第40話 宇宙飛行士の本能――子ども心
次々に意識を取りもどしたクルーたちは、アチエーツからの報告を聞いて電力を消費しない回線を使って連絡を取りあい、互いの無事を確認しあった。
艦橋にいたエヴシンたちはシートベルトに締め上げられた圧迫痕と、レッドアウトやブラックアウトによる一時的な血流障害を受け、格納ハッチにいたリンジーたちは多少の打撲傷を受けていたが、誰の命にも別状はなかった。
リビュアはなぜ自分がその場所に倒れていたのかという記憶を失っていたし、ひとときの間思い出した地球の我が家の光景も全て忘れ去っていた。
「なにも憶えてないの。汗びっちょりになって必死にみんなの宇宙服のツマミを回したのは憶えてるわ。ドアが吹き飛んだとき、あのときはびっくりしたんだけどね」
「じゃあエアロックの前まで歩いた記憶はないのね?」
「うん、ちっともないわ。とにかくビリビリって火花が散って、ドアがドーンて飛んだときは、恐かったの。なぜだかわからないけど凄く恐かったのよ」
「ビリビリ、ドーン! か……」
「ママやめて! 思い出したくないの……」
リビュアの恐れようは尋常ではない。リンジーはすぐにそのことに気づいたが、少女の前では不安げな表情ひとつ見せなかった。
「でもあなたはよく頑張ったわ。不時着のせいでね、酸素が漏れ出していたのよ。空気の少ない場所で一生懸命みんなのために頑張ってくれた。ママは嬉しいわ。きっと頭痛がしたのはそのせいよ。悪く考えるのはやめましょう。火花だって同じよ。綺麗な花火だ。そう思えばいいのよ」
「花火ね……」
気のない返事だった。また何か得体の知れない、記憶とも幻覚ともつかないものが蘇えってくる悪寒や痺れのようなものを感じたのか、リビュアの瞳には翳りがあった。
「少し休みなさい。とにかくあなたはよく頑張ったわ」
そういってリンジーはリビュアの額にキスをした。
「うん……ママ、おやすみなさい」
リビュアが寝息を立てはじめると、リンジーは隣室に入って、少女の臨床データを知り尽くしているマーチと長いあいだ会話し続け、ひとつの結論を導き出したのだった。
トラウマ。急激なフラッシュバックによる失神。おそらくリビュアは過去のトラウマを引きだしてしまう風景を目にしたり言葉を耳にすることで、喪失した記憶が蘇えることがあるのだと。それは危険なことともいえたし、失った記憶を取りもどせるチャンスでもある。
でも、あの三年間の凄惨な記憶を取り戻すことがあの子にとって幸せだというの? そうは思えない。けれども、彼女にとってたった一人の肉親、弟のヒュードラー。彼のことだけは思いださせてあげたい。
リンジーはひとり、無音になったプライベートモードの部屋でしばらくのあいだ、両手で頭を抱えながら一人黙想しつづけていた。
そんな都合がいいようになるって、誰が信じられるの? あたしだって信じられない。楽しかった記憶だけ、嬉しかったことだけ憶えていられるなら、人は苦労なんてしないものよ。むしろ、悲しい記憶、苦しい記憶があるからこそ、同じ間違いをしないように記憶する人間の機能を考えたら……でも、あの子の過去は重すぎるのよ。でなければフラッシュバックした記憶を失うはずがないじゃない。ビリビリ、ドーン……あの言葉……あれはきっと過去の凄惨な記憶と結びついているのよ。気を付けなければ……たった一言があの子を破壊しかねないんだもの……。
リンジーは自分が何を願い、何を信じているのか、わからなくなった。だが、彼女はオズウェルが話してくれたケフェウス座の星の輝きを、閉じた瞼の裏に思い浮かべて自分に言い聞かせた。
物事を平面的に見てはいけないの。リビュアにも深さと広さがあるのよ。なら、素直に全てを受け入れるしかないのよ。何があっても信じて受け入れていけばいい。それだけよ。
リンジーが瞼をあげたとき、もうそこに迷いはなかった。深く青い瞳は宇宙に溶け込み、宇宙そのもののような光を放っていた。
「アチエーツ、船のほうはどうなの? 何とかなりそうなの?」
彼女は制御卓の会話モードのスイッチを入れて、張りのある声で訊いた。
「まだなんとも申し上げられませんが、みなさんの症状が治まって多少なりとも修理して頂ければ、何とでもするつもりです。それにはともかく――」
「そうね、もう少しばかり時間をくれないこと。そうしたら、あたしも働くわ。船外作業でも何でもやってみせますよ」
「頼もしい限りです。よろしくお願いいたします」
