第31話 ストロベリー・フィールズ――孤児院
ニューヨークに宿をとったその日、食事を済ませたトゥラキアとヒュードラーは、まとわりついていた疲れに気圧されて、ベッドに身を投げだすとそのまま朝まで眠り込んでしまった。
翌朝、二人はホテルのバイキングで軽く朝食をすませると、さっそく車に乗り込んだ。ブロードウェイを真っすぐ進み、いくつか交差点を抜けて、ウォーカー・ストリートを右へ、その先で交わっているバワリーに突き当たったところで左折した。バワリーは、ブロードウェイと並び古くからニューヨークにある道路として有名だ。しばらく行くと、道はフォース・アベニューに変わり、ユニオン・スクエア公園の先でブロードウェイへと戻ってゆく。さらにそこから先へ進むと、マディソン・スクエア公園のところでフィフス・アベニュー――五番街に合流する。
五番街は、ロンドンのオックスフォード、パリのシャンゼリゼ、ミラノのモンテナポレオーネと並ぶ、世界有数の高級商店街ともいえる通りだ。碁盤の目のように整然と仕切られたその一帯――ミッドタウンには、高級ブランドの店が立ち並び、近郊には大邸宅が並立し、高級マンションが林立している。高層の建物から北を望見すれば、ニューヨークの中心――マンハッタンのセントラル・パークを眺めることもできる。
トゥラキアはしばらく五番街にそって車を走らせた。
「あたしには縁遠い世界ね……」
有名なロゴを描いた看板が通り過ぎてゆく。ディオール、アルマーニ、ブルガリ、フェラガモ、エルメス、ルイヴィトン、シャネル、ティファニーなどなど……。
彼女の反応とは裏腹に、ヒュードラーはその絢爛豪奢なショーウインドウを食い入るように見つめている。
「何がおもしろいの?」
「うん……」
見たこともなかった世界を見る驚きなのだろうか、それとも力の象徴――といってもそれは経済的な威光だが――への憧れなのかだろうか。トゥラキアには少年の心が読めなかったが、彼の心からひと時だけであっても、ロボットへの憧れを吹き飛ばしてしまったことは確かなようだった。
車はエンパイアステートビルを左に見て進み、ブライアント公園を通りすぎる。ロックフェラー・センターが過ぎ去って十字路を何本か超えたところで、トゥラキアはハンドルを左に切った。六番街を横断したあと右折して七番街へと入ってゆく。右手にカーネギー・ホールが見える、その先に五番街から八番街に挟まれた、三ブロック分のゆったりとした幅を持つ、セントラルパークが見えてくる。
トゥラキアは公園内へと続いている道、センター・ドライブに乗り、しばらく緑の中を走り、ストロベリー・フィールズで車を止めた。
かつて「愛と平和」を歌った有名なミュージシャンが、とあるアパートの前で射殺されたことを悼んで造園された区画だ。もともと、ストロベリー・フィールズという名は、サルベーション・アーミー――救世軍と呼ばれる、キリスト教系の慈善団体が運営していた、ロンドンのリバプールにあった孤児院の名前であるのだが、トゥラキアはそうしたことまでは知らなかった。
絢爛豪奢なミッドタウン、緑美しく、いくつもの池や湖水を抱え込んだ宏大なセントラルパーク。碁盤の目のように整然と仕切られた街。ふとすると見落としてしまいそうな場所に、ストロベリー・フィールズという意外な名があることもニューヨークの一面なのかもしれない。
もっとも、トゥラキアとヒュードラーがそれを感じ取ったのは、セントラルパークの北端にある百十丁目通りの北、ハーレム地区と呼ばれる、貧困層が暮らす場所に車を乗り入れたときだったのだが。
どうしてこうなのよ。どうしてこんなに近い場所に貧しい暮らしをしている人たちがいるのに、手を差し伸べてやれないの……。
トゥラキアの中で怒りが湧きあがっていった。
少年の眼もギラつき、彼自身の過去を拒絶し慰めるような目で、貧しい人びとを見つめていた。
しばらく車内に険悪な空気が渦巻いていた。
怒りにまかせてハンドルを切ったのか、車はやたらに右へ左へとくねくねと走り、みたびブロードウェイに辿りつくと、ようやく安定して走り出したように見えた。
そのあたりまで来ると、トゥラキアは時々車を路肩に止めて姿を消したかとおもうと、しばらくして段ボールをいくつか抱えて戻ってくるようになった。段ボールは後部座席に放りこまれ、しだいに山を作っていった。
もう無理ね。まあこれだけあれば当分は困らないでしょう。
段ボールの中身は、日持ちする食糧と水、下着、衣服、日用品といったものだった。
モーテルでも見つかれば大助かりだけど、そう上手くいくとも思えないからね。
積みあがった箱が頼りがいのあるものに見えた。
「ヒュードラー、シートベルトをしなさい。少し飛ばすわよ」
「うん」
彼女は少年がきちんとベルトを締めたことを確認すると、オートクルーズのスイッチを入れた。ふり仰げばルート九五のインターチェンジが見えていた。そこから左に目を向けると、ハドソン川をまたいでいる、ジョージ・ワシントン・ブリッジが大気に霞んでいた。
「今日のうちにルイスバーグまでいけるといいんだけど」
誰に言うとでもなく、トゥラキアはすでに目的地を入力しておいた、オートクルーズの制御盤に語りかけていた。
やがて二人を乗せた車は州間高速道路に乗り、急激にスピードを上げて、西へ西へとひた走りだした。
いくぶん表情に恐怖を漂わせながら、猛スピードで流れてゆく景色に、ヒュードラーは目を見開いた。色違いの瞳が輝いている。
「ねえ……」
「んん?」
「ロボットはやっぱりいたよ。ボクが思っていたようなものじゃなかったけど」
トゥラキアは黙って小さく肯いたあと、口角を少しあげて助手席に座っている少年の背中を見つめた。ヒュードラーはダッシュボードに小さな手を置いて、流れる景色を追っていた。
「今にもっと凄いことを体験させてあげるわ」
タイヤと道路が立てる走行音で彼女の声は聞こえなかったようだが、トゥラキアは満足感にみたされていた。
ようやく目には見えないなにか……つかまえた気がしたのに、逃がしてしまったものを掴んだ気がしていた。
ニューヨークはもうあたしたちの後ろにある、二度とあの日のあの場所には戻れない。あたしも彼も……そして今この瞬間も。
でもそれでいいの。すべては夢のようなものだと思うことに決めたのよ。
ストロベリー・フィールズよ永遠たれ!――トゥラキアは心の中でそう叫んでいた。




