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逆行する星々【外伝(3)】  作者: イプシロン
第3章 大地と宇宙をつなぐもの――錯綜する絆
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第29話 嵐の夜に

 ケープカナベラルを後にした船は、ひたすら日ノ出の方角に向かって浪をけ立てて海の上を走った。四周一面海また海の展望となったとき、ヒュードラーは恐怖を表情に漂わせたが、それも数日で消えていった。凪いでいることもあれば、波頭を上下に揺すって船首を叩き、高くあがった白い飛沫に濡れることもあった。ときには三角波に襲われ、激しいローリングに船酔いし、二人して体を折って長い時間苦しんだこともあった。

 ある日、トゥラキアがデッキに出てみると、目の前に布がぶら下げられているのを見つけた。よく見ると、それはぶら下げられているのではなく、デッキの狭い場所を選んで、布の両端を縛り付けてあるのだ。ハンモックだった。少年がそんな古風なものを知っているとは思えなかったが、丸まりかけた布の中を覗くと、そこにはヒュードラーのすこやかな寝顔があった。少年がお腹に乗せている傷だらけの、あのデータパッドを手に取り、ハンモックを考えだした切っ掛けを探したが見当たらなかった。

 まるで野生児ね。快適に生きるために発明は必然ってわけなのね。

 トゥラキアはしばらく、波に合わせて揺れるハンモックを見つめながら、胸躍る感覚に浸っていた。人類が宇宙に進出すればするほど、情報や環境という外的要因や利便性に依存してきた姿。彼女自身もまたそうであったことに恥ずかしさすら覚えた。

 それからというもの、ヒュードラーはどんなに海が荒れようと、船酔いすることはなかった。たいした手段を講じられず、薬品に頼って苦しみ続けたトゥラキアを気づかう一面すら見せた。

 無言で差し出された小さな手には、澄んで冷たい水で満たされたコップがあった。

 むしゃぶりつくように奪い取り、一気に喉に流し込む。とたんに喉の奥につまったままの吐き気が消え去っていく。それでも体に力が入らない。胃の中にある血の味が消えてくれない。無意識にまた背中をデッキの背にあてて朦朧とする世界へ戻るしかなかった。

 ありがたいと思ってる、言わなきゃいけない言葉がある。彼女は何度もそう思ったが、それを声にすることはできなかった。だが、ヒュードラーはそれを気にする様子も見せなかった。

 航海十日目に、船は舵を切って船首を北へと向けた。困ったことになった。少年と二人して船内を歩きまわり、どこになにがあるかを把握し、船酔いに立ち向かっているあいだに、食糧が腐ってしまったのだ。

 トゥラキアのミスだった。オートクルーズは入れたものの、船内冷蔵庫の電源を入れておくのを怠ったのだ。少年とともに悪臭を放つ物体を海に放り込んだ。換気扇を目一杯回しながら、冷蔵庫を掃除した。だが、もう食糧が無いことは明白だった。サバイバルが始まった。毎日釣竿を立てて過ごす。凪いでのんびりした日は睡魔と戦いながら日がな一日デッキで釣り糸を垂らすことも珍しくなかった。やっと釣り上げた魚から針を外そうとして、魚が跳ねあがり、悔しい思いと空腹感で眠れない夜もあった。それでも星だけは美しく夜空を彩って見せた。

 さすがに水だけは船内の自動機器のスイッチが入っていたので安心できたが、それも満足に使うことはできなかった。二人は汚れて臭くなった。

「あんた臭い。もうすこしあっちに行って」

 少年は口をとがらせ、顔をくしゃくしゃにして、「お前だって!」という仕草で反撃する。

 それでも二人は戦い続けた。戦うしかない状況でもあったのだが……。

 生きるっていうのはこういうことなのね。

 トゥラキアもヒュードラーもその過酷さこそが生きることであり、それを乗りきった先に、生の充実があることを全身で感じ取っていった。

 船は北へ北へと向かって進み続けた。

 しだいしだいに気温が下がりはじめる。そして恐れていたものがやってきた。嵐だ。

 冷たい雨の矢に肌を刺される。真上から射ぬいてきたかと思えば、横槍のように全身を突き刺してくる痛みと寒さ。暖房を最大にして船内にいても全身ズブ濡れになった。唇から顔から血の気が失せ、蒼ざめて幽霊のようになりながらも耐えた。じっとしていると凍えてしまいそうだった。飢えと寒さと刺すような雨。吹き付けてくる風。船は激しく揺れ、まともに立っていることさえできない。トゥラキアは覚悟を決め、少年を柱に縛り付け、自らも捕縛の人となった。

