第37話 ざわめく予感
「すでに諸君は、この航海の目的は承知のことと思う。ということで、今日はまだこの調査航行のことを知らないリビュア、君にそのことを話すためのミーティングだと思って欲しい。いいかな、リブ?」
エヴシンは優しく微笑んで、赤みがかった金髪の少女の様子を伺った。
「え……あたしのために? ――でもあたし難しいことはわかりませんよ」
隣に座ったリンジーの腕をテーブルの下で掴みながら、少女は答えた。
「なあに、難しいことはママや、そこにいるオズウェルおじさんにでも聞いてくれればいい。ミーティング中でも構わないよ」
エヴシンの両側に座っている、セラフィーナとフェデリコがしきりに肯いてみせた。
「じゃあ、そうします。あたし、みんなの役には立てないかもしれないけど、みんなと一緒に何かをしたいんです」
「そうか、なら決まりだ。じゃあ話をはじめるよ」
艦橋は制御卓やモニターが立てるかすかな機械音の緊張に満たされ、制御機器の排気口から流れでる空気にかき混ぜられ、いくぶん温められていた。
「まずモニターを見てほしい」
といってエヴシンはメインスクリーンに映し出されている木星宙域図を指して、ゆっくりした口調で話しはじめた。
「我々が向かっているのはここ、小惑星帯トロヤ群だ。もう少し詳しくいえば、トロヤ群のこの地点にある小惑星になる。記号番号でいうと、L4-0427になる。他にも調査対象はあって、L4-0428、L4-0429などがそれだ。ただしスケジュールに厳格である必要はない。すなわち、小惑星の調査は着床にはじまり、各種の調査分析、そして離床という手順があるため、一概にL4-0427の調査が何日で終了できるという予想が立てられないというのがその理由だ」
と、エヴシンはそこまで話して、ひとつ咳払いをした。
リビュアは疑問に思った点をリンジーやオズウェルに小声で質問して、大体の意味を飲み込んでいるようだった。
「さて、ではいったい何を調査するのかということだが。これは少々難しい。小惑星を形作っている物質の分析にはじまり、質量分布、重力分布、磁気分布などなど、多岐にわたるからだ。もちろんほとんどの分析は人格コンピューターのマーチとアチエーツによって行われるので、そう頭を悩ませる必要はない。大事なことはサンプルの収集、それから実際に上陸してみて我々が抱く印象などを資料として持ち帰ることだ」
「つまり、見た景色について、どんな感想を抱いたかを、エヴに言えればいいのね?」
と、リビュア。
「そうだね、そういうことになる」
「でも、見たことのないものを表現するのって難しそうね」
と、リビュアは宙を見つめて考えはじめた。
「子供の発想ってのは豊かだなあ。言われてみればその通りだな」
と、オズウェルは腕を組んで真顔になっている。
「そうだなあ、リヴ、こうしてみたらどうかな? つまり、データパッドや君の記憶にある地球の風景とか、これまで見たもの、たとえば火星であるとか、木星であるとか、この船の中にあるもので、似ているものを探し出して、それで表現するということ」
「ああ、なるほど、それならできそうよ。あたしの記憶にあるもので表現するのが、一番いいのかな……」
「比喩ってわけだね。何かを別のものに例えて表現するってことだね」
レックスが補足するように少女の言葉を追いかけた。
「ひゆ、か……また難しい言葉をひとつ覚えたわ。ありがとう、レックス」
ミーティングはこうして非常に穏やかに進められていった。クルーたちは少女の柔軟な発想に驚き、とっぴさになかば呆れながら時間は過ぎていった。少女はどんどん新しいことを憶え、ぐんぐん吸収していった。
「それで、リコ、彼女の宇宙服のほうはどうなんだ? 間に合いそうか?」
「ああ、なんとかなりそうだよ。アチエーツが工作機器をフル回転させて鋭意制作中だ。安全基準は僕らの三倍に設定したから、少々時間がかかっているようだが、大丈夫だ」
「そうか、わかった」
そろそろミーティングは終わるだろう、そう思ったリビュアは身をのりだすようにしてリンジーに小声で話しかけた。
「ねえママ、ママはあたしと一緒に小惑星には降りないの?」
「降りるわよ。でもママの専門は宇宙に関することじゃないから、きっとあなたより役に立たないわ」
「そんなことないわよ。だって見たものの印象を言えればいい。エヴはそういったじゃない」
「それはそうなんだけどね」
「ママ、気が進まないの? あたしと小惑星を見たくないの?」
「そうじゃないのよ。でもなんだか不安なのよ。だってあなたはまだ見たことのないものばかりじゃない」
「それはそうよ。だってまだあたしはここのつだもん。けれどもママだってそういう歳のころは、見たことのないものは一杯あったんじゃないの?」
リンジーは何と答えるべきか悩んで、しばらく押し黙ったあと、
「そうね、それはそうなのよ。でもそれとこれとは少し違うような気がするのよ」
といって眉間を押さえた。
「なあに恐れるようなことじゃないよ、俺たちにゃあマーチもアチエーツもいるんだから。それに調査の前例はすでにいくつもあるじゃないか。アンドレイア型の連中にさえ出来たことが、フライング型の俺たちに出来ないことはないさ」
「そうそう、心配いらないよ。僕も一緒にいくつもりだからね」
と、オズウェルとレックス。
「ママは心配性ね。みんながいうとおり、あたしには父さんもいるし、マーチ先生もいるから大丈夫よ」
「そうね。でもなんだか……」
リンジーの心は晴れなかった。
リビュアとともに小惑星の大地に降り立つことは、とうに決心がついていたが、彼女の心は晴れてゆかなかった。得体の知れない予感が、肌の上で仄かにざわめいているのをどうしても消せないでいた。
エヴシンが調査の深層にある「未知なるもの」と接触する可能性について口外しなかったことが、なおさら彼女の肌をざわめかせたのだった。