<アイレース>号の損傷は思ったより酷かった。ソーラーシステムの七割を破壊され、動力となるエネルギーの蓄積量低下は重大ですらあった。船首を小惑星の砂岩にめり込ませて不時着したことで、格納ハッチを開くことができ、船外作業と小惑星の調査に支障がないことだけは幸いだったが、いまだ離床して地球に帰還できるかどうかすらはっきりしていなかったのだ。
だが数日するとクルーたちはベッドから抜けだし、傾いた船内を歩きにくそうに駆け回りながら、故障箇所の修理に励みだした。何もしなければ何も起こらないという宇宙飛行士の本能といえた。病床にあったリビュアも、数日するとけろりと元気を取りもどし、大人たちの後を追って船内狭しと走り回りはじめた。
一週間が経った頃、船内の故障個所はマーチ、アチエーツ、そしてクルーたちの努力のかいあって、ほとんどその機能を取りもどした。次の一週間は、一人がようやく擦りぬけられるハッチをくぐっての船外作業がつづいた。破壊されたソーラーシステムの修理には非常に手間がかかったが、クルーたちは冗談を飛ばしあって作業にいそしみ、不時着から二週間後になんとか地球帰還への見通しを立てることができた。
エヴシンは悩んでいた。このまま調査を放棄して、乗員の安全を優先するべきか、それとも小惑星の調査をするべきかと。
艦橋には三つの人影があった。船長席にちかい場所に椅子を持ちより、なにごとかを話し合っている。
「セラ、君の意見は?」
「あたしは調査を続行すべきだと思うわ。ただし、ひとつだけ心配なことはあるけどね」
きっぱりとした口調だった。
「逆行小惑星かい?」
「ええそうよ。アチエーツの説明だと、なにしろ発見の難しい代物らしいからね」
緊急着床してからというもの、軽薄な態度を見せなくなったフェデリコが口を開いた。
「なにしろ不時着のせいでセンサーの角度も制限されているからなあ。通常、太陽系で考えればほとんどの惑星や小惑星はある平面を基準にして公転している。八つの惑星にしたって、多少のずれはあっても、ひとつの平面上にあると考えても支障はない。けど逆行小惑星にはその常識が通用しない。太陽系の公転平面に対して九十度近い角度の軌道平面を持つ。つまり太陽系が左右の公転面を持っていると仮定したなら、逆行小惑星は上下の公転面をもっていると考えるといいんだろうな。――どこの世界にもいるもんだな。世の中の常識みたいなものに逆らう存在ってのはね」
セラフィーナとエヴシンが苦笑を漏らした。
「どちらにしても、センサーを左右の面に集中させれば、逆行小惑星からの危険が増し、上下の面に集中させれば、通常の小惑星からの危険が増すということだな」
とエヴシンは渋い表情に戻りながら、口を閉じて唇を噛んだ。
「どちらにしても危険なことに変わりはないわ。どちらかの面だけにセンサーを振り向ければ、どちらかが疎かになるわ。かといって両方の面にふりむければ、中途半端になる」
セラフィーナは身振りをまじえながらそう言った。
「アイレース号もすぐに離床できるわけではない。こうなるとどこから何が飛んで来ようと危険なことに変わりはない」
言い終わると、フェデリコはじゅじゅっという音を立てて、まずそうにコーヒーを飲んで、
「ともかく、何もしないでいることが一番危険じゃないのかな。黙ってじっとしていると人間ロクなことを考えないもんだよ」
と付け足した。
「であれば、原子炉が復旧するまで調査に時間を使うほうがいいだろう、そういう見解ということかな?」
セラフィーナとフェデリコが肯いた。
「わかった。あとは上陸隊しだいということだな」
「あいつらは行くぜ。そういう連中なんだよ。オズウェルあたりはむずむずしてるだろうさ。それにこの3Dマップ」
と言って、フェデリコはスクリーンへと顎をしゃくった。
「こいつを見ちまったら、俺だって探検したい気持ちは抑えがたいものがあるからねえ」
スクリーンにはアチエーツがレーダー分析して描き出した、L4-0427の立体投影図が映しだされていた。いたるところに洞窟のような穴があり、大小さまざまなクレーターがあり、さらに砂漠のようなレゴリスの海が描き出されていた。
「確かにそうね。なんだか今回ばかりは上陸隊のことを羨ましく思うわね」
といって、セラフィーナもじっと3Dマップを見つめていた。
<アイレース>号がL4-0427RA(Retrograde asteroid)と名づけられた逆行小惑星と接触してから、二十日目のことだった。




