第35話 宇宙の孤児
デンバーを発ったトゥラキアとヒュードラーを乗せた車は、そこからは荒れた土地を進んだ。ルート八〇に沿って。砂色の岩肌をみせる山々、なんの規則性もなく気まぐれに茂っている低木や灌木、予想もしえないところで出会う青黒く鬱蒼とした森林、時には砂色だけでできた風景の中を走り、二日かかってとうとう目的地のリノにたどり着いた。
リノまでやって来てしまうと、また二人の心に一抹の不安が疼きはじめた。さてこの先は……と。
「ヒュー、この中にある住所をパッドで検索してくれる」
「うん」
トゥラキアが手渡したデータカードには、ハウ夫妻の住所があった。
「できたよ」
「どれどれ、エスキュエラ・ウェイ一番地ね。なんだか人目を避けるようような場所ね」
ハウ夫妻の家は、東西に約十五キロ、南北に約二十キロという、南北に細長いリノの中心部から少し南東に行ったところにあるリノ・タホ国際空港から、さらに東へ三キロほど行ったところにあった。しかもエスキュエラ・ウェイ一番地は行き止まりになっている小路の終点でもあった。
「まあいいわ、とりあえず行ってみましょう」
「何しに?」
「うん……」
トゥラキアは咄嗟に答えられずに、押し黙ったままハンドルを握っていた。空港が左前方に見えてくる。灰色に塗り固められた滑走路や誘導路の先には、ちらりと砂色の風景が見えていた。交差点をサウス・マラカン・ブルーバードへと左折したとき、ヒュードラーが同じ質問をくり返した。
「ねえ、何しにいくの?」
「いつか話したでしょ。お父さん、お母さん、欲しくない? って」
「ボク……いらないよ。そんな人たち」
「困らせないで。あたしが時々会いにくれば納得してくれる?」
「わからない……」
少年はそう言ったが、トゥラキアはヒュードラーの気持ちをすぐに読み取った。
小さな手が、だいぶ逞しくなった手が、彼女の股に触れてくるのがわかったからだ。
「とにかく話くらいはしてみないとね」
「…………」
しばらく車内にはエンジン音だけが響いていたが、やがてそれもぴたりと止まった。行き止まりに突き当たったのだ。
「おかしいわね。家なんてないじゃない。――ヒューちょっと待ってて」
そういってトゥラキアは運転席を離れ、行き止まりの先へと歩いていった。手入れの行き届いていない、自然のままの緑地に小さな川が流れていた。その川淵に汚れた郵便ポストと看板が立っていた。
『ハウ・メアに御用の方は、ご面倒ですが川を渡った先、二百メートルほどまでお越しください』と。
変わった人らしいわね。もしもリノに直通で来て、この看板を目にしたなら、即ここを後にしたかもしれないわ……。
トゥラキアはそう思いながら、ヒュードラーを連れに行こうと、一旦車のところへと来た道を戻った。そして今度は少年の手を引きながら、看板の前へとやって来た。さすがに少年も怪訝な表情をしていたが、二人は川に架かっていた丸木橋を渡って進みはじめた。
しばらく行くと、緑地を切り開いた場所に一軒の家が建っているのが見えてきた。樹木が屋根より高く聳えている箇所もある。
これじゃ、窓から日差しさえ入らないんじゃないかしら……。
トゥラキアは顔に表れた不安を濃くしながら、玄関へと足を進めてゆきチャイムを鳴らした。
「こんにちわ」
目の前に現れたハウの表情は柔らかかった。
短く刈り込んで整えられた髪は黒く、明るいグレーの瞳が優しく微笑みかけていた。三十後半だということはデータから知っていたが、歳よりずっと落ち着いて見えた。
「あの――」
「ああ、わかってますよ。なにしろこんな辺鄙なところですから、訪ねてくる人もいないのです。あなたはトゥラキアさん、それにこの坊やはヒュードラー君だね。まあ入ってください。少々薄暗くて気味が悪いかもしれませんが、その辺りのこともお時間があればお話しますよ。妻にも会っていきますよね?」
「あ、はい」
「さあ、どうぞ」
あまりにも想像していた出会いとかけ離れていたが、彼女も少年もなぜか自然と受け入れてしまう引力を感じて、ハウに案内された廊下を進んで居間へと入っていった。
何もない部屋だった。テーブルを挟んでソファーが置かれ、片隅にはプライベート用なのか仕事用なのかもわからないコンピューターとモニターがデスクの上に置かれ、それに見合った椅子があるだけだった。無機質な照明は寒さを感じさせ、橙がかっているはずなのに青くさえ見えた。
