第26話 データパッド――戦う意味
ドアロックにあるスロットにIDカードを滑らせて、トゥラキラは病室の戸口をくぐった。
一辺、三・六メートルの部屋だけがこの子の自由だというのは、さすがに可哀そうだったわね。
起きてベッドに腰をかけ、データパッドが写しだしているものに見入っている少年を目にした刹那、彼女は自分の残虐さを見た気がした。少年は、床に届かない足をブラブラさせている。
身長は確かこのくらいだったわね、そう思ってベッドの足を調節したはずだった。少年を実際より大きく見積もっていたことは、自分の臆病さの現れかもしれないと思った。
彼女はそれをふり払うように、
「ヘイ・ボーイ。面白そうなものでもあったの?」
そう声をかけながら少年に歩み寄り、隣に腰かけた。
奇妙なほど膝が高い位置にあり、息苦しさを感じて足を伸ばした。
「ヘイ・ボーイ。まだ口をきく気にならないの?」
優しくしているつもりだったが、つっけんどんさが抜けきっていない卑屈さに彼女は苦笑する。
「窓の外は見たの? ここが地球よ。からだ怠くないの?」
「だるい。これ返すよ」
少年はパッドをトゥラキアの股のうえに置いた。
画面では、むき出しの機械でできたロボットがビルの立ち並ぶ都会で暴れていた。逃げる人々。立ち向かう人々が走り回っている。
「こういうの好きなの?」
少年は小さく肯いた。
彼女は伸ばしきっていた足をすこし曲げて、画面を自分にも少年にも見やすい角度にして、
「これはニューヨークかしら? 実際に行って見てみたいと思う?」
と訊いた。
「わからない。だってこれは映画でしょ。実際にはないものだよ」
トゥラキアは少年の成育履歴を頭の中で検索した。
この子が生まれたのはどこ? 地球のはずよ。いったいどこ? おそらく、物心がつくかつかない頃、彼はもう月にいた。だからこの子が知っているのは、不毛なセレーネの風景、そしてあのオンボロ輸送船の暗い部屋だけ……。
胸が痛かった。無性に腹がたった。やりばのない怒りが脳天へと駆け上っていった。
あたしも一人だった。けどあたしには自由があった。外へ出たければ出れた。何かを知りたいと思えば、知ることもできた。お腹が減れば、少しくらい悪いことだってできた。癪にさわれば、物に八つ当たりすることだって……。
「貸してごらん」
彼女はそういうと、アメリカの名所やら主要都市を映し出して、一つ一つ説明していった。
サクラメント、ニューヨーク、シカゴ、ラスベガス。――農園、工場、都市、地下鉄。海と空、山や谷、小川や大河、沼や湖、岩山や砂漠。まぶしい太陽、夜空の月、丘の上の一軒家。玄関、台所、居間、客間、書斎、風呂場、ベランダ、テラス、自分の部屋。
「そうつまり、いまいる部屋はあなたの部屋ってことなの。わかる?」
「うん……なんとなく」
「からだ怠いでしょ。重くない? これはね、地球には重力があるからなの。いい、見てて。このパッドは宇宙にいたときは空中に浮かせておけたわよね。でも地球ではそれができないの。地面に、あたしたちがいま足を乗せている地面に引き寄せられるの。それが重力よ。見ていなさい」
そういうと彼女はパッドを持ちあげて手を放した。とたんにそれは床に落ちてカシャンという音がした。衝撃吸収材が張られた床でなければ壊れていただろう。
「今の見た?」
少年の色違いの眼が輝いていた。
彼女はパッドを拾いあげると、少年に手渡した。
「見て、重力はこんなにも強いの。ほら、ケースが少し変形してしまったわ。地球には重力があるのよ。だから、むやみに持っているものを手から離さないこと。わかる?」
「う、うん……」
「でも、この部屋の床は、衝撃を和らげることができるの。――衝撃、どう説明すればいいかなあ……」
「しょうげき?」
「……でも想像してみて。あなたが鞭で叩かれたときのこと……あの痛さのことを衝撃というの。そしてこの床は――」
そういいながら、トゥラキアは靴底で床をバンバンと蹴って、
「その衝撃を和らげてくれるの。触って見てごらん」
泥沼の底に必死に沈めてきただろう怒りが、少年の色違いの瞳をギラギラ震わせている。少年は立ち上がって床に触れ、その感触を確かめはじめる。
