第32話 明日も一緒にいたいから……
ルイスバーグ近郊で高速道路を下りたトゥラキアは、一夜の仮宿を探して車を走らせた。
あたりは鬱蒼と樹木が生い茂る森がつづき、道路がその隙間を縫うように走っている。データパッドで何度か検索してみたが、あったはずのペンションが店終いをしていたり、看板はあるものの移転してしまったのか、データにある場所に宿屋を見つけることができなかった。腕時計の針は深夜まであと二時間を指していた。
この時間になってチェックインもないわよね。それにこの子を起こすのも可哀そう。
ヒュードラーはすこし前から助手席で眠り出していた。
しかたがないわね、今日は車内泊にしますか。彼女はそう決めて、かつてキャンプ場があったらしい、今はうち捨てられた場所に車を滑り込ませると、エンジンを切った。急に静けさがやってきた。遠いのではあるが、街燈が見えて、強盗や暴漢に襲われる心配はないと思えた。
車のキーを抜き取り、DWLと書かれたボタンを押して、ドアを二重にロックする。シートを倒してからキーを戻した。何かあったときに、すぐに走りだせるためだ。ここまでしておけば平気だろうと思い、眼をつぶってみるが、なかなか寝付けない。ニューヨークの興奮のせいだろうか。ふと少年のことが気になって起き上る。自分だけシートを倒していることに気づいて、苦笑しながらヒュードラーのシートを倒す。それでも何度も寝返りをうってばかりで、なかなか寝付けない。水滴がフロントガラスを叩きはじめたのがわかった。たいした雨ではない。虫が翅を擦りあわせているような漣のような音に引かれ、ようやく眠りに落ちていった。
翌朝、まぶしさに目をあけトゥラキアは、すぐに辺りを見回した。あるべきものがあることを確認した彼女は、ほっとため息をついた。後部座席の段ボールはそのままの形で重なりあい、四周に変化はない。すでに消えている街燈が朝霧を巻きつけるようにして立っているのが見え、隣にはまだ寝息を立てている少年の健やかな顔があった。
宿に泊まるにせよ、車に泊まるにせよ、これから何日もこういう思いをするのかと考えたとたん、胃が固くなるのを覚えた。気を取り直し、ドアのロックを解除してキーを作業服のポケットに投げ込む。後席につんだ段ボールをあさって朝食の準備をはじめたころ、ヒュードラーが眼を覚ました。
「顔を洗ったら手伝ってちょうだい。朝ご飯にするわよ」
「……うん」
少年はねぼけまなこのまま、車を下りてきた。ペットボトルの水を遠慮なく頭からかぶり、ぶるぶるっと頭を振った。豪快であり野犬のようでもある。
近くに川が流れているのだろうか、せせらぎの音が聞こえている。だが、なぜだかあまり鳥の鳴き声は聞こえなかった。そのはずである、東の空にどんよりと湧いている黒雲が、かなりのスピードで近づいてくるのが見えた。
「雨、降りそうね」
「うん」
トゥラキアの脳裏にもヒュードラーの脳裏にも、船上で遭遇した嵐の一夜と苦闘した光景が浮んでいた。
朝食が終わるか終らないうちに、細い灰色の竹串が降ってきた。
「車に戻りましょう。もうすこし体を自由にしておきたかったんだけどね」
「うん……体、痛いよ」
彼女はごめんねという感情を込めて、少年の額をさすり、髪をくしゃくしゃにしてから立ちあがった。
少年は残っていたチキンを口にほうりこみ、乱れた髪を直しながら、後について歩きだした。
「今日は昨日ほどスピードは出せそうもないわね。でも、シートベルトをして」
「うん、もうした」
「いい子ね」
彼女はそれを目で確かめるとキーを回してエンジンをかけた。唸るような音に混じって遠くに雷鳴の音が聞こえた。しばらくマニュアル運転を続けたあと、ルート八〇の看板を見つけたトゥラキアは、オートクルーズを起動させて、制限速度を九十キロに入力しなおした。
インターチェンジを駆け上がった車は、猛然と加速していった。雨はいよいよ激しくなり、フロントグラスを伝って滝のように流れ出した。
「なんにも見えないよ……」
「大丈夫よ、ロボットはね、あなたの眼よりよっぽど正確なのよ」
「でも……」
ヒュードラーは、意地でも怖いと言いたくないのだろう。
「いい、この車にはね、障害物感知センサーというのがついてるのよ。それでね――」
トゥラキアは前の見えないドライブの退屈さを紛らわせるように、話をつづけた。
雨は強くなったり弱くなったりしたが、雨雲に向かって走っていたからか、昼過ぎには視界が開け、クリーブランドの街並みが見えてきた。
パーキングエリアで車を止め、昼食をとった。
できれば早くシカゴにたどり着きたい。トゥラキアは理由のない焦燥に憑りつかれていた。胸騒ぎはしだいに膨らみ背中にまわりこみ、早く、早くと背中を押してくるように気を急かせる。
「さあ出発よ、また夜まで走りっぱなしよ、眠くなったら寝てしまっていいわ」
「うん」
朝と同じように、ヒュードラーは食べかけのホットドッグを口にほうりこみ、彼女の後を追った。
北を望めば、東西四百キロにわたり横たわっている五大湖のひとつ、エリー湖が陽光を照り返している荘厳な風景があったが、トゥラキアには景観を楽しむ余裕もないのだった。
二人を乗せた車は、制限速度百二十キロに入力しなおされたオートクルーズに従って、西へ西へと驀進していった。
夜がすっかり更けたころ、煌々と明かりを灯した摩天楼が幾層にもなって重なり、その光の搭の周囲を極彩色の羽虫が舞っているような大都会の夜景が見えてきた。アメリカ第三の都市、シカゴだ。
「すげー!」
ヒュードラーが心からの驚声をあげた。
「そういえばあなた、都会の夜景なんて見たことなかったのよね」
「うん」
「宇宙から地球を見たら、こんなものじゃないわよ。地球に済む人々の魂の光がすべて見えているように思えるわよ、どの魂も輝いてるのよ。光の強さじゃあないの。ちゃんとそれがわかるのよ」
「ほんと?」
「ええ、本当よ。強い光だけが強い魂ってわけじゃないのよ」
「そうなんだ……宇宙か……」
大都市シカゴである。深夜であろうと仮の宿くらいいくらでも見つけられただろう。だがトゥラキアは二人の時間を邪魔されたくなかった。誰かに干渉されたり介入されたりして、二人の時間が失われていくことを恐れた。一言の会話すらなくてもいい。ヒュードラーの健やかな寝顔が見れればいい、それでいい。そう思って、彼女は車中泊できるような場所を求めて、郊外へとハンドルを切った。
「ねえ……今夜もベッドでは寝られないの? 街、すぐそこだよ」
「あたしは街は好きじゃないの……いつかあなたにもわかるようになるわ」
「…………」
その夜もエンジンの音が消え去ってから、静かな雨が降りだした。
シカゴの街明かりは、満たされぬ願いを抱いた霧と雨音に咽び泣いているようだった。