「紅茶、でいいですかな? なにしろ私たちはそれしか飲まないもので、紅茶しかないんですがね」
「ええ、構いません」
ハウはそこに二人がいることを感じていないように、テーブルに置かれたインターホンを取り上げると、ゆっくりした口調で話しだした。
「ああエリス、すまないが紅茶を四つ頼むよ。お客さんだ。いつだか話のあった女性とその子供さんだよ。君も会っておいたほうがいいだろう――」
受話器からは若々しく弾んだ女の声が漏れ聞こえてきた。十代のように明るい声だった。
「十分ほどで来るそうです。さてそれまで何をお話ししますかね」
「…………」
「そう緊張なさらないでください。わたしは話の上手いほうではないので、面白い話はできないんですがね」
ハウはそういって、ポリポリと頭の後ろを掻いていたが、急にその手をとめて話しだした。
「送って頂いたデータは拝見しました。事情も理解しているつもりです。もちろん妻も同じです。端的に申上げれば――」
と言って、いきなり結論を言いだそうとするハウに驚いて、トゥラキアは、
「待ってください。この子が聞いています。この子にも心の準備が必要かと思います。ヒューに全てを聞かせることが望ましいとも思えないのですが」
と抗議した。
「構わないでしょう。私も妻も隠しごとが嫌いなたちでしてね。もっとも私がそういう性格になったのは、妻に隠しごとをして彼女に随分な災難を味あわせたことが原因なんですがね。失礼だが、子供だからという観点をお持ちであれば、このお話は無かったことにさせてください」
きっぱりした口調だった。丸みのある顔立ちからは想像できない強い意志を感じさせた。
ハウは両手の指を膝の上で組んで、ヒュードラーに向かって話しだした。
「ヒュードラー・アル・ファルド 、九歳。両親は君の出生地オーランドにて行方不明になったままだ。姉弟は一人、姉のリビュア・アル・ファルド 、十一歳。現在DOXA所属準光速宇宙船<アイレース>号にゲストとして搭乗中。地球への帰還予定は三年後となっている。ただし、健康状態は不明。君自身がこのことを受け入れさえすれば、私と妻は君の両親の役目を引き受けることに異存はない。ただし、いつまでそうしていられるかはわからない。私たちも宇宙へ出なければいけないかもしれないからね」
少年はハウの顔を見つめながら、黙って聞いていた。
「宇宙に出られるって、もうすぐ四十代におなりですよね。体力的に無理があると思いますが」
トゥラキアは自分が思いもよらぬことを口走っていることに気づいたが、それを押しとどめることができなかった。
「トゥラキアさん、あなたはもう諦めたのですか? 今一度宇宙へ行きたい、本当はそう思っているのではないですか?」
「色々あるんです……」
そういって彼女はポケットから煙草を取り出して、テーブルに置いてみせ、船内服の袖をめくり、うっすらと残っている痣を見せた。
「ここだけではありません。体にもあります。それにここへ来る途中、頭部を強打しました。精神的にも弱くなっています。お恥ずかしい話ですが、半ば無意識でしたが、自殺しようともしたんです」
トゥラキアの眼に涙に潤んでいた。
ボクのために……ボクの我侭のために、この人にこんな思いをさせてしまっていたの……。
そう気づいたヒュードラーもうなだれていた。
「まあまあお二人さん。そう簡単に諦めることはないでしょう。うちの妻も大変なものを抱えていますから」
その時、トレーに紅茶を乗せたエリスが居間へと入ってきた。
不揃いに切りそろえられたショートカットの赤毛、淡褐色の瞳、背はそれほど高くなく、痩せて華奢な体つきをしている。歳は二十歳そこそこのように見えた。
「遅くなりました、妻のエリスです。――紅茶、温かいうちに召上ってください」
人間味の薄い青白い腕がティーカップを配っていた。
「驚きましたか? トゥラキアさん」
「え、ええ。まさかこんな若い方が奥様だなんて」
「彼女は十九です。つい最近結婚したばかりなんです。なにしろ優秀な宇宙飛行士ですからね。宇宙滞在時間は十八年にもなりますよ」
「ちょっと……ちょっと待ってください。そんなことはあり得ませんよ」