「ヒュードラー、叩かれた仕返しをするのよ。悔しかったんでしょ? あなたを叩いた奴が憎くなかったの? 殺してやりたい、そう思ったんじゃないの?」
少年の力を込めて握っている拳がプルプルとわなないていた。
「さあ、これで仕返しをするのよ。思いっきり叫んで、床や壁に投げつけなさい」
大きな手がデータパッド差し出すと、小さな手がそれを掴んだ。
「でも……これは大事なものじゃ?」
「じゃあ、あなたはあなたのお姉さんにとって大事な弟じゃなかったの? その弟が叩かれているのを見ているのが平気だったと思うの? あなたはお姉さんのことを大好きだったんでしょ。そのお姉さんが叩かれるのを見ているのが平気だったの? そんなはずはないわ。だったら仕返ししてやりなさいよ。お前がしたことはこうだって。あなたはあたしのことも嫌いなはずよ。だったら、あたしが大事にしてきたものを床に叩きつけなさい! お前のしたことはこうだ! 大事なものに衝撃を与えるってことがどういうことか、教えてあげなさいよ。よく見てみろ、お前のしたことはこうだって、叩きつけてみなさいよ!」
「ちくしょー!」
小さな声のあと、パッドが床にぶつかる音がした。それも小さな音だった。
「なによ、あなたのされたことはその程度なの。そんなはずないわ。さあ、もっと叩きつけなさいよ、お前のしたことはこうだって、教えるのよ」
大きな手がパッドを拾い、小さな手がそれを受取る。
「ちっくしょうー! よくも僕を叩いたな!」
「さあもっと。もっと出来るはずよ。あなたの怒りはそんなものじゃなかったはずよ」
「よくも姉さんを叩いたな! ふざけるな! 馬鹿野郎!!」
「…………」
「殺してやる! 殺してやる! お前なんか殺してやる!! 殺してやる……お前なんか、こうしてやる。お前なんか……」
何度も何度も、何度も何度も、パッドが床に打ち据えられ、跳ね返り大きな音を立てた。
部品が飛び散り、やがてそれは破壊された。
少年は滂沱のごとく涙を流し、叫び、投げた。
トゥラキアも泣いていた。
「よくやったわ。それでこそ男の子よ。これからは悔しいことがあったら立ち向かいなさい。黙って耐えていては駄目なのよ。欲しい物が手に入るまで戦うの。わかる?」
少年は抱きかかえられながら繰返し肯いていた。
「もしも、自分一人で立ち向かえないと思ったらあたしに言いなさい。あたしもあなたと一緒に戦うから。わかった?」
二人はしばらく床に膝をついたまま、怒りと悲しみの入り混じった涙を流しつづけた。
「疲れたでしょ? からだ重いわよね」
「うん」
「すこし眠るといいわ。眼が覚めたら着替えましょう。あなた少し臭いんだもの」
少年はクンクンと鼻を鳴らした。
「ほんとだ……」
「リビュア姉さん、きっと臭いあなたのこと、嫌うと思うわ」
「そうだね」
「あたしも臭いのはあんまり好きじゃない。まあいいわ、少し眠りなさい」
少年は素直にベッドに登って、横になったあと、ぽつりとつぶやいた。
「四角いの、もう見れないの?」
トゥラキアは少年に優しく微笑みながら、
「心配しなくていいわ。修理をすれば元通りに戻せるから」
と言ったあと、腰をかがめて壊れたデータパッドの部品を拾いはじめた。
「あなたの体にある傷も治さないとね」
「うん」
ヒュードラーは怒りにまかせてパッドを壊してしまったことに、後ろめたさを感じていた。けれどもそれを言いだすこともできないまま、ずっと部品を拾うトゥラキアの姿を見つめていた。
「おやすみ」
彼女がそう言って部屋を去ると、すぐに瞼の重さに引き込まれで、眠ってしまった。
何時間たったのだろうか。空腹に襲われて目を覚ますと、枕元にデータパッドがあるのが見えた。それはひしゃげて傷だらけになり、ケースにある破孔から中の部品が見えている箇所もあった。しかし、少年が画面にそっと指を触れると、すぐに光が溢れ出した。
あの人は、いったいどんな魔法を使ったんだろう? この四角いの、さっき見た映画のロボットみたいだ。
少年は知る由もなかった。トゥラキアが人格コンピューターのペールに修理させたということを。