 死ぬなら一緒にだよ。ここまで一緒に戦ってきたんだもの。あんたはわかってくれるってあたしは信じてるよ。

 何度も荒波に全身を洗われ、眼が痛み、雨なのか涙なのかさえわからないものが、顔をつたい落ちた。濡れた髪が眼に突き刺さる苦痛に呻いた。少年の叫び声が聞こえる。

「ボクの、ボクのパッド! ボクのー!」

 何をいまさら、あんなものが無くなったって困りはしない。

 トゥラキアはそう思ったが、ヒュードラーの叫びは大きくなる一方だった。

 日記……日記がなくなるのが厭なのね……。

 彼女は自分の身を捕縛していた縄をほどき、船内を走り回った。激しい揺れに蹴り飛ばされて、何度も船側の手すりに体をぶつけた。海水が流れる床に足を取られて滑っては転び、海に投げ出されそうになった。

「どこ! どこにおいたの、ヒュードラ―! どこにおいたのよ!」

「うしろ! うしろ!」

 雷鳴に負けないほど喉を締め上げて叫びあった。

 そこは、少年が好んで釣をする場所だと気づきトゥラキアは、一気に船首から船尾へと走った。

 あった。今にも波に飲まれて海に落ちそうだ。もうどうにでもなれ。

 トゥラキアは死を覚悟してパッド目がけて走り、頭からそれにむかってダイブした。

 床に顎を強打されたのがわかった。口の中が生温かった。

 あとすこし……這っている暇はない。

 体を起こしてパッド目がけて走ろうとしたとき、船が傾いた。

 船尾にある旗竿に頭部を強打していた。必死に旗竿にしがみつき白濁する意識の中で右手の先を見た。感覚のない手がパッドを掴んでいるのが、真赤な視界の中に見えた。

 トゥラキアにはそこからさきの記憶がなかった。

 気がついてみると、少年を縛っておいた柱の傍に横たわっていた。ヒュードラーは自力で縄を抜けたのだろう。心配そうに彼女を見つめてきた。

「パッド……」

「あるよ、あるからだいじょうぶ」

 二人はともに肯きあった。

 トゥラキアの眼に映ったのは、傍らにある洗面器とそこに溜まった赤く染まっている水。血に濡れたタオルを手にして心配そうに涙を流している少年の顔だけだった。

「みず……」

 ヒュードラーはコクリと力強く肯いて、食堂へと走ってゆき、すぐに戻ってきた。

 上体を起こしてみると、あちこちに痛みを感じた。とくに口の中が酷かった。歯が何本か折れているのだろう。

 差し出された小さな手には、澄んで冷たい水で満たされたコップがあった。だが、こんどは無言ではなかった。

「水……とってきた」

 と、少年は言った。

 力なく肯きながらコップを受け取る。床にデータパッドが落ちているのが見えた。水を口に流し込みながら、それを指さして少年に教えようとする。

 ヒュードラーは首を振って、彼女を見つめつづけていた。

 彼女は二、三回うがいをして血まみれの水を洗面器に吐きだしたあと、空を見上げた。

 嘘のように青々とした空があった。真白な雲が気持ちよさそうに泳いでいた。

 船はいつのまにか北北西に進路を取っていた。航海は終わりに近づいていた。

 トゥラキアが頭に包帯をまいた姿でデッキに上れるようになった頃、陸が霞んで見えてきた。

「どうだい? 昼ごはんは釣れそうかい?」

「うん、だいじょうぶ」

「そっか、よかった」

 彼女は少年の背中を抱いて、風に頬をなぶらせたまま、ぼんやりと見えはじめた陸を眺めていた。

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