トゥラキアが驚嘆と猜疑の眼をエリスに向けながら言った。
「あたし、宇宙船の中で育ったんです。いわば、宇宙の孤児ってところですね。この人に出会ったのは、あたしが七歳の頃、君より少し小さかった頃ね」
少年を意識してか、エリスは明るく屈託のない調子でそう言ってから、
「この人と出会って結婚するまでずっと宇宙船の中で暮らしてたんです。だから、あたしの両親はマザーとファザーという人格コンピューターなんです」
と言って微笑んだ。
「ちょっと待ってください。マザーとファザーは、今艤装中の<アキレウス>号に搭載予定の人格コンピューターじゃありませんか。嘘は止めてください。あまりにも人を食ったことを言わないでください」
トゥラキアは自分が猜疑心の塊なのか、目の前にいる二人が大嘘つきなのか判断がつかず、幾分興奮していた。
「その辺りのお話をしても構いませんが、覚悟はおありですか?」
ハウがあくまでも冷静な態度で聞き返してきた。
「覚悟……ですか。いったいどんな覚悟をお望みですか?」
「諦めないで頂きたい。また宇宙を飛ぶことをです。約束できますか?」
「約束……約束なんてできません。今のあたしはもう以前のわたしではないのですから」
居間に重苦しい沈黙が訪れた。紅茶の立てる湯気の音が聞こえてきそうだった。
「私は信じます。必死にヒュードラー君を守り、ここまで連れてきたあなたを。そして、ヒュードラー君の強い眼差しをね」
ハウは少年が手にしている傷だらけのデータパッドを見つめながら、先をつづけた。
「あなたたちに必要なのは宇宙だ。地球にくすぶっていることではない。試練もあるでしょう、困難もあるでしょう。でもそれは私たちにとっても同じことなのです。私には年齢と体力的な壁がある。エリスは生まれながらの宇宙人種であるために、地球で暮らすことさえ困難なのです。でも諦めたりしていませんよ」
「しかし、それとこれ、――つまりこの子を養子にしてもらうことと、宇宙飛行士を目指すことに何の関係があるんですか?」
トゥラキアは自分たちがここにやってきた目的を忘れているようなハウ夫妻の態度に、苛立ちを感じて声を荒げた。
「今は残念ながら、そのお話はできません。調査中なのです。ですが、エリスが乗っていた船が<アキレウス>であり、彼女が宇宙人種であることは証明できます。つまりこういうことでして――」
と言ってハウが説明したことは、DOXAにあってさえ機密中の機密事項にあたるものだった。
現在艤装中の<アキレウス>号が建造された目的は、人格コンピューターの移植のためであること。もともとマザーとファザーが搭載されていたのは、アンドレイア型(フライング型の一世代前の型)の五番艦であり、正式には<フライング・ダッチマン>と命名されていたが、実のところ船名を明かさぬままその船は<キンダーハイム・アキレウス>号として木星宙域の探査に参加していたこと。エリスはその<キンダーハイム・アキレウス>号の船内で生まれ育ったということ。アンドレイア型の船体機能の旧式化に伴って、人格コンピューターの移植が検討され、“人格”をそのまま別の船に移乗させるという事柄が引き起こすDOXA内での杞憂や疑念の声を考慮し、移植を隠すために、船名を偽装し船名データが改竄され削除されたこと。こうした事項は極秘中の極秘であること。DOXAにあっても人格コンピューターの移植に前例はなく、今後実施される予定もないということ、などだった。
トゥラキアからすれば、信じられない話ばかりだった、だが目の前にいるハウとエリスという人物の経歴や生い立ちに嘘がないとすれば、信じるしかなかった。
人類は自らの手で宇宙人を作りあげ、今までそれを隠してきた。そういうことになるのね……。
彼女はDOXAという組織にある、計り知れない深淵を覗いてしまったのだという衝撃に、体が振るえだすのを感じていた。
そうよ、DOXAにはまだ闇があるのよ。だってそうじゃない。ヒュードラーが生れたのはオーランドの裕福な場所よ。なのになぜ彼の両親は失踪してしまったの? なのになぜ彼は幼少期を月で過ごし、孤独で悲惨な思いをしなければならなかったの?
トゥラキアの胸に、忘れかけていた疑念の炎がめらめらと燃え上がっていた。




