第4話 現実と幻覚のはざまで
動力ブロックに近い牢獄のような部屋は、時々激しく振動した。少年は床から突き上げられることに眠りを妨げられ、明けない宇宙の夜をまどろみながら、その苦痛に耐えていた。だが、変調をきたしはじめた姉の姿を見続けることはできないでいた。
「やめてくれ、姉さん、もうやめてくれ!」
耳を塞ぎ、顔をそらした先で、リビュアはケタケタと笑ったあと、しゃくりあげるように泣き、憤怒に駆られて皿を投げたあと、歓喜の叫びをあげたりしていた。
しばらくは、少女の異様な行動をなんとかしようと、監視役の男が殴ったり、蹴ったりしたが、それも数日のことで、
「こいつ、狂いやがったな」
という侮蔑の言葉を少年が耳にしてから、部屋の扉は閉ざされたままになっていた。
監視の男からすれば、それは度々目にしてきたことだったし、稼ぎの道具が減っても、また仕入れればいいという生業からくる平然さだった。
少年には男が口走った狂ったという意味がわからなかったが、姉が姉でなくなってしまうのではないかという豪雨の中にいるのはわかった。焦りの雨に小突かれ、なんとかしようとしたが、台風のような喚き声に吹き飛ばされ、冷静にものを考えることすらできなかった。
「おい飯だ、食え」
扉の下からすべってくる皿が床をこする音への反応もしだいに鈍くなっていった。少女は眠っているか暴れているか、少年は壁を背にして膝を抱えたまま、うなだれ続けていた。
「また食べてないのか。死にたいのか?」
「なあに、死んだってかまわんだろう、もうすぐ仕入れ先に着くらしいからな」
「月か、月に向かってるのか!? 半年ぶりだな」
「月じゃないさ、女さ、よりどりみどり選べる女の星だよ。ガキは売値が安いから、女をかっさらうんだ」
月……という言葉を耳にした瞬間、リビュアは首を振って怒涛のように頭の中で荒れ狂っている暴風雨を追い払おうとした。
「月には父さんと母さんが……」
「いやしない! 父さんも母さんも殺されたんだ! あいつがそう言ったじゃないか!」
肉塊のようにうずくまりながら叫んだ少年の耳には、しっかりとした足取りで床を叩く音が聞こえていた。
「ヒュー、しっかりしなさい、あたしを見て」
少年が首をもたげると、そこには毅然とした姉の顔があった。
「忘れたの? 叔父さんが言ってたこと。父さんと母さんはあたしたちのために、地球に出稼ぎに行くことになったのよ。忘れてしまったの?」
少年の色違いの瞳に映っている姉の表情には、どこにも異変はなかった。しかし、言っている内容に肯くことはできないでいた。少年の脳裏には、汗染みのできた緑色の服を着た男たちに、両親が連れ去られてゆく光景が焼きついているのだ。
「違う、姉さんの言ってることは間違ってる。母さんたちはあいつらに連れていかれて、たぶん……」
「しかたのない子ね、あなたはまだ小さかったから、よく覚えてないのよ。そんなに怯えなくていいの」
少年は頬に温もりを感じていた。
「叔父さんはあたしたちを愛してくれている。けど、あたしたちはそれ以上に父さんと母さんを愛してるわ。だからヒュー、よく聞いて」
少女はそこまで言うと、少年の耳に乾いてひび割れた唇を近づけて囁いた。
「ここから逃げ出すの」
少年には姉の言っていることが正しいのか、自分の脳裏に焼き付いている光景が正しいのか、判断がつかなかった。
僕の眼。色の違う眼。いったいどちらの記憶が正しいのだろうか?
少年は得たいの知れないなにかに責めたてられ、心がまっぷたつになっていくような気がした。
「わかったよ、姉さん」
動力ブロックの音に掻き消されかねない細々とした声だった。
その瞬間、少年は姉にしっかと抱きしめられたことを感じていた。
「ヒュー、地球へ行くのよ……」




