンジーは自分の手を握り返していた力がすっと消えていくのを感じた。
「リブ……オジーは無事よ。誰も怪我ひとつしてないの。あなたの祈りは通じたのよ。でも肝心のあなたが……リブ……」
バイザーの奥で、リンジーの頬を一筋の涙がつたい落ちていった。




