第39話 記憶の欠片
リビュアは眼を覚ましたとき、ひどく狭苦しくて見慣れない場所にいることに驚いた。
だが、すぐにそこが<ミラーシ>号の中だと気づいた。傍らには宇宙服を着たままぴくりともしないリンジーの姿が見えた。窮屈だったがなんとか身をよじって後席を見ると、そこにも宇宙服姿の人影が暗い照明をうけて浮かびあがった。レックスとオズウェルだった。
どうしたんだっけ?……そうだわ、小惑星に着床しようとしたときに何かが起こって、走ってここへ逃げ込んだのよ。地球にいたころ、地震がくるとあたしはいつも机の下に逃げ込んだ。狭い所にいれば大丈夫、そう思ったんだっけね。
脳裏に、まだ幼い女の子がパジャマ姿で、恐怖に憑りつかれて机の足を握って震えている光景が浮んだ。
あの頃は意気地なしだったわ。でも今は大丈夫よ。みんなを助けなくっちゃ。
リビュアは胸のなかでそうつぶやいてはみたものの、なにをどうすればいいのか思いつけず、しきりに辺りに視線を投げていた。
格納庫は緊急事態を知らせるためだろうか、どこかでまわっている回転灯が投げかける不規則な赤い光にてらされて、周囲にあるものが浮かんでは消えていった。天井にある非常灯もついているようで、黄色い光が当たってる部分以外は暗くてよく見えない。回転灯と非常灯のあかりが重なると、その場所だけ瞬秒のあいだ燃えるような橙色になって、奇妙に心が惹きつけられたが、リビュアはクルーたちに視線をもどして考えはじめた。
思い出さなきゃ、思い出さなきゃね。マーチ先生にもパパにも宇宙服のことは教わったはずよ……でも、なんだか思い出せないわ。んとー……。
少女は隣で動かなくなったままのリンジーを見つめていた。宇宙服の胸元で緑の光が点灯していた。
これ、なんだったかしら? 教わったはずなのに、思い出せない。
たしか……赤は危険、黄色は注意、緑は安全。そうよ! 緑はちゃんと生きてるから大丈夫ってことだったはずよ。……でも、このままで良かったのかしら? そうだ、思い出したわ。緑のランプが点いていたなら、体温調節器のツマミを操作しなさいって教わったはずだわ……。
だがそれでも、一人だけという不安に襲われているリビュアは記憶に自信が持てず、自分の胸元を覗き見た。青いランプが点灯しているのが見えた。
この色のときは何もしなくてよかったはずね。大丈夫、ちゃんと憶えてるわ。
リビュアは祈るような気持ちで、リンジーの生命維持装置にあるヒーターのツマミへと手をのばし、
「神さまお願い! あたしを悪い子にしないで!」
と口の中でつぶやきながらツマミを回した。
緑色のランプが青になり緑になり明滅をはじめた。
「次はレックスとオジーおじさんね」
どうしても拭いきれない不安に襲われていたリビュアは全身汗まみれで、異様な湿気にまとわりつかれながら、とりあえずクルーザーのドアを開けて外へ出ようと身を捻じった。いまいる場所から、後席にいる二人の生命維持装置まで手が届かなかったのだ。
これはどうやるんだっけ? リブ思い出さないとよ……思い出さないといけないの。えっと……たしか。
少女は射るようにドアにあるボタンの文字を読んでいった。
……たぶんこれね。
リビュアが、EMG OPEN(緊急開放)と書かれたボタンを恐る恐る押すと、ドアは青白い火花をまたたかせたあと音もなく吹き飛んだ。
びっくりしたわ……。ビリビリってこなくてよかったわ。ドーンってドアが飛ぶなんて想像してなかったわ。
少女は小さなため息でバイザーを曇らせてから車外へ出ると、こんどは後部座席のドアを開けるボタンをすぐに見つけ出してドアを開け、レックスの宇宙服にあるツマミを回した。
ここからだとオジーおじさんには手が届かなないわね。
すぐにそう気づいたリビュアは、ぴょんぴょんと床を小刻みに跳ねながら、クルーザーの後ろを回って、反対側のドアを開放すると、オズウェルの宇宙服にあるツマミを回し終えた。
「とりあえずこれでいいはずよ……さて次は何をすればよかったのかしら? でもなんだか少し頭が痛いわ……」
リビュアの立てた振動はわずかなものだったが、マーチとアチエーツにとってはそれで十分だった。
「格納ハッチで誰か、気がついたようよ」
「ああ、感じてるよ。誰かな? しかし――」
二人は直通回路で状況を確認しあったが、数瞬後には何もできないいたたまれなさを互いの回路に流しあっていた。
緊急回避の際、マーチとアチエーツは<アイレース>号にあったエネルギーを惜しむことなく使ったため、照明さえ通常モードに回復させられないでいた。しかも運が悪いことに、逆行小惑星との衝突とその後の緊急着床で、半永久的に使用可能なソーラーシステムを破壊され、主動力源である原子炉への電源供給にもことかき、原子炉すらスタンバイモードに入っていた。
そんなこととは知らないリビュアは、まだ何かできることがあるような気がして、あたりを眺めまわしていた。
回転灯と非常灯の照明が交わり、橙色の光がまたたいている。
とても力強い光ね……どこかで見たような気がするわ。でも思い出せない……頭が……。
リビュアには理由などわからなかったが、「思い出せ!」という強迫観念のようなものに囚われて、強く橙色にてらされているエアロック前室の扉に向かって歩きだし、やがて扉へ向かって小刻みにジャンプしはじめた。
頭が痛い……。
音もなく宇宙服の靴底が床に着くたびに、リビュアは脳の奥に刺すような痛みと重苦しい圧迫を感じていたが、電燈を求める蛾のように、橙光の源へと跳びつづけた。
エアロック前室扉の両側に備え付けられた回転灯が、縦に横にと赤い光の帯を描いていた。
ああ、これの光だったのね。思い出したわ、この先に与圧なしで入ると死んでしまうかもしれないはずよ。それとこの橙色の光、なんだったか思い出せそうよ……。
温かい光が不安を消してゆくようだった。そのとき、リビュアは扉の横にある窓の外で何かが光ったような気がして、吸い寄せられるように窓のある場所へとジャンプした。
雪が降っていた。<アイレース>号が巻き上げたレゴリスがひらひらと、ひらひらと降っていた。砂礫は遥か彼方にある太陽光を浴びてときどきキラリ、キラリと輝いた。
なんて綺麗なんでしょう……。
リビュアは高まる頭痛とともに脳の奥になにかが蘇えってくるのを感じながら、砂礫と陽光が作りだす光景を見つめていた。
雪……雪よ。そうだわ、地球で見た雪よ! 橙は夕日の色よ。そうよ、真赤な太陽が沈んでゆくときに雪が降り出したことがあったわ。あれは不思議な景色だった。空には薄い雲しかなくって、遠くには燃えるような太陽があった。そこに雪が降ってきたのよ。とても寒かったわ。寒くて家に入りたかったのに、どうしても足がいうことをきかなかったのよ。あたしの家の近くには遊園地があって……そこにも雪が積もったのよ。あたしの家の屋根にも積もったわ。クリーム色の大きな家とそれを囲む生垣。春になると名前も知らない花が咲いて、家の横にはパパとママの車が止めてあるガレージがあった。二階の窓を見るといつもあたしを見つめてる……。
リビュアはそのとき、脳を突き刺すような痛みを覚えた。
誰? 誰なの?
見知らぬ少年の声が、耳を塞ぎたくなるような恐ろしい声で怒鳴ってきた。
姉さん、ボクだよ! ボクのこと忘れたの! 酷いじゃないか! 姉さん!!
「やめてー!!」
燃える橙、輝きながらちらつく雪、遊園地、生垣に咲く花々、パパとママの大きな車、二階の窓にある人影、肌を貫いてゆきそうな極寒、腕を足を背中を打ち据えてゆく痛み、鞭の音、血しぶき、吐き気をもよおす悪臭、床をする破れた服の音、悲鳴と絶叫、哀願する声、ギラついた色違いの瞳……。
リビュアの心にある深い場所へと、あらゆる方向から記憶の断片が押し寄せ、一つになって爆発して何もかもが真白になった刹那、彼女は気を失ってその場に頽れるように倒れた。
小さめの宇宙服にある生命維持装置のランプが緑色に点灯したのと、リンジーが眼を覚ましたのはほとんど同時だった。